但馬牛【たじまうし】
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●但馬牛とは 農耕用の機械が導入されるまで、農家は農業の働き手のひとつとして、各家庭に1頭は牛を飼育していました。家族の住む母家に同居させ、我が子同様に愛情を注ぎ、大事に育てたと言います。起伏に富んだガタガタ道は、牛の足腰を丈夫にし、但馬特有の夏の湿気と冬の寒気がよい毛並みをつくりました。子牛は競り市で売られ、農家の大事な収入源でした。優良牛の育成を目指して、よい特性を備えている牛を選び、何世代もの近親繁殖を繰り返す間に、その優れた特質が固定され、血統(蔓牛)をつくってきました。現在も兵庫県外の優良牛との繁殖はせず、純血を守っています。 ●但馬牛を創った男「前田周助」 「蔓牛」を創り出すことで、安定的に優秀な子牛が生産することができます。周助は系統牛になりそうな牛がいると聞けば、東へ西へと駆け回りました。そのためには私財を投げ打って、牛を買い求める毎日。そしてついに100年に一度の雌牛を手に入れました。飼料の選定から一切の手入れ、特に繁殖には多年の研究と経験の全てを注ぎました。こうして周助の生み出した牛は「周助蔓」と言われ、現在の但馬牛の代表的な蔓のひとつ「あつた蔓」の素となりました。 ●伝説の但馬牛「田尻号」 第二次世界大戦後、但馬牛の純牛種を守ろうと、新しい血統作りが始まりました。ここで注目されたのが「周助蔓」。険しい山々と深い谷あいにあり、隣村との行き来が困難な小代には、外国牛との交配を免れた但馬牛が奇跡的に生き残っていました。中でも田尻松蔵が丹精込めて育て上げた「田尻号」は、生まれて半年で美方郡の種オス牛候補として認められた名牛。特に遺伝力の強さは他の雄牛の中でも群を抜いていたと言います。 但馬の山間部では家の玄関の横に牛小屋があり、昔から家族同様に牛が育てられてきました。松蔵も「田尻号」を我が子のように可愛がり、毎日運動と手入れを欠かさなかったそうです。そのおかげでほとんど病気をすることもなく、昭和29年まで種牛として活躍しました。昭和30年には長年の功績を讃えられ、黄綬褒賞を受賞しています。
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杞柳細工【きりゅうざいく】
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●伝統的工芸品、豊岡杞柳細工の変遷
杞柳細工は、但馬の地で生まれ、但馬の風土に育まれて今日に至った伝統ある地場産業です。起源は西暦27年、日本に帰化し但馬の国を開いたといわれる、新羅国の王子・天日槍命(あめのひぼこのみこと)が伝えたという説が語り継がれています。円山川の荒れ地に自生する「コリヤナギ」で籠を編むことから始まり、江戸時代、京極伊勢守高盛が産業奨励に、柳の栽培、保護、柳の加工、柳編みの技術育成をすすめてきました。 現在「鞄のまち豊岡」の名声のもととなった豊岡の杞柳細工ですが、最近の生活様式の変化にともない、新素材の開発、ハイテク技術による、合成樹脂・合成繊維などの鞄製品が、豊岡の地場産業として成長しています。 |
スキー場【すきーじょう】
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●雪質よし、アクセスよしの人気スキー場 但馬には、ハチ高原、ハチ北高原、豊岡市日高町の神鍋高原などが代表するスキー場が点在し、松葉ガニと並んで、冬期の観光の大きな柱となっています。但馬のスキー場は、雪質のよさと、京阪神からのアクセスのよさで、初心者から上級者にいたるまで広く親しまれています。 人口造雪機を設置して雪の少ない時期に対応したり、近年人気の高いスノーボードゲレンデや、ハーフパイプ、モーグルなどのコースを整備するなど、観光客のニーズに応えるゲレンデづくりに力を入れており、各種ウインタースポーツの公式競技もおこなわれています。また、年齢やスキーの巧拙に関係なく楽しめる雪まつりなどのイベントを開催して、あらゆる年齢層の集客につとめています。 【但馬のスキー場】 ■神鍋高原スキー場(豊岡市日高町) |
鞄【かばん】
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●関連情報 |
