但馬ちりめん【たじまちりめん】
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但馬ちりめん |
●優れた技術を活かして高級品の生産へ 豊岡市但東町、出石町を生産地とする但馬ちりめんは、豊岡市但東町に隣接する丹後の峰山から、1894~1817(文化)年間に移入されたのがはじまりとされています。丹後地方との通婚によって、手織り技術が容易に伝習され、この地域の湿潤な気候風土も合い、農業の副業的存在として産地化されました。 幕藩期から明治期の手機時代から、大正6年(1917)には自動織機を導入。成長を続け、昭和12年には1,344台の織機台数を数えました。これが、戦前戦後のピークで、以後、戦時下280台まで減少しました。 戦後、昭和27年、県の振興助成を得て次第に復興し、昭和35年代前半は、年平均100工場が家内工業として増加発展をしました。 しかし、昭和48年の石油危機による不況乗り切り対策として、織機の打ちこわし等を実施して生産の抑制を行い、現在、量よりも質を重視し、高級品の生産や新しい洋装部門への進出などにも取り組んでいます。 豊岡市但東町では新たな試みとして、近年、「絹ゆかた」が売り出され、注目を集めています。値段が高い、動きにくい、着付けができない、作法が面倒、などの理由で敬遠される着物を、若者にも気軽に着てもらえるようにとつくられました。絹80%、綿20%を折り合わせた生地で、絹の美しさ、高級感、着心地のよさをそのままに、一般のゆかたのように素肌に1枚だけで着られ、手入れも簡単。時代に合ったちりめんのニーズをさぐりながら、そのよさを伝え、新鮮な魅力をもつ商品開発を積極的にすすめています。 |