鉱石の道【こうせきのみち】

 

鉱石の道【こうせきのみち】
神子畑選鉱所
神子畑選鉱所

神子畑鋳鉄橋
神子畑鋳鉄橋

ムーセ旧居
ムーセ旧居

明延探検坑道
明延探検坑道

一円電車
一円電車

生野銀山
生野銀山

鉱石の道
・生野、神子畑 (朝来市)、明延(養父市)
・近代化遺産

●関連情報
「鉱石の道」


●明延~神子畑~生野鉱山を結ぶ輸送ルート

生野鉱山(朝来市生野町)、神子畑鉱山(朝来市)、明延鉱山(養父市大屋町)は、明治時代から昭和にかけて、国内のスズや銅の主力産地として日本の近代産業を支えました。これら3つの鉱山には、鉱石や人、物資を運ぶため、鉱石輸送の専用道路が整備されていました。明延で採掘された鉱石が、専用電車(一円電車)で神子畑選鉱所へ運ばれて選鉱・製錬され、専用道路で生野精錬所に輸送。 高純度のインゴットとなって、生野鉱山本部から銀の馬車道を通って姫路・飾磨港へと運ばれていきました。
現在、明延~神子畑~生野間の輸送ルートは「鉱石の道」と名付けられ、産業遺産をめぐる観光ルートとして整備されています。現在も残る「神子畑鋳鉄橋(日本最古の鋳鉄橋)」や「羽渕鋳鉄橋」は輸送路の整備のため建設されたもの。この山深い場所に近代的な鋳鉄製の橋が建設されたことは、明治政府の力の入れようを物語っています。
沿線ではその他にも、一円電車やムーセ旧居(外国人宿舎)など、往時を偲ぶ貴重な貴重な産業遺産群を見学するこができます。

八鹿駅舎と跨線橋【ようかえきしゃとこせんきょう】

 

八鹿駅舎と跨線橋【ようかえきしゃとこせんきょう】
八鹿駅舎
八鹿駅舎
・養父市八鹿町八鹿
・近代化遺産

八鹿駅舎
星形の窓

八鹿駅舎
柱脚に残る
「鐡道新橋 明四十」の銘文

●国内で2番目に古い鋳物の柱脚が残る駅

八鹿駅舎は1908年(明治41)に建設され、1934年(昭和9)の改築で現在のようなモダンな姿になりました。玄関横には、八つの星をイメージした星形の窓が取りつけられています。
ブレス構造の跨線橋の鉄柱には「鐡道新橋 明(治)四十」という銘文が刻まれています。新橋というのはJR(旧国鉄)の前身である帝国鉄道庁の新橋工場のこと。新橋工場でつくられた跨線橋が1907年(明治40)に福知山駅で組み立てられ、1955年(昭和30)に福知山駅から八鹿駅に移転されました。
今は白く塗られていますが、できあがった当時は緑色であったと当時の新聞に記載されています。1番古い鋳物の柱脚の跨線橋は、山陰本線の大田市駅にある跨線橋で、1890年(明治23)に製作されているものが使ってあります。八鹿駅の跨線橋はそれに次ぐ古さと考えられ、注目されています。明治時代の鋳物の柱を使った跨線橋は、但馬では八鹿駅と竹田駅しか残っていません。