進藤家住宅/佐中千年家
【しんどうけじゅうたく/さなかせんねんや】


佐中千年家
・朝来市佐中
・市指定文化財

●金融・産業界の中枢的存在、原六郎の生家
明治時代の金融・産業界の中枢的存在であった原六郎(進藤俊三郎)の生家。進藤家は天授年間(1375~1380)頃、佐中に居住したといわれています。主屋は、東西を旨とした入母屋式茅葺2階建てで、その西側及び東側に建てられた桟瓦葺、切妻屋根で平屋、もしくは2階建ての建物が付属しています。平成2年、通称「千年家」と呼ばれるようになりました。
建設年代の詳細は不明ですが、進藤家が大地主となるのが江戸時代中期であることや進藤家屋敷の北側には元々進藤家の仏間(菩提所)があり、その場所に進藤家の菩提寺として現在の深高寺が1711年(正徳元)に建てられていることなどから、これらのことを重ね合わせると1600年代の建物であると考えられています。