一瀬粂吉【いちのせくめきち】

一瀬粂吉
(1870~1943)
兵庫県豊岡市出石町下谷に生まれる。文部省に勤務の後、三十四銀行副頭取、三和銀行取締役となった。弘道小学校その他に一瀬賞学資金を寄贈。

出石高校の赤門に記念碑がある

●生い立ち
出石藩仙石氏の磯野員武の次男として豊岡市出石町下谷に生まれ、藩学弘道館に学びました。のちに豊岡藩士・久保田譲氏(当時文部大臣)の心を込めた願いを聞き入れ、豊岡藩一瀬家の家名を継ぎました。

東京高等商業学校卒業後、文部省に勤務しました。文部次官・小山謙三氏の大阪三十四銀行頭取就任に従い、彼も三十四銀行へ転職。台北支店長・本営業部長を経て、三十四銀行副頭取になりました。

三十四銀行が鴻池銀行・山口銀行と合併して三和銀行を結成するに至り、その取締役になりました。

●学校教育への貢献
特に学校教育に関心を持ち、各地に学校図書館・楠公銅像を寄付し、豊岡市出石町の弘道小学校やその他に一瀬賞学資金を寄贈しました。また、下谷の生家跡に弘道小学校校長住宅を建築しました。

晩年には大阪財界・政界の有力者とはかり「誠の会」を結成して、誠の精神の強調普及に尽くしました。著書も多く、社会教育の振興に貢献しました。

昭和18年(1943)1月19日、73歳で亡くなりました。