岸田さえもん踊【きしださえもんおどり】
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●岸田さえもん踊 鎌倉時代に遊行上人といわれた一遍上人が、山陰地方を巡回した時に「さいもん」と名付け、念仏踊りをして普及したと伝えられています。 踊りの芸題には、「熊谷直実」、「伊勢音頭」、「俊徳丸」、「藤吉出世」などがあります。「さえもん踊」は伝統の古さや優雅さにおいては、白眉的存在として定評があり、また反面では修得がむずかしいとされている伝統文化です。 |
岸田さえもん踊【きしださえもんおどり】
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●岸田さえもん踊 鎌倉時代に遊行上人といわれた一遍上人が、山陰地方を巡回した時に「さいもん」と名付け、念仏踊りをして普及したと伝えられています。 踊りの芸題には、「熊谷直実」、「伊勢音頭」、「俊徳丸」、「藤吉出世」などがあります。「さえもん踊」は伝統の古さや優雅さにおいては、白眉的存在として定評があり、また反面では修得がむずかしいとされている伝統文化です。 |
ざんざか・ざんざこ【ざんざか・ざんざこ】
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●大杉ざんざこ踊 ・養父市大屋町/大杉二宮神社/8月16日/国指定無形民俗文化財 大杉ざんざこ踊は鬼踊りとも呼ばれ、かけ声の中、大シデを背負った4人の中踊りを大勢の踊り子が取り囲み、古式にのっとり踊られます。発祥は明らかではありませんが、一説によると、昔、カガミという流行病が村を襲い、これを嘆いた庄屋が慶安2年(1649)に伊勢に参拝した帰途、奈良にてこの踊りを習い覚え、旧暦7月16日、氏神に奉納したところ、村が次第に平穏になったと伝えられています。 ●若杉ざんざか踊 大杉ざんざこに対して若杉ざんざか踊は姫踊りという別名が表すように、優雅でかつ古式ゆかしい踊りです。村に残る文書の中に、その昔、大和の修業者が一人やって来て、村で流行していた大難の病気を平癒するため、氏神様に踊りを奉納したことから始まったとされています。 |
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●九鹿ざんざか踊り ・養父市八鹿町/九鹿日枝神社/10月第3日曜日/県指定無形民俗文化財 神功皇后の三韓征伐の凱旋を祝って踊ったのが始まりと伝えられていますが、由来を明らかにするものがありません。踊りの動作、歌詞、服装などに室町時代の色が濃く、当時の修験者らが疫病退散、五穀豊穣を祈願して、奉納したのが起源と推測されています。 |
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●寺内ざんざか踊り ・朝来市和田山町/寺内山王神社/7月第3日曜日/県指定無形民俗文化財 五穀豊穣や子孫繁栄を願って、慶安(1648~1652)のころに始まったといわれ、以来、地元衆の皆さんによって引き継がれています。山王の遣いである猿にふんした12人の踊り手が円陣を組み、腰の太鼓を「ザンザカザットウ」の囃子(はやし)に合わせて打ち鳴らします。また、その中心では2人の踊り手が飾り付けをした高さ3メートルの「しない」と呼ばれる竹を背負い、それをからませたり地面に打ちつけたりしながら踊りを奉納します。 |
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●久谷ざんざか踊り ・新温泉町(旧浜坂町)/久谷八幡神社/9月15日/県指定無形民俗文化財 全国各地に分布している風流太鼓のひとつで、八幡神社の祭りに、神前や家々の庭先で五穀豊穣や氏子の安全を願って踊られます。踊り手は若い中高生で、華やかな一文字笠をかぶり、腰につけた締太鼓を叩きながら踊ります。 |
火祭り【ひまつり】
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●湯村の火祭り 新温泉町(旧温泉町)/湯/8月24日 「ジ~ロンボ(次郎坊)、タ~ロンボ(太郎坊)、む~ぎのな~かのク~ロンボ(黒んぼ)」という囃し言葉とともに、子どもたちが弧を描くように打ち振りまわす無数のたいまつの火。「ジ~ロンボ、タ~ロンボ」というのは天狗の名前で、天狗のような驕慢(きょうまん)な心。「む~ぎのな~かのク~ロンボ」は、麦が病気になった黒穂で、害を及ぼすもの。いずれも松明(たいまつ)で焼き払い、五穀豊穣、家内安全、健康を祈願します。春来川の川面に映える火は、暮れゆく夏の夜、幻想的な雰囲気をかもし出します。 |
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●愛宕火祭 ・豊岡市出石町/鍛冶屋伊福部神社/8月24日に近い日曜日 夜、陽が沈む頃、七年山中腹の愛宕(あたご)神社で、木と木をすり合わせて行う「火起こしの儀式」がおこなわれ、愛宕神社の燈明は、地域の若者達によって参道を運ばれます。この火をとって、子どもや、大人の共振りが始まります。パチパチと音をたてて燃え上がる麦ワラの束を縄で持って勢いよく振り廻します。同時に各地区の太鼓保存会によって、火祭太鼓が打ち鳴らされクライマックスを迎えます。 |
