表米神社の相撲桟敷【ひょうまいじんじゃのすもうざしき】

 

表米神社の相撲桟敷【ひょうまいじんじゃのすもうざしき】

表米神社の相撲桟敷

・朝来市和田山町竹田
・県指定文化財

●半円形に六段の珍しい石積段型桟敷
竹田城跡のふもとにある表米神社。格技を好んだと言われる表米宿弥命を祀り、境内には相撲桟敷が設けられています。
半円形に六段の石積段型桟敷は、全国でも非常に珍しく、県の文化財に指定されています。現代でいうところの野外観覧席で、江戸末期と明治期の座席割図が各1枚残っていることから、村の行事に利用されていました。角正面には舞台もあり、歌舞伎の見物などに使われたとも考えられます。

2013/01/14  

大歳神社【おおとしじんじゃ】

 

大歳神社【おおとしじんじゃ】

大歳神社

・朝来市生野町口銀谷
・本殿、拝殿、玉垣、
壱の鳥居、弐の鳥居、
摂社当勝神社、
摂社戎神社
県登録有形文化財

●生野銀山町に鎮座する神社
朝来市生野町口銀谷の景観形成地区に鎮座する神社で、建立年代は棟札より明治25年(1892)とされ、大正12年に現在の場所に移築されました。本殿は一間社流造で、屋根はこけら葺です。拝殿は入母屋造平屋建で、建立は棟札より大正12年です。
摂社である当勝神社・戎神社も一間社流造で、幕末から明治期に建立されました。昭和15年建立の壱の鳥居は明神鳥居で、石造りの弐の鳥居は明治27年建立の稲荷鳥居です。
また、境内の周りを囲む石造りの玉垣も立派なもので、刻銘から大正12年の移築の際に建てられたものと考えられています。平成19年にこれら全てが兵庫県の有形文化財に登録されています。

2011/06/22  

赤淵神社【あかぶちじんじゃ】

 

赤淵神社【あかぶちじんじゃ】

赤淵神社
・朝来市和田山町枚田
・本殿
国指定建造物
●室町初期の蟇股、懸魚、妻窓など建築様式を残す

枚田内高山の麓、507年に創建されたと伝えられる式内社。現在の本殿は、室町時代初期に建てられ、国の重要文化財に指定されています。三間社流造、こけら葺、桁行4.8m、梁間3.1m、正面と両側面に高欄付縁をめぐらせています。身舎部は内陣と外陣に分かれ、正面には格子をはめ、中央には階段を設けています。再三改修のあとはありますが、蟇股(かえるまた)、懸魚(げぎょ)、妻窓などに当時の建築様式を残しています。
また、勅使門は元禄7年(1694)に八木城主・八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年(1797)修理したと伝えられています。四脚門様式で材質は欅(けやき)が使用されています。

本殿に付随して指定された棟札には次のように記されています。
1 修造干時元和八年卯月吉日(1622)
2 正保五年卯月吉日(1648)
3 寛文乙巳五年三月十六日(1665)
4 奉修覆 元禄七年甲戌暦九月吉祥日(1694)
5 奉修覆 元文五庚申天四月十六日(1740)
6 奉修覆 宝暦十庚辰天五月吉日(1760)
7 奉修覆 天明五乙巳六月十五日(1785)

さらに、平成3年度には文化庁の補助により、「平成の大修理」といわれる本殿と履屋を改修しています。

2011/06/22  

但馬五社【たじまごしゃ】

 

但馬五社【たじまごしゃ】
但馬を南北にわたる絹巻神社・出石神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社、この5つの神社を総称して「但馬五社」といいます。各神社間は約12km、お正月にはこの五社をめぐると大変御利益があるとされ、露店も並び、多くの参拝者で賑わいます。


絹巻神社
・豊岡市気比
●絹巻神社(きぬまきじんじゃ)
亜熱帯の鎮守の森に海の神様を祀る

天衣織女(あめのいおりめ)命・海部直命を祀り、全国でも珍しいおしりをあげた狛犬があります。以前は前方にありましたが、港大橋架設のため現在の位置に移動しました。
周囲は暖地性原生林で面積1万2千平方メートル余りに、シイ、クスノキ、サカキ、ダブ、ヤマザクラ、ツバキなど温帯、亜熱帯の樹木が生い茂り、県の天然記念物に指定されています。

