2011/11/20  

山路寺【さんろじ】

 

山路寺【さんろじ】

山路寺
・養父市大屋町山路

・障壁画(絵画)

県指定文化財

●片山楊谷の唯一の大作として知られる「障壁画」
山路寺「障壁画」の作者、片山楊谷は円山応挙にも師事した鳥取藩のお抱え絵師で、人物、花鳥、走獣の描画に卓越した作品を残しています。享和元年(1801)に世を去った楊谷が、その1年前に描いたとされる山路寺の障壁画は、現在知られる唯一の大作として県の文化財に指定されています。
「老松図」「猛虎図」「牡丹孔雀図」など、力強く緻密な描写から、但馬を代表する障壁画といえます。
山路寺は、永承2年(1047)に開創された寺院で、本尊は十一面観世音菩薩を祀っています。寛延3年(1750)の火災により、宝暦3年(1753)に現在の場所に再建されました。かつて9ヶ寺を末寺としていましたが、現在はそのほとんどが廃寺となっています。

2011/11/20  

蓮華寺【れんげじ】

 

蓮華寺【れんげじ】

蓮華寺
・養父市大屋町夏梅

・木造聖観世音菩薩立像
(彫刻)

県指定文化財

●別名「夏梅の庭寺」とも呼ばれる古刹
蓮華寺の「聖観世音菩薩立像」は、平安時代後期の作と推定されています。桧の一木造りで、内抉りはなく、両眼は彫出しています。境内の三重塔を改修したとされる、楼閣2階建ての赤堂の六角宮殿に安置されています。
蓮華寺は弘仁年間(810~824年)、弘法大師によって、帰命山安養寺として開創したと伝わります。江戸期に現在の蓮華寺と改名し、本尊の弥勒菩薩は江戸中期に奈良から勧請したものです。
蓮華寺には亀島を持つ阿字池と渓谷風の滝を持つ心字池の2庭園があり、市の文化財に指定されています。また、有数の紅梅の古木もあり、別名「夏梅の庭寺」とも呼ばれています。

2011/11/20  

福王寺【ふくおうじ】

 

福王寺【ふくおうじ】

福王寺
・養父市大屋町中

・木造阿弥陀如来立像
(彫刻)

県指定文化財

●平安時代と鎌倉時代の様式を合わせ持つ仏像
開創年代は明暦元年(1655)で、阿闍梨舜海が現屋敷に寺を造立したと伝わります。
本尊の「阿弥陀如来立像」は、高さ3尺(約97cm)、寄木造で鎌倉時代初期の作とされ、平安時代後期の丸顔を主体として、鎌倉時代のやや面長で厳しい表情が加わっています。また、脚部の着衣はY字形の衣紋の形式で、衣服の袖は薄く彫刻し、平安時代後期の特徴を示しています。県下でも美術史的な価値は高く、バランスのよい姿の美しい仏像です。 平安時代と鎌倉時代の様式をあわせ持つ仏像として大変貴重です。

2011/11/20  

今滝寺【こんりゅうじ】

 

今滝寺【こんりゅうじ】

今滝寺
・養父市八鹿町今滝寺

・鰐口(工芸品)
・木造金剛力士立像(彫刻)
・孔雀明王像(絵画)
・弁才天像(絵画)
・両界曼荼羅図(絵画)
・十六羅漢図(絵画)
県指定文化財

●鎌倉時代中期の特徴を表す「金剛力士立像」
山名四天王として知られる八木城主八木氏の菩提寺で、延久元年(1069)に創建とされています。当初は本堂を中心に九院三坊の寺院がありましたが、現存するのは本堂と仁王門だけです。仁王門の「木造金剛力士像」は、墨書銘から正嘉元年(1257)に制作されたもので、仏師は阿形像が澄玄、吽形像が淡路公と判明しました。彫刻は素朴かつ重厚で、鎌倉時代中期の特徴を表す力強い力士像です。
また、仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種である「鰐口」は金口、金鼓とも呼ばれ、今滝寺に残るものは圏線が細く、繊細な鋳造がなされています。応永23年(1416)に寄進されたものです。

2011/11/20  

浅間寺【せんげんじ】

 

浅間寺【せんげんじ】

浅間寺
・養父市八鹿町浅間

・木造薬師如来坐像
(彫刻)
県指定文化財

●戦国武将・八木氏の庇護を受けた古刹
兵庫県の文化財に指定されている浅間寺の薬師如来坐像は、高さ110センチの寄木造り。衣を朱で彩色し、一見、穏やかなイメージの中にも厳しさを感じられる雰囲気を持ちます。頭部の螺髪は細やかで、衣の彫りも浅いことから、平安時代後期の藤原文化によるものとされています。
戦国武将の八木氏の庇護篤く、薬師如来坐像・十二神将像の修復、日光・月光菩薩像の制作は、元亀4年(1573)に八木城主・八木豊信の命によるものです。
また、薬師如来坐像を守護する武神「十二神将像」は、武器を持った甲冑姿で、それぞれの頭上に小さく十二支の形が彫られています。

2011/06/22  

日光院【にっこういん】

 

日光院【にっこういん

日光院
養父市八鹿町石原
・日光院文書

県指定古文書

●関連情報
日光院

●妙見信仰の一大霊場として発展
養父市八鹿町石原にある日光院は、真言宗高野派に属して妙見山日光院といいます。寺伝では、六世紀に日光慶重という道士が草庵を結んで建立したのに始まると伝えています。本尊は弘法大師作とも言われる妙見大菩薩で、妙見信仰の一大霊場として発展しました。

日光院文書は県指定文化財で、巻子本六巻などに仕立てられた合計133通の古文書です。内容は応永十四年(1407年)から天正七年(1579年)までに書かれた室町時代の寄進状です。山名宗全をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの祈願所となりました。寺領は播磨、因幡にもおよび、中世にはその全盛が示されています。
寺域は眼下に石原集落を見下ろす景勝の地で、境内には樹齢600年の大イチョウがあります。秋の紅葉の季節には黄色の絨毯を敷き詰めたような景色を楽しませてくれます。