先人記念館「以命亭」【せんじんきねんかん「いめいてい」】
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●のれんをくぐると時代を魁た先人たちに会える 先人記念館・以命亭は、森家・七釜屋屋敷を改修したもので、玄関には七釜屋の家紋を染めぬいたのれんがかかり、のれんをくぐるとタイムスリップしたかのような古い空間がひろがっています。七釜屋は、約300年10代にわたり、それぞれに秀れた人たちを輩出してきた家で、代々、文化・経済・政治と息づく、時代の先達として、旧浜坂町を担ってきました。森近三郎(藍尾)は天明4年(1784)生まれ、国学に専念し、特に俳諧の道を究め、俳名を藍尾とし活躍。森周一郎(梅園)は幕末から大正時代を生き、池田草庵に学び、明治2年に旧浜坂町に私塾味道館を設立、明治26年には鳥取市にも味道館を設立、漢学・儒学の教育にあたり、その門弟は1000人を越すといわれています。 吹き抜けの酒蔵を利用した以命亭ホールや、 森藍尾コーナー、森梅園コーナーがあり、庭を望むと梅の木とともに、俳人の森藍尾の句碑が建立されているのが見えます。母屋と酒蔵にはコミュニティが併設され、ゆったりとした雰囲気で先人たちの足跡をたどることができます。 以命亭の由来は、森家2代目当主、輿右衛門が長子に家督を譲り、屋敷の裏、東側に隠居所を建て、その隠居所を「以命亭」と命名しました。「以命亭」の「以命」は中国の古書『礼記』の「君子は易に居て以て命を埃つ」からとったものです。 ■先人記念館「以命亭」 |