2011/06/22  

但馬五社【たじまごしゃ】

 

但馬五社【たじまごしゃ】
但馬を南北にわたる絹巻神社・出石神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社、この5つの神社を総称して「但馬五社」といいます。各神社間は約12km、お正月にはこの五社をめぐると大変御利益があるとされ、露店も並び、多くの参拝者で賑わいます。


絹巻神社
・豊岡市気比
●絹巻神社(きぬまきじんじゃ)
亜熱帯の鎮守の森に海の神様を祀る

天衣織女(あめのいおりめ)命・海部直命を祀り、全国でも珍しいおしりをあげた狛犬があります。以前は前方にありましたが、港大橋架設のため現在の位置に移動しました。
周囲は暖地性原生林で面積1万2千平方メートル余りに、シイ、クスノキ、サカキ、ダブ、ヤマザクラ、ツバキなど温帯、亜熱帯の樹木が生い茂り、県の天然記念物に指定されています。

 



小田井神社
・豊岡市小田井
●小田井神社(おだいじんじゃ)
国作大己貴命を祀る

延喜式神名帳(905)に記されいる式内神社で、国作大己貴(くにつくりおおなむち)命を祭神に祀っています。弘安年中(1278~87)の但馬大田文には、小田井社々領31町3反あまり神供田25町1反あまりとあり、当時は神仏習合で社家(四社)、社僧(4ヶ寺・金剛、妙楽、正法、三坂)が祭事をとり行っていたとされています。
しかし、天正3年(1575)、戦で森に火を放たれ焼失、ご神霊はみこしで一日市に火難を避けられたと伝えられています。同じ天正年中、羽柴秀吉が中国征伐に陣営を置き、多くの神領・神供田を没収、社家社僧は離散してしまいました。貞享年間中(1684~87)に社殿を再興し、鳥居を建て、元文年中(1736~1740)に神殿を改造しました。
昭和になってから、円山川河川工事で移転や境内の改築が行われ、現在に至っています。

 



出石神社
・豊岡市出石町宮内
●出石神社(いずしじんじゃ)
但馬開発の祖神、天日槍命を祀る

但馬一の宮といわれ、祭神は但馬開発の祖神、天日槍(あめのひぼこ)命と八種の宝が祀られています。天日槍は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。出石神社由来記には天日槍が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されています。
「祭具の鉾・首部」を所蔵し、天日槍命は太陽光の化身とも、祭具としての鉾の擬人化ともいわれています。また、龍が鉾に巻きついている姿は歌舞伎の柱まき(柱に手と足をかけみえをきること)の原型ではという説もあります。

出石神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えていますが、諸書によると奈良朝時代すでに山陰地方の有数の大社であったことがうかがわれます。

境内の門の脇に鳥居の一部が置いてありますが、これは出石川改修の際、川から出土したもので、平安時代のものだといいます。出土した付近は今でも「鳥居」という地名で、かつては一の鳥居、二の鳥居があったとされ、二の鳥居の一部ではないかといわれています。
現在の社殿は大正3年に再建され、本殿は三間社流れ造りで南に面しています。拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に身舎の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建物です。

 



養父神社
・養父市養父市場
●養父神社(やぶじんじゃ)
農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂命など五柱を祀る

延喜式の式内大社で、天平9年(737)但馬税正帳にも出石神、粟鹿神と共に名を連ねる古い宮です。鎌倉時代には多くの社田を持ち、三重の塔、堂、坊をもった神宮寺のあったことも知られています。現在の社務所は江戸時代の別当寺、普賢寺です。
祭神は農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂(うがのみたま)命をはじめ大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆尼命の五柱を祀っています。春の大祭、八十八夜祭など年間多くの祭りがあり、春の桜、秋の紅葉など信仰、名所としてにぎわいます。また、但馬の3大祭りに数えられる「お走りまつり」が伝えられ、4月15日から16日にかけて、御輿が町内を横断し、約18km離れた斎神社へお参りを行います。特に15日の大屋川渡りは圧巻です。

 



