法雲寺【ほううんじ】

法雲寺
・香美町村岡区村岡2365


山名史料館・山名蔵
TEL0796-98-1151

●関連情報
法雲寺

●村岡山名氏の菩提寺
 村岡山名氏の菩提寺。寺内の御霊屋には太祖・義範公以降の位牌が奉安されています。記録によると「法雲寺(ほううんじ)」という名は、 村岡山名氏三代・矩豊公が寛永19年(1642)に村岡に入部した際に、在郷の禅院を山名家の菩提寺と定め、命名したものです。以前は「報恩寺(ほうおんじ)」と呼ばれていました。
現在の村岡周辺は南北朝時代から七美(ひつみ)の庄と呼ばれており、庄内のほとんどは花園・妙心寺(臨済宗)第二世授翁宗弼(じゅおうそうひつ)の荘園でした。後醍醐天皇の側近で建武の中興の功労者だった宗弼が永和元年(1375)、80歳の時、七美庄に「報恩寺」(ほうおんじ)を建立しました。
その後、南北朝から室町へと時代が進むにつれ、荘園の形態も弱体化し、報恩寺の荘園を管理する役目は終わり、土地の為政者の祖先供養が重要な役割となりました。
元禄年間、 矩豊公が藩都を村岡の地に移し、鎌倉時代以来の宝牌を「法雲寺」に納め、名門山名宗家としての祭祀を尽くしました。寺の名前は二代・矩政公の法名「法雲」(ほううん)をあてはめたそうです。寺名の変更と同時に、法華経の信仰者だった矩豊公は宗派を臨済宗から日蓮宗に変更しました。
しかし、当時徳川将軍家は「天台宗」と「浄土宗」を信仰しており、矩豊公は御伽衆と言う将軍に近しい役職上から、その後「日蓮宗」から「天台宗」へと宗派を再び変更しました。以来二十代の住職によって現在まで引き継がれています。
境内の山名史料館には山名氏に関する武具・什器・文書などが展示されており、山名氏の栄光と共に歩んできた町の歴史を伺い知ることができます。