八木城跡【やぎじょうせき】
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八木城跡 ・養父市八鹿町八木 ・国指定史跡 ●関連情報 |
●殿屋敷、土城、八木城、3つの時代が語る城跡 八木城跡は標高330mの位置にあり、日本屈指の規模を誇る竹田城(和田山町)や山名氏の此隅山城(出石町)と並ぶ、但馬の代表的な山城です。八木氏が戦国時代に使った土城、豊臣秀吉によって任命された別所重棟・吉治という二代の大名によって改修され、八木城・土城・殿屋敷の3か所を八木城跡として国指定文化財になっています。 八木氏の初代・八木安高は、幕府から任命された地頭として八木の地を治め、その館跡が畑ヶ中の屋敷跡にありました。高い山の上に築くようになったのは、南北朝時代で、細い山の上に階段のように連続して曲輪を築いています。その特徴を伝えているのが八木の土城です。 やがて室町時代の後半になると、今滝寺、畑ヶ中、琴弾峠のような方向にも曲輪を拡張するようになります。曲輪は城の中心から放射状に三方向へ広がり、山城は大型化します。本丸の石垣は、長さ40m、高さ9.3mあり、豊臣時代に築かれた類例の少ない貴重な遺跡といわれています。 八木城跡は、3つの時代の城館跡が一か所に残っていることは極めて珍しく、地方の武士が幕府の家臣となって鎌倉時代から室町時代へ、さらに安土桃山時代へと生きる様子を示す遺構でもあります。 最後の城主の別所氏は、養父郡内で1万5千石を治めていましたが、慶長5年(1600)関が原の合戦に石田三成に与して、廃城になりました。 |