大友 工【おおともたくみ】
大友 工
(1925-2013)
大正14年に豊岡市出石町に生まれる。東京読売巨人軍の投手として活躍。

●関連情報
出石明治館・大友工投手展示室(豊岡市HP)

●軟式野球からプロ野球へ
大正14年に豊岡市出石町に生まれ、小学校の頃から野球とテニスに親しんだという大友工。大阪逓信(ていしん)講習所を卒業後、神戸中央電信局員などを経て、但馬貨物で軟式野球をプレーしました。速球投手として全国車輛軟式野球大会の近畿大会でベスト4に進出したことから関係者に目に止まり、軟式野球出身ながら、1949年(昭和24)に巨人軍に入団しました。

●巨人軍の投手としてMVPを獲得
巨人軍に入団した頃は、硬くて重い硬式球に苦労しますが、投球フォームをサイドスローに変えたことから、才能が開花。当時のエース格と並ぶほどの速球と、スライダーを習得し、1952年(昭和27)にはノーヒットノーランを達成しました。 翌年には最優秀防御率、最多勝の2冠を獲得し、最優秀選手(MVP)、沢村賞に輝き、まさに巨人軍のエースとして活躍。サイドスローからくり出される直球には威力があり、鋭く曲がるスライダーを武器に、巨人軍の第2期黄金時代を支えました。1955年(昭和30)にも最多勝を獲得。晩年はケガによる後遺症により、制球力と球威が失われ、1960年(昭和)に近鉄バファローに移籍して引退しました。引退後は近鉄、中日で投手コーチを務めるなどして、育成の指導に努め、プロ野球界に貢献しました。地元にある出石明治館には大友工投手展示室があり、記念の品を展示しています。