2021/01/24  

日本農業遺産「兵庫美方地域の但馬牛システム」【にほんのうぎょういさん「ひょうごみかたちいきのたじまうししすてむ」】

 

日本農業遺産「兵庫美方地域の但馬牛システム」
【にほんのうぎょういさん「ひょうごみかたちいきのたじまうししすてむ」】
但馬牛システム

但馬牛の放牧

牛籍簿

●先人の熱意が育んだ「和牛生産システム」

“世界の舌を魅了する”神戸ビーフや特産松阪牛の素牛『但馬牛』。兵庫県北西部に位置する美方郡は但馬牛の原産地として知られ、全国の黒毛和牛の99.9%に血縁を持つとされる名牛「田尻号」のふるさとです。

江戸時代から但馬牛の改良に熱心だった美方地域では、同じ谷筋の牛で交配を重ね、優れた特徴を受け継ぐ「蔓牛(つるうし)」と呼ばれる家系群を形成。明治30年頃には、日本初の血統登録の基本となる「牛籍簿(牛籍台帳)」を整備し、一頭一頭を管理する持続可能なシステムを作り出して、黒毛和牛の中では全国で唯一郡内の血統にこだわった育種改良を続けてきました。

さらに、水田では、但馬牛の堆肥を利用し、稲わらを飼料として牛に与える「環境創造型農業システム」が発展したことにより、但馬牛を育てることで、地域の暮らしや農村環境、イヌワシに代表される希少で多種多様な生物資源も守られています。

そうした「環境創造型農業システム」が評価され、平成31年2月に兵庫県で初、畜産部門においては日本で初めて日本農業遺産に認定されました。

今日、私たちがおいしい和牛肉を味わうことができるのは、但馬牛によって育まれた里山の暮らし、生物、伝統、文化、そして先人たちによって脈々と受け継がれてきた育種改良の歴史があるからこそと言えます。昔から家族同様に愛情を注いで育てられ、美方郡の風土が育んできた“農宝”は、次なる未来に向けて継承されています。

2020/01/31  

国家戦略特区/養父市【こっかせんりゃくとっく/やぶし】

 

国家戦略特区/養父市
【こっかせんりゃくとっく/やぶし】
別宮の棚田

別宮の棚田
朝倉山椒
特産の朝倉山椒

●日本の農業の未来を背負う養父市の挑戦

平成26年春、国家戦略特区として指定された養父市。「中山間地農業の改革拠点」という位置づけで、全国6カ所の中のひとつとして、東京圏、関西圏と並んで、養父市が「農業特区」に選ばれました。「国家戦略特区」とは、ある特定の地域に限って様々な規制を免除、緩和し、企業や民間ができるだけ活動しやすいようにする特定の地域のこと。養父市では特区の指定前から6次産業化の構想や、農地所有権移転許可の権限などを持つ農業委員会の機能を市に移譲する提案を行っていたこともあり、農業改革の具体性や姿勢が評価され、農業特区に指定されました。

農業の担い手を増やすだけでなく、「6次産業化」を目指して、養父市では様々な規制緩和を行っています。企業の農業参入が容易でスピーディーに行われるように「農業委員会の権限を市に移譲」。農業生産法人の設立には、役員の中に農業従事者が4分の1以上必要でしたが、1人以上いれば法人化が可能になりました。その他にも、信用保証の対象とすることで融資を受けやすくしたり、これまで農地以外の転用は厳しく規制されていましたが、レストランを建てることも認められ、「6次産業化」への取り組みが進められています。日本の農業の新しいモデルとして、養父市の取り組みが全国的に注目されています。

2015/02/10  

但馬産業大賞【たじまさんぎょうたいしょう】

 

但馬産業大賞【たじまさんぎょうたいしょう】

●但馬の産業が持つ魅力を国内外に訴えるための賞

兵庫県但馬県民局が「先進的技術やサービスで但馬の発展や但馬経済の活性化に貢献している企業、団体及び個人を顕彰し、全国的にPRすることにより、但馬産業界の新たな取り組みへの意欲を高め地域産業の活性化を図ること」を目的に創った賞です。但馬の自然資源を活かした農林水産業や食品製造業・伝統地場産業・工業・観光業等へ贈られます。「キラリと世界へ輝く技術部門」「人と自然の共生する事業部門」「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」の3部門があります。

