2015/01/31  

岸田さえもん踊【きしださえもんおどり】

 

岸田さえもん踊【きしださえもんおどり】
岸田さえもん踊
岸田さえもん踊(新温泉町)
・新温泉町岸田

8月14・15日

 

岸田さえもん踊
・新温泉町(旧温泉町)/岸田/8月14・15日

鎌倉時代に遊行上人といわれた一遍上人が、山陰地方を巡回した時に「さいもん」と名付け、念仏踊りをして普及したと伝えられています。
約600年の歴史をもつ踊りで、さし手の中に献物の形を残し優雅さの中に舞いの要素を加えた踊りです。毎年8月14・15日のお盆には、旧温泉町に残るほかの盆踊りと共に地域に深く親しまれ、区民一丸となって舞い踊られます。

踊りの芸題には、「熊谷直実」、「伊勢音頭」、「俊徳丸」、「藤吉出世」などがあります。「さえもん踊」は伝統の古さや優雅さにおいては、白眉的存在として定評があり、また反面では修得がむずかしいとされている伝統文化です。

2011/06/28  

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】

 

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】
大杉
大杉ざんざこ踊
(養父市)
・養父市大屋町大杉二宮神社
8月16日
・国指定無形民俗文化財
若杉
若杉ざんざか踊
(養父市)
・養父市大屋町若杉三宮神社
8月16日
・県指定無形民俗文化財

●関連情報
養父市役所

 

大杉ざんざこ踊
・養父市大屋町/大杉二宮神社/8月16日/国指定無形民俗文化財

大杉ざんざこ踊は鬼踊りとも呼ばれ、かけ声の中、大シデを背負った4人の中踊りを大勢の踊り子が取り囲み、古式にのっとり踊られます。発祥は明らかではありませんが、一説によると、昔、カガミという流行病が村を襲い、これを嘆いた庄屋が慶安2年(1649)に伊勢に参拝した帰途、奈良にてこの踊りを習い覚え、旧暦7月16日、氏神に奉納したところ、村が次第に平穏になったと伝えられています。

若杉ざんざか踊
・養父市大屋町/若杉三社神社/8月16日/県指定無形民俗文化財

大杉ざんざこに対して若杉ざんざか踊は姫踊りという別名が表すように、優雅でかつ古式ゆかしい踊りです。村に残る文書の中に、その昔、大和の修業者が一人やって来て、村で流行していた大難の病気を平癒するため、氏神様に踊りを奉納したことから始まったとされています。

九鹿ざんざか踊り
(養父市)
・養父市八鹿町九鹿日枝神社
10月第3日曜日
・県指定無形民俗文化財

 

九鹿ざんざか踊り
・養父市八鹿町/九鹿日枝神社/10月第3日曜日/県指定無形民俗文化財

神功皇后の三韓征伐の凱旋を祝って踊ったのが始まりと伝えられていますが、由来を明らかにするものがありません。踊りの動作、歌詞、服装などに室町時代の色が濃く、当時の修験者らが疫病退散、五穀豊穣を祈願して、奉納したのが起源と推測されています。
4~5人からなる、かみしも姿の唄い手の踊り唄と、「サンザカザンザカ ザンザカザットゥー」の掛け声に合わせ、紺の筒袖と股引姿の踊り手が踊ります。小中学生が角兵衛獅子の所作に似た子ども踊りで前座をつとめ、青年を中心とした8人が大人踊りを踊り、豆しぼりの手拭いで向こう鉢巻、腰に太鼓、手に木ばちなど古式にのっとたいでたちで、荘重さの中にも力強く、気迫に満ちています。


寺内
寺内ざんざか踊り
(朝来市和田山町)
・朝来市和田山町寺内山王神社
7月第3日曜日
・県指定無形民俗文化財

 

