北前船の寄港地
【きたまえせんのきこうち】

諸寄港


日和山の常夜灯の一部
・新温泉町諸寄
・日本遺産

●日本遺産認定の風待ち・潮待ち港
かつて北前船の“風待ち・潮待ち港”として栄えた新温泉町の諸寄(もろよせ)地区。北前船とは、江戸時代中期から明治30年代にかけて大阪と北海道を日本海航路で結んだ帆船のことです。荷物の運搬だけでなく、途中各地の港に立ち寄り船主が荷主となって物資を売り買いしていました。船の出入りとともに人や物が行き交うことで全国の文化が混成し、寄港地の経済・文化的な発展に影響を与えたことも北前船の大きな特徴といえます。2018年5月、文化庁が認定する日本遺産『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落』に、諸寄を含む27市町が追加認定を受けました。

諸寄港からは海産物や諸寄砥石などが船積みされましたが、他の認定地のような城下町や物流の拠点があったわけではありません。しかし、因幡地方に入ってから島根県の美保関までは砂丘地帯が続くため、水の補給地や避難港として貴重な場所にあったことが特徴にあげられます。また、諸寄は明治の歌人・前田純孝や日本画家・谷角日沙春など、他地域に比べて多くの文化人を輩出していることも特徴のひとつです。

諸寄には北前船に関する史跡や資料が数多く残っており、船主や船乗りたちが航海の安全を祈願した為世永神社や藤田家・道盛家といった廻船問屋の母屋など、11箇所が構成文化財として選定されています。まちの西側にある岬は日和山と呼ばれており、船乗りたちが出港前に天候を予測したといわれています。高台にある灯台の傍らには、廻船の道しるべとなった常夜灯の一部が現存しています。港の南にある為世永神社の境内には、全国の船首が寄進した玉垣や灯篭が残り、幅広い交流が行われていたことが読みとれます。城山園地の展望台からは、北前船の寄港地として成り立った諸寄の湾が一望できるので、フォトスポットとしてもオススメです。