2023/01/13  

グンゼ八鹿工場事務所棟【ぐんぜようかこうじょうじむしょとう】

 

グンゼ八鹿工場事務所棟
【ぐんぜようかこうじょうじむしょとう】


グンゼ八鹿工場事務所棟
・養父市八鹿町八鹿
・兵庫県景観条例景観形成重要建造物等

●昭和初期のモダンデザイン
1928年(昭和3)建設された、旧グンゼ八鹿工場の事務所棟。薄橙色の外壁でモダンなデザインが特徴的です。事務所の入口が建物の角部分に面し、さらに中央部に柱を設けた左右対称の出入り口が2カ所あります。さらに事務所内に入ると、円形の垂れ壁(天井から垂れ下がった形状の壁)と、中央にそびえるギリシア神殿のエンタシス柱をモチーフにした柱を見ることができます。

外部に面した窓は上げ下げ窓で、昭和初期の流行を取り入れたモダンな様式です。スレート瓦だった屋根は、改築工事により日本瓦に葺きかえられています。

2013/05/29  

青谿書院【せいけいしょいん】

 

青谿書院【せいけいしょいん】

青谿書院

・養父市八鹿町宿南
・県指定文化財

●池田草庵が開いた漢学塾
幕末から明治の初めにかけて但馬聖人・池田草庵が開いた漢学塾で、明治の近代化を支えた多くの門弟が勉学に励みました。草庵はここで門人たちと寝起きをともにし、自ら模範をみせることで、知識と実行を兼ね備えた人間の育成に心を砕いたといいます。
建物は質実剛健という言葉にふさわしく、周囲にはのどかな田園風景が広がります。
便所の扉の内側には、門人たちが寝る間を惜しんで、夜の10時の消灯後にもロウソクを灯して勉強したススの跡が無数に残っています。
また、「青谿書院資料館」には、草庵の遺品、著書をはじめ、関係資料を数百点展示しています。教えを慕って入門した門人の数は、明治11年に亡くなるまで、全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を教育しました。
出身者には、日本金融界の基礎を築いた原六郎や日本近代眼科の父・河本金次郎、東大総長を2度つとめた浜尾新、琵琶湖疏水を開いた北垣国道などがいます。

2013/05/28  

甘棠亭【かんとうてい】

 

甘棠亭【かんとうてい】

甘棠亭
・養父市八鹿町伊佐
・県指定重要文化財

伊佐の黒松(九思の松)
・県指定重要文化財

●出石藩主を迎えた休憩所
江戸時代の最新技術が使われた伊佐の新田開発は、出石藩に願い出て行われた町人による水田開発です。延宝4年(1676)3月3日、時の出石藩主・小出英安公が自ら視察に赴くことになりました。この時、藩主を迎える休憩所として建てられたのが甘棠亭です。旧小出医院と小出家本宅の間にあります。一重入母屋造で茅葺、内部には上段の間と下段に分けられ、藩主を迎える格式を持ちます。
地誌「但馬考」を編集した出石藩の儒官・桜井舟山は当家に生まれ、その師である伊藤蘭嵎が「甘棠亭」と名付けました。
文化15年(1818)にも藩主・仙石政美公を始めとする147人を迎え、さらに文政7年(1827)にも政美公は甘棠亭に訪れました。藩主御座所の姿を今に伝える貴重な遺構として、兵庫県の重要文化財に指定されています。
甘棠亭が建てられた際、庭の一角に「九思の松」という黒松が植えられ、長らくシンボルとして県の文化財にも指定されていましたが、昭和52年に滅失。現在は石碑が建立されています。

2013/01/31  

米里薬師堂【めいりやくしどう】

 

米里薬師堂【めいりやくしどう】

米里薬師堂

・養父市八鹿町米里
・県登録有形文化財

●彫刻付きの蟇股で飾られた薬師堂
17世紀後半の建築とされており、市内最古の薬師堂で、薬師如来坐像等を祀っています。明治初期の廃仏棄釈で、地域住民が現在地に移築し、保護してきました。薬師堂は一辺が5.9mの正方形で木造平屋建ての瓦葺。土間に床板を張り、畳敷にする改修が行われていますが、壁面の一部には当初の窓や腰板が残っています。禅宗様建築で、建物の柱は先端を丸く削った粽(ちまき)という方法が採用されています。
薬師堂外面にある蟇股(かえるまた)の彫刻には天女、竹に虎、蓮、梅に鶯、象、松、菊水の彫刻があり、江戸時代前期の彫刻として貴重なものとされています。
平成23年8月16日に兵庫県登録有形文化財に登録されました。

2011/06/22  

宿南家住宅主屋【しゅくなみけじゅうたくおもや】

 

宿南家住宅主屋【しゅくなみけじゅうたくおもや】
森田家住宅
宿南家住宅主屋

・養父市八鹿町宿南
・県重要文化財

●養蚕農家の初期の形態を残す庄屋屋敷
1803年に建築された宿南家住宅主屋は木造2階建ての入母屋造で、現在も覆いのない茅葺き屋根が残る貴重な建物です。屋根裏を蚕室とした中3階建て(3層)構造になっていて、この地域独特の養蚕農家としての形式をとどめています。
但馬地域の中でも最も養蚕が盛んに行われていた養父市には、確認されているだけで824軒の養蚕農家が報告されていますが、宿南家住宅はその中でも最古のものとされています。養蚕農家の初期の形態を残す極めて稀少な建物として評価され、2008年に県の重要文化財に指定されました。
同地区には、「但馬聖人」と呼ばれ、明治・大正期を担う人材を多数育てた儒学者・池田草庵の私塾である「青谿書院」も立地しています。

※同住宅は原則として非公開