●平成25年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○東海バネ工業株式会社(豊岡市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○日和山観光株式会社(豊岡市)
○明延鉱山ガイドクラブ(養父市)
「新分野へチャレンジする経営革新部門」
○株式会社コンゴープロダクツ(豊岡市)
○カタシマ株式会社(養父市)

●平成24年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○株式会社 多田スミス(朝来市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○株式会社 げんぶ堂(豊岡市)
○全但バス株式会社・やぶ市観光協会(養父市)
「新分野へチャレンジする経営革新部門」
○有限会社 マジック(豊岡市)
○株式会社 但馬寿(新温泉町)

●平成23年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○株式会社タクミナ生産本部総合研究開発センター(朝来市)
○株式会社誠工社(豊岡市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
該当なし
「新分野へチャレンジする経営革新部門」
○株式会社田中屋食品(豊岡市)
○大徳醤油株式会社(養父市)

●平成22年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○美岡工業株式会社(香美町)
○株式会社オーシスマップ(養父市)
○和田山精機株式会社(朝来市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○城崎このさき100年会議(豊岡市)
○和佐父集落西ヶ岡棚田保全維持会(香美町)

●平成21年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○冨士発條株式会社(朝来市)
○株式会社東豊精工(豊岡市)
○香住鶴株式会社(香美町)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○NPO法人ハチ高原・氷ノ山自然体験村(養父市)
○香美町村岡観光協会(香美町)
○生活工房香味煙 井上 利夫(香美町)

●平成20年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○日本精機宝石工業株式会社(新温泉町)
○但馬ティエスケヌ株式会社(豊岡市)
○株式会社オーク(豊岡市)
○株式会社トキワ(香美町)
○吉田体機工株式会社 養父工場(養父市)
「人と自然の共生する事業部門」
○株式会社清美社(新温泉町)
○神鍋白炭工房 田沼茂之(豊岡市)
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○但熊 西垣源正(豊岡市)
○但馬高原植物園(香美町)
○香住観光協会(香美町)
○湯村温泉若女将会 ゆむらなでしこ(新温泉町)

●平成19年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○株式会社ビトーアールアンドディー(豊岡市)
○マルヨ食品株式会社(香美町)
○中田工芸株式会社(豊岡市)
「人と自然の共生する事業部門」
○有限会社夢大地(豊岡市)
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○農家民宿「八平だるま」能勢勇(豊岡市)
○たけの観光協会(豊岡市)
○浜坂観光協会(新温泉町)

2015/02/10  

但馬の林業【たじまのりんぎょう】

 

但馬の林業【たじまのりんぎょう】
林業

苗木
苗木の植林

●緑豊かに地域を育てる林業
・但馬の森林資源
但馬の83%が森林で急峻な山岳地が多く、森林の保護育成や利用がきびしい状況にあります。朝来市は早くから育林に取り組み、広大な美林が形成されていますが、一般に但馬地域は、薪炭生産を主体とする広葉樹林を中心としてきました。昭和30年頃からスギ、ヒノキ、マツの針葉樹を主にした造林事業が急速に展開され、一方で天然林の広葉樹も見直され、計画的な保存を行うとともに、人工林の育成を計画し推進しています。
また、経済成長期の昭和30年代から、森林の整備、開発を目的に林道開設が進展し、昭和49年の広域瀞川、鉢状林道をはじめ、但馬の山々に林道がつぎつぎに敷設されました。

・森林とくらし
森林は土地の崩壊を防止し、水源をかん養し、台風を制し、そう音を消し、大気を浄化するなど、国土と環境の保全を担っています。自らは花や実を鳥獣に与え、落葉を土に返し、森林の緑や香気は目をはじめ人体の疲労回復に効果を与えるなど、森林環境は人間が健康で快適なくらしを営む上になくてはならないものです。中でも、森林浴は、森林がそなえている多くの効用を直接体験によって満喫することができます。

