永楽館【えいらくかん】
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廻り舞台
永楽館 ●関連情報 |
●大正11年頃の姿へと忠実に復原された芝居小屋 2008年7月、平成の大改修により蘇った豊岡市出石町の芝居小屋「永楽館」。1901年に建設された、都市劇場建築の芝居小屋で、明治後期から昭和初期にかけて但馬の大衆文化の中心として栄えました。廻り舞台、奈落、花道といった貴重な劇場機構など、明治期に残る芝居小屋としては近畿地方に現存する唯一のものといわれています。 2006年から始まった復原工事では、芝居小屋としての舞台機構が最も充実していた大正11年頃の姿へと復原されました。文化財の復原では、「復元」ではなく、「復原」の文字があえて使われます。当時の図面や過去の資料をもとにして痕跡調査を行い、根拠を持って元の状態に戻すことを「復原」と呼びます。 幸いなことに永楽館には、過去100年間の増改築を記した図面がよく保存されていて、工事に先立っては丹念な痕跡調査が行われました。 外壁は復原後の姿を左右する大きな要素であり、綿密な調査を実施。一般的に古い建物の壁は、竹で組んだ骨組みに荒土を塗り、その後、中塗り、上塗りときめの細かい壁土を順に塗って仕上げていきます。調査では工程の逆の順番で壁土をはがしていき、構造を探る作業が行われました。その結果、人目に触れる表側は白漆喰塗りで、見えない部分(東面と南面)は荒壁塗りであることが判明しました。 しかし、さらに調査を進めていくと、白漆喰で仕上げられた壁の中塗り部分がひどく汚れていることが確認され、これは中塗り状態のまま長く放置されていたことを示していて、後になって白漆喰が塗られたことが判りました。そのため、復原後の表側の外壁は中塗り仕上げとなっています。見落とせば、白壁の永楽館になっていたわけで、こうしたち密な調査の下に復原されています。 また、水色に塗られた2階外側の窓枠も、忠実に復原された部分。土壁に水色の窓と一見アンバランスに感じられますが、『出石町史』には、当時、地元の弘道小学校で使われていたものが転用されたことが記されています。木肌にも青い塗料が残っていて、大正時代の永楽館が見事に復原されています。 |