但馬の地質【たじまのちしつ】

但馬海岸
(津居山から竹野海岸)

玄武洞(豊岡市)
●但馬の地史
今から約3億年前、アジア大陸の東端は海で、但馬の姿はありませんでした。それから1億年ほど後の造山運動(本州造山運動)で、但馬の陸化が進みました。養父市大屋町一帯に広がる「舞鶴帯」や、福岡県を西端として但馬までのびる「三郡帯」はこのころのもの、「夜久野層群」は少し後にできたといわれています。それから少し経って最初の火山活動が但馬で起こり、花崗岩体の貫入によって、城崎、湯村などの温泉源がつくられました。
2500万年前、海底火山の溶岩が海水と反応して緑色に変化する、グリーンタフ変動が起こり、生野、明延などの鉱山ができました。このころ但馬には海が深く入り込んでおり、村岡には海底面の流跡が残っています。
1000万年前、2回目の大きな火山活動によって、日和山安山岩ができ、古村岡水道が陸化し、数百万年前の火山活動で、鎧の袖(香美町香住区)や宇日流紋岩(豊岡市竹野町)などができました。兵庫県の最高峰・氷ノ山は約300年前、玄武洞の玄武岩は約160万年前の噴火によるものです。
中国地方を東西に走る山脈は、東端の氷ノ山周辺で急に南北の連なりになっており、変化に富んだ但馬海岸の地形とあわせて、かつて但馬が地殻変動の拠点のひとつであったことがうかがえます。
県下で一番新しい火山活動は、約1万年前の神鍋噴火です。また、約2万年前に、最後の氷期が終わって間氷期にはいったころ、現在の豊岡の平野部は海でした。このような、さまざまの変化を経て現在の但馬ができたのです。

●但馬の地質
養父市大屋町一帯に広がる「舞鶴帯」は古生代の地層で、西は山崎断層にのび、東は舞鶴に至っています。約1億年前、中生代白亜紀の地層としては、朝来市生野町や矢田川流域、豊岡市の「山陰型花崗岩帯」があります。比較的新しい新生代の地層は、北但馬一円に広がり、新温泉町と鳥取県境の山々にも含まれています。

明延鉱山
養父市大屋市場から明延への道路沿いの川原では、約2億年前の本州造山帯の一部である、但馬で一番古い火成岩が見られます。すでに閉山した明延鉱山は、金・銀・銅などを産出する、約2500万年前のグリーンタフ変動でできた浅所高温型鉱床で、近くには超塩基性変成岩の三郡帯の地質である、大屋鉱山、夏梅鉱山(いずれもニッケル)などもあります。
立雲峡・生野鉱山
立雲峡で知られる朝来山一帯は、約1億年前の老齢期の花崗岩が風化され、その中の堅く、風雪に強い閃緑岩の部分が山の中腹に集積していて、ロックガーデンの奇観を呈しています。
生野鉱山は、約2500万年の火山噴砕岩に熱水鉱脈が貫入して形成されました。また1億年前の、但馬最初の火山活動による火砕岩からなる鉱床に栃原山(明礬石:みょうばんせき)があり、これは流紋岩や凝灰岩が熱水作用で変化したものです。
但馬海岸
但馬海岸のほとんどを占める岩石は、約2500万年~数百万年前のもの。古い順でいうと、新温泉町浜坂の東に約7000万年前の流紋岩・凝灰岩があり、同じ頃の花崗岩が、田井ノ浜(新温泉町・旧浜坂町)、切浜(豊岡市竹野町)、安木(香美町香住区)などにあります。百層崖(ひゃくそうがい:香美町香住区)や、はさかり岩(豊岡市竹野町)などは、約2000万年前の火山活動による古香住湖の火山噴出物の堆積層で、浜坂西海岸の粗粒玄武岩質溶岩も同じころのものです。
1000~300万年前の噴火では、古香住湖の堆積層を覆うようにあふれた流紋岩・凝灰岩は、鎧の袖(香美町香住区)、但馬御火浦(たじまみほのうら:新温泉町・旧浜坂町、香美町香住区)などに見られる節理をつくりました。
氷ノ山・鉢伏高原
三郡帯の変成岩からなる品川関宮鉱山(クロム)、尾崎鉱山(クロム)、安井鉱山(アンチモン)は、新第三紀のものといわれています。妙見山や瀞川平は1000万年前にできたといわれ、褶曲(しゅうきょく)や断層面が林道でも見られます。海生動物の化石がみつかる妙見山は、海底で堆積した地層です。氷ノ山は、すぐ北の扇ノ山とともに、300万年前の鉢伏山の噴火でできました。扇ノ山の北、温泉町海上では昆虫や植物の化石が多数みつかります。
神鍋高原
神鍋山は1~2万年前の火山。玄武岩質であることから粘性の小さい溶岩を噴出したと思われ、その溶岩の一部は、JR江原駅近くの円山川河岸でもみられます。神鍋周辺には、品川美方、清滝、江原の鉱山があり、蝋石(ろうせき)を産出します。
玄武洞
玄武洞は、玄武岩質マグマが冷え固まるときに収縮してできた節理で、約160万年前の来日岳(豊岡市城崎町)の噴火によってできた岩石からなります。玄武岩の中には、鉄の酸化によってできた赤や黒の石が混じっており、地元で「灘石」と呼ばれ、石垣などに用いられました。7000万年前の凝灰岩は、豊岡市城崎町の今津石や楽々浦石として、土木建築に用いられています。
間氷期にはいると、現在の豊岡平野は海となり、その後、円山川・出石川流域に沖積層が堆積しました。