桜井 勉【さくらいつとむ】
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●生い立ち
桜井家は代々出石藩の儒官の家でした。父・石門には長男・熊一(勉)、次男・熊二、三男・熊三の3人の子供がおり、次男は木村家に、三男は近藤家に養子にいきました。 ●明治の新国家設立に尽くす 明治元年(1868)3月藩主のすすめで貢士(こうし)となり、新政府への与論を答申しました。出石藩の藩政改革に励み、日本で最初の公園といわれる「楽々園」を明治2年に完成させました。明治5年(1872)、横浜税関勤務を命じられ、その後、地租改正や気象測候所の創設、現在の兵庫県が誕生したのも桜井勉の進言によるといわれています。 徳島県知事、衆議院議員、山梨県知事、台湾新竹知事を歴任、明治34年(1901)には内務省神社局長に就任、翌年5月に退官。晩年は出石の自邸・有子山園で悠々自適の生活を送りました。 昭和6年(1931)10月12日、88歳で亡くなりました。 |