寺内ざんざか踊り
・朝来市和田山町/寺内山王神社/7月第3日曜日/県指定無形民俗文化財

五穀豊穣や子孫繁栄を願って、慶安(1648~1652)のころに始まったといわれ、以来、地元衆の皆さんによって引き継がれています。山王の遣いである猿にふんした12人の踊り手が円陣を組み、腰の太鼓を「ザンザカザットウ」の囃子(はやし)に合わせて打ち鳴らします。また、その中心では2人の踊り手が飾り付けをした高さ3メートルの「しない」と呼ばれる竹を背負い、それをからませたり地面に打ちつけたりしながら踊りを奉納します。


s
久谷ざんざか踊り
(新温泉町・旧浜坂町)
・新温泉町久谷八幡神社
9月15日
・県指定無形民俗文化財

 

久谷ざんざか踊り
・新温泉町(旧浜坂町)/久谷八幡神社/9月15日/県指定無形民俗文化財

全国各地に分布している風流太鼓のひとつで、八幡神社の祭りに、神前や家々の庭先で五穀豊穣や氏子の安全を願って踊られます。踊り手は若い中高生で、華やかな一文字笠をかぶり、腰につけた締太鼓を叩きながら踊ります。
起源は、地元に伝わる伝承や歌の歌詞から、室町時代末から江戸時代のはじめごろに確立したと考えられています。風流太鼓踊りは、手に持つ持ち物や音から西播ではチャンチャコ踊りなどとも呼ばれ、但馬や西播、丹波地方にも残っています。

2011/06/22  

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】

 

ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】
お好みのサイズをダウンロードして動画をお楽しみください。

 

高速回線用 低速回線用
5.9MB 1.1MB
PLAY TIME:2分43秒
動画を楽しむためにはMicrosoft社のWindows Media Playerが必要です。

←お持ちでない方はこちらから無償でダウンロードできます。

2011/06/22  

火祭り【ひまつり】

 

火祭り【ひまつり】
火祭り
湯村の火祭り(新温泉町)
・新温泉町湯
8月24日
湯村の火祭り
新温泉町(旧温泉町)/湯/8月24日

「ジ~ロンボ(次郎坊)、タ~ロンボ(太郎坊)、む~ぎのな~かのク~ロンボ(黒んぼ)」という囃し言葉とともに、子どもたちが弧を描くように打ち振りまわす無数のたいまつの火。「ジ~ロンボ、タ~ロンボ」というのは天狗の名前で、天狗のような驕慢(きょうまん)な心。「む~ぎのな~かのク~ロンボ」は、麦が病気になった黒穂で、害を及ぼすもの。いずれも松明(たいまつ)で焼き払い、五穀豊穣、家内安全、健康を祈願します。春来川の川面に映える火は、暮れゆく夏の夜、幻想的な雰囲気をかもし出します。


火祭り
愛宕火祭
(豊岡市出石町)
・豊岡市出石町鍛冶屋伊福部神社
8月24日に近い日曜日

 

愛宕火祭
・豊岡市出石町/鍛冶屋伊福部神社/8月24日に近い日曜日

夜、陽が沈む頃、七年山中腹の愛宕(あたご)神社で、木と木をすり合わせて行う「火起こしの儀式」がおこなわれ、愛宕神社の燈明は、地域の若者達によって参道を運ばれます。この火をとって、子どもや、大人の共振りが始まります。パチパチと音をたてて燃え上がる麦ワラの束を縄で持って勢いよく振り廻します。同時に各地区の太鼓保存会によって、火祭太鼓が打ち鳴らされクライマックスを迎えます。
愛宕神社の祭礼は、江戸時代からおこなわれていましたが、大正の頃から途絶えてしまい、昭和55年に復活されました。


万燈の火祭り
(香美町香住区)
・香美町香住区三谷矢田川河川敷
7月24日
万燈の火祭り
・香美町香住区/三谷矢田川河川敷/7月24日

約200年前の江戸中期、まん延した疫病を鎮めるためにはじまったと伝えられています。その後、無病息災や豊作を願う行事として定着しましたが、松明用の麦わらが手に入らなくなり、一時途絶えましたが、昭和59年に復活されました。
4~10mの竹ざおの先端につけた麦わらに火をつけ振り回します。地元消防団の模範演技に続いて、子どもや女性たちも次々に火振りをします。火の粉を受けると無病息災、家内安全、火の用心などの願いがかなえられると言われています。
豪快に光跡を描く火振りがくりひろげられ、最期は約40人が、会場中央で、燃えさかるわらを空高く突き上げる大火柱を披露し、夜空に火の粉を1回、2回と大きく舞わせて、火の舞いをしめくくります。

