鉄子の部屋【てつこのへや】
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●往事のSLが余部鉄橋を架ける写真などが見られるアットホームな資料館 ふれあいの場、町の案内所、鉄道ファンの集客などの機能を兼ね備えた“ふれあいサロン・鉄道グッズ館”としてJR浜坂駅駅舎内に開設されました。 余部鉄橋や鉄橋を走る列車・SLの写真、60年前の鉄道員用路線図や機材・プレート・切符・模型など鉄道関連の資料を常設展示しています。 町の観光案内の拠点となることも期待されています。 ■鉄子の部屋 |
2014/12/17 観光名所
鉄子の部屋【てつこのへや】
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●往事のSLが余部鉄橋を架ける写真などが見られるアットホームな資料館 ふれあいの場、町の案内所、鉄道ファンの集客などの機能を兼ね備えた“ふれあいサロン・鉄道グッズ館”としてJR浜坂駅駅舎内に開設されました。 余部鉄橋や鉄橋を走る列車・SLの写真、60年前の鉄道員用路線図や機材・プレート・切符・模型など鉄道関連の資料を常設展示しています。 町の観光案内の拠点となることも期待されています。 ■鉄子の部屋 |
2014/12/17 観光名所
前田純孝歌碑めぐり【まえだすみたかかひめぐり】
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●薄幸の歌人、前田純孝の歌碑をめぐる 「東の啄木、西の翠渓」と称された明治の歌人・前田純孝(号:翠渓)の歌碑めぐり。前田純孝は新温泉町(旧浜坂町)に生まれ、兵庫県尋常師範学校時代には「新詩社」に所属して短歌を作り、上京後は与謝野寛・晶子らと機関誌「明星」に精力的に作品を発表しました。生涯二千首に及ぶ短歌を遺し、31才の若さで亡くなった「薄幸の歌人」と呼ばれています。そんな純孝を偲んで、彼の歌を刻んだ石碑が、新温泉町諸寄の浜・基幹集落センター・香美町村岡区春来峠の3カ所に建てられています。 ●前田純孝賞 ■「前田純孝賞」受賞歌碑建立場所 |
2014/12/17 観光名所
神鍋溶岩流【かんなべようがんりゅう】
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●溶岩が創り出した自然の芸術 約2万年前から3千年前の間に、神鍋火山群の噴火によってできた神鍋溶岩流。溶岩が水の浸食で形成したという奇石群が、見るものの足を止めます。稲葉川本流沿い、十戸の滝から八反の滝の間の3.5kmにわたって自然の神秘を形成し、散策コースとしても近年、注目を集めています。清流のマイナスイオンを浴びながらのウォーキングは、癒しの時間を私たちに与えてくれます。 また、溶岩の断層をくぐって湧き出る伏流水は、にごりのない清水として有名。近隣の十戸地区では、この清水を利用してワサビの栽培やニジマスの養殖が行われ、豊かでおいしい水は上水道にも使われています。 ・日高神鍋観光協会 0796-45-0800 |
黒田官兵衛・豊臣秀吉ゆかりの地めぐり
【くろだかんべい・とよとみひでよしゆかりのちめぐり】 |
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●NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』 豊臣秀吉の軍師として、天下取りを支えた戦国武将・黒田官兵衛。織田信長より中国攻めの総大将に任命された秀吉にとって、中国の雄・毛利氏と対峙する上で、但馬・播磨の諸将を抑えることは非常に重要なことでした。秀吉は2度但馬攻めを行い、その際には官兵衛も活躍したとされます。その後、但馬を治めた秀吉は、出石城に前野氏、豊岡城に宮部氏、竹田城に赤松氏、八木城に別所氏といった信任の厚い家臣を配置しました。現在もこれらの4城には城跡とともに城下町の風情が残っています。■秀吉を助けた天才軍師「黒田官兵衛」 天文15年(1546)、姫路城で黒田職隆の嫡男として生まれた黒田官兵衛。父・職隆は播磨国で力を持っていた御着城主・小寺政職の家老として仕え、官兵衛も16歳の時に政職の小性として出仕しました。若くして信任を得て、後に家督と家老職を継ぎ、姫路城代として小寺氏を支えました。 天正3年(1575)、織田方につくか、毛利方につくかで悩んだ政職に対して、織田につくよう説得。岐阜城で織田信長に会うと、中国攻めを進言しました。この際に秀吉と運命の出会いを果たし、鳥取城の兵糧攻めや備中高松城の水攻めなど、中国の雄・毛利勢との戦いで数々の功績を挙げました。 二人の運命を変えたのは、明智光秀による「本能寺の変」。