2015/01/31  

地蔵祭り【じぞうまつり】

 

地蔵祭り【じぞうまつり】
地蔵祭り
地蔵祭り
地蔵祭り
(朝来市和田山町)
・朝来市和田山町和田山

8月22・23日

 

地蔵祭り
・朝来市和田山町/和田山/8月22・23日

但馬三大祭りの一つ和田山地蔵祭は、かつて和田山付近を流れる円山川が増水する度に亡くなった水死者の霊を慰めるために、近隣の人々が円竜寺に子安地蔵尊を建立したことが起源とされています。
毎年8月22日、23日の両日から各団体の踊り連が町中2キロメートルを練り歩き、町中には趣向を凝らした造り物や露店で賑わいを見せます。23日夜8時から行われる、送り火になぞらえた花火大会はまつり最大のイベント。東河橋下流で約2000発の花火が夏の夜空に打ち上げられます。

2015/01/31  

岸田さえもん踊【きしださえもんおどり】

 

岸田さえもん踊【きしださえもんおどり】
岸田さえもん踊
岸田さえもん踊(新温泉町)
・新温泉町岸田

8月14・15日

 

岸田さえもん踊
・新温泉町(旧温泉町)/岸田/8月14・15日

鎌倉時代に遊行上人といわれた一遍上人が、山陰地方を巡回した時に「さいもん」と名付け、念仏踊りをして普及したと伝えられています。
約600年の歴史をもつ踊りで、さし手の中に献物の形を残し優雅さの中に舞いの要素を加えた踊りです。毎年8月14・15日のお盆には、旧温泉町に残るほかの盆踊りと共に地域に深く親しまれ、区民一丸となって舞い踊られます。

踊りの芸題には、「熊谷直実」、「伊勢音頭」、「俊徳丸」、「藤吉出世」などがあります。「さえもん踊」は伝統の古さや優雅さにおいては、白眉的存在として定評があり、また反面では修得がむずかしいとされている伝統文化です。

2014/12/10  

ネッテイ相撲【ねっていずもう】

 

ネッテイ相撲【ねっていずもう】
ネッテイ相撲
・国選択文化財
・県指定文化財
・養父市奥米地

 

●現代の相撲の原型といわれる
養父市奥米地の水谷神社で行われる「ネッテイ相撲」は、平安時代から朝廷儀式として行われていたもので、四股を踏むことで悪霊を鎮めるとされる相撲神事です。 青色の裃姿の舞い手男性二人が、木太刀で一連の所作を行ったあと、相撲が奉納されます。上半身裸になり、「ヨイ、ヨイ、ヨイ」の掛け声で四股を踏み地を固め、手を振り下ろすことにより、天地が荒ぶれるのを鎮めます。その後、お互いの首をとって三度跳び上がり、元の位置に戻れるかどうかで豊凶を占います。当地では何度も繰り返すことを「練って、練って」といい、相撲の所作で行われる何回も足踏みを繰り返すことから「ネッテイ相撲」と言われるようになったとされています。
古くから伝わるこの「ねっていすもう」は、今の相撲の原型ともされ国選択無形民俗文化財、県指定文化財に指定され、地元の人たちが大切に守り続けています。

2013/05/29  

轟の太鼓踊【とどろきのたいこおどり】

 

轟の太鼓踊【とどろきのたいこおどり】
轟の太鼓踊
・県指定文化財
・豊岡市竹野町轟

 

●蓮華寺で行われる盆の施餓鬼供養の仏事
蓮華寺で行われる盆の施餓鬼供養の仏事として踊られる轟の「太鼓踊り」。
特徴はその素朴さにあるといわれています。
同じ系統に属する「ざんざか・ざんざこ踊り」は衣裳や踊りに工夫を凝らすのに対し、
「太鼓踊り」には派手さもなく、衣裳も白浴衣のみです。踊りの構成は「ザンザンザカザット」の囃子込み太鼓と唄の部分が交互に演じられます。
その成立や起源についてははっきりと分かっておらず、締太鼓に江戸時代後期の年号が記されていることから、少なくともこの頃から踊っていたことが分かっています。昭和34年頃を最後に一時途絶えましたが、平成4年、約30年ぶりに地元有志によって復活しました。

2013/05/28  

法花寺万歳【ほっけいじまんざい】

 

法花寺万歳【ほっけいじまんざい】
法花寺万歳
法花寺万歳
・県指定文化財

■法花寺万歳保存会
(豊岡市法花寺)
TEL.0796-22-3778

■豊岡市教育委員会
TEL.0796-23-1111

●今の漫才の起源といわれる県下唯一の門付け万歳
「万歳」とは、正月に家々の座敷や門前で祝いを述べる、祝福芸で、千秋(せんず)万歳ともいいます。また、今日の漫才の起源ともいわれています。
豊岡市法花寺の万歳は、江戸時代後期に京都へ出奉公していた村民の1人が習い覚えて帰郷し、農閑期の出稼ぎとして門付けをしたのがはじまりと伝えられています。かつては、丹後・丹波地方にまで門付けにまわったこともあるようです。
第2次世界大戦中に一時中断していましたが、1949年(昭和24)に復活。県下で唯一、門付け芸を伝承している万歳として貴重で、2004年には県の無形民俗文化財に指定されました。

