2021/01/24  

中瀬金山関所/トロッコ広場【なかぜきんざんせきしょ/とろっこひろば】

 

中瀬金山関所/トロッコ広場
【なかぜきんざんせきしょ/とろっこひろば】

中瀬金山関所

トロッコ広場

陣屋(金山役所跡)

 
●関連情報
中瀬金山関所/トロッコ広場
●江戸時代の金山町の面影が残る
養父市中瀬の中瀬金山は、天正元年(1573)、八木川で砂金が発見されて始まりました。江戸時代には、生野奉行所の直轄鉱山となり、近畿でも最大の金山町として栄えました。明治時代は三鉱山とともに三菱の経営となり、昭和に入ると、日本一大きな「自然金」が出る鉱山として有名になりました。

中瀬地区は江戸時代当時の町割が残っており、慶長5年(1600)、徳川家康配下の生野奉行・間宮新左衛門によって、金山役所、役宅、米蔵、牢屋が建てられたと伝えられています。享保8年(1723)に役所は廃止されましたが、その敷地と古い石垣が今に残っています。

中瀬金山関所は中瀬金山の交流拠点施設。鉱山関係の貴重な資料を展示する他、隣接するトロッコ広場には、鉱山稼働時期に使用していたトロッコを常設しています。


■中瀬金山関所/トロッコ広場

・079-667-2331(養父市関宮地域局)
※施設内の見学を希望する場合は事前に問い合わせが必要
・養父市中瀬896-10

2021/01/24  

明延一円電車軌道【あけのべいちえんでんしゃきどう】

 

明延一円電車軌道
【あけのべいちえんでんしゃきどう】

明延一円電車軌道

 
●関連情報
明延一円電車軌道
●一円電車の乗車体験
昭和20年から昭和60年まで鉱山従業員の通勤電車として、利用されていた明神電車は昭和4年に開通。明延〜神子畑間を運行していました。昭和24年に従業員運搬用に客車もつけるようになり、一般の乗客も運ぶようになりました。昭和27年、1日の乗降数を数えやすくするために乗車料が1円となり、「一円電車」の愛称で親しまれてきました。

昭和62年の閉山とともに廃線となりましたが、有志の手により、平成22年に70mの軌道が完成。その後、一円電車募金を募り、令和元年9月には軌道が延長され、ついに1周150mの円周となりました。

4月~11月の毎月第1日曜日の他にゴールデンウィーク・夏休みの期間に臨時運行日を設けられ、一円電車の乗車体験が楽しめます。


■明延一円電車軌道

・079-668-0258(養父市立あけのべ自然学校/平日8:30~17:00)
・養父市大屋町明延1184

2017/02/08  

分散ギャラリー養蚕農家

 

分散ギャラリー養蚕農家
【ぶんさんぎゃらりーようさんのうか】

分散ギャラリー養蚕農家
 
●関連情報
分散ギャラリー養蚕農家
●築150年以上の養蚕農家を利用したアートギャラリー
古くから養蚕で栄えた但馬地域。中でも養父市の大屋地域は江戸時代後期から昭和にかけて、県内で最も養蚕が盛んだった地域です。
「分散ギャラリー養蚕農家」は築150年以上の古い養蚕農家を改装利用したアートギャラリー。
大屋を中心に創作活動を続ける13人の作家による手作りの展覧会「うちげぇのアート」や、全国から集まった木彫が展示される「木彫フォークアートおおや」のホームギャラリーです。自然の中で創作活動を続ける作家たちの発信の場となっています。カフェもあるので、アートに触れながらゆっくりと流れる時間を過ごすことができます。

■分散ギャラリー養蚕農家
・079-669-0026
・兵庫県養父市大屋町大杉1074
・午前9~午後5時
・月曜休(祝日の場合は翌日)

 

 

2015/02/02  

明延鉱山探検坑道【あけのべこうざんたんけんこうどう】

 

