百手の儀式【ももてのぎしき】
弓

行列

百手の儀式
(香美町香住区)
・香美町香住区御崎平内神社

1月28日

百手の儀式
香美町香住区/御崎平内神社/1月28日

平家落人の伝説にまつわる儀式。壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門の門脇宰相平教盛(たいらののりもり)を大将とする7人が、 寿永4年(1185)この地に流れつき、平家再興をはかるため、一の谷に門脇、2.5Kmを隔てて西方・平家崎に伊賀、東方さじき屋敷に矢引が住居を構えました。
百手の儀式は、この門脇、伊賀、矢引の武士にふんした3人の少年が的にめがけて101本の矢を射るもので、歩射という弓の神事からはじめられたといわれています。氏神の平内神社で、地区内で採取した竹で弓と矢を製作します。竹で編んだ45cm四方の的に目を描いた紙を貼って( 現在は普通の的になっています)、矢を放ちます。源氏に見立てた的に矢を射て平家の怨念を晴らす、親から子へ世代を重ね、士気を鼓舞し、平家再興を夢見て受け継がれてきた行事です。

他にも、平家落人の行事として、一行が流れついた時、修験僧からクズの葉にのせた小麦の蒸し物をもらって飢えをしのいだことにまつわる「小麦まつり」、大正時代まで続けられていた、正月にホラ貝を吹き出陣に備えていた「陣ぞろえ」、また近年まで「花あそび」などの行事も続けられていました。