加藤文太郎【かとうぶんたろう】
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●生い立ち 加藤文太郎は明治38年(1905)、浜坂町(現新温泉町)で父加藤岩太郎、母よねの四男として生まれました。家は浜の近くで稼業は漁師でした。外見は温和・寡黙で心優しい文太郎ですが、主体性に富み、一徹で、ひとつの事に熱中すると脇目も振らず熱中するタイプでした。 浜坂小学校高等科を卒業すると、神戸三菱内燃機製作所に製図研究生として入社しました。下宿から会社までの4キロ近くの道を、毎日歩いて通勤していたとか。 大正10年(1921)になると第三学年の副級長を任命されました。また、同時に市立神戸実業補修学校にも入り、2回も優等賞と皆勤賞を受けました。大正12年(1923)には兵庫県立工業学校別科機械科を皆勤で卒業、15年には神戸高等専修学校電気科の課程を卒業し、有能な技師としての知識と技術を磨いていきました。 文太郎は理数系に優れ、趣味もなく仕事一筋でしたが、社内に余暇を遠足で楽しむ目的の会「デテイル会」が結成されるや、たちまちリーダーとして率先、余暇は山歩き一筋に変わりました。それは遠足の域を越えて本格的な登山へ発展していきました。 ●単独行の登山家 |