明延鉱山探検坑道【あけのべこうざんたんけんこうどう】

明延鉱山探検坑道
●関連情報
あけのべ自然学校
●一円で電車が運行、かつて日本のスズ90%を産出した鉱山
昭和62年に閉山となった明延鉱山は、銅・亜鉛・スズを産出する国内有数の鉱山で、中でもスズはかつては日本の90%を産出していました。現在、坑道の一部(約600m)に当時使われていた機械類を配置し、「探検坑道」として、間近に鉱脈を見ながら鉱山の学習をすることができます。また、隣接の「鉱山学習館」では、貴重な鉱石や坑内器具のほかに、乗車料金が全国一安い料金として有名な「一円電車」が展示されています。
*いずれも、事前に見学確認が必要また、 明延地区には、閉校した明延小学校をそのまま宿泊もできる自然体験学習施設にした「あけのべ自然学校」があります。青少年が、自然の中で集団生活を体験できる施設で、大屋の豊かな自然の中で、星空観測やアウトドアーライフを楽しみ、旧坑道を利用し、当時の鉱山現場を再現した探検坑道や鉱山学習舘で、ヤマの男の暮らしを学ぶなど、さまざまなプログラムを組むことができます。一般成人の団体や各種クラブ、サークル等の合宿、社員研修の場としても幅広くご利用していただけます。

明延鉱山探検坑道
・兵庫県養父市大屋町明延

あけのべ自然学校
・079-668-0258
・兵庫県養父市大屋町明延

2015/02/02  

木彫展示館【もくちょうてんじかん】

 

木彫展示館【もくちょうてんじかん】

木彫展示館
・県景観形成重要建造物

「木彫フォークアート」の作品を展示

●関連情報
養父市役所

●古民家を再生した木彫の美術館
 築約120年の診療所だった古民家を再生して、オープンした「木彫展示館」。「木彫フォークアート」の作品に出会える全国で唯一の美術館です。
「木彫フォークアート」とは、平成6年(1994)から毎年開かれている、木彫作品展。全国各地から多くの木彫作品を公募し、約2週間の開催期間中には数千人の来場者で賑わいます。
木村重信氏(兵庫県立美術館)、山田洋次氏(映画監督)をはじめとする審査員を迎え、40点あまりの入賞、入選作品を選考し、その作品が展示されています。
館内は、古民家を再生しただけあり、新たに再現した三和土(たたき)で仕上げた土間をはじめ、壁土に砂を混ぜてつくった砂蔵、吹き抜けに横たわった漆黒の梁(はり)など、昔の風合いを至るところに残しています。
そんな落ち着いた空間にたたずむ木彫はぬくもりが漂い、思わず時間を忘れてしまう一時を過ごすことができます。

木彫展示館
・079-663-8070
・兵庫県養父市大屋町大杉826
・午前9時~午後5時
・月、火曜日(ただし、休日の場合は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)
・中学生以上200円(150円) 小学生100円(80円)

※カッコ内は20名以上の団体料金
※「ひょうごっ子ココロンカード」の提示のある方は無料
※小学生以下のお子様の入館は、保護者同伴または引率者が必要

 

 

2015/02/02  

ほたるの里【ほたるのさと】

 

ほたるの里【ほたるのさと】

ほたるの館
希望王国バンガロー
●幽玄の世界に誘うゲンジボタルの乱舞
兵庫県のゲンジボタル保護区に指定され、6月中旬~7月上旬にゲンジボタルが乱舞し、幽玄の世界に誘います。旧町役場を移築したモダンな建物「ほたるの館」は、クラフト体験や宿泊ができ、但馬牛や山菜料理など地元料理でもてなしてくれます。また、四季を通じてほたるに親しんでもらおうと、自然体験施設「めいじキララ」では、標本やグラフィックスでほたるを紹介するコーナーや光ダイオードでほたるの光を再現するコーナーなど、ほたるに関するさまざまな学習や体験ができます。
近くには、カエルとトンボの池と広場、昆虫の森などの「いきものふれあい公園」や「希望王国バンガロー」も整備されています。
ほたるが乱舞するシーズンには、「ほたるまつり」が開催され、各種イベントも行われます。ほたるの館
・079-665-0588
・兵庫県養父市奥米地773

2015/01/31  

ハチ・ハチ北高原【はち・はちきたこうげん】

 

