初午まつり【はつうままつり】
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●初午まつり 江戸時代、藩主が旧暦2月の最初の午の日に、城の大手門を開放して城内の稲荷神社に参詣を許したことに始まるといわれています。当時、一般の町民が城内に入ることは許されておらず、祭りの日には遠く丹波、丹後からも参詣に訪れる人がいたそうです。 |
初午まつり【はつうままつり】
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●初午まつり 江戸時代、藩主が旧暦2月の最初の午の日に、城の大手門を開放して城内の稲荷神社に参詣を許したことに始まるといわれています。当時、一般の町民が城内に入ることは許されておらず、祭りの日には遠く丹波、丹後からも参詣に訪れる人がいたそうです。 |
お城まつり【おしろまつり】
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●お城まつり 但馬一の雄藩・5万8千石の城下町出石を象徴する、「出石お城まつり」が毎年11月3日に開催されます。このまつり一番の見どころは、総勢120人の子どもが大名行列の扮装をして町内を練り歩く「子ども大名行列」と、奴に扮した35名の大人が様々な種類の毛槍を振りながら町内を練り歩く「槍振り(町無形文化財)」。 この槍振りは、出石藩主・仙石久利公の奥方のお国入りに随伴した赤坂奴の見事な槍振りを見て、出石の町衆がまねたといわれています。江戸時代の参勤交代の模様を今に伝える伝統行事です。 |
奈佐節【なさぶし】
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●奈佐節のはじまり 奈佐節は鎌倉時代に生まれました。18世紀になって、豊岡にあった福成寺が出石城主の招きにより移転することになりました。檀家の人々が生活の支えを失い嘆き悲しんでいたところへ、さらに大水害が奈佐地区一帯を襲いました。そこへ、法如上人(一向宗第17代京都西本願寺住職)が、復興の慰問にこの地を訪れました。人々はたいそう喜び、法如上人を歓迎するために、歌い踊ったことが現在の形のはじまりといわれています。 ●奈佐節の継承 戦前までは、奈佐地区を含む円山川下流一帯では奈佐節(六条さん)は盛大におこなわれていましたが、戦争で踊り手が少なくなり、自然消滅しつつありました。しかし、のちに住民から地区芸能の復活を望む声があがり、保存会が結成され、古老から歌や振り付けを聞いて、再び奈佐節が蘇りました。現在はふるさとの文化と誇りを大切にしようと、後継者を育てる活動を積極的におこなっています。 |
太刀振り【たちふり】
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●太刀振り ・豊岡市但東町/中山/10月第2日曜日 太刀を手に勇壮に振り踊る伝統芸能で、江戸時代後期に丹後地方から伝わったものとされています。赤野神社を発着点に、地元の小中学生や青年50人が、長さ1m~1.7mある刀を振り、地区内の約1km、笛や太鼓に合わせて屋台とともに練り歩きます。これにより、地区に棲みつく悪霊を追い払い、五穀豊穣と無病息災を願います。 最後は神社境内で振り回した刀を飛び越える「宮振り」を奉納して締めくくります。 |