2020/01/31  

夢但馬周遊バス「たじまわる」【ゆめたじましゅうゆうばす「たじまわる」】

 

夢但馬周遊バス「たじまわる」
【ゆめたじましゅうゆうばす「たじまわる」】

夢但馬周遊バス
「たじまわる」
●関連情報
夢但馬周遊バス「たじまわる」
JR各駅と観光地を結ぶ周遊バス
たじまわるは公共交通機関と但馬の観光地を結ぶ周遊バス。主に駅からの二次交通の利便性を高めるため、観光バスタイプと路線バスタイプの2種類が運行されています。コースは全6コース!!全コースバスガイド付きで1日乗車券500円で、但馬の観光地を巡ることができます。4〜3月の土日祝日運行の「プレミアム号」は、JR城崎温泉駅を基点に、コウノトリの郷公園や城下町出石、竹田城跡といった但馬の人気観光地を1日で回ることができる人気のコース。その他にも、ジオパーク号、鉱石の道号、天滝もみじ号、うわの高原号、マリンコースと、季節によって期間限定で運行されています。

定期観光バスタイプでは、指定の停留所で乗降車が可能で、バスがすべての観光地に連れて行ってくれるのでプラニングも不要。とりあえず但馬の観光をしたいという人に最適です。道の駅にも立ち寄るので、地元の特産品も買うことができ、さらに観光中はバスが待っているので、お土産が増えても大丈夫!!荷物をバスに置いて観光もできるのもうれしいサービスです。

また、目的地でじっくり観光したい人は路線バスタイプがおすすめ!!1日乗車券で乗り降り自由なので、自分の好みで観光できる他、料金もとってもお得。JRやレンタサイクルと組み合わせて旅の自由度が広がります。

2018/01/16  

但馬の文学・映画ゆかりの地

 

但馬の文学・映画ゆかりの地
【たじまのぶんがく・えいがゆかりのち】

城崎温泉


竹田城跡

魚ヶ滝


JR鎧駅

今子浦


湯村温泉

加藤文太郎記念図書館


山田風太郎記念館

豊かな自然を有する但馬は、多くの作品の舞台に選ばれてきました。その様々な表情は世界観を形作る土台として、また映像を整えるロケーションとして、彩りを添えています。

城崎温泉(豊岡市)
豊岡市が誇る山陰の名湯「城崎温泉」は、昔から多くの文人墨客に愛されてきた情緒ある町です。その町並みは「駅は玄関、道は廊下で宿は客室」のように「城崎温泉はひとつの宿」といわれてきました。怪我の養生のため緑豊かで静かなこの地を訪れた志賀直哉は、蜂、鼠、いもりの死を淡々とした語り口で見つめ、生死一如の調和的世界への予兆を名作『城の崎にて』で書き上げました。他にも代表作である『暗夜行路』にも、城崎を旅する一文が登場します。また当温泉地は島崎藤村、有島武郎、泉鏡花など多くの文人に愛されました。
城崎文芸館ではゆかりの品を紹介している他、外湯やゆかりの地には文学碑が建てられています。秋も終わりに近づく一日、物語に思いを馳せながら彼らが歩いた道を散歩してみるのはいかがでしょうか。
・城崎温泉観光協会 0796-32-3663
・豊岡市城崎町湯島 
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竹田城跡(朝来市)
天空の城として有名になった竹田城跡。南北400メートル、東西100メートルの総石垣造りの遺構が残る日本屈指の山城では、時代劇の撮影が行われています。映画『天と地と』や『天地明察』、大河ドラマ『「軍師官兵衛』のロケ地として使用されました。また、名優・高倉健の遺作となった映画『あなたへ』では、主人公が妻との思い出の地である竹田城跡へ訪れ、音楽祭を回想するシーンで登場します。立雲峡から撮影した雲海に浮かぶ竹田城跡も見どころです。
・情報館 天空の城  079-674-2120
・朝来市和田山町竹田 
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魚ヶ滝(朝来市)
朝来市生野町にある「魚ヶ滝」は市川の源流にあたり、清らかな水の流れる渓流として知られます。名前の由来は、川の中ほどにある大きな岩が、まるで魚が滝を登っている姿に似ていたことからつけられたそうです。
2007年には、松山ケンイチ主演、2009年公開の映画『カムイ伝』のロケ地として使用されました。魚ヶ滝では、領主水谷軍兵衛の愛馬の白い足を切り落としたシーンなどが撮影され、渓流の美しい風景が登場しています。
普段は静かな渓流も、夏場はアウトドアの拠点として、川遊びや魚のつかみどりなどでにぎわいます。涼を感じる避暑地として、京阪神からたくさんの家族連れが訪れます。近くには魚ヶ滝キャンプ場や自然休養村「魚ヶ滝荘」があり、泊りで楽しむことができます。
・生野町観光協会 079-679-2222
・朝来市生野町上生野魚ヶ滝
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JR鎧駅(香美町)
小説『海岸列車』の舞台でもあり、ドラマ『ふたりっ子』・『砂の器』のロケ地にも使われた香美町は、日本海に面した漁師町です。