・林業生産品
主な林業生産品は素材、木炭、さらに特用林産物があります。 昭和60年の素材生産は針葉樹55,000平方メートル(県全体の18%)、広葉樹45,O00平方メートル(県全体の51%) でした。
多産市町としては、針葉樹で豊岡市、香美町、朝来市。広葉樹では、朝来市、香美町、養父市、豊岡市の各市町があげられます。針葉樹は建築、家具をはじめ、但馬に多いチップ素材として供給され、広葉樹は裁断し炭焼きがまを使用して作る白炭を生産します。
近年但馬の特用林産物は顕著な伸びを示し、深山の清流を基盤に栽培する高級わさびは、豊岡市、新温泉町などで生産されています。また、豊岡市、新温泉町で多産しているなめこ・ひらたけの生産も定着してきています。しいたけは但馬全市町で生産され、乾燥しいたけの生産量は県全体の70%を占め、中でも養父市、豊岡市、香美町に多く、生しいたけは県下全域に出荷されていますが、但馬では豊岡市、朝来市、香美町の各市町に多くあります。
栗の生産は県下でされていますが、但馬では養父市、朝来市などで生産されています。

・但馬の林業のこれから
林業は植林してから商品として伐切するまで、数十年の長期を必要とする生産業で、その上、森林は重要な公益的な機能を受け持っています。このため、ロングサイクルに耐える生産基盤を確立し、森林整備を行って生産性の向上を図り、合わせて公益性を発揮させる資源の管理が重大な課題とされています。
第二次大戦後に植林が急速に行われた関係で、その後の除伐、間伐などの欠かせない育林管理が一挙に到来しています。また、広葉樹は鳥獣など野生動物の楽園を築くなど、多目的性が発揮され、人間生活にも役立つところが大きいです。
但馬は山陰海岸国立公園のほか、国定、県立などの自然公園が豊かに広がり、多くの森林浴場を有しています。但馬の山々が季節感にあふれて、訪れる人の優れた保養、スポーツ、レクリェーションの場であるように、但馬の自然を愛護し、森林の整備に万全を期さなければなりません。

2015/01/31  

竹田の家具【たけだのかぐ】

 

竹田の家具【たけだのかぐ】
家具づくり

家具づくり
兵庫県の特産品に指定

●木地師の心を今に伝える
朝来市和田山町竹田の木工業の歴史は、およそ400年前、時の城主赤松広秀が漆器作りを奨励し、神子畑に住んでいた木地師を呼んだのが、はじまりと言われています。「家々はシブの仕入れや竹田椀」と詠まれ、隆盛を極めましたが、陶器の発達により、天保(1829~1841)の末期頃から、木製家具の生産技術を導入し、幾多の変遷を経てきました。さらに、昭和30年頃から婚礼家具を主体とした生産に取り組み、機械化による経営の近代化を図りながら発展してきました。

家具づくりの技術は徒弟制度で、いわゆる弟子入りによって受け継がれてきました。竹田の家具が誇る「手作りで個性的」といった特長は、厳しい修行で培われた確かな技術と、職人としてのこだわりがあって生まれたといえます。むかし木地師たちが単に生計に木工製品を造るだけでなく、木に対して崇拝の念ともいえるほどの愛着を持っていたことに似ています。

近年、時代の流れから家具の製造販売ルートは、卸向けの大量生産から小売りへと転換し、直接お客様と対話をしながらの家具づくりへと変わってきました。婚礼家具だけでなく、住宅産業向けの特注品をつくることもあります。竹田の家具の強みは、多様化するお客様のニーズに合わせてつくり、アフターサービスも、職人自身が行うなど、小回りのきくところにあります。
兵庫県の特産物にも指定されるその技術と実績は、伝統を守りながら、さらに次の時代に向けて、独創的で新しい家具づくりをめざして、木と人の心地よい関わりを育み続けています。

2015/01/31  

浜坂針【はまさかばり】

 

浜坂針【はまさかばり】
針
針屋
針屋

●200年の歴史に培われた技術
(ぬい針・レコード針・特殊針)