2011/06/22  

お茗荷祭り【おみょうがまつり】

 

お茗荷祭り【おみょうがまつり】
お茗荷祭り
お茗荷祭り
お茗荷祭り(新温泉町)
・新温泉町竹田面沼神社
2月11日
お茗荷祭り
・新温泉町(旧温泉町)/竹田/2月11日

お茗荷祭りは、毎年2月11日の1番寒い時期におこなわれます。境内に「めぬ池」という小さな池があり、その中の小さな島に、お茗荷祭りで神に捧げられるミョウガができます。自然にできるミョウガは、普通暑い頃に食べるが、この小島にできるミョウガは、まわりに雪が積もる2月に芽が青々と育つのです。なぜ、こんな季節はずれにミョウガができるのか、全くわかりません。但馬七不思議のひとつにあげられる所以です。
朝の5時に神事は始まります。まだ周辺は暗く、提灯の灯りだけが頼り。宮司さんの祝詞が凍るような外気の中、響きわたります。島の上に生えたミョウガ3本を摘み、ぬめ池で清め、セキショウ(サトウキビ科の多年草)を敷いた三方に乗せ、木地のふたをかぶせてご神前に奉納します。
夜が明けかけた6時頃、参拝者が集まり始めます。最近では近所の人たちだけになってしまいましたが、昔は浜坂・諸寄・居組の漁師たちが裸でお参りしたとか。裸でも風邪をひくこともなく、命が延びると言い伝えられています。なお、この日は女性の参拝は禁じられていました。
参拝者があると、宮司さんは神前のミョウガをゆっくりと見せます。ミョウガの芽の形・大きさ・光沢・色ぐあいなどで、その年の吉凶・景気を参拝者みずからが占うのです。
芽がまっすぐ伸びていると豊作、曲がっていれば日照り、上部に光沢があれば早稲、下部に光沢があれば晩稲が良いとされています。不思議なことによく当たるそうです。昔は「命賀めでたや、富貴はんじょう」と言いながら参拝に来ました。健康と富が授かりますようにと言う意味。厳しい冬の中、人々は不思議なミョウガによって明日を占ってきたのです。

2011/06/22  

川下祭り【かわすそまつり】

 

川下祭り【かわすそまつり】
川下祭り
川下祭り
川下祭り(新温泉町)
・新温泉町浜坂宇都野神社
7月17~19日
川下祭り
・新温泉町(旧浜坂町)/浜坂宇津野神社/7月17~19日

川下祭りは但馬三大祭のひとつで、毎年7月19日から3日間にわたり、宇都野神社で行われます。祭りの起源は江戸時代の中期に始まったと伝えられ、京都の祇園祭の影響を色濃く受けています。
祭の中心は、旧浜坂町内を練り歩く神輿と麒麟獅子舞。麒麟獅子舞は、神輿行列の先導役として、町内を回り、家内安全を祈念して優雅に舞い踊ります。二人の舞手が頭と尾を持って舞う「二人立ち」の獅子舞で、獅子頭に特徴があり、県無形民俗文化財に指定されています。
また、町内には露店が立ち並び、夜には花火大会も催され、数多くの見物人で賑わいをみせます。

2011/06/22  

麒麟獅子舞【きりんじしまい】

 

麒麟獅子舞【きりんじしまい】
麒麟獅子
麒麟獅子
浜坂の麒麟獅子舞
浜で舞い路地から各家々を舞いながらねり歩く。子どもの頭を噛んでもらうと健康に育つと言われている。

