植村直己【うえむらなおみ】

植村直己
(1941~1984)
昭和16年2月12日、兵庫県豊岡市日高町上郷に生まれる。不屈の単独冒険家。五大陸最高峰登頂、北極圏1万2千キロ犬ぞり単独冒険など数々の偉業を成し遂げる。イギリス、バーラー賞受賞、国民栄誉賞受賞。

植村直己冒険館

冒険家・植村直己が冒険に使った装備品やさまざまな記録写真やビデオ映像をあわせて展示している。
・豊岡市日高町伊府785番地

・TEL0796-45-1515

・午前9時~午後5時

・水曜定休

・入館料/大人510円
/高校生210円
/小・中学生160円

●関連情報
植村直己冒険館 公式HP
弟・植村直己

●生い立ち
植村直己は父・藤治郎、母・梅の7人兄弟の末っ子として、昭和16年(1941)2月に豊岡市日高町上郷の農家に生まれました。上郷は豊岡盆地の南に位置しています。直己は東南に山を背負い、西には円山川が悠々と流れ、川のむこうには国府平野が広がる素晴らしい自然の中で育ちました。

直己は円山川を渡った近くの府中小学校、府中中学校を卒業して、豊岡高等学校へ進学しました。勉強は特別好きでもなく、控えめで目立たない平凡な子どもでした。高校卒業と共に運輸会社の東京出張所に勤務することになりました。しかし、やはり大学へ行きたいと思い、一年遅れで明治大学農学部に入学しました。

そして、大学ではじめて山登りと出会うのです。明治大学山岳部は日本の山岳部では伝統的に有名でした。入部後は、勉強そっちのけで年間三分の一は山に入っているという熱心さでした。

●世界を駆ける冒険家

昭和39年(1964)、大学を卒業。アルバイトでためたお金を持ち、アメリカのロサンゼルスへ単身渡りました。アルバイトをしながら食いつなぎ、フランスへ渡り、スキー場で一生懸命働きながらお金をためました。

そして、直己は最初の放浪4年半の間に、ゴジュンバ・カン峰・ケニア山・キリマンジャロ・モンブラン・マッターホルン・アコンカグア登頂やアマゾン筏(いかだ)下りなど、数々の単独冒険記録を立てて帰ってきました。

昭和45年(1970)日本山岳会エベレスト偵察隊に参加、日本人としては最初にエベレストの山頂に立ちました。続いて、アラスカのマッキンリー山登頂に成功し、五大陸の最高峰をすべて制覇しました。

昭和49年(1974)、書道教師をしている野崎君子と知り合い、結婚。夢を追いかけ定職を持たない植村直己を、君子は保護者のように学習塾の収入で支えていくことになります。

その後、北極圏1万2千キロ・北極点到達・グリーンランド横断犬ぞり単独冒険などを成功させた直己は、世界中の人に冒険家として知られるようになり、イギリスからバーラー賞(勇気ある人)が授与されました。

直己は次の目標を南極大陸横断と南極大陸最高峰ビンソン・マシフ登頂におき、準備を進めていました。しかし、昭和59年(1984)2月、南極への準備行動の一つと考えられる冬のマッキンリーへ登り、登頂を成功させた後、消息を絶ちました。明治大学OBは捜索隊を編成し、3月に5200mの雪洞に植村直己の大量の遺品を発見しました。4月には国民栄誉賞を受賞しました。

数々の冒険記録をうち立てて、若くして逝った植村直己。但馬人らしく、名声を求めず控えめで努力する野花のような純朴な性格は多くの人々に感銘を与え続けました。