新温泉町(旧浜坂町)で針の生産がおこなわれ、市場(京阪方面)へ売られるようになったのは享和2年(1802)のことで、浜坂針の元祖は、市原惣兵衛(いちはらそうべえ)といわれています。惣兵衛は、安永元年(1772)に生まれ、23歳の時、長崎に留学し長崎の針職人2名をつれて帰り、唐縫針を生産したのがはじまりとされています。
天保10年(1840)には北陸へ販路をもち、幕末から明治の中期には、針金屋(鉄線材生産者)4軒、線引屋(伸線加工業者)約20軒、針師親方(縫針業者)約80軒、下職(針師の職場で働く者、及び自宅で作業をする者)、針問屋(販売者及び原材料と製品の販売を行う者)数名を数えるほどになり、有力な産地が形成されました。
しかし、その後、明治30年~昭和10年頃にかけて浜坂の線材業と伸線業は廃業となり、生産は問屋制家内工業へと移行していきました。 昭和26年当時には、製針工場は13を数え、年間約7億本の生産をするまでに発達してきました。平成13年現在の製針工場は4軒となりましたが、縫針、レコード針、各種ピン等多様な製品の製造には、長い期間をかけて培われた針を造る技術(先付け、穴あけ、熱処理、プレス加工等)によって支えられてきたものといえます。

2015/01/31  

製畳【せいじょう】

 

製畳【せいじょう】
●わら縄~畳床~新たな需要を求めて
豊岡市日高町では、昭和の初めごろから、「わら縄製品」の生産が盛んになり、第2次大戦後も荷づくり縄を中心に専業者が増加しました。昭和30年代に入ると最盛期を迎え、事業所数が20、農協を販売窓口として年間67,500トンの生産を記録しました。

しかし、昭和35年ごろ、丈夫で、わらのようにクズも出ず、荷づくりしてもかさばらないビニール製の縄が出現したため、わら縄は数年のうちに市場から姿を消すことになりました。
その後、わら縄に代わって製造されるようになったのが「畳床」です。畳床には、わら縄と同じく、わらの周りのやわらかい部分(ハカマ)を大量に使います。昭和38年、奈良県の業者の紹介で、豊岡市日高町の縄メーカーが畳床製造業へ進出したのを皮切りに、豊富な稲わらを原材料とした畳床製造への事業転換が相次ぎました。加えて40年代の高度経済成長、内需拡大のための住宅着工促進という国策が追い風となって、順調に伸びていきました。
豊岡市日高町の畳床は、マンションや建売住宅向けのウエイトが高いため、業界では機械設備を充実させて、大量生産体制を備えることに努めています。その一方で、熟練した職人を養成して「畳」(完成品)を製造している業者もあり、それらの業者は、日本古来の和風畳の製造においても品質の良さで群を抜いており、県内外から高い評価を受けています。畳床(完成品を含む)の生産量は、県下の約40%、但馬内の約80%を占め、豊岡市日高町が誇る地場産業のひとつとなっています。

最近の製畳業の状況をみてみると、平成12年の出荷量が前年を10~15%下回るなど厳しい状況で、現在は、ピークだった震災直後の出荷量の60%程度になっています。けれども、倒産・廃業する業者はなく、ほとんどの業者で後継者も確保されており、今後、バリアフリー住宅向けの「薄畳」(厚さ約15ミリで標準の畳の半分以下)の需要の増加が期待できるため、積極的に販売増加へ向けて取り組んでいます。

2015/01/31  

ホタルイカ

 