粟鹿神社
・朝来市山東町粟鹿
●粟鹿神社(あわがじんじゃ)
約600年前に国家平癒を祈願、勅使門を建立

但馬国一の宮、延喜式に定める明神大社で、阿米弥佐利命が主祀神で、その他、諸々の神々が祀られています。創建は古く崇神天皇の頃と伝えられています。神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられたとされています。 当地方における数少ない遺構の一つとして貴重です。 本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれ、 頭貫には唐草模様が見られます。
また、御本殿裏の御塚には、日子坐王命が葬られ御陵として崇められています。境内の末社も由緒があり、1,540坪に及ぶ神域の社叢林は深厳な景観を形成し、町指定天然記念物です。

2011/06/22  

だんじり祭り【だんじりまつり】

 

だんじり祭り【だんじりまつり】
だんじり祭り
だんじり祭り
(豊岡市城崎町)
・豊岡市城崎町湯島

10月14~15日

 

だんじり祭り
・豊岡市城崎町/湯島/10月14~15日

古くから続く四所(ししょ)神社の祭で、多くのしきたりがあります。四所神社を中心に上部・中部・下部に分け、だんじり経験の年功による階級的な役割が決められ、職名や服装も独特なものがあります。特にだんじり組織の階級は家柄、社会的地位、学歴などに関係なく、純粋にだんじりを動かす組織人としても強い絆となっていています。

温泉源泉の守護、五穀豊穣、町内安全の祈祷をして廻り、神輿(みこし)の巡行に上部の「神輿太鼓」がお供をする形で加わり、これに下部の「大だんじり」が仲間に入りたがりますが、上部の神輿太鼓が排除するというもので、湯島地区内のいわれのある各所で、上部の神輿太鼓と下部の大だんじりがセリを繰り広げます。クライマックスは、一の湯前の三つ巴の争い。大だんじりはいかなる場合にも、神輿に突っかけることが許されていません。

見物の人たちは互いにすきをねらう対策を楽しみながら、だんじりの動きを見守ります。最後は神輿が四所神社に無事に戻され、祭りは終わります。

2011/06/22  

中嶋神社菓子祭り【なかしまじんじゃかしまつり】

 

中嶋神社菓子祭り【なかしまじんじゃかしまつり】
菓子祭り
中嶋神社菓子祭り
(豊岡市)
・豊岡市中嶋神社
4月第3日曜日
 

中島神社菓子祭り
・豊岡市/中嶋神社/4月第3日曜日

中嶋神社の祭神・田道間守命(たじまもりのみこと)は、「菓祖」(菓子の神様)として全国の菓子業者からの崇敬を集めています。
その昔、田道間守命は垂仁天皇の命をうけ、常世の国から不老長寿の妙薬「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」を持ち帰りました。「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」は橘(ミカンを指す)の木を表し、橘は菓子の最上品として珍重されていました。そこで、その橘を彼方の地より持ち帰った田道間守命は「菓祖」(菓子の神様)とされるようになったと伝えられています。本殿は二間社流れ造りという大変珍しい様式で旧国宝の国の重要文化財。
毎年4月の第3日曜日に開催される「菓子祭り」は、菓子業者を筆頭にたくさんの人で賑わいます。祭り当日はいろいろなお菓子が当たるくじ引きを行っており、菓子券を買ってくじを引くと、1等、2等…などのお菓子が当たります。
ほかにも、たい焼き・アイスクリーム・おもちゃ屋などの屋台も並び、子どもたちにとって楽しい一日となります。

2011/06/22  

柳まつり【やなぎまつり】

 