「トンネルを抜けると、高架のようになった鉄路の下に鎧の村が見え、列車は速度を弱めた」とは宮本輝の小説『海岸列車』の一節ですが、兵庫県香美町にある山陰本線の鎧駅は、物語の主人公である兄妹が「人間の拠りどころ」を求めて何度も降り立った場所です。幼いころ母親に捨てられた兄妹は、このどこまでも続く紺碧の日本海と青空を見つめ何を思ったのでしょうか。
また、この海を見下ろす美しい風景は、「青春18きっぷ」のポスターにも使われています。隣の餘部駅へと続く遊歩道は、かつて生活道として使用されていて、途中には日本海や余部橋りょうなどの絶景が楽しめます。
・香美町香住観光協会 0796-36-1234
・香美町香住区鎧 
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今子浦(香美町)
2010年公開の『ノルウェイの森』は、日本を代表する小説家・村上春樹が1987年に執筆した同名長編小説を原作とした映画。小説の発行部数は1,000万部を超える大ベストセラーとなっています。
自殺した親友の恋人だった直子(菊地凛子)と大学の同窓生・緑(水原希子)との間で揺れ動く主人公ワタナベ(松山ケンイチ)の青春の葛藤を描いた究極の恋愛物語。
トラン・アン・ユン脚本・監督で製作。日本では2010年12月11日に公開されました。主演は松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子。日本を舞台としたロケーション・ハンティングが行われ、兵庫県神河町の砥峰高原・峰山高原、香美町の香住海岸(今子浦千畳敷)のほか、早稲田大学、上野桜木の東叡山浄名院などで撮影が行われました。
・香美町香住観光協会 0796-36-1234
・香美町香住区境 
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湯村温泉(新温泉町)
開湯1,150年の歴史を誇る山陰の名湯「湯村温泉」。湯村温泉街を舞台にした吉永小百合主演のドラマ『夢千代日記』の人気により、夢千代の里として一躍有名になりました。98度の高熱泉が湧き出る温泉街のシンボル「荒湯」の近くには、吉永小百合をモデルにした夢千代像が建てられています。また、足湯がある石垣には原作・脚本をした早坂暁をはじめ、ドラマの出演者や著名人の手形が飾られています。
・湯村温泉観光協会 0796-92-2000
・新温泉町湯 
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加藤文太郎記念図書館・資料館(新温泉町)
社会人登山家・加藤文太郎は、明治38年新温泉町浜坂に生まれました。15歳の時神戸に就職し、仕事と勉学の道を歩みながら登山を続け、多くの山々を踏破していきました。当時は単独での登山はタブーとされておりパーティーで登るのが一般的でしたが、加藤は冬山での単独行動を次々に成功させ「単独行動の加藤」、また当時としては珍しいありあわせの服装から「地下足袋の加藤」と名を広めていきました。31歳という若さで閉じた加藤の生涯は、気象学者でもある作家新田次郎氏によって『孤高の人』として出版され、今も名作として人々に感動を与え続けています。
加藤文太郎記念図書館は、あじわら小径のすぐ側にあります。2階には加藤文太郎の遺品や資料を展示した山岳資料室があり、愛用の登山靴やピッケル、手帳を見ることができます。壁や展示台の足など、随所に散りばめられた山のモチーフも見どころです。
・加藤文太郎記念図書館 0796-82-5251
・新温泉町浜坂842-2 
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山田風太郎記念館(養父市)
作家・山田風太郎は本名を山田誠也といい、大正11年養父市関宮に生まれました。代々医者の家系に生まれ、幼くして両親を亡くしますが医者の道を目指し、東京医科専門学校(今の東京医科大学)に入学しました。当初は作家になろうとは考えていませんでしたが、在学中、探偵小説雑誌「宝石」の第一回新人賞に応募した『達磨峠の事件』が入選し、卒業後は作家の道を歩むことになります。伝奇小説、推理小説、時代小説など幅広く手掛けた山田は戦後の日本を代表する作家として活躍し、平成13年に亡くなりました。「忍法帖シリーズ」をはじめ、その多くの作品は映画化・ドラマ化され、今も根強い人気があります。
養父市にある山田風太郎記念館では、写真や愛用品・貴重な直筆原稿のほかに、執筆に使われた机や椅子などが展示されています。また周辺には生家や小さい頃に遊んだ神社があり、山田ゆかりの地を巡ることができます。
・山田風太郎記念館 079-663-5522
・養父市関宮605-1 
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2017/02/08  