●軽妙で巧みな掛け合いが笑いを誘う
 演者は烏帽子(えぼし)に素襖(すおう)を着て扇子を持った「太夫(たゆう:主人公)」と、大黒頭巾に裁着袴(たっつけばかま)に鼓を持つ「才若(さいわか:助演者)」の2人。それに三味線弾きの伴奏と合いの手が加わります。太夫と才若二人の役者が、巧みな掛けあいをみせた後、くだけた余興を演じます。七五調の文句を述べ、踊りながら掛け合いをします。今の漫才でいうと、才若がボケで、太夫がツッコミです。本来は2時間もかかる芸ですが、現在は15分ほどに短縮して演じられています。

2012/02/11  

農村歌舞伎【のうそんかぶき】

 

農村歌舞伎【のうそんかぶき】
農村歌舞伎舞台
農村歌舞伎舞台
(養父市関宮) 民家型入母屋造りの茅葺き。農村歌舞伎舞台で大切な7つの機構を全部備えています。
・国指定重要文化財

■葛畑コミュニティセンター
(養父市葛畑)
・見学希望、問い合わせ
養父市教育委員会
TEL.079-664-1628

●農村歌舞伎のおこり
葛畑(かずらはた)農村歌舞伎舞台は江戸末期、安政5年(1858)頃、荒御霊神社境内に建立されました。藤田甚左衛門らが葛畑座を結成し、農閑期に歌舞伎を上演したのが始まりといわれています。娯楽が少なかった農村では唯一、最大の楽しみで、田植えや蚕(かいこ)飼いが終わる閑期や雨乞いの祈願に、また秋の実りを祝う収穫祭や村祭りに、村人達は自らの手による地狂言を演じたり、あるいは旅役者の一座を招いて村芝居をおこなってきました。 元禄年間、歌舞伎芝居は農村の娯楽として盛んでした。七美郡誌に「百姓の鎧着て出る祭かな」という句も残っています。

●農村歌舞伎舞台の構造
 構造は民家型入母屋造りの茅葺き、内部は地下で舞台をまわす独楽廻式で、舞台の背景を天井から吊るし上げ下げするブドウ棚や、スッポンといわれ、役者を奈落から舞台に上げるせり上がりロ、田楽がえしといわれる背景の移動装置、がんどう返し、二重合など、農村歌舞伎舞台で大切な7つの機構を全部備えています。
明治25年(1892)に本格的な歌舞伎舞台にするため、大阪の舞台建築技術を習い村人総出で修復しました。現存の舞台は昭和51年(1976)に全面改修され、昭和60年(1985)に屋根の葺き替えをおこなっています。
衣裳や小道具も江戸時代から使用されてきたものが、葛畑コミュニティセンターに保存されています。

2011/06/28  

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】

 

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】
大杉
大杉ざんざこ踊
(養父市)
・養父市大屋町大杉二宮神社
8月16日
・国指定無形民俗文化財
若杉
若杉ざんざか踊
(養父市)
・養父市大屋町若杉三宮神社
8月16日
・県指定無形民俗文化財

●関連情報
養父市役所

 

大杉ざんざこ踊
・養父市大屋町/大杉二宮神社/8月16日/国指定無形民俗文化財

大杉ざんざこ踊は鬼踊りとも呼ばれ、かけ声の中、大シデを背負った4人の中踊りを大勢の踊り子が取り囲み、古式にのっとり踊られます。発祥は明らかではありませんが、一説によると、昔、カガミという流行病が村を襲い、これを嘆いた庄屋が慶安2年(1649)に伊勢に参拝した帰途、奈良にてこの踊りを習い覚え、旧暦7月16日、氏神に奉納したところ、村が次第に平穏になったと伝えられています。

若杉ざんざか踊
・養父市大屋町/若杉三社神社/8月16日/県指定無形民俗文化財

大杉ざんざこに対して若杉ざんざか踊は姫踊りという別名が表すように、優雅でかつ古式ゆかしい踊りです。村に残る文書の中に、その昔、大和の修業者が一人やって来て、村で流行していた大難の病気を平癒するため、氏神様に踊りを奉納したことから始まったとされています。

九鹿ざんざか踊り
(養父市)
・養父市八鹿町九鹿日枝神社
10月第3日曜日
・県指定無形民俗文化財

 