ハチ・ハチ北高原【はち・はちきたこうげん】

ハチ高原
ハチ北高原

●関連情報
やぶ市観光協会氷ノ山鉢伏支部
香美町村岡観光協会

●鉢伏山に広がるアウトドアスポーツのメッカ
美しい草原の山として知られる標高1221mの鉢伏山、その北側に広がる「ハチ北高原」、南側に広がる「ハチ高原」は、ともにスキー、パラグライダー、キャンプ、登山・ハイキングなどが楽しめる、アウトドアスポーツのパラダイス。

ハチ高原【養父市関宮】

南に関西随一の高峰・氷ノ山を望み、鉢伏山の南側中腹に広がるハチ高原。標高850~1,200mに位置する「ハチ高原スキー場」は、良好な雪質と広大スケールで人気のゲレンデ。春~秋はキャンプやパラグライダー、川遊び、テニスなどが雄大な自然の中で思いきり満喫できます。春の山菜狩り、秋の紅葉狩りをはじめ、さわやかな高原は氷ノ山、鉢伏山への登山や高原ハイキングにも最適です。毎年開催される新緑登山大会、紅葉登山大会は多数の参加者でにぎわいます。
また、「ミツガシワ群生地」や「ヤマドリゼンマイ群落」(ともに県指定天然記念物)など、高地の湿原に群生する珍しい植物が自生しています。
・氷ノ山鉢伏観光協会 079-667-3113

ハチ北高原【香美町村岡区】

鉢伏山の北側に広がる「ハチ北高原」。山頂から続く3kmにもおよぶ超ロングコースで知られる「ハチ北高原スキー場」は、関西屈指のバラエティー豊かなゲレンデ。
春~秋へ彩りを変える高原では、恵まれた自然の中、バードウォッチング、森林浴、パラグライダー、テニス、キャンプ、オートキャンプ、ハイキングなどアウトドアスポーツが満喫できます。スポーツや音楽などの合宿にもよく利用され、林間学校施設も整備、田植えやイモ掘りなどの農業体験も楽しめます。高原にはさまざまな高山植物が咲き乱れ、天然記念物の「ザゼンソウ群生地」など貴重な植物が自生しています。
・香美町村岡観光協会 0796-94-0123

2015/01/10  

夢但馬【ゆめたじま】

 

夢但馬【ゆめたじま】

夢但馬ロゴマーク

 

●関連情報
夢但馬公式ホームページ

●地域の資源を見つめ直し、新しい但馬に生まれ変わる
「夢但馬」とは1994年に開催された「但馬・理想の都の祭典」から20年目となる2014年をきっかけに、地域の資源を見つめ直し、但馬全域で新しい地域づくりの機運をつくろうとしています。

「但馬・理想の都の祭典」では、”ハコモノ”がたくさん建設され、事業費をかけた大型イベントも行われました。それと同じことはもうできません。今の私たちだからこそ、できることがあるはずです。
但馬人が但馬のことをもっと知り、新しい視点や連携により、楽しみながら地域での取組みに参加していく。但馬以外の方にも魅力をお伝えし、より多くの方に来ていただく。すると、但馬がおもしろくなる。但馬の美味しいものや誇るべき観光地、海や山が、ますます多くの方に愛され、但馬での暮らしが生き生きと輝く。そんな展開を目指しています。

夢但馬の事業や関連イベントについては、公式ホームページで情報発信されています。
※夢但馬公式ホームページへ

夢但馬 2014 推進協議会事務局
(但馬県民局地域政策室夢但馬推進課内)
・0796-26-3675
・豊岡市幸町7-11

2014/08/16  

黒田官兵衛・豊臣秀吉ゆかりの地めぐり【くろだかんべい・とよとみひでよしゆかりのちめぐり】

 

黒田官兵衛・豊臣秀吉ゆかりの地めぐり
【くろだかんべい・とよとみひでよしゆかりのちめぐり】

史跡生野銀山
竹田城跡
(写真提供:吉田利栄)


八木城跡


出石城跡


出石皿そば


豊岡陣屋跡
(豊岡図書館)


カバンストリート
カバンステーション


御殿山公園
(村岡藩陣屋跡)


法雲寺・山名蔵


城山園地(芦屋城址)

●関連情報
2014年大河ドラマ

●NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』
豊臣秀吉の軍師として、天下取りを支えた戦国武将・黒田官兵衛。織