但馬のアクティビティ

 

但馬のアクティビティ【たじまのあくてぃびてぃ】

たけのジオカヌー


かすみジオカヤック



ウォータージャンプ


フォレストアドベンチャー・朝来

ツリーイング&
シャワークライミング


スカイダイビング

スノーシュー


●海あり、山あり、川ありの自然豊かな但馬には、四季折々の特長を生かした新しいアクティビティがいっぱい!但馬の自然を肌で体感しよう

たけのジオカヌー(豊岡市)
環境省による快水浴場百選をはじめ、日本の渚100選、日本の水浴場55選、日本の水浴場88選に選ばれている豊岡市の竹野浜。海外や沖縄に匹敵する海の透明度は感動もので、エメラルドグリーンの海が広がります。
「はさかり岩」の奇岩や、鬼伝説の残る「淀の洞門」など、海から見上げる景色は迫力満点!5~9月の日本海は太平洋よりも穏やかで、ファミリーでも楽しめます。
特におすすめしたいのが、青の洞窟と呼ばれている「清瀧洞門」。洞門をくぐるとそこは神秘の世界。吹き抜けとなった空間からは光が射し込み、青の世界が広がります。体験できる施設も多く、テーマに沿ったモデルコースが用意されているので、初心者から上級者まで幅広く感動体験に導いてくれます。
・たけのスタイル推進協議会 0796-47-2020
・豊岡市竹野町竹野50-12(北前館) 
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かすみジオカヤック(香美町)
国の天然記念物「鎧の袖」をはじめ、奇岩・洞門が数多く点在している香美町の香住海岸。カヤックはジオパークを間近に体感できる最善の方法です。何万年もかけて造られた自然の造形から大地のパワーを直接感じることができます。
ほとんどの参加者が初めての人ばかりだそうで、初心者でも手軽に始められるのがジオカヤックの魅力。めがね洞門、鷹の巣島などのジオスポットが目の前にそびえ立ち、その圧倒的なパワーに感動して、どんどんリピターが増えています。1度行けばやみつきになること間違いなし。船では味わうことのできない壮大なスケールをぜひ味わってください。
・かすみジオカヤッククラブ 0796-36-3512
・香美町香住区香住1369(香りのお宿庄屋 内) 
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ウォータージャンプ(養父市)
1年中スキーやスノーボードの練習が可能な施設として人気の若杉高原。サマーゲレンデのアクティビティも盛りだくさん。バッグ&ウォータージャンプは、スキーやスノーボードでジャンプ台を飛び、フリースタイルジャンプやワンメイクジャンプがトーレニングできる施設です。
エアーマットやプールに着地するため、安全に練習ができます。本格的にトレーニングしたい人はもちろん、初めてでも全てレンタルで揃うため、着替えだけを持っていけばチャレンジが可能です。ソリでプールにダイブする「そりぽちゃ」は、子どもだけでなく大人にも人気です。
・若杉高原おおやスキー場&キャンプ場 079-669-1576(8〜17時)
・養父市大屋町若杉99-2
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フォレストアドベンチャー・朝来(朝来市)
朝来市のさのう高原では、フランス生まれの本格的なアスレチック体験ができます。フォレストアドベンチャーは自然を楽しむ一方で、森を守ることを目的に作られた施設です。専用のハーネスを身につけ、アトラクションをクリアしていきます。
ワイヤーに吊られた木の土台にバランスをとりながら進み、高台から「ジップスライダー」で一気に駆け下ります。心地よい風が森の中を駆け抜けるので、爽快感があります。仲間と協力しながら進むこともあるので、絆が深まるアクティビティです。
・フォレストアドベンチャー・朝来 090-6739-2195
・朝来市佐嚢66 
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ツリーイング&シャワークライミング(香美町)
美方高原自然の家とちのき村は「ツリーイング」を但馬でいち早く取り入れた先駆者的な場所。「ツリーイング」とは、ロープを使って木登りすることで、日本で生まれた造語です。樹木医が樹上作業を安全に行うために利用された木登りの技術が元になっています。
「イング」は「木に登る~Climbing」「木から学ぶ~Learning」「お互いに共有する~Sharing」の3つのイングを表しています。とちのき村では土日祝のみ、個人向け(家族や小グループ)のプログラムがあり、但馬の森の中で癒しを体験できます。
夏の暑さを吹き飛ばすアクティビティとして、おすすめなのが渓谷の水を浴びながら沢を登る「シャワークライミング」。貸し出し用のウエットスーツとヘルメットを身につけたら、川の中へ飛び込むだけ。サンショウウオも生息する矢田川の源流を登るので、川の水は驚くほどの透明感があります。夏でも水温は低く、とってもひんやりします。
コースの途中では滝をよじ登ったり、すべり落ちたり、滝つぼからダイブしたりと、まさに自然が創り出す急流すべりを楽しむことができます。ロングコースとショートコースが交わる場所にはトンネルもあり、子どもはもちろん、大人も童心にかえって自然とふれ合えます。
・尼崎市立美方高原自然の家とちのき村 0796-97-3600
・香美町小代区新屋1432-35 
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関西唯一のスカイダイビングスポット(豊岡市)
豊岡市のコウノトリ但馬空港には、関西唯一!!ここでしかできない体験があります。それができるのは、空港西側格納庫にある「スカイダイビング関西」。一人からでも飛べる数少ないスカイダイビングスポットとして、週末はもちろん平日も多くの予約客で賑わいます。この体験のために初めて豊岡を訪れる人も多く、高度3,500mまで上がることができるスカイダイビングスポットとしては、九州からも一番近い場所にあります。
何にも遮られない360°の絶景に興味はあるのだけど、イマイチ最初の一歩が踏み出せない。そんな人には、未経験でも気軽に挑戦できるタンデムコースがおすすめです。インストラクターに体を固定して飛ぶので、特別な道具や技術は必要はなし。約10分間の講習を受け、ジャンプスーツとハーネスをつけたら飛行機で空へ。そのまま上空3,500mに上り、大空に思いっきりダイブ!パラシュートが開いた後は、インストラクターが速度を調整してくれるので、ゆったりと空中散歩を楽しめます。
・スカイダイビング関西 0796-43-1002
・豊岡市岩井字河谷1598-35但馬空港 西側格納庫
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スノーシューウォーキング(香美町・新温泉町)
誰も足を踏み入れていない白銀の世界を歩き回ることができる「スノーシュー体験」。スノーシューとは、北米生まれの雪上歩行用具のこと。日本にもかんじきがありますが、かかとの部分が固定されておらず、雪の上でも歩きやすくなっています。
香美町の木の殿堂では、スノーシューの体験プラグラムが用意されています。普段行けない雪深い場所にも行けるのがスノーシューの魅力。自然が造り出した雪の造形、動物たちの足跡など、冬山ならではの景色を見ることができます。
・兵庫県木の殿堂 0796-96-1388
・香美町村岡区和池951
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新温泉町の上山高原エコミュージアムでは、日本の昔ながらのかんじきを履いてかんじきハイキングのイベントがあります。かんじきは自分の手で作ります。上山高原に点在する滝までハイキングを楽しむコースです。・上山高原ふるさと館 0796-99-4600
・新温泉町石橋757-1
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2015/02/10  

但馬産業大賞【たじまさんぎょうたいしょう】

 

但馬産業大賞【たじまさんぎょうたいしょう】

●但馬の産業が持つ魅力を国内外に訴えるための賞

兵庫県但馬県民局が「先進的技術やサービスで但馬の発展や但馬経済の活性化に貢献している企業、団体及び個人を顕彰し、全国的にPRすることにより、但馬産業界の新たな取り組みへの意欲を高め地域産業の活性化を図ること」を目的に創った賞です。但馬の自然資源を活かした農林水産業や食品製造業・伝統地場産業・工業・観光業等へ贈られます。「キラリと世界へ輝く技術部門」「人と自然の共生する事業部門」「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」の3部門があります。

●平成25年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○東海バネ工業株式会社(豊岡市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○日和山観光株式会社(豊岡市)
○明延鉱山ガイドクラブ(養父市)
「新分野へチャレンジする経営革新部門」
○株式会社コンゴープロダクツ(豊岡市)
○カタシマ株式会社(養父市)

●平成24年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○株式会社 多田スミス(朝来市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○株式会社 げんぶ堂(豊岡市)
○全但バス株式会社・やぶ市観光協会(養父市)
「新分野へチャレンジする経営革新部門」
○有限会社 マジック(豊岡市)
○株式会社 但馬寿(新温泉町)

●平成23年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○株式会社タクミナ生産本部総合研究開発センター(朝来市)
○株式会社誠工社(豊岡市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
該当なし
「新分野へチャレンジする経営革新部門」
○株式会社田中屋食品(豊岡市)
○大徳醤油株式会社(養父市)

●平成22年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○美岡工業株式会社(香美町)
○株式会社オーシスマップ(養父市)
○和田山精機株式会社(朝来市)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○城崎このさき100年会議(豊岡市)
○和佐父集落西ヶ岡棚田保全維持会(香美町)

●平成21年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○冨士発條株式会社(朝来市)
○株式会社東豊精工(豊岡市)
○香住鶴株式会社(香美町)
「人と自然の共生する事業部門」
該当なし
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○NPO法人ハチ高原・氷ノ山自然体験村(養父市)
○香美町村岡観光協会(香美町)
○生活工房香味煙 井上 利夫(香美町)