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●万燈の火祭り ・香美町香住区/三谷矢田川河川敷/7月24日 約200年前の江戸中期、まん延した疫病を鎮めるためにはじまったと伝えられています。その後、無病息災や豊作を願う行事として定着しましたが、松明用の麦わらが手に入らなくなり、一時途絶えましたが、昭和59年に復活されました。 |
お茗荷祭り【おみょうがまつり】
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●お茗荷祭り ・新温泉町(旧温泉町)/竹田/2月11日 お茗荷祭りは、毎年2月11日の1番寒い時期におこなわれます。境内に「めぬ池」という小さな池があり、その中の小さな島に、お茗荷祭りで神に捧げられるミョウガができます。自然にできるミョウガは、普通暑い頃に食べるが、この小島にできるミョウガは、まわりに雪が積もる2月に芽が青々と育つのです。なぜ、こんな季節はずれにミョウガができるのか、全くわかりません。但馬七不思議のひとつにあげられる所以です。 |
川下祭り【かわすそまつり】
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●川下祭り ・新温泉町(旧浜坂町)/浜坂宇津野神社/7月17~19日 川下祭りは但馬三大祭のひとつで、毎年7月19日から3日間にわたり、宇都野神社で行われます。祭りの起源は江戸時代の中期に始まったと伝えられ、京都の祇園祭の影響を色濃く受けています。 |
麒麟獅子舞【きりんじしまい】
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●麒麟獅子舞 新温泉町(旧浜坂町) ・居組麒麟獅子舞/10月9日 大歳神社(新温泉町居組) ・諸寄麒麟獅子舞/7月14日.15日 為世永神社(新温泉町諸寄) ・浜坂麒麟獅子舞/7月19日~21日川下祭 10月8日 宇都野神社(新温泉町浜坂) ・栃谷田君麒麟獅子舞/10月13日 厳島神社.長田神社(新温泉町栃谷) ・七釜麒麟獅子舞/9月29日 山宮神社(新温泉町七釜) ・福富麒麟獅子舞/9月28日 三柱神社新温泉町福富) ・和田麒麟獅子舞/10月3日 八柱神社(新温泉町和田) ・三尾麒麟獅子舞/10月9日 八柱神社.三柱神社(新温泉町三尾) 浜坂宇都野神社.居組.三尾麒麟獅子舞は県の重要無形文化財 新温泉町(旧温泉町) ●麒麟獅子舞 ●浜坂宇都野神社の麒麟獅子舞 |
海上傘踊り【うみがみかさおどり】
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●海上傘踊り ・新温泉町(旧温泉町)/海上/盆踊り 江戸時代から雨乞いを祈る絵模様傘の鈴の音。徳川末期、山陰地方が大干ばつに見舞われたとき、困った農民たちが雨を求めて色々な祈願をする中で、五郎作と言う老農夫が、三日三晩冠笠をまとって狂い踊りの悲願をたてたところ、満願の日に大雨が降り出し、飢饉から脱したといわれています。以来、盆踊り行事として伝承され、海上村の青壮年が保存しています。いつの頃からか、今日のような長柄の絵模様傘や踊りへと工夫改良されました。傘に大小240余りの鈴を付け、2人1組となって、2分の1拍子の曲に合わせて踊ります。 |
菖蒲綱引き【しょうぶつなひき】
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●綱引き 綱引き行事は、東日本では小正月のときに、西日本では旧正月・節供やお盆の行事の一つとして、また九州では仲秋の名月におこなわれるなど、かつては全国的に分布していた民俗行事の一つです。 |
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●菖蒲綱引き ・新温泉町(旧浜坂町)/久谷/6月5日 端午(たんご)の節供(6月5日)に、屋根にあげた菖蒲(しょうぶ)・よもぎ・すすきで編んだ綱を引き合う菖蒲綱引きの行事がおこわれます。綱引きは5日、夜8時から久谷の人たちが綱をはさんで子供組と大人組に分かれ、古老が唄う「石場搗(ひ)き唄」にあわせて、「エイトー、エイトー」のかけ声をかけながら7回引き合います。また、7回目の勝負を「納め綱」と呼び、勝負の結果でその年の豊作を占います。 |
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●湯村温泉まつり菖蒲綱引き ・新温泉町(旧温泉町)/湯/6月第1日曜日 湯村温泉の祖、慈覚大師(じかくたいし)をしのび旧暦の端午の節句(現在は6月第1日曜日)におこなわれる伝統行事。弘安の頃(720前)から、温泉の恵みに対する感謝、五穀豊穣、子どもたちの健やかな成長を祈ります。湯村温泉まつりとして親しまれていますが、別名「花湯まつり」ともいいます。 |
はねそ踊り【はねそおどり】
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●はねそ踊り ・新温泉町(旧温泉町)/丹戸/盆踊り/県指定無形民俗文化財 戦国時代、田舎の豪士が我が家、我が身を守るため、家の子郎党に剣術を教えたことに由来するといわれています。その後、桃山時代に歌舞伎音曲が流行し、頭を切り六方を踏むようになり、その音曲を剣術に取り入れ、父が亡くなった後、仏前に向かい剣術を踊って供養し、霊を慰めたことから盛んになりました。 |