柳まつり【やなぎまつり】
柳まつり
柳まつり(豊岡市)
・豊岡市中心街
8月1・2日
 

柳まつり
・豊岡市/中心街/8月1・2日

毎年8月1・2日の二日間に渡って行われる豊岡柳まつりは、特産業「杞柳・かばん産業」の守護神として祀られる柳の宮のまつり。但馬の中核都市を担うだけあり祭りの規模は大きく、約6万人の人出で賑わいます。初日は柳の宮の例大祭から始まり、幼児約400人が御輿を引く稚児行例、「アーラ ヤッチャ ヤッチャ」のリズムに合わせ、子ども連、大人連約60連3000人の「豊岡おどり」でまつりは最高潮を迎えます。また、連ごとの趣向を凝らした造り物も見どころです。
翌日の花火大会は、近畿有数規模を誇り、尺玉や7号玉の早打や芸術玉の連発、スターマインが人気を集め、クレーンで吊り上げた600メートルのナイヤガラ大瀑布がまつりのフィナーレを飾ります。
このほかに、特産品のかばんが安値で買える「かばんノミの市」など楽しいイベントが盛りだくさん。

2011/06/22  

城崎温泉祭り【きのさきおんせんまつり】

 

城崎温泉祭り【きのさきおんせんまつり】
お走り祭り
城崎温泉祭り(豊岡市城崎町)
・豊岡市城崎町温泉街

4月23・24日

 

城崎温泉祭り
・豊岡市城崎町/温泉街一帯/4月23・24日

開湯1400年の歴史を持つ城崎温泉は、柳並木や太鼓橋、木造三階建ての建物が創り出す独特の風情により志賀直哉をはじめ、多くの文人墨客に愛された温泉街。外湯めぐりが有名で、駅舎温泉さとの湯、一の湯、御所の湯、まんだら湯、地蔵湯、鴻の湯、柳湯の7つの外湯があります。
大谿川畔の柳の芽がふくらみ、東山公園や木屋町通り、温泉寺周辺の桜が満開になるころの4月23・24日、温泉の開祖・道智上人の開山忌を祈念して、「城崎温泉祭り」は行われます。まつりは古典行列、稚児行列、福引き付餅まき、城崎温泉湯けむり太鼓、音楽隊のパレードがメイン。
23日の夜には、花火大会もあります。また、御所湯、柳湯、まんだら湯が無料開放されます。

2011/06/22  

鬼子母神大祭【きしぼじんたいさい】

 

鬼子母神大祭【きしぼじんたいさい】
鬼子母神大祭
鬼子母神大祭
(豊岡市但東町)
・豊岡市但東町赤花法華寺

4月第3土・日曜日

 

鬼子母神大祭
・豊岡市但東町/赤花法華寺/4月第3土・日曜日

毎年4月第3土・日曜日の2日間にわたり、豊岡市但東町赤花の法華寺で行われる「鬼子母神大祭」。鬼子母神は子授け、子育て、安産の神様として崇拝されていて、両日は数多くの夫婦や家族連れ、子どもたちがお参りに訪れます。

鬼子母神は「法華経」の中に出てくる神様で、1000人の子供を生み育てていました。 しかし、自分の子供を愛する代わりに、他人の子はさらっていって殺してしまうなど、とんでもない母親でもありました。 これを見たお釈迦様は、懲らしめるために彼女の子供の1人を隠してしまいました。鬼子母神は最愛の子が消えてしまったのを知り、狂ったように探しますが、どうしても見つかりません。仕方なくお釈迦様に助けを求めると、 お釈迦様は「1000人の子供の内、たった1人いなくなっただけで、嘆き悲しんでいる。子供をおまえにさらわれた親の悲しみはどれほどかわかるか」 と訊ねました。
鬼子母神は、お釈迦様の教えを受け、以後改心して全ての子供たちとお釈迦様の教え、またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守ることを誓いました。これ以降、鬼子母神は鬼ではなく、仏教と子供の守り神となったということです。

2011/06/22  

初午まつり【はつうままつり】

 

初午まつり【はつうままつり】
初午まつり
初午まつり
初午まつり
(豊岡市出石町)
・豊岡市出石町内町稲荷神社
3月第3土曜日の前後3日間
 

初午まつり
・豊岡市出石町/内町稲荷神社/3月第3土曜日の前後3日間

江戸時代、藩主が旧暦2月の最初の午の日に、城の大手門を開放して城内の稲荷神社に参詣を許したことに始まるといわれています。当時、一般の町民が城内に入ることは許されておらず、祭りの日には遠く丹波、丹後からも参詣に訪れる人がいたそうです。
稲荷神社は、商売繁盛や五穀豊穣にご利益があり、但馬の春を告げる大祭として3日間で約10万人の人出で賑わいます。また、境内までの通りには約300もの露店が並び、祭りを盛り上げます。