●平成20年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○日本精機宝石工業株式会社(新温泉町)
○但馬ティエスケヌ株式会社(豊岡市)
○株式会社オーク(豊岡市)
○株式会社トキワ(香美町)
○吉田体機工株式会社 養父工場(養父市)
「人と自然の共生する事業部門」
○株式会社清美社(新温泉町)
○神鍋白炭工房 田沼茂之(豊岡市)
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○但熊 西垣源正(豊岡市)
○但馬高原植物園(香美町)
○香住観光協会(香美町)
○湯村温泉若女将会 ゆむらなでしこ(新温泉町)

●平成19年度 受賞者・団体(順不同・敬称略)
「キラリと世界へ輝く技術部門」
○株式会社ビトーアールアンドディー(豊岡市)
○マルヨ食品株式会社(香美町)
○中田工芸株式会社(豊岡市)
「人と自然の共生する事業部門」
○有限会社夢大地(豊岡市)
「観光・交流資源を活かしたツーリズム部門」
○農家民宿「八平だるま」能勢勇(豊岡市)
○たけの観光協会(豊岡市)
○浜坂観光協会(新温泉町)

2015/02/10  

但馬の林業【たじまのりんぎょう】

 

但馬の林業【たじまのりんぎょう】
林業

苗木
苗木の植林

●緑豊かに地域を育てる林業
・但馬の森林資源
但馬の83%が森林で急峻な山岳地が多く、森林の保護育成や利用がきびしい状況にあります。朝来市は早くから育林に取り組み、広大な美林が形成されていますが、一般に但馬地域は、薪炭生産を主体とする広葉樹林を中心としてきました。昭和30年頃からスギ、ヒノキ、マツの針葉樹を主にした造林事業が急速に展開され、一方で天然林の広葉樹も見直され、計画的な保存を行うとともに、人工林の育成を計画し推進しています。
また、経済成長期の昭和30年代から、森林の整備、開発を目的に林道開設が進展し、昭和49年の広域瀞川、鉢状林道をはじめ、但馬の山々に林道がつぎつぎに敷設されました。

・森林とくらし
森林は土地の崩壊を防止し、水源をかん養し、台風を制し、そう音を消し、大気を浄化するなど、国土と環境の保全を担っています。自らは花や実を鳥獣に与え、落葉を土に返し、森林の緑や香気は目をはじめ人体の疲労回復に効果を与えるなど、森林環境は人間が健康で快適なくらしを営む上になくてはならないものです。中でも、森林浴は、森林がそなえている多くの効用を直接体験によって満喫することができます。

・林業生産品
主な林業生産品は素材、木炭、さらに特用林産物があります。 昭和60年の素材生産は針葉樹55,000平方メートル(県全体の18%)、広葉樹45,O00平方メートル(県全体の51%) でした。
多産市町としては、針葉樹で豊岡市、香美町、朝来市。広葉樹では、朝来市、香美町、養父市、豊岡市の各市町があげられます。針葉樹は建築、家具をはじめ、但馬に多いチップ素材として供給され、広葉樹は裁断し炭焼きがまを使用して作る白炭を生産します。
近年但馬の特用林産物は顕著な伸びを示し、深山の清流を基盤に栽培する高級わさびは、豊岡市、新温泉町などで生産されています。また、豊岡市、新温泉町で多産しているなめこ・ひらたけの生産も定着してきています。しいたけは但馬全市町で生産され、乾燥しいたけの生産量は県全体の70%を占め、中でも養父市、豊岡市、香美町に多く、生しいたけは県下全域に出荷されていますが、但馬では豊岡市、朝来市、香美町の各市町に多くあります。
栗の生産は県下でされていますが、但馬では養父市、朝来市などで生産されています。

・但馬の林業のこれから
林業は植林してから商品として伐切するまで、数十年の長期を必要とする生産業で、その上、森林は重要な公益的な機能を受け持っています。このため、ロングサイクルに耐える生産基盤を確立し、森林整備を行って生産性の向上を図り、合わせて公益性を発揮させる資源の管理が重大な課題とされています。
第二次大戦後に植林が急速に行われた関係で、その後の除伐、間伐などの欠かせない育林管理が一挙に到来しています。また、広葉樹は鳥獣など野生動物の楽園を築くなど、多目的性が発揮され、人間生活にも役立つところが大きいです。
但馬は山陰海岸国立公園のほか、国定、県立などの自然公園が豊かに広がり、多くの森林浴場を有しています。但馬の山々が季節感にあふれて、訪れる人の優れた保養、スポーツ、レクリェーションの場であるように、但馬の自然を愛護し、森林の整備に万全を期さなければなりません。

2015/01/13  

但馬の古代遺跡【たじまのこだいいせき】

 

但馬の古代遺跡【たじまのこだいいせき】
4世紀はじめから6世紀末頃までを考古学上、古墳時代といいます。大型の特色ある墳墓形式の時代で、大和政権による国内統一も進み、また朝鮮や中国大陸からの文化の流入も一層活発となってきます。但馬地方でも国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)など豪族たちの大型の墳墓がつくられました。

城ノ山古墳
・朝来市和田山町東谷

・出土品は国指定重要文化財
・4世紀後半


・唐草文帯重圏文鏡


●城ノ山古墳(しろのやまこふん)

三角縁神獣文帯三神三獣鏡が出土した大型円墳

北東に派生する狭い尾根の突端にある、南北径30m、東西径36m、高さ5mの円墳。墳丘は地山を加工・修飾して円形に整え、墳頂部に薄く盛土を行っています。さらに部分的に河原石と角ばった岩石をまじえた葺き石状の遺構が墳丘裾部に見られます。
昭和46年、和田山バイパスの建設工事に伴い全面発掘調査が行われました。埋葬部分(主体部)は8.9m×2.9mで地山を彫り込んで作られていました。中には6.43m×0.6mの木棺が安置され、遺骸は頭部を東に向けて埋葬されていました。人骨(頭骨)が残存しており、その頭部東側から銅鏡3面、石釧(いしくしろ)4個、石製合子(ごうす)1個(身のみ)、琴柱形(ことじがた)石製品1個が出土、頸部付近に点々と勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)が80個以上検出され、やや離れて棺東部に刀剣・工具類が13点余り出土しました。
また、棺西部の遺骸足部から銅鏡3面が出土しました。国の重要文化財の一つ、三角縁獣文帯三神三獣鏡は畿内の大和政権が配付したものといわれています。
これら築造形態および主体部・木棺規模・出土品などからみて4世紀末の古墳と推定され、この地方における首長層の墳墓であると考えられています。 城の山古墳では墳丘下にトンネルをつくって道路を通して保存対策がとられています。


