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但馬五社【たじまごしゃ】
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| 但馬を南北にわたる絹巻神社・出石神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社、この5つの神社を総称して「但馬五社」といいます。各神社間は約12km、お正月にはこの五社をめぐると大変御利益があるとされ、露店も並び、多くの参拝者で賑わいます。 |
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但馬五社【たじまごしゃ】
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| 但馬を南北にわたる絹巻神社・出石神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社、この5つの神社を総称して「但馬五社」といいます。各神社間は約12km、お正月にはこの五社をめぐると大変御利益があるとされ、露店も並び、多くの参拝者で賑わいます。 |
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だんじり祭り【だんじりまつり】
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●だんじり祭り 古くから続く四所(ししょ)神社の祭で、多くのしきたりがあります。四所神社を中心に上部・中部・下部に分け、だんじり経験の年功による階級的な役割が決められ、職名や服装も独特なものがあります。特にだんじり組織の階級は家柄、社会的地位、学歴などに関係なく、純粋にだんじりを動かす組織人としても強い絆となっていています。 温泉源泉の守護、五穀豊穣、町内安全の祈祷をして廻り、神輿(みこし)の巡行に上部の「神輿太鼓」がお供をする形で加わり、これに下部の「大だんじり」が仲間に入りたがりますが、上部の神輿太鼓が排除するというもので、湯島地区内のいわれのある各所で、上部の神輿太鼓と下部の大だんじりがセリを繰り広げます。クライマックスは、一の湯前の三つ巴の争い。大だんじりはいかなる場合にも、神輿に突っかけることが許されていません。 見物の人たちは互いにすきをねらう対策を楽しみながら、だんじりの動きを見守ります。最後は神輿が四所神社に無事に戻され、祭りは終わります。 |
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中嶋神社菓子祭り【なかしまじんじゃかしまつり】
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●中島神社菓子祭り 中嶋神社の祭神・田道間守命(たじまもりのみこと)は、「菓祖」(菓子の神様)として全国の菓子業者からの崇敬を集めています。 |
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柳まつり【やなぎまつり】
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●柳まつり 毎年8月1・2日の二日間に渡って行われる豊岡柳まつりは、特産業「杞柳・かばん産業」の守護神として祀られる柳の宮のまつり。但馬の中核都市を担うだけあり祭りの規模は大きく、約6万人の人出で賑わいます。初日は柳の宮の例大祭から始まり、幼児約400人が御輿を引く稚児行例、「アーラ ヤッチャ ヤッチャ」のリズムに合わせ、子ども連、大人連約60連3000人の「豊岡おどり」でまつりは最高潮を迎えます。また、連ごとの趣向を凝らした造り物も見どころです。 |
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城崎温泉祭り【きのさきおんせんまつり】
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●城崎温泉祭り 開湯1400年の歴史を持つ城崎温泉は、柳並木や太鼓橋、木造三階建ての建物が創り出す独特の風情により志賀直哉をはじめ、多くの文人墨客に愛された温泉街。外湯めぐりが有名で、駅舎温泉さとの湯、一の湯、御所の湯、まんだら湯、地蔵湯、鴻の湯、柳湯の7つの外湯があります。 |
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鬼子母神大祭【きしぼじんたいさい】
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●鬼子母神大祭 毎年4月第3土・日曜日の2日間にわたり、豊岡市但東町赤花の法華寺で行われる「鬼子母神大祭」。鬼子母神は子授け、子育て、安産の神様として崇拝されていて、両日は数多くの夫婦や家族連れ、子どもたちがお参りに訪れます。 鬼子母神は「法華経」の中に出てくる神様で、1000人の子供を生み育てていました。 しかし、自分の子供を愛する代わりに、他人の子はさらっていって殺してしまうなど、とんでもない母親でもありました。 これを見たお釈迦様は、懲らしめるために彼女の子供の1人を隠してしまいました。鬼子母神は最愛の子が消えてしまったのを知り、狂ったように探しますが、どうしても見つかりません。仕方なくお釈迦様に助けを求めると、 お釈迦様は「1000人の子供の内、たった1人いなくなっただけで、嘆き悲しんでいる。子供をおまえにさらわれた親の悲しみはどれほどかわかるか」 と訊ねました。 |
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初午まつり【はつうままつり】
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●初午まつり 江戸時代、藩主が旧暦2月の最初の午の日に、城の大手門を開放して城内の稲荷神社に参詣を許したことに始まるといわれています。当時、一般の町民が城内に入ることは許されておらず、祭りの日には遠く丹波、丹後からも参詣に訪れる人がいたそうです。 |
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お城まつり【おしろまつり】
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●お城まつり 但馬一の雄藩・5万8千石の城下町出石を象徴する、「出石お城まつり」が毎年11月3日に開催されます。このまつり一番の見どころは、総勢120人の子どもが大名行列の扮装をして町内を練り歩く「子ども大名行列」と、奴に扮した35名の大人が様々な種類の毛槍を振りながら町内を練り歩く「槍振り(町無形文化財)」。 この槍振りは、出石藩主・仙石久利公の奥方のお国入りに随伴した赤坂奴の見事な槍振りを見て、出石の町衆がまねたといわれています。江戸時代の参勤交代の模様を今に伝える伝統行事です。 |
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麦わら細工【むぎわらざいく】
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●城崎温泉独自の民芸品
江戸時代の中期、享保年間に、因幡(いなば・鳥取県)から城崎温泉に来た半七という人が、湯治の手なぐさみに、竹笛に麦わらをはりつけたことが始まりとされています。その当時、林屋旅館に泊まり、麦わらで花かごや虫かごをつくり、麦わらの色つけもしたといわれています。 麦わら細工は、大麦のさやを色染めして、ストロー状のものを編み込む「編組物」。さやを切り開き、花鳥などの模様を桐箱にはっていく「模様物」。そして、幾何学模様にはっていく「小筋物」に分けられます。すべて手作業に頼るしかない麦わら細工は、つくる人の心がそのまま作品に伝わり、温泉客に人気の高いお土産物となっています。
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奈佐節【なさぶし】
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●奈佐節のはじまり 奈佐節は鎌倉時代に生まれました。18世紀になって、豊岡にあった福成寺が出石城主の招きにより移転することになりました。檀家の人々が生活の支えを失い嘆き悲しんでいたところへ、さらに大水害が奈佐地区一帯を襲いました。そこへ、法如上人(一向宗第17代京都西本願寺住職)が、復興の慰問にこの地を訪れました。人々はたいそう喜び、法如上人を歓迎するために、歌い踊ったことが現在の形のはじまりといわれています。 ●奈佐節の継承 戦前までは、奈佐地区を含む円山川下流一帯では奈佐節(六条さん)は盛大におこなわれていましたが、戦争で踊り手が少なくなり、自然消滅しつつありました。しかし、のちに住民から地区芸能の復活を望む声があがり、保存会が結成され、古老から歌や振り付けを聞いて、再び奈佐節が蘇りました。現在はふるさとの文化と誇りを大切にしようと、後継者を育てる活動を積極的におこなっています。 |
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