主君・信長が討たれたことに泣き叫ぶ秀吉に対し、「御運が開けましたな」と言って、すぐに光秀を討って天下を取ることを進言したと言われています。 中国大返しを指揮し、山崎の戦いで見事、光秀を打ち破った秀吉と官兵衛。官兵衛はその後も側近として仕え、秀吉の天下統一に大きく貢献しました。 ●官兵衛・秀吉ゆかりの地 ■竹田城跡・史跡生野銀山【朝来市】 天空の城として有名な竹田城跡。大河ドラマ『軍師官兵衛』のオープニングタイトルバック、第一話にも登場し、ロケが行われました。竹田城下町には古民家を改装したカフェやレストランもあり、まち歩きに最適です。 天正5年(1577)の竹田城の戦いでは官兵衛も城攻めに加わったとされています。特に竹田城主が管轄してきた生野銀山は財源を確保する上で重要な場所で、この銀山確保を最初に進言したのは官兵衛であると言われています。史跡生野銀山は現在、観光坑道として一般公開されており、明治以降の近代的な坑道と江戸時代以前の手掘りの跡を同時に見学することができます。 ■八木城跡【養父市】 ■出石城跡と城下町出石【豊岡市】 ■豊岡城址(神武山公園)と城下町【豊岡市】 ■村岡藩陣屋跡(御殿山公園)と城下町【香美町】 ■芦屋城址(城山園地)【新温泉町】 |
平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】
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●但馬に伝わる平家の伝承をたどる ■香美町香住区余部(御崎) 但馬の中でも色濃く平家の伝承を伝える香美町の御崎地区。壇ノ浦の戦いに敗れた、平清盛の異母弟である門脇宰相教盛を大将とする7人がこの地にたどり着いたとされます。山中から立ち上る一条の炊煙をたよりに崖をよじ登り、そこで出会った高野聖に土着を勧められた一行が、この地に身を置いたというのが村の始まり。毎年1月28日には、地区内の平内神社で、平家再興を願う神事「百手の儀式」が行われます。門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の少年が、的に目がけて101本の矢を射ます。 平内神社の脇には平教盛(門脇宰相)の供養碑が佇んでいます。また、息子の嫁である小宰相の局と孫の道家の供養塔もあります。漂着した平家一行の家柄は、門脇家・伊賀家・矢引家と、今でも代々御崎地区に伝わっています。 また、春先に集落一面を黄色に染める蕪の花も、平家の伝承が残っています。この蕪は「平家蕪」と呼ばれ、なぜか御崎地区だけに咲き誇ります。伝承では食糧に窮した門脇宰相の一族が、神に祈願をしたところ、この蕪に恵まれるようになったと伝わります。地元では主に葉と茎の部分を漬物にして食します。日本海と黄色の花びらが相まって絶好の写真スポットであり、シーズンはカメラマンで賑わいます。■豊岡市気比・城崎温泉 遠浅の砂浜が続く豊岡市の気比の浜。夏は海水浴、冬は対岸に位置する津居山港で揚がる「松葉がに」を目当てにたくさんの観光客で賑わいます。この風光明媚な里は、平家の侍大将であった平盛嗣が源氏の追っ手から身を隠したと伝わる場所。『平家物語』では越中次郎兵衛の通称で知られ、豪勇を讃えられる名将です。平家の家臣として、源氏との幾多の戦いに参戦しました。 しかし、壇ノ浦の戦いで敗れた後、この気比の地に逃れてきたといいます。この地を治めていた宮代将監(気比)道弘の家に、馬飼の下男として住むこととなりました。その後、道弘の娘である絹巻姫と結婚。平穏な日々を暮らしていた盛嗣ですが、やがて源氏の追っ手に見つかり、鎌倉にいる源頼朝の元へ護送されることになりました。盛嗣は頼朝の前でも屈せず堂々と自説を述べ、気骨のある平家武者として最後を遂げたといいます。地元の白山神社には、盛嗣の死を嘆いた絹巻姫が建立したと伝わる供養塔が残っています。 また、名湯「城崎温泉」に中心にある弁天公園にも供養塔があり、盛嗣も戦いの傷を癒すため、湯治に訪れたのかもしれません。 ■豊岡市竹野町田久日 ■新温泉町三尾 ■養父市大屋町横行 ■朝来市生野町黒川 |
川崎尚之助ゆかりの地めぐり
【かわさきしょうのすけゆかりのちめぐり】 |