船宮古墳
・朝来市桑市

・県指定史跡

・5世紀代

●船宮古墳(ふなのみやこふん)

5世紀代の同一水面の周濠をそなえた前方後円墳
日本最古の牛形埴輪が出土
古墳時代中期のもので全長約80m、但馬第2の大型前方後円墳で、ほぼ平坦な地形につくられ、 同一水面の周濠をそなえた前方後円墳としては、但馬唯一のものとされています。周濠は後円部側と西側にその痕跡をとどめ、東側は国道敷設による損壊をうけ、墳丘斜前方部の山頂に八幡社が造営され、また墳丘裾部も道路などにより円形状を呈しています。墳丘斜面部には、葺石として利用されたと考えられる河原石が散見しています。埴輪については円筒埴輪、壺形埴輪片や、日本最古の牛形埴輪が採集されています。後円部と前方部の比高差がなく、後円部と前方部を逆にみたり、双円墳とする説もあります。

どのような人が葬られていたかは不明ですが、氏神参道に船宮之碑には、但馬国営の「船穂足尼」の墳墓であると記されていますが、明らかなことはわかっていません。



八幡山古墳群
・香美町村岡区福岡

・県指定史跡

・5~6世紀

●八幡山古墳群(やはたやまこふんぐん)
5~6世紀、三角持送り式天井の竪穴系横口式石室

八幡山の丘陵屋根の南東に寄ったところにかたまり、かつては他に数基の古墳があったようです。この丘陵上には現在4基の古墳があり、3・5・6号墳が開口しています。構造から竪穴系横口式石室の名でよばれる石室で、特に5号墳は「三角持送り式天井」という特殊な構築方法として注目されています。石室の隅を三角にもちおくって天井部を架構していく方法は、日本全国をみても例が多くなく、源流は朝鮮半島に認められているといわれています。

また、6号墳からは多くの土師器や須恵器が出土されており、本古墳群の時期の一端をうかがわせます。5世紀末ころから6世紀前半にかけての遺物を含み、一度限りの埋葬だったとは考えにくい遺物の状況にあります。



文堂古墳
・香美町村岡区寺河内

・県指定史跡

・7世紀前半

●文堂古墳(ぶんどうこふん)
6~7世紀に継続的に形成された首長墓のひとつ

標高270mの丘陵斜面にあり、高井集落を見下ろす位置にある古墳時代後期の古墳。全長約10.2mの両袖式横穴式石室となっており、玄室の長さ4.7m、幅2m、高さ1.8mの埋葬施設を有する古墳ですが、墳丘に墓地や畑地が作られているため墳丘は不明となっています。
1948年・1970年の調査で出土した副葬品から7世紀前半に築造されたものと言われています。出土した副葬品は、金銅装頭椎大刀、馬具、刀子、鉄釘、鉄鏃、珠文鏡、勾玉、金環、ガラス玉、須恵器、土師器など多岐にわたっています。
6~7世紀の矢田川上流域では、文堂古墳以外にも高井古墳、長者ヶ平1号古墳、長者ヶ平2号古墳が作られており、継続的な首長墓が形成されてました。


三の谷壁画古墳
・香美町村岡区高井

・県指定史跡

●三の谷壁画古墳(さんのたにへきがこふん)
同じ向きに配され、描かれた2羽の鳥の壁画

三の谷壁画古墳の1号墳は、直径約10mの小円墳で山腹斜面に築造されています。羨道部には数十条の細線を刻んで、林の中に鳥が2羽静止した壁画が丁寧に磨き上げられた160cm×60cmの石に描かれています。この2羽の鳥はともにくちばしを向かって左に描かれているので、右利きの作者が描いたのではないかと推測されています。


大藪古墳群
・養父市大藪

・県指定史跡

・6世紀後半~7世紀代

●関連情報
養父市役所

●大藪古墳群(おおやぶこふんぐん)
但馬最大級の後期古墳群
但馬最大級の後期古墳群で、東西約2km、南北約1kmの範囲で、山麓の斜面に、西の岡、禁裡塚(きんりづか)、野塚3号、塚山、コウモリ塚古墳といった大型の横穴式石室を持つ古墳が先端部に位置をしめています。さらに、これらの大古墳をまもるように背後に多数の小規模な古墳が存在しています。
代表的な禁裡塚古墳の墳丘は、32mあまりのやや長円形で石室は全長12.5m、玄室5.9mの大規模なもので、残存状況はきわめて良好で、玄室には奥壁に近い側壁と奥壁の中段付近にやや赤みをおびた部分があり、赤色顔料を塗布したものではと推測されています。また、その地域の首長墓とされる古墳に副葬される装飾付須恵器の破片が出土しています。

禁裡塚古墳から真西に700mのところへある西の岡古墳はきわめて整った美しさをそなえた横穴式石室で、その全長は13.6mと大きなものです。
6世紀後半から7世紀代にかけての大型古墳で、100年あまりに4基つくられていることから、一世代に1基ずつ造営され続けたと考えられています。この地に但馬最大級の政治権力者の存在が考えられ、畿内政権の動向と似た動きがあり、おびただしい古墳群は、有力な四単位の集団が中心となって形成されたこと、この集団から盟主を選び、その連合体が後の但馬全域に及ぶ支配体制を形づくったのではと想定されます。



箕谷群集墳
・養父市八鹿町小山

・国指定史跡

・7世紀前半(630年ごろ)

・戊辰年銘大刀

国指定考古

●関連情報
養父市役所

●箕谷群集墳(みいだにぐんしゅうふん)
銘文入りの大刀や100点以上の遺物が出土
7世紀前半(630年ごろ) 築造、2号墳から3号墳まで4基の古墳が築かれている箕谷群集墳(7000平方メートル)は国の史跡に指定されています。また昭和58年の発掘調査によって発見された銘文入りの戊辰年銘大刀をはじめ箕谷2号墳から出土した100点以上の遺物は国の重要文化財に、3・4号墳から出土した遺物と1号墳は養父市八鹿町の文化財に、それぞれ指定されています。
箕谷古墳群から出土した土器から年代を推定すると、西暦630年代から650年代(TK217型式後半)に作られた古墳群で、推古天皇や聖徳太子の時代に活躍した人を埋葬したお墓です。この当時、但馬を支配した国造の古墳と考えられるのは、約4km東南にある養父市の大薮古墳群で、箕谷古墳群の埋葬者も彼ら但馬支配に貢献した一族と考えられています。