九鹿ざんざか踊り
・養父市八鹿町/九鹿日枝神社/10月第3日曜日/県指定無形民俗文化財

神功皇后の三韓征伐の凱旋を祝って踊ったのが始まりと伝えられていますが、由来を明らかにするものがありません。踊りの動作、歌詞、服装などに室町時代の色が濃く、当時の修験者らが疫病退散、五穀豊穣を祈願して、奉納したのが起源と推測されています。
4~5人からなる、かみしも姿の唄い手の踊り唄と、「サンザカザンザカ ザンザカザットゥー」の掛け声に合わせ、紺の筒袖と股引姿の踊り手が踊ります。小中学生が角兵衛獅子の所作に似た子ども踊りで前座をつとめ、青年を中心とした8人が大人踊りを踊り、豆しぼりの手拭いで向こう鉢巻、腰に太鼓、手に木ばちなど古式にのっとたいでたちで、荘重さの中にも力強く、気迫に満ちています。


寺内
寺内ざんざか踊り
(朝来市和田山町)
・朝来市和田山町寺内山王神社
7月第3日曜日
・県指定無形民俗文化財

 

寺内ざんざか踊り
・朝来市和田山町/寺内山王神社/7月第3日曜日/県指定無形民俗文化財

五穀豊穣や子孫繁栄を願って、慶安(1648~1652)のころに始まったといわれ、以来、地元衆の皆さんによって引き継がれています。山王の遣いである猿にふんした12人の踊り手が円陣を組み、腰の太鼓を「ザンザカザットウ」の囃子(はやし)に合わせて打ち鳴らします。また、その中心では2人の踊り手が飾り付けをした高さ3メートルの「しない」と呼ばれる竹を背負い、それをからませたり地面に打ちつけたりしながら踊りを奉納します。


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久谷ざんざか踊り
(新温泉町・旧浜坂町)
・新温泉町久谷八幡神社
9月15日
・県指定無形民俗文化財

 

久谷ざんざか踊り
・新温泉町(旧浜坂町)/久谷八幡神社/9月15日/県指定無形民俗文化財

全国各地に分布している風流太鼓のひとつで、八幡神社の祭りに、神前や家々の庭先で五穀豊穣や氏子の安全を願って踊られます。踊り手は若い中高生で、華やかな一文字笠をかぶり、腰につけた締太鼓を叩きながら踊ります。
起源は、地元に伝わる伝承や歌の歌詞から、室町時代末から江戸時代のはじめごろに確立したと考えられています。風流太鼓踊りは、手に持つ持ち物や音から西播ではチャンチャコ踊りなどとも呼ばれ、但馬や西播、丹波地方にも残っています。

2011/06/22  

別宮のお綱うち【べっくうのおつなうち】

 

別宮のお綱うち【べっくうのおつなうち】
お綱打ち
別宮のお綱うち(養父市)
・養父市別宮

1月9日

別宮のお綱うち
養父市/別宮/1月9日
150年は続いていると思われる伝統行事。早朝、地区の男たちが集まり、大きな声をかけて、太い藁(わら)をねじりながら回り、三ッ組の太さ約30cm、長さ17~18m、重さ70~80kg大綱を作ります。20数人もの男が交代しながら汗を流す大がかりなもの。できあがった綱は、お綱屋敷で上と下地区に別れ、村中で綱引きをします。7回綱引きをし、最後に上地区が勝ち、その年は豊作になるとされています。綱はその後、カンザキの岡まで運び、大きな2本のケヤキの木に飾るように結びつられます。カリマタの方からくる悪魔を鎮めるとされています。

2011/06/22  

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】

 

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】
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高速回線用 低速回線用
5.9MB 1.1MB
PLAY TIME:2分43秒
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2011/06/22  

松岡の御柱祭(婆々焼祭) 【まつおかのおとうまつり(ばばやきまつり)】

 

松岡の御柱祭(婆々焼祭)
【まつおかのおとうまつり(ばばやきまつり)】
ばば焼き
松岡の御柱祭
(豊岡市日高町)
・豊岡市日高町松岡

4月14日

・市指定無形民俗文化財

 

松岡の御柱祭(婆々焼祭)
豊岡市日高町/松岡/4月14 町指定無形民俗文化財

十二所神社前の円山川河川敷で夕刻、老婆に見立てた藁(わら)人形を焼きます。

祭りの由来は、1300年頃、但馬(豊岡市高屋)に雅成親王(後鳥羽上皇第四皇子)が流刑となり、その後を追って、雅成親王の妻、幸姫が京の都からやってきました。その時、幸姫は懐妊の身で急に産気づき、この地で王子を生み落としました。しかし、産後のひだちが悪く、一刻も早く親王のところまで行きたいと、ある老婆に「高屋まであと何日かかりますか」とたずねたところ、老婆は意地悪く「高屋まで九日通る九日市、十日通る豊岡、その先は人を取る一日市で、合わせて20日はかかる」と答えました。 これを聞いた幸姫は、「3日歩けば気力が尽きてしまうほどなのに、これ以上到底生きる望みがありません」と、王子を残し円山川に身を投げてしまいました。

その後、毎年洪水が起き、村人を苦しめたため、その霊を祀ったのが始まりと伝えられています。竹と藁で鉢型の土台を作り、その上部に「御柱松(おたいまつ)」を立て、老婆に見立てた藁人形をくくりつけ、焼き捨てるという奇祭です。