ホタルイカ

ホタルイカ

●浜坂漁協では日本一の水揚げ量を誇る
海の妖精ともいわれるホタルイカは、胴の長さが6~7cmとごく小さなイカです。日本近海に広く分布しており、普段は主に沖合の水深200mよりも深い海域に生息しています。
ホタルイカは富山湾の特産として知られていますが、昭和62年、浜坂漁港で本格的にホタルイカ漁をはじめました。今では富山より浜坂の水揚げが多くなり、水揚げ量は日本一を誇るようになりました。日本で一番はやい3月から漁がはじまり、5月頃までが旬。ホタルイカが出回りはじめると、但馬にも春が来たしるし。一匹がひとくちサイズで、かみしめるとほのかな甘味が口に広がります。
ホタルイカはその名が示すとおり発光するイカとして有名です。ホタルイカの発光器は構造から3つの種類に分けられ、それぞれ腕発光器、眼発光器、皮膚発光器と呼ばれています。
光を発する理由は、威嚇のためや外敵から身を守るためと考えられています。網で揚げられた時に光るのは威嚇発光で、この時の光り方はかなり強烈。腕の先端部分にある大きな発光器から、まばゆい光りを発光します。一方、保身の時は体全体に800個ほどある発光器から淡い光りを発します。
富山湾では定置網で漁をしますが、浜坂は底引き網での漁法でとっています。よくテレビなどで紹介される映像として、夜の海にほんわか光るホタルイカの姿が紹介されますが、実はホタルイカの漁は夜ではなく、昼に行われています。ホタルイカの特性として、暗いところを好んで生息しているので底引き網が適しています。
ホタルイカの身はあっさりと淡泊な味。一方、内蔵はうま味成分のひとつであるアミノ酸が多く甘味が強いので、はらわたごと味わうと特においしい。生ならコリッとした歯ざわり、茹でればむっちりとしたうまみが楽しめます。内蔵はビタミンA、Eがウナギなみに豊富でカロリーは半分以下。低脂肪EPA、DHAの比率も高く健康に良い食材です。

2015/01/31  

ズワイガニ

 

ズワイガニ

ズワイガニのオス
(松葉ガニ)

ゆでると鮮やかな赤い色になります。オスとメスでは、かなり大きさが違います。

メスはセコガニと呼ばれ、お腹にたくさんの卵をかかえています
●日本海の暗く冷たい海底に棲む
但馬では、ズワイガニのオスを「松葉ガニ」と呼び、メスを「セコガニ」と呼びます。オスは甲羅の幅が14~15cm、長くのびた足が特徴です。
ズワイガニはクモガニ科で、北限がベーリング海、南限は太平洋側で金華山沖、日本海側では朝鮮海峡までの海域に棲んでいます。日本海では、水深200~450m、水温1~4度の海底におり、肉食で、クモヒトデ、エビ、貝、魚、イカ、タコなどを食べ、共食いもするそう。
ズワイガニの一生を大きく分けると、卵→幼生→稚ガニ→幼ガニ→親ガニとなります。約1年間、親ガニ(セコガニ)に抱かれた卵は春にふ化し、プランクトン生活をする浮遊期間3ヶ月ののち、稚ガニになって海底で棲むようになります。その後甲殻を脱ぎ変えて(脱皮現象)成長していきます。最初の1年間に3回、2年目に2回、3年目からは年1回くらい脱皮し、7~8年で親になります。
この時点でオスの甲羅の幅は約8.3cm、メスが約7.5cm。メスはこれで成長が止まりますが、オスはその後も脱皮をくりかえして、甲幅14~15cmにまで成長します。脱皮の時期が近づくと古い甲殻の下に、もう1枚の新しい甲殻ができ、甲羅の部分が割れて抜け出てきます。脱皮した直後の時期は「ミズガニ」と呼ばれて、ぶよぶよとやわらかいのですが、その後しだいに硬さを増してきます。●但馬が誇る、冬の味覚の王様
「松葉ガニ」は冬の味覚の王様として人気があり、但馬では津居山港、竹野港、柴山港、香住港、浜坂港などの漁港で大量に水揚げされます。松葉ガニ漁は海底を網でひく「底曳き網漁」で、漁期は11月初旬~3月下旬(11月6日~3月20日ごろ)。
「松葉ガニ」の名前の由来には諸説あり、松葉のように長い足を持っているからとか、昔はカニをゆでるのに浜に大釜をすえて松葉を集めて燃やしたからとか、殻をはいだ脚の身を冷水につけると、松葉のようにバラバラに広がるから、などといわれていますが、どれも定かではありません。福井県などでは「越前ガニ」と呼ばれます。
ズワイガニのメスである「セコガニ」は、年中、腹に平均10万粒もの卵を抱えています。セコガニの保護のため、漁期は11月上旬~1月上旬(11月6日~1月10日ごろ)と短い期間です。

ちなみに、カニが泡をふくのは、水から出されると水中から酸素が取り込めないので、泡を出して、その表面にとけ込んだわずかな酸素をとり込むためで、いわば呼吸困難の状態なのです。