現在、築墳当時の姿が復元され、公園として整備されています。中でも、2号墳は天井石を一枚取って強化ガラス製の天窓を設け、そこからの光で石室の内部がよく見えるようになっています。天窓を使った古墳の整備は、全国でも初めての試みで、石室内の壁は、もともと使われていた古い石材の上に新しい石材を積んで復元されています。古い石材はもろくなっているため、撥水(はっすい)強化処理が施されています。石室の床には礫を敷き、その中央に人を型取った板を設置。人型の周りには、2号墳から出土した戊辰年銘大刀や鉄刀、矢、土器など約35点の復元品が置かれ、埋葬当時の様子が再現されています。



二見谷古墳群
・豊岡市城崎町上山

・県指定史跡

●二見谷古墳群(ふたみだにこふんぐん)
組合せ式の家形石棺をおさめる横穴式石室
組合せ式の家形石棺をおさめる横穴式石室(4号墳)で、北但馬を代表する古墳の一つです。集落をはさんだ北側にも大型の横穴式石棺(1号墳)があり、刳抜(くりぬき)式の石棺がおさめられています。
有力な古墳ですが、当時その周辺に生産力の大きな田畑がひらかれていたとは考えにくく、円山川の舟運や漁業にかかわりのある一族の墓と考えられています。

現在、古墳保護のため保存会を結成し、一帯を史跡公園として整備しています。



茶すり山古墳
・朝来市和田山町筒江
・国指定史跡
●茶すり山古墳(ちゃすりやまこふん)
直径約90mで近畿地方最大級の円墳
墳頂には東西約35m、南北約30mの楕円形の平坦面があり、その内側には円筒埴輪や朝顔形埴輪が巡り、北側 段築平坦面にも埴輪が列状に並べられていました。
特徴は棺の中に大量の鉄製品を副葬するという点で、それらの中には、襟付短甲や鉄柄付手斧・蛇行剣といった畿内限定や畿内周辺に出土が集中する、全国的にも珍しい遺物もありました。中央政権(ヤマト政権)と強く結びついた首長の墓であることが確認されています。


池田古墳
・朝来市和田山町平野
・県指定史跡

●池田古墳(いけだこふん)
但馬で最大の大型前方後円墳
大型の円墳である城ノ山古墳の北西わずか100mの眼下に築造された、但馬では最大の大型前方後円墳です。5世紀前半のもので、墳丘全長約141m、前方部幅約約71m、後円部径約76m、周濠を含めると全長は約170mに及びます。兵庫県下最大、全長194mの五色塚古墳(神戸市)などに次ぐ県下4番目の規模を誇り、かなりの強大な権力を持った首長の墳墓といえます。
埴輪列や葺石が確認されており、周濠からは多量の木製品が出土しています。水鳥型埴輪23体を出土していて、1つの古墳からの出土数としては全国最多です。埴輪、葺石、楯型周溝をすべて備えた前方後円墳は、北近畿では池田古墳と船宮古墳(ともに朝来市)だけと大変貴重な古墳です。

2015/01/10  

夢但馬【ゆめたじま】

 

夢但馬【ゆめたじま】

夢但馬ロゴマーク

 

●関連情報
夢但馬公式ホームページ

●地域の資源を見つめ直し、新しい但馬に生まれ変わる
「夢但馬」とは1994年に開催された「但馬・理想の都の祭典」から20年目となる2014年をきっかけに、地域の資源を見つめ直し、但馬全域で新しい地域づくりの機運をつくろうとしています。

「但馬・理想の都の祭典」では、”ハコモノ”がたくさん建設され、事業費をかけた大型イベントも行われました。それと同じことはもうできません。今の私たちだからこそ、できることがあるはずです。
但馬人が但馬のことをもっと知り、新しい視点や連携により、楽しみながら地域での取組みに参加していく。但馬以外の方にも魅力をお伝えし、より多くの方に来ていただく。すると、但馬がおもしろくなる。但馬の美味しいものや誇るべき観光地、海や山が、ますます多くの方に愛され、但馬での暮らしが生き生きと輝く。そんな展開を目指しています。

夢但馬の事業や関連イベントについては、公式ホームページで情報発信されています。
※夢但馬公式ホームページへ

夢但馬 2014 推進協議会事務局
(但馬県民局地域政策室夢但馬推進課内)
・0796-26-3675
・豊岡市幸町7-11

2015/01/10  

コウノトリファンクラブ【こうのとりふぁんくらぶ】

 

コウノトリファンクラブ【こうのとりふぁんくらぶ】

●関連情報
コウノトリファンクラブ

●コウノトリ野生復帰をサポート
 コウノトリファンクラブは、コウノトリのふるさと但馬の自然環境保全・再生を支援し、野生復帰を目指す地域の取り組みを応援する活動を行っています。
クラブの会費は、放棄田の復田化、ビオトープ化、営巣木や人工巣塔の整備、水田魚道の設置、放鳥拠点への餌生物の補充などに役立てられています。また、水田・河川・里山の生きもの調査、再生活動、コウノトリ飼育体験、コウノトリ追跡観察教室などのボランティア活動や環境学習を行ったり、コウノトリ目撃情報の収集、ホームページや会報誌などを通じての野生復帰活動の情報発信を行っています。
会員同士の交流や、コウノトリとのふれあい体験なども行いながら、コウノトリ野生復帰に関する各種取り組みを支えています。

コウノトリファンクラブ事務局
・0796-26-3616
・兵庫県但馬県民局 地域政策室地域振興課
・兵庫県豊岡市幸町7-11

2014/08/16  

黒田官兵衛・豊臣秀吉ゆかりの地めぐり【くろだかんべい・とよとみひでよしゆかりのちめぐり】

 

黒田官兵衛・豊臣秀吉ゆかりの地めぐり
【くろだかんべい・とよとみひでよしゆかりのちめぐり】

史跡生野銀山
竹田城跡
(写真提供:吉田利栄)


八木城跡


出石城跡


出石皿そば


豊岡陣屋跡
(豊岡図書館)


カバンストリート
カバンステーション


御殿山公園
(村岡藩陣屋跡)


法雲寺・山名蔵


城山園地(芦屋城址)