 



小田井神社
・豊岡市小田井
●小田井神社(おだいじんじゃ)
国作大己貴命を祀る

延喜式神名帳(905)に記されいる式内神社で、国作大己貴(くにつくりおおなむち)命を祭神に祀っています。弘安年中(1278~87)の但馬大田文には、小田井社々領31町3反あまり神供田25町1反あまりとあり、当時は神仏習合で社家(四社)、社僧(4ヶ寺・金剛、妙楽、正法、三坂)が祭事をとり行っていたとされています。
しかし、天正3年(1575)、戦で森に火を放たれ焼失、ご神霊はみこしで一日市に火難を避けられたと伝えられています。同じ天正年中、羽柴秀吉が中国征伐に陣営を置き、多くの神領・神供田を没収、社家社僧は離散してしまいました。貞享年間中(1684~87)に社殿を再興し、鳥居を建て、元文年中(1736~1740)に神殿を改造しました。
昭和になってから、円山川河川工事で移転や境内の改築が行われ、現在に至っています。

 



出石神社
・豊岡市出石町宮内
●出石神社(いずしじんじゃ)
但馬開発の祖神、天日槍命を祀る

但馬一の宮といわれ、祭神は但馬開発の祖神、天日槍(あめのひぼこ)命と八種の宝が祀られています。天日槍は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。出石神社由来記には天日槍が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されています。
「祭具の鉾・首部」を所蔵し、天日槍命は太陽光の化身とも、祭具としての鉾の擬人化ともいわれています。また、龍が鉾に巻きついている姿は歌舞伎の柱まき(柱に手と足をかけみえをきること)の原型ではという説もあります。

出石神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えていますが、諸書によると奈良朝時代すでに山陰地方の有数の大社であったことがうかがわれます。

境内の門の脇に鳥居の一部が置いてありますが、これは出石川改修の際、川から出土したもので、平安時代のものだといいます。出土した付近は今でも「鳥居」という地名で、かつては一の鳥居、二の鳥居があったとされ、二の鳥居の一部ではないかといわれています。
現在の社殿は大正3年に再建され、本殿は三間社流れ造りで南に面しています。拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に身舎の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建物です。

 



養父神社
・養父市養父市場
●養父神社(やぶじんじゃ)
農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂命など五柱を祀る

延喜式の式内大社で、天平9年(737)但馬税正帳にも出石神、粟鹿神と共に名を連ねる古い宮です。鎌倉時代には多くの社田を持ち、三重の塔、堂、坊をもった神宮寺のあったことも知られています。現在の社務所は江戸時代の別当寺、普賢寺です。
祭神は農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂(うがのみたま)命をはじめ大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆尼命の五柱を祀っています。春の大祭、八十八夜祭など年間多くの祭りがあり、春の桜、秋の紅葉など信仰、名所としてにぎわいます。また、但馬の3大祭りに数えられる「お走りまつり」が伝えられ、4月15日から16日にかけて、御輿が町内を横断し、約18km離れた斎神社へお参りを行います。特に15日の大屋川渡りは圧巻です。

 



粟鹿神社
・朝来市山東町粟鹿
●粟鹿神社(あわがじんじゃ)
約600年前に国家平癒を祈願、勅使門を建立

但馬国一の宮、延喜式に定める明神大社で、阿米弥佐利命が主祀神で、その他、諸々の神々が祀られています。創建は古く崇神天皇の頃と伝えられています。神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられたとされています。 当地方における数少ない遺構の一つとして貴重です。 本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれ、 頭貫には唐草模様が見られます。
また、御本殿裏の御塚には、日子坐王命が葬られ御陵として崇められています。境内の末社も由緒があり、1,540坪に及ぶ神域の社叢林は深厳な景観を形成し、町指定天然記念物です。