2015/01/31  

但馬の水産業【すいさんぎょう】

 

但馬の水産業【すいさんぎょう】
漁船
日本海へ繰り出す漁船

イカ釣り船
夕暮れに出港するイカ釣り船

松葉ガニ漁
松葉ガニ漁

●近代化の進む但馬の水産業
・但馬の漁港
但馬は日本海に面し、東は豊岡市津居山港から西は新温泉町(旧浜坂町)居組港に至る43kmのリアス式海岸に、たくさんの湾や入江、岬、そして100を数える大小の島や岩礁が散在しています。変化に富んだ景観をつくるとともに、豊かな磯物漁場を形成しています。
資源に富んだ日本海に、昔から多くの漁村・漁港が開かれ、なかでも日本海側屈指の香住漁港をはじめ、津居山、竹野、柴山、浜坂、諸寄などは早くからの良港として知られています。
但馬の漁業は、沿岸並びに日本海を主な漁場にして漁業生産に従事しています。
漁業種別でみると、「沖合底びき網」を中心に、「ベニズワイガニかご」と「沖合イカつり」を加えた沖合3種漁業の盛衰が但馬に大きな影響を及ぼしています。
魚種別では、各漁港ともにカレイ類、ズワイガニ、スルメイカが多く、このほかに香住、柴山、浜坂でベニズワイガニが多くとれています。ズワイガニ(マツバガニ)は高級名産品として、広く京阪神間に親しまれています。

・戦争前後の沖合漁業
但馬の漁業は沖合漁業を中心に発展をしてきました。
第二次大戦前はわずか10t程度の小船で、コンパスひとつで60時間余り走り続けて、沿海州沖(ソ連領)まで出漁する底引漁業が香住を中心とする但馬の漁港をにぎわせました。
戦中、底引漁船は戦争に徴用され、数多くの漁船が沈没するなど大きな被害を受け、漁師も多数犠牲になりました。ところが、戦後はこの沈没船が魚巣となり、戦中ほとんど漁獲をしなかったこともあって魚がふえ、豊漁が続きました。しかし、昭和50年代に入って減少傾向になってしまいました。

・漁船の発達
明治35年、香住浦漁業組合(初代組合長・長熈ちょうひろし)が創設されました。当時の漁業は、地引き網または手ぐりの網漁、はえ網漁でしたが、長組合長は発動機船の導入を漁民に説き、自ら購入して漁民に操業させ、これが日本海における発動機船底引網漁業の先駆けといわれています。
さらに明治末期には地元香住で発動機付漁船を建造し、但馬の漁船は急速に近代化されました。現在では高度な電波機器や漁ろう機械などのハイテク装備が装備され、安全と効率化が図られています。

・漁場と魚の保護
沖合漁業は、東経130度以東の日本海を舞台として、沖合底びき、沖合イカつり、ベニズワイガニかご漁業が操業されています。ロシア、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の各沿岸域は、各200海里水域ラインが設けられ、漁場の制約の中での操業が続けられています。このラインは魚の保護育成のため、国際間で制限海域をとり決めています。
日本海域では魚の保護育成対策として、稚魚の漁獲は禁止し、漁期の制限も実施しています。

 

あゆ釣り
解禁と共にあゆ釣りを
楽しむ
●内水面漁業
但馬には河川・池沼などがあり、漁業が行われています。但馬の清流で育つあゆは、体型優美で香気ありとされて、昔から円山川中流や支流の八木川(俗称:八木太郎)、大屋川(俗称:大屋次郎)、さらに矢田川、岸田川、竹野川の河川で、毎年6月の解禁とともに一斉につり糸を垂れ、京阪神の釣師に高く評価されてきました。しかし河川の水量は減り、水質は悪くなるなどの環境変化で、初夏の風物詩あゆ釣りは大屋川、矢田川など一部の河川に限られるようになりました。
近年、下水処理施設が整備され、河川の水質改善を図ってきた河川では、あゆ、ます、さけの遊魚や、あまごなど渓流魚の放流を進め・漁業資源の増大をめざして取り組んでいます。