2011/06/22  

お城まつり【おしろまつり】

 

お城まつり【おしろまつり】
お城まつり
お城まつり
お城まつり
(豊岡市出石町)
・豊岡市出石町町内一円

11月3日

 

お城まつり
・豊岡市出石町/町内一円/11月3日

但馬一の雄藩・5万8千石の城下町出石を象徴する、「出石お城まつり」が毎年11月3日に開催されます。このまつり一番の見どころは、総勢120人の子どもが大名行列の扮装をして町内を練り歩く「子ども大名行列」と、奴に扮した35名の大人が様々な種類の毛槍を振りながら町内を練り歩く「槍振り(町無形文化財)」。

この槍振りは、出石藩主・仙石久利公の奥方のお国入りに随伴した赤坂奴の見事な槍振りを見て、出石の町衆がまねたといわれています。江戸時代の参勤交代の模様を今に伝える伝統行事です。

麦わら細工【むぎわらざいく】

 

麦わら細工【むぎわらざいく】
麦わら細工

作業

麦わら細工
(豊岡市城崎町)

繊細な図柄、鮮やかな色合い。細やかな線が織りなす民芸品。

 

城崎温泉独自の民芸品

江戸時代の中期、享保年間に、因幡(いなば・鳥取県)から城崎温泉に来た半七という人が、湯治の手なぐさみに、竹笛に麦わらをはりつけたことが始まりとされています。その当時、林屋旅館に泊まり、麦わらで花かごや虫かごをつくり、麦わらの色つけもしたといわれています。

麦わら細工は、大麦のさやを色染めして、ストロー状のものを編み込む「編組物」。さやを切り開き、花鳥などの模様を桐箱にはっていく「模様物」。そして、幾何学模様にはっていく「小筋物」に分けられます。すべて手作業に頼るしかない麦わら細工は、つくる人の心がそのまま作品に伝わり、温泉客に人気の高いお土産物となっています。
城崎文芸館では、麦わら細工の実演を見学できるほか、ハガキ、コマ、竹とんぼなどの麦わら細工の体験をすることができます。

作業 ■城崎文芸館
・豊岡市城崎町湯島357-1
・TEL.0796-32-2575
・午前9時~午後5時
(入館4時30分まで)
・水曜定休(祝日の場合は翌日)
・入館料/大人400円.中高生300円
麦わら細工体験料/300円程度

2011/06/22  

奈佐節【なさぶし】

 

奈佐節【なさぶし】
奈佐節 (豊岡市)
・ふるさと文化賞受賞
(平成12年度)

・豊岡市指定民俗文化財

・無形文化財指定

●奈佐節のはじまり
奈佐節は鎌倉時代に生まれました。18世紀になって、豊岡にあった福成寺が出石城主の招きにより移転することになりました。檀家の人々が生活の支えを失い嘆き悲しんでいたところへ、さらに大水害が奈佐地区一帯を襲いました。そこへ、法如上人(一向宗第17代京都西本願寺住職)が、復興の慰問にこの地を訪れました。人々はたいそう喜び、法如上人を歓迎するために、歌い踊ったことが現在の形のはじまりといわれています。

●奈佐節の継承

戦前までは、奈佐地区を含む円山川下流一帯では奈佐節(六条さん)は盛大におこなわれていましたが、戦争で踊り手が少なくなり、自然消滅しつつありました。しかし、のちに住民から地区芸能の復活を望む声があがり、保存会が結成され、古老から歌や振り付けを聞いて、再び奈佐節が蘇りました。現在はふるさとの文化と誇りを大切にしようと、後継者を育てる活動を積極的におこなっています。