川崎尚之助ゆかりの地めぐり
【かわさきしょうのすけゆかりのちめぐり】

願成寺
川崎尚之助供養碑


宗鏡寺


出石城跡


出石皿そば

●関連情報
2013年大河ドラマ
「八重の桜」公式サイト


●NHK大河ドラマ『八重の桜』
山本八重の最初の夫、豊岡市出石町出身「川崎尚之助」

生い立ち
 天保7年(1836)に出石の本町に住む川崎才兵衛の子として生まれました。19歳の頃、江戸の大木仲益(後の坪井為春)などの高名な塾で蘭学や舎密学を学び、その頃に会津藩士で八重の兄でもある山本覚馬と出会いました。尚之助が、若くして洋式銃や兵法書の翻訳などに通じていたことが、会津藩砲術指南の跡取りだった覚馬の目にとまったのでしょう。
こうした縁あって尚之助は、会津に招聘されるごとく、山本家の居候として八重の実家で暮らし始めます。藩校の日新館で蘭学を教授し、銃器・弾丸の製造指導にも知識を発揮したようです。そして慶応元年(1865)尚之助が29歳の時、八重(当時21歳)と結婚しました。
●尚之助ゆかりの地

願成寺(がんじょうじ)
 川崎家の菩提寺で、山名氏創建であると伝えられています。由緒ある山門は江戸時代のもので、市の文化財に指定されています。
明治10年代に記された墓石明細簿には、尚之助と同じ没年月日の戒名が確認できます。墓地の所有者は、川崎才兵衛の息子川崎渉一。同じ墓域に才兵衛の墓もありました。戸籍をたどってもほかに該当者がいないことなどから、歴史研究家あさくらゆうさんは「郷里を離れて死んだ尚之助を弔ったとみて、ほぼ間違いないだろう」としています。
現在、墓石は残っていませんが、2013年に地元有志によって山門前に供養碑が建てられています。

宗鏡寺(すきょうじ)
 中世の大名、山名氏の創建で、出石藩主の菩提寺。荒廃していたお寺を元和2年(1616)に沢庵和尚が再興したことから沢庵寺とも呼ばれています。敷地には山名、小出、仙石家、そして沢庵和尚の墓碑があり、県指定文化財の庭園(沢庵和尚作)も備えています。江戸時代に川崎家はこの寺院に灯篭を寄贈しています。

川崎尚之助生家跡
 川崎家は文政末期(1830以前)には、この地に居宅があったことが確認されています。明治9年(1876)の大火により一度は焼失していますが、川崎渉一によって再建され、明治25年(1892)までこの家に住んでいました。建物は当時のもので、現在は化粧品店になっています。

出石城跡
 出石藩仙石家の居城。実際に藩主もこの地に居住しており、幕末維新期には川崎家も登城していました。
現在は城郭を残すのみとなっており、春は桜、秋には紅葉のスポットとしてシーズンには観光客で賑わいます。


●散策モデルコース

●出石散策マップ