大林寺【だいりんじ】
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大林寺 ・鰐口 |
●但馬最古の鰐口が残る、由緒ある古刹 今は廃寺となり観音堂を残すのみとなっている大林寺ですが、伝承からみると由緒ある古刹です。御本尊は千手観音で、かなり古い作と思われる不動明王も祀られています。 和銅3年(710)、藤原鎌足の次男である不比等が浄財を寄進し創建されたと伝えられています。創建当時は七堂伽藍僧房十二院もあり、寺領も2400石あったといいます。寺跡周辺の地名に、藤房・尾房・藤覚房・惣治房・桜本房・大房・松尾房等々と坊跡をかたるものが残っているのは、当時の名残りです。 さらに、 武蔵坊弁慶が大林寺の鐘を摂津摩耶山(現神戸)に運んだという伝説が残っており、的場という地名が残っていることとあわせて、一時は僧兵も在住していたと考えられています。 また、松尾坊跡から出土した鰐口は嘉慶2年(1388)につくられたもので、在名鰐口としては但馬最古のものであることからも、かつての隆盛が想像されます。 この鰐口は青銅製で、直径45cm、厚さ15cm、重さ19kg。撞座に優美な蓮華を表し、銘帯の上部に「但馬国」、右方に「大林寺 願主五郎左衛門尉幸信」(当地の豪族の名)、左方に「重慶2年戊辰正月十八日 大工橘守正」の刻文があります。貴重な工芸品として県の文化財に指定されています。 天正5年(1577)、豊臣秀吉の但馬攻略にともない、2400石といわれた寺領は没収され、さらに慶長5年(1600)、堂塔僧房全焼の被害に遭い、大林寺は急速に衰微していきました。寛文12年(1672)と弘化4年(1847)に修復し、万延元年(1860)に再建されたのが、現在残っている堂だといわれています。しかし明治6年(1873)、ついに廃寺となりました。但馬西国十九番の札所として「ちかひにや げにみどりの子の宝をも ひとしくたまふ しづの女までに」という巡礼歌が 残っています。 |