生野鉱山及び鉱山町の文化的景観 【いくのこうざんおよびこうざんまちのぶんかてきけいかん】

 

生野鉱山及び鉱山町の文化的景観
【いくのこうざんおよびこうざんまちのぶんかてきけいかん】
八鹿駅舎
史跡生野銀山

八鹿駅舎
トロッコの軌道跡

八鹿駅舎
旧生野鉱山職員宿舎

●現役の鉱業都市で全国初の国重要文化的景観に選定

開坑は大同2年(807)と伝わり、古くから鉱山開発が進められた生野鉱山周辺は、鉱山町独特の景観が広がる全国でも貴重なまち並みが残る場所です。本格的な鉱山開発が進められた中世から近世にかけて、日本有数の銀山として栄え、「露天掘り跡」や「間歩」(江戸時代の坑道)といった採掘跡の他、市川河床には当時の選鉱場所であった「汰(ゆ)り池」跡などが残っています。
明治に入ると、日本初の官営鉱山として近代化が図られ、多くの御雇外国人が居留するなどモダンな建物も造られました。
市街地の鉱山町には江戸時代の地役人、郷宿(ごうやど)などの町屋が残る他、明治政府の役人の住居である鉱山官舎、トロッコの軌道跡などがあり、和洋が混在するの独特の景観が広がっています。
また、鉱石を製錬する際にできたカスをブロック状に固めた「カラミ石」が、民家の塀や土台、擁壁など至る所に用いられ鉱山町独特の景観を形成しています。
こうした日本でも貴重で珍しい景観が評価され、平成26年3月18日、文化庁による国の重要文化的景観に選定されました。兵庫県では初めて、現役の鉱業都市として選定されるのも全国初となります。

 

 

鉱石の道【こうせきのみち】

 

鉱石の道【こうせきのみち】
神子畑選鉱所
神子畑選鉱所

神子畑鋳鉄橋
神子畑鋳鉄橋

ムーセ旧居
ムーセ旧居

明延探検坑道
明延探検坑道

一円電車
一円電車

生野銀山
生野銀山

鉱石の道
・生野、神子畑 (朝来市)、明延(養父市)
・近代化遺産

●関連情報
「鉱石の道」


●明延~神子畑~生野鉱山を結ぶ輸送ルート

生野鉱山(朝来市生野町)、神子畑鉱山(朝来市)、明延鉱山(養父市大屋町)は、明治時代から昭和にかけて、国内のスズや銅の主力産地として日本の近代産業を支えました。これら3つの鉱山には、鉱石や人、物資を運ぶため、鉱石輸送の専用道路が整備されていました。明延で採掘された鉱石が、専用電車(一円電車)で神子畑選鉱所へ運ばれて選鉱・製錬され、専用道路で生野精錬所に輸送。 高純度のインゴットとなって、生野鉱山本部から銀の馬車道を通って姫路・飾磨港へと運ばれていきました。
現在、明延~神子畑~生野間の輸送ルートは「鉱石の道」と名付けられ、産業遺産をめぐる観光ルートとして整備されています。現在も残る「神子畑鋳鉄橋(日本最古の鋳鉄橋)」や「羽渕鋳鉄橋」は輸送路の整備のため建設されたもの。この山深い場所に近代的な鋳鉄製の橋が建設されたことは、明治政府の力の入れようを物語っています。
沿線ではその他にも、一円電車やムーセ旧居(外国人宿舎)など、往時を偲ぶ貴重な貴重な産業遺産群を見学するこができます。

和田山駅機関庫【わだやまえききかんこ】

 

和田山駅機関庫【わだやまえききかんこ】
和田山駅機関庫

和田山駅機関庫
和田山駅機関庫
・朝来市和田山町東谷
・近代化遺産

●但馬に残る稀少な赤煉瓦造建築
1906年(明治39)、播但鉄道(現JR播但線)が延長され、竹田駅・和田山駅が誕生しました。1911年(明治44)には、和田山と福知山を結ぶ福和線(現JR山陰本線の一部)が開通し、和田山駅は両線の接続駅となり、翌1912年(明治45)、機関庫と給水塔・転車台、引き込み線などの付属施設が建設されました。
現在倉庫として利用されている機関庫は、1991年(平成3)までのおよそ80年間にわたり、蒸気機関車やディーゼル機関車の点検修理などのための施設として利用されてきたものです。
建物は切妻屋根をもつ煉瓦造平屋建で、機関車引き込み線は2線を有し、両妻面に設けられた各2カ所の開口部は石造半円型アーチになっています。赤煉瓦の壁面を縁取るように設けられた御影石の白がアクセントとなっており、全国においても数少ない煉瓦造りの機関庫です。

一区公民館【いっくこうみんかん】

 

一区公民館【いっくこうみんかん】(旧生野警察署)
一区公民館
一区公民館
・朝来市生野町口銀谷
・近代化遺産●関連情報
朝来市ホームページ
●モダンな洋風建築の旧警察署
一区公民館は、1886年(明治19)に建設された旧生野警察署です。地元の大工・杉浦嘉作(すぎうらかさく)が生野銀山の洋風建築をまねてつくった擬洋風建築物で、木造平屋の建物です。
三角ぺディメントに軒蛇腹(のきじゃばら)を持ち、破風板にも優れた文様が施されています。玄関の円柱は少し控えめなデザインでつくられており、中央には両開きの出入り口があります。その脇には丸いひさしのついた小さなドアが2つ左右対称に設置されているのが特徴的です。
正面から見上げるのき瓦には警察紋章、その下には以前の町章が残されています。2001年(平成13)に改修工事を終え、現在は公民館として利用されています。