●関連情報
2014年大河ドラマ

●NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』
豊臣秀吉の軍師として、天下取りを支えた戦国武将・黒田官兵衛。織田信長より中国攻めの総大将に任命された秀吉にとって、中国の雄・毛利氏と対峙する上で、但馬・播磨の諸将を抑えることは非常に重要なことでした。秀吉は2度但馬攻めを行い、その際には官兵衛も活躍したとされます。その後、但馬を治めた秀吉は、出石城に前野氏、豊岡城に宮部氏、竹田城に赤松氏、八木城に別所氏といった信任の厚い家臣を配置しました。現在もこれらの4城には城跡とともに城下町の風情が残っています。秀吉を助けた天才軍師「黒田官兵衛」
 天文15年(1546)、姫路城で黒田職隆の嫡男として生まれた黒田官兵衛。父・職隆は播磨国で力を持っていた御着城主・小寺政職の家老として仕え、官兵衛も16歳の時に政職の小性として出仕しました。若くして信任を得て、後に家督と家老職を継ぎ、姫路城代として小寺氏を支えました。
天正3年(1575)、織田方につくか、毛利方につくかで悩んだ政職に対して、織田につくよう説得。岐阜城で織田信長に会うと、中国攻めを進言しました。この際に秀吉と運命の出会いを果たし、鳥取城の兵糧攻めや備中高松城の水攻めなど、中国の雄・毛利勢との戦いで数々の功績を挙げました。
二人の運命を変えたのは、明智光秀による「本能寺の変」。主君・信長が討たれたことに泣き叫ぶ秀吉に対し、「御運が開けましたな」と言って、すぐに光秀を討って天下を取ることを進言したと言われています。
中国大返しを指揮し、山崎の戦いで見事、光秀を打ち破った秀吉と官兵衛。官兵衛はその後も側近として仕え、秀吉の天下統一に大きく貢献しました。

●官兵衛・秀吉ゆかりの地

竹田城跡・史跡生野銀山【朝来市】
 天空の城として有名な竹田城跡。大河ドラマ『軍師官兵衛』のオープニングタイトルバック、第一話にも登場し、ロケが行われました。竹田城下町には古民家を改装したカフェやレストランもあり、まち歩きに最適です。
天正5年(1577)の竹田城の戦いでは官兵衛も城攻めに加わったとされています。特に竹田城主が管轄してきた生野銀山は財源を確保する上で重要な場所で、この銀山確保を最初に進言したのは官兵衛であると言われています。史跡生野銀山は現在、観光坑道として一般公開されており、明治以降の近代的な坑道と江戸時代以前の手掘りの跡を同時に見学することができます。

八木城跡【養父市】
 但馬の代表的な山城遺構で、今も石垣・曲輪などの城跡が残っています。山名四天王の1人・八木氏が代々城主を務め、秀吉による但馬攻めによって落城しました。その後は秀吉の家臣である別所氏が治めました。
また、旧城下町には元々旅館だった建物を改装した「八木城交流館」があり、八木城について地元の人と語り合えます。

出石城跡と城下町出石【豊岡市】
 但馬守護・山名氏の本拠であり、秀吉による但馬攻めによって山城であった有子山城は落城しました。その後、弟の秀長が城主になるなど、但馬を治める重要拠点とされました。江戸時代に入ると、小出氏が治め、不便である山城は廃され、ふもとに出石城が築かれました。現在は城郭を残すのみとなっており、春は桜、秋には紅葉のスポットとしてシーズンには観光客で賑わいます。
また、江戸時代、5万8千石の城下町として栄えた町は但馬の小京都と言われ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。町内には40以上のそば店があり、5枚の小皿に盛られた「出石皿そば」が名物となっています。

豊岡城址(神武山公園)と城下町【豊岡市】
 豊岡市街地の中央に位置する桜の名所、神武山公園。ここはかつての豊岡城の本丸跡であり、山頂からは市街地が一望できます。官兵衛とともに秀吉を支えた有力家臣・宮部継潤(善祥坊)が治め、この際に「豊岡」と改名されました。善政をしいたとされ、市内の御霊神社は継潤を祀っています。
武家屋敷があった京町には古民家が残り、大石内蔵助の妻・りくは、豊岡藩の家老・石束家の出身で、生家跡の脇に生誕碑が建立されています。近くの宵田通りは「カバンストリート」と呼ばれ、地場産品であるカバンを販売するお店があります。

村岡藩陣屋跡(御殿山公園)と城下町【香美町】
 七美五郷の中心地として栄えた香美町村岡区。江戸時代、村岡を治めた山名氏の初代・豊国は名門山名氏の末裔であり、晩年は秀吉の御伽衆(相談役)を務めました。陣屋跡である「御殿山公園」は緑のきれいな散策コースとして整備され、桜・紅葉のスポットです。周辺には城主の妻が生活した奥方部屋や歴代藩主の墓所が残っています。城下町にある「法雲寺」は山名氏の菩提寺であり、境内の史料館「山名蔵(有料)」には、山名氏ゆかりの武具や書画などを展示しています。

芦屋城址(城山園地)【新温泉町】
 官兵衛が活躍した鳥取城攻めの際に敵対した「塩治周防守」の居城であったのがこの「芦屋城」です。別名を「亀ヶ城」と呼び、日本海を眼前に断崖絶壁に囲まれた城は、天然の要害となっています。現在は城山園地として日本海が一望できる公園として整備されています。桜の名所としても名高い場所で、ここから見渡す景色は昼間はもちろんのこと、夕方は日本海に沈む夕日が格別。恋人の聖地にも選定されていて、デートスポットとなっています。


●散策モデルコース

●官兵衛・秀吉ゆかりの地マップ

 

2014/08/11  

平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】

 

平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】

百手の儀式(御崎)
平家蕪(御崎)
白山神社(気比)
弁天公園(城崎温泉)


田久日の供養塔
田久日地区


三尾大島(三尾)
八柱神社(三尾)


姫ケ淵(横行)
横行渓谷の入り口にある湧き水(横行)


黒川ダム(黒川)
屏風神社(黒川)

