コウノトリ
・国指定特別天然記念物
コウノトリは日本にすむ鳥の中ではもっとも大きな鳥で、翼の長さは58~67センチ。翼を開くと2メートルに達する。長い首と脚、太く長いくちばしをもった水辺の鳥で、学名キコニア・ボイキアナ(Ciconia boyciana)・英名ジャパニーズ・ストーク(Japanese Stork)。または、オリエンタルホワイト ストーク(Oriental white stork)
体の羽は白く、脚は赤い。目のまわりとのどは赤い皮膚が見え、翼は風切羽が黒く、体重は4~6キロある。日本以外ではソ連のウスリー地方・アムール地方、中国東北部に住んでいるが、どこも数が減っている。 |
コウノトリの郷公園
・TEL0796-23-5666
コウノトリ文化館
コウノピア
・TEL0796-23-7750
・豊岡市祥雲寺
・午前9時~午後5時
・毎週月曜日休館 無料 |
●関連情報
コウノトリの郷公園
コウノトリ文化館
コウノトリ市民研究所 |
|
●生態
コウノトリは木の上に巣をつくります。枝やワラ、草をしきつめた大きな巣です。エサは川、池、沼、水田、草原で魚やカエル、昆虫など生きた小動物。ドジョウやナマズなど、うろこが小さく、骨も比較的にやわらかい魚を好み、トノサマガエル、イナゴ、バッタ、コオロギもよく食べ、ネズミやスズメなども捕まえて食べることもあります。
卵を産むのは3月中旬から4月下旬ころにかけて、卵は1~2日おきに3~4個くらい産みます。卵の大きさは直径7.5cm、短経5.5cm、重さは130gほどで、ニワトリの大きさの2倍あり、色は白色。卵はオスとメスが交替で抱き、約35日ほどでヒナがふ化します。エサも交替で取りに行き、夫婦が協力して育てます。ふ化して2カ月もすると親と同じくらいに成長し、巣立ちします。5年で成鳥となります。コウノトリは一夫一婦制を守り、夫婦でヒナを育てる鳥です。
コウノトリは発声器が発達していないので声が出せません。その代わりにくちばしを開閉して「カタカタカタ」と大きな音をたてます。これをクラッターリングといい、愛情の表現や、外敵に対する警戒、威かくの意味があります。
●歴史
明治維新の頃までは、コウノトリは日本の各地に住んでいましたが、維新以後乱獲され、急に数が少なくなりました。明治25年、保護の勅令が出され、明治27年狩猟法が公布され、ようやく法によって保護されることとなりました。大正10年、豊岡市出石町桜尾にある鶴山のコウノトリが天然記念物に指定され、コウノトリ黄金時代にはいりました。
しかし、水田でエサをついばむコウノトリは大きな脚で苗を踏み荒らし、農家の人々にあまりよい印象を持たれていないこともありました。
太平洋戦争で国有林の鶴山の松が伐採され、食糧増産のためにと水田に来るコウノトリをおびやかしたために、四散してしまいました。
昭和26年、養父市八鹿町浅間にコウノトリの巣ごもりを見つけ、天然記念物の指定を鶴山より浅間へ変更しました。このころから、コウノトリは豊岡市周辺に移動をはじめ、昭和28年、天然記念物の指定を「棲息地」からコウノトリという「種」の指定に切り替え、全国的に保護されることになりました。
昭和30年、コウノトリ保護協賛会(のちに但馬コウノトリ保存会と改称)が発足し、保護事業を組織化して、官民一体となって進めることとなり、ドジョウの給餌やそっとしてやる運動などを展開してきました。
昭和31年、天然記念物を特別天然記念物に指定されました。ところが、この頃から繁殖するものはなく、昭和33年と昭和34年に豊岡市福田で1羽ずつヒナがかえったのを最後に、年々その数は少なくなる一方でした。
そこで、昭和40年、保護と増殖のため人工飼育に踏み切り、全国唯一の専門施設「コウノトリ保護増殖センター」が豊岡市に誕生しました。
しかし、昭和46年野外での生息は、豊岡市百合地の人工巣塔にいた最後の一羽が傷ついて死亡しました。
昭和60年7月ソ連ハバロフスク地方から兵庫県に6羽が贈られ、飼育場に入舎しました。センターができてから25年目の平成元年、待望のヒナが誕生しました。その後、次々とヒナが育っていきました。
平成11年「兵庫県立コウノトリの郷公園」がオープンし、世界で初めて、コウノトリを自然に帰す活動が始まりました。
平成17年9月には、コウノトリ野生復帰の第一歩として、9羽のコウノトリが試験放鳥。平成19年7月には、国内の自然界で46年ぶりとなる野生コウノトリのヒナが巣立ち、野生復帰計画は大きな一歩を踏み出しました。
開園10周年にあたる平成21年は、豊岡市但東町唐川区放鳥拠点からコウノトリ2羽が放鳥され、2009年11月1日現在、38羽のコウノトリが放鳥されています。コウノトリの郷公園やボランティアにより、放鳥個体の追跡調査が行われています。
|