●豊岡市を代表する地場産業 我が国で、かばん製造業が産業として興ったのは、明治維新前後と考えらえています。外国人の来訪とともに「トランク」として輸入されたものが「鞄」となりました。一説には、明治6年大阪の商人、山城屋和助がフランスから鞄を持ち帰り、森田直七が模倣して作ったのが日本で初めてとされています。 豊岡では、明治時代の後半、柳行李から生まれた行李鞄から発展していきました。杞柳細工の起源は西暦前27年、 天日槍命(あめのひぼこのみこと)の伝授によるものといわれ、円山川の荒れ地に自生する「コリヤナギ」で籠を編むことから始まり、江戸時代、京極伊勢守高盛が柳の栽培と加工技術を保護し、販売にも力を注いできました。 柳行李は、軽くて堅牢な生活用品の「容器」として、一般大衆に愛され親しまれてきましたが、同じ用途の革製の大型トランクが出現しても「杞柳製トランク」とは呼ばれませんでした。鞄として呼ばれるようになったのは、バンド締め行李に工夫と改良が加えてからで、豊岡市小田井の奥田平治氏が、大正6、7年頃にバンド締め行李に漆を塗り、錠前を取り付け「新型鞄」として、行李にかわって豊岡の鞄として売り出したことが最初とされています。 昭和3年頃には「ファイバー鞄」が誕生し、軽くて強靱で安価、需要も高まり、豊岡の主要産業として発展していきました。さらに、昭和28年頃からビニールテックスなど新素材を取り入れたオープンケースの生産が始まり、輸出もアメリカを中心に急激なのびを見せました。 昭和43年11月には、企業の共同化を進め近代化を図るために、九日市上町に、全国で唯一の「豊岡鞄団地」を設置、機能的な職場環境の確保や積込・運搬の効率化など一層の合理化・近代化をはかった施設として注目を集めました。昭和53年3月には、豊岡鞄会館が、中核施設として新たに大磯町に完成。 品質技術面では、品質ラベルの表示や化学品検査協会登録認定工場制度などにより品質は向上し、生産面でもコンピューターミシンなど新鋭の機械設備が導入されるようになりました。 平成3年3月には、兵庫県商工部が「豊岡鞄産地振興ビジョン」を策定し、デザイン・ファッションの自己表現化、新技術、設備への対応、販売戦略の具体的方策が示され、ファッション化と高級化にポイントを置いた商品開発を目指しています。 平成6年には、国際バッグデザインコンテストを盛大に開催し、世界中からたくさんの作品が集まりました。また、今後の鞄産業の担い手として期待される市内の中学校・高校・短大の学生を対象とした「バッグデザインコンテスト」や、市民公開講座「バッグデザインの基礎知識」を継続して実施し、デザインの高度化、新鮮な発想のオリジナル商品開発、将来の人材確保などに力を入れています。 平成17年には豊岡市内にある宵田商店街通りを「カバンストリート」と呼び、商店街店舗(衣料品店やメガネ店、クリーニング店など)で豊岡の鞄を販売しています。 また、平成18年4月には、特許庁が新たに設けた「地域団体商標制度(地域ブランド)」に出願し、県下で第1号、工業製品としては唯一「豊岡鞄」が登録認定。豊岡鞄を「豊岡ブランド」として全国に広めようという取り組みが行われています。 そして、平成21年4月(2009年)には「カバンストリート」の宵田商店街が、経済産業省の「新・ がんばる商店街77選」に選ばれました。 鞄本来の機能から進んで、あらゆる用途に対応した鞄をつくり出してきた豊岡の鞄産業は、新たな商品開発を進めながら、国内市場はもとより世界を相手に販売網を広げています。 |
海水浴場【かいすいよくじょう】
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竹野浜海水浴場 気比の浜海水浴場 佐津海水浴場 浜坂県民サンビーチ |
●美しい景観、水質のよい海は海水浴に最適 日本海に面する但馬の海岸は、山陰海岸国立公園に指定されており、変化に富んだ美しい景観の海岸線をもっています。海岸線の入り江に点在する海水浴場はほとんどが遠浅で潮流が少なく、泳ぐのに適しており、毎夏、たくさんの人でにぎわいをみせています。 但馬の海岸はどこも水質のよいきれいな海として知られていますが、中でも竹野浜海水浴場は、約1キロにわたる白い砂浜と遠浅の海、松並木の美しい景観で、明治時代から海水浴場として親しまれてきました。海水浴場としての環境のよさから「日本の水浴場88選」(2001年環境省選定)や「日本の渚100選」にも選ばれています。水の透明度が高いので、スノーケリング、スキューバダイビングなどにも適しています。 また各地の海水浴場は、ほとんどがキャンプ場を併設しており、夏のアウトドアレジャーをぞんぶんに楽しむことができます。【但馬の海水浴場】 ■気比の浜海水浴場(豊岡市) |
博物館・美術館【はくぶつかん・びじゅつかん】
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植村直己冒険館 但馬国府・国分寺館
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●まちの個性に出会える展示施設 但馬の3市2町、それぞれのまちには、それぞれの個性があり、多彩ななテーマをもつ展示施設があります。それらは、観光客に向けてまちの魅力を発信する観光スポットとしても力を発揮しています。■県立円山川公苑・美術館(豊岡市) 円山川の河岸にあるスポーツ・文化のレクリエーション施設にある美術館。近代・現代美術を中心とした、さまざまな企画展を催しているほか、一般の人の美術活動の場としても解放されています。 ■植村直己冒険館(豊岡市日高町) ■但馬国府・国分寺館(豊岡市日高町) ■日本・モンゴル民族博物館(豊岡市但東町) ■朝来市あさご芸術の森・あさご芸術の森美術館(朝来市) 【上記以外の博物館・美術館】 ■豊岡市出土文化財管理センター ※郷土資料館(豊岡市) ■大乗寺 ※円山派古画展覧場(香美町香住区) ■県立但馬牧場公園(新温泉町(旧温泉町)) ■あゆ公園水族館(養父市大屋町) ■朝来市生野書院(朝来市生野町) |