・浜坂宇都野神社.居組.三尾の麒麟獅子舞は県重要無形文化財

麒麟獅子舞
新温泉町(旧浜坂町)
・居組麒麟獅子舞/10月9日 大歳神社(新温泉町居組)
・諸寄麒麟獅子舞/7月14日.15日 為世永神社(新温泉町諸寄)
・浜坂麒麟獅子舞/7月19日~21日川下祭
10月8日 宇都野神社(新温泉町浜坂)
・栃谷田君麒麟獅子舞/10月13日 厳島神社.長田神社(新温泉町栃谷)
・七釜麒麟獅子舞/9月29日 山宮神社(新温泉町七釜)
・福富麒麟獅子舞/9月28日 三柱神社新温泉町福富)
・和田麒麟獅子舞/10月3日 八柱神社(新温泉町和田)
・三尾麒麟獅子舞/10月9日 八柱神社.三柱神社(新温泉町三尾)
浜坂宇都野神社.居組.三尾麒麟獅子舞は県の重要無形文化財

新温泉町(旧温泉町)
・千谷麒麟獅子舞/4月17日 秋葉神社
9月19日三宝荒神(新温泉町千谷)
香美町香住区
・鎧麒麟獅子舞/10月5日 十二社神社(香美町香住区鎧)

麒麟獅子舞
麒麟獅子舞の起源については定かではありませんが、現在残っている資料から推測すると、鳥取藩の初代藩主・池田光仲が慶応3年(1650)に因幡の樗谿神社(おおちだにじんじゃ)に日光東照宮の御分霊を勧誘したときの祭礼行列に、日光東照宮を象徴する麒麟を頭にした麒麟獅子舞を、因幡東照宮の奉納芸能として舞ったのが始まりとされています。
鳥取に広まった麒麟獅子舞が但馬にも伝えられたのではないかといわれていますが、いつごろのことなのか何も文献が残っていません。現在、麒麟獅子舞が残っているのは、鳥取県東部地域から兵庫県浜坂町、温泉町、香住町のみで、他の地域では見ることができません。麒麟獅子舞の麒麟の顔は大きな口、大きな鼻の穴、目の上に太いまゆ、立った耳、そして一本角とユーモラスな表情をしています。
新温泉町(旧浜坂町)と鳥取県の麒麟獅子舞では違いがあります。新温泉町(旧浜坂町)では、お囃子(はやし)に「ジャンジャン」と呼ばれるシンバルのような小型の楽器が用いられますが、新温泉町(旧浜坂町)以外では、木槌で叩く楽器「鉦(しょう)」が用いられるのが特徴です。また、お囃子のリズムも新温泉町(旧浜坂町)は速く、鳥取は遅いといわれています。新温泉町(旧浜坂町)の8つの舞いも、それぞれに舞い方、囃子のリズムなどが微妙に異なっています。

浜坂宇都野神社の麒麟獅子舞
江戸中期から伝承されているもので、7月の夏の例祭、「川下(かわすそ)祭り」で神前で舞われた後、御輿(みこし)町内巡行列の先導として町内を廻り、家々の門前で家内安全を祈念し勇壮に舞います。祭り当日は露店が並び、花火が上がり、近隣から多くの見物人が押し寄せて、町は祭り一色となります。

2011/06/22  

海上傘踊り【うみがみかさおどり】

 

海上傘踊り【うみがみかさおどり】
傘踊り
海上傘踊り(新温泉町)
・新温泉町海上
盆踊り
海上傘踊り
・新温泉町(旧温泉町)/海上/盆踊り

江戸時代から雨乞いを祈る絵模様傘の鈴の音。徳川末期、山陰地方が大干ばつに見舞われたとき、困った農民たちが雨を求めて色々な祈願をする中で、五郎作と言う老農夫が、三日三晩冠笠をまとって狂い踊りの悲願をたてたところ、満願の日に大雨が降り出し、飢饉から脱したといわれています。以来、盆踊り行事として伝承され、海上村の青壮年が保存しています。いつの頃からか、今日のような長柄の絵模様傘や踊りへと工夫改良されました。傘に大小240余りの鈴を付け、2人1組となって、2分の1拍子の曲に合わせて踊ります。
約5種類の曲があり、勇壮活発な舞いは、湯村温泉の観光名物となっています。昭和49年には、世界三大祭りの一つといわれるニースのカーニバルにも派遣され、勇壮活発な踊りを披露しました。

2011/06/22  

菖蒲綱引き【しょうぶつなひき】

 