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●NHK大河ドラマ『八重の桜』 山本八重の最初の夫、豊岡市出石町出身「川崎尚之助」 ■生い立ち 天保7年(1836)に出石の本町に住む川崎才兵衛の子として生まれました。19歳の頃、江戸の大木仲益(後の坪井為春)などの高名な塾で蘭学や舎密学を学び、その頃に会津藩士で八重の兄でもある山本覚馬と出会いました。尚之助が、若くして洋式銃や兵法書の翻訳などに通じていたことが、会津藩砲術指南の跡取りだった覚馬の目にとまったのでしょう。 こうした縁あって尚之助は、会津に招聘されるごとく、山本家の居候として八重の実家で暮らし始めます。藩校の日新館で蘭学を教授し、銃器・弾丸の製造指導にも知識を発揮したようです。そして慶応元年(1865)尚之助が29歳の時、八重(当時21歳)と結婚しました。 ●尚之助ゆかりの地 ■願成寺(がんじょうじ) 川崎家の菩提寺で、山名氏創建であると伝えられています。由緒ある山門は江戸時代のもので、市の文化財に指定されています。 明治10年代に記された墓石明細簿には、尚之助と同じ没年月日の戒名が確認できます。墓地の所有者は、川崎才兵衛の息子川崎渉一。同じ墓域に才兵衛の墓もありました。戸籍をたどってもほかに該当者がいないことなどから、歴史研究家あさくらゆうさんは「郷里を離れて死んだ尚之助を弔ったとみて、ほぼ間違いないだろう」としています。 現在、墓石は残っていませんが、2013年に地元有志によって山門前に供養碑が建てられています。 ■宗鏡寺(すきょうじ) ■川崎尚之助生家跡 ■出石城跡 |
2013/05/29 観光名所
海水浴場【かいすいよくじょう】
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●美しい日本海と砂浜、マリンレジャーのメッカ ■気比の浜海水浴場【豊岡市】 広大な平野を但馬の母なる川・円山川がゆったりと流れます。きらめく川面では、カヌーやカヤックを楽しむ水しぶきがあがり、気比の浜海水浴場にはカラフルなパラソルの花が咲きます。ジェットスキー、ボードセーリングなどもエンジョイできるマリンスポーツのメッカ。 ・気比の浜観光開発協会浜事務局 0796-28-2101 ■青井・竹野・弁天・切浜海水浴場【豊岡市竹野町】 ■安木・佐津・柴山・今子浦・臼が浦島・香住・三田浜海水浴場【香美町香住区】 ■浜坂県民サンビーチ・諸寄・ |
2013/05/29 観光名所
フォレストアドベンチャー・朝来
【ふぉれすとあどべんちゃー・あさご】 |
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●フランス生まれの自然共生型アウトドア 朝来市さのう高原にある「自然共生型アウトドア・フォレストアドベンチャー」は、フランス生まれの本格的アスレチック。 現在、日本には11施設(関西では2ヶ所)あり、各パークがそれぞれの特徴を持っています。 自然を楽しむ一方で、森を守ることを目的とした施設で、コースはすべて自生している木々を利用。コース作りに間伐・下草刈りをすることで豊かな森が維持されるという仕組みです。 ■フォレストアドベンチャー・朝来 |
2013/05/29 観光名所
おおやアート村BIGLABO【おおやあーとむらびっぐらぼ】
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●「おおやアート村構想」活動拠点施設 兵庫県養父市大屋町のアート(芸術)を媒体としたまちおこし「おおやアート村構想」の一環として設立された活動拠点施設です。 廃校となった高校の校舎・体育館を利用して、多彩なアーティストによる芸術活動の他、ワークショップや企画展・イベントなどを実施しています。 「BIGLABO」とは、まちづくりの大きなじっけん室という意味で、木彫、絵画、書道などのワークショップをはじめ、地元の自然や文化を活かしたイベントを催しています。 ■おおやアート村 BIGLABO |
但馬七花寺めぐり【たじまななかじめぐり】
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高照寺
●関連情報 |
●素朴な人情と自然豊かな「心のふるさと」 「花」と「仏」に癒される小さな旅 人情深く自然豊かな兵庫県北部・但馬の国。そこに千古の歴史を秘めて、ひっそりとたたずむ七ケ寺の花霊場があります。 「但馬七花寺霊場」は地域に活気と賑わいを取り戻そうと、平成24年4月29日に開創。人々の心を優しく柔軟にする花々は菩薩そのもので、生きた仏様のようです。各寺院では季節ごとに花々を楽しむことができ、荘厳な雰囲気は心を穏やかにしてくれます。 またこの霊場は、花に導かれて七花寺御本尊と縁を結び、抜苦与楽・開運招福と心願成就の祈願をすることもできます。各寺院のご本尊の宝印をすべて受けると、「満願札」を授かれます。 ■高照寺(木蓮と白萩の寺) ■法雲寺(酔芙蓉と藩公菩提の寺) ■正福寺(正福寺桜の寺) ■遍照寺(桔梗の寺) ■蓮華寺(木月襖絵と紅葉の寺) ■妙楽寺(つつじと紅葉の寺) ■隆国寺(牡丹の寺) |