温泉【おんせん】
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城崎温泉街 外湯のひとつ、一の湯 湯村温泉の荒湯周辺 高温の温泉でゆでる 温泉たまごが湯村の名物 |
●有名な温泉街や各地の温泉施設 但馬は古くから、城崎温泉、湯村温泉の2つの有名な温泉街をかかえ、遠方から訪れる多くの観光客を迎えてきました。ほかの各地にも温泉が湧き出ており、近年、それらの温泉に次々と入浴施設がつくられて、新たな誘客スポットとして展開されています。■城崎温泉(豊岡市城崎町) 1400年余り前にコウノトリが発見したとされる城崎温泉は、古い歴史を持つ温泉地。但馬の老舗ともいうべき温泉で、JR城崎駅をおりてすぐに温泉街があるというアクセスのよさも手伝って、但馬の観光の大きな目玉となるスポットのひとつです。小説「城の崎にて」の作者・志賀直哉をはじめ、古くからたくさんの文人・墨客が訪れ、愛された温泉として有名です。温泉街の中央を流れる大谿川沿いに青々とした柳並木が続き、木造3階建ての旅館が連なるしっとりとしたたたずまいには、懐かしい温泉まちの風情があふれています。 城崎温泉は昔から、町内にある7つの外湯(そとゆ) 、つまり温泉のお風呂屋さんをまわって楽しむ、「外湯めぐり」のスタイルが定番。現在は、さとの湯・一の湯・地蔵湯・柳湯・鴻の湯・御所湯・まんだら湯の7つの外湯があり、順次、改築などをおこなって新たな設備を整えるなど、それぞれに個性的なお風呂を楽しんでもらおうと力をそそいでいます。■湯村温泉(新温泉町(旧温泉町)) 約1150年前、慈覚大師によって発見されたと伝えられる湯村温泉もまた、但馬の誇る温泉まちです。温泉街を流れる春来川沿いにある源泉・荒湯(あらゆ)からは、夏でももうもうと湯けむりをあげながら、温度98度、日本一高温といわれる温泉が湧き出ています。 また、ドラマや映画で吉永小百合さんが主人公を演じた、早坂暁の小説「夢千代日記」の舞台としても有名です。荒湯周辺の河岸には、湯村を訪れた有名人の手形モニュメントが並ぶ散策道や、散策中に足を休める「足湯場」などが整備され、観光客でにぎわっています。 荒湯近くの「薬師湯」、多彩な露天風呂が楽しめる「リフレッシュパークゆむら」など外湯施設も充実しています。さらに、「湯めぐり札」を購入すると、宿泊した旅館以外にも温泉街の旅館・外湯の7カ所のお風呂が楽しめる「七福神湯めぐり」のシステムが数年前にスタートし、好評を得ています。【但馬の温泉】
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ベニズワイガニ
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●香住カニとしても売り出し中 但馬で「ベニガニ」と呼ばれるベニズワイガニも、クモガニ科で、大きさ、形ともズワイガニとよく似ていますが、ズワイガニに比べて甲殻の色の赤みが強く、ズワイガニは腹側が白いのに対して、ベニガニは腹側も赤いので見分けることができます。正確には、ベニガニの甲羅の一番幅が広い部分には1本のトゲがあり、これで区別することができます。 ベニガニが棲んでいるのはズワイガニよりさらに深い、水深800~2,000m近くの深海で、海域では日本海北部から山陰沖合までと、北海道から銚子沖合までの太平洋沿岸に分布しています。そのためベニガニ漁は「かご漁」でおこなわれます。サバなどのエサを入れた直径1.3mほどのカゴを100~400個連ねて海中に投下し、ベニガニをカゴに誘い込みます。漁期は9月上旬~6月下旬(9月1日~6月30日ごろ)、漁場は隠岐堆、大和堆周辺です。 |
金属バネ工業【きんぞくばねこうぎょう】
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用途も多様化する金属バネ 兵庫県の特産品に指定 |
●日本の高度経済成長とともに発展 但馬の地場産業の中では歴史が新しく、第二次世界大戦中に大阪市内のスプリング工場が朝来市和田山町に疎開し、工場を開設したのがはじまりです。 昭和25年の朝鮮戦乱特需以降、景気上昇の波に乗り、増大する需要に応じて、自動車、車輌、弱電産業への部品を供給し発展してきました。 製品は線バネ、薄板バネを中心に、つる巻バネ、重ねバネなど。出荷先、原料仕入先が、大阪、岡山、愛媛などと遠隔地にあるため、金属工業の立地には必ずしも有利ではなく、円高不況のなかで主要なユーザーである自動車、弱電機メーカーなどの海外進出と現地での部品調達方式が進行していく中で、技術力の向上、販路の拡大が重要な課題とされています。 |