菖蒲綱引き【しょうぶつなひき】
綱引き
綱引き行事は、東日本では小正月のときに、西日本では旧正月・節供やお盆の行事の一つとして、また九州では仲秋の名月におこなわれるなど、かつては全国的に分布していた民俗行事の一つです。

菖蒲綱引き
菖蒲綱引き(新温泉町)
・新温泉町久谷
6月5日
・国の重要無形民俗文化財

 

菖蒲綱引き
・新温泉町(旧浜坂町)/久谷/6月5日

端午(たんご)の節供(6月5日)に、屋根にあげた菖蒲(しょうぶ)・よもぎ・すすきで編んだ綱を引き合う菖蒲綱引きの行事がおこわれます。綱引きは5日、夜8時から久谷の人たちが綱をはさんで子供組と大人組に分かれ、古老が唄う「石場搗(ひ)き唄」にあわせて、「エイトー、エイトー」のかけ声をかけながら7回引き合います。また、7回目の勝負を「納め綱」と呼び、勝負の結果でその年の豊作を占います。
久谷の綱引きは、生の草を編んだ綱を年代別に分かれて引き合い、年占いに加えて、地区の発展を祈っておこなわれるなど、江戸時代から日本海沿岸に伝わる綱引き行事の形態をよく伝えています。


菖蒲綱引き
湯村温泉まつり
菖蒲綱引き
新温泉町)
・新温泉町湯
6月第1日曜日
湯村温泉まつり菖蒲綱引き
・新温泉町(旧温泉町)/湯/6月第1日曜日

湯村温泉の祖、慈覚大師(じかくたいし)をしのび旧暦の端午の節句(現在は6月第1日曜日)におこなわれる伝統行事。弘安の頃(720前)から、温泉の恵みに対する感謝、五穀豊穣、子どもたちの健やかな成長を祈ります。湯村温泉まつりとして親しまれていますが、別名「花湯まつり」ともいいます。
まつりの一大イベントが 菖蒲綱引きで、直径約50cm、長さ100m、重さ4tの菖蒲綱を、住民や観光客も加わって上と下に分かれて引き合います。勝負は1回限りで時間は5分間、勝負(菖蒲)運を占うものとして大変縁起がよいとされています。
古来、菖蒲は魔除けや薬として生活の中に取り入れられてきました。無病息災を祈って浴槽の中に入れ、香り高い菖蒲湯も楽しみます。

2011/06/22  

はねそ踊り【はねそおどり】

 

はねそ踊り【はねそおどり】
はねそ踊り
はねそ踊り(新温泉町)
・新温泉町丹戸
盆踊り
・県指定無形民俗文化財
はねそ踊り
・新温泉町(旧温泉町)/丹戸/盆踊り/県指定無形民俗文化財

戦国時代、田舎の豪士が我が家、我が身を守るため、家の子郎党に剣術を教えたことに由来するといわれています。その後、桃山時代に歌舞伎音曲が流行し、頭を切り六方を踏むようになり、その音曲を剣術に取り入れ、父が亡くなった後、仏前に向かい剣術を踊って供養し、霊を慰めたことから盛んになりました。
毎年、盆には行事の一つとして踊られ、古くは村祭りや田植え休み(しろめて)などにも村人総出で踊りに加わったといわれています。踊り手は2人、時には3人が1組となり、棒、懐剣、脇差、なぎなたなどを手に、太鼓とはやしに合わせて所作事を演じるもので、踊り手の多い時には何組もが円陣をつくって演じます。所作事の芸題は毛谷村六助、鈴木主人、平井権八、宮城野信夫、国定忠次など数多く伝わっていますが、古くはさらに鬼神のお松、笠松峠仇討、夏目千太郎、その他何十種もあったといわれます。
その型の由来するところは歌舞伎にあり、顔の向け方、足の踏み方にも直線的なきめてがあります。また敏捷な動作やしなやかな身のこなしには気迫とともに節度があります。その女役は、かつては男子の女形によって演じられていましたが、現在は女性が進んで女役を演じるようになりました。
この地区の盆踊りには他にも多くの歌曲と踊り手があったようですが、口説風の調子と諸作事だけが「はねそ踊り」の名で今日に伝わったと考えられ珍重されています。