●関連情報
香美町平家の落人伝説


●但馬に伝わる平家の伝承をたどる

香美町香住区余部(御崎)
 但馬の中でも色濃く平家の伝承を伝える香美町の御崎地区。壇ノ浦の戦いに敗れた、平清盛の異母弟である門脇宰相教盛を大将とする7人がこの地にたどり着いたとされます。山中から立ち上る一条の炊煙をたよりに崖をよじ登り、そこで出会った高野聖に土着を勧められた一行が、この地に身を置いたというのが村の始まり。毎年1月28日には、地区内の平内神社で、平家再興を願う神事「百手の儀式」が行われます。門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の少年が、的に目がけて101本の矢を射ます。
平内神社の脇には平教盛(門脇宰相)の供養碑が佇んでいます。また、息子の嫁である小宰相の局と孫の道家の供養塔もあります。漂着した平家一行の家柄は、門脇家・伊賀家・矢引家と、今でも代々御崎地区に伝わっています。
また、春先に集落一面を黄色に染める蕪の花も、平家の伝承が残っています。この蕪は「平家蕪」と呼ばれ、なぜか御崎地区だけに咲き誇ります。伝承では食糧に窮した門脇宰相の一族が、神に祈願をしたところ、この蕪に恵まれるようになったと伝わります。地元では主に葉と茎の部分を漬物にして食します。日本海と黄色の花びらが相まって絶好の写真スポットであり、シーズンはカメラマンで賑わいます。豊岡市気比・城崎温泉
 遠浅の砂浜が続く豊岡市の気比の浜。夏は海水浴、冬は対岸に位置する津居山港で揚がる「松葉がに」を目当てにたくさんの観光客で賑わいます。この風光明媚な里は、平家の侍大将であった平盛嗣が源氏の追っ手から身を隠したと伝わる場所。『平家物語』では越中次郎兵衛の通称で知られ、豪勇を讃えられる名将です。平家の家臣として、源氏との幾多の戦いに参戦しました。
しかし、壇ノ浦の戦いで敗れた後、この気比の地に逃れてきたといいます。この地を治めていた宮代将監(気比)道弘の家に、馬飼の下男として住むこととなりました。その後、道弘の娘である絹巻姫と結婚。平穏な日々を暮らしていた盛嗣ですが、やがて源氏の追っ手に見つかり、鎌倉にいる源頼朝の元へ護送されることになりました。盛嗣は頼朝の前でも屈せず堂々と自説を述べ、気骨のある平家武者として最後を遂げたといいます。地元の白山神社には、盛嗣の死を嘆いた絹巻姫が建立したと伝わる供養塔が残っています。
また、名湯「城崎温泉」に中心にある弁天公園にも供養塔があり、盛嗣も戦いの傷を癒すため、湯治に訪れたのかもしれません。

豊岡市竹野町田久日
 豊岡市竹野町田久日はかつて陸の孤島と呼ばれ、昭和40年に但馬海岸道路が開通するまで、船で移動するか、海岸沿いの険しい山道をつたわないと訪れることができない場所でした。平家伝承が残る海辺の村として、隣村の宇日地区ともに知られています。
平家の侍大将である「藤原景清(悪七兵衛)」と、「平盛嗣(越中次郎兵衛)」が但馬で最初に落ち延びた場所といい伝えられています。『平家物語』ではともに、豪勇として描かれている二人。地区内の高台にある公民館の脇には、その功績を讃える供養塔(碑)が残されています。村はずれには「舟隠し岩」や、武具や兵器を隠したといわれる石窟場所もあります。
また、大正の始めまで、同じ平家の里である香美町御崎地区とは、大晦日にのろしを上げあって互いの無事を確かめ合っていたともいいます。

新温泉町三尾
 眼前には三尾大島が優雅に浮かぶ新温泉町三尾地区。香美町の御崎地区と林道で結ばれ、平家の隠れ里ともいわれています。集落のシンボルである「三尾大島」は、周囲が約800メートルもある小島。頂上付近には厳島神社が祀られていることから、先祖は平家と関係があったのではないかと推測されています。そのことを示すかのように、氏神である八柱神社の例祭には、平家の旗印でもある赤いのぼり旗を掲げます。
「御火浦」というどことなくロマンチックな地名。名前の由来は、その昔、神功皇后が朝鮮半島へ出兵した際の出来事が始まりといわれています。三尾の日和山で漁師が焚いたかがり火が見えて、難を逃れた皇后は、そのお礼として「御火浦」という名を授けたとされます。その後度々、大火に見舞われたため、元の「三尾浦」に戻ったと伝わります。

養父市大屋町横行
 養父市大屋町栗ノ下から氷ノ山に登るコースにある横行渓谷はヤマメの泳ぐ美しい谷です。10~11月頃の秋には、ブナ原生林の紅葉が美しく、周辺の山々が紅や黄色に色づきます。この美しい渓谷には、ある平家一門の姫の悲しい物語が伝承されています。
由緒ある平家の姫とその家臣一行は、播磨の国から峠を越えて渓谷沿いを逃れている道中、この横行渓谷に辿り着きました。岩盤の丘に「平家ケ城」を築き、源氏の追っ手から身を隠します。平家ケ城から約1キロほど下った場所に、「見手ケ城」があります。ここに見張りをおき、旗を立てていました。その旗が倒れると敵の源氏が攻めてきた合図。しかし、台風のために旗が倒れ、城にいたお姫様は、敵に攻められたと思い、城の下を流れる渓谷に身を投げたといいます。この場所は「姫ケ淵」と呼ばれ、お姫様の悲話を今に伝えています。
生き残った6人の家臣は平家の家名を後世に伝えるため、横行地区に住んだといわれ、集落では、その場所を「六軒屋敷」と呼んでいます。

朝来市生野町黒川
 瀬戸内海に注ぐ市川の源流、朝来市生野町黒川。国道429号沿いを流れる源流部は「黒川渓谷」と呼ばれ、秋は紅葉の名所です。大きく屈曲した川筋は奇岩が多く、独特の渓谷美をみせます。
黒川には平家の落人伝承が伝わる地名が残っています。市道・長野線沿いにある「ホソビラの平家塚」は、かつて平家の武者が住みついたが、流行病により没落したと伝わります。塚のそばにある榎の根元からは、錆びた刀が大量に出土しました。他にも直谷渓谷の奥には「平家墓」「平家の屋敷跡」といわれる場所もあり、屋敷跡に黄金の鶏を埋めたという伝承も残っています。
平家塚から国道を東へ進むと、屏風のようにそり立つ巨岩が見えます。その昔、この地に疫病が流行しましたが、ここから上流だけは被害がなかったといいます。以来、御神体として祀られています。ここからさらに奥に進めば、黒川の本村に到着。高さ98メートルの黒川ダムや美人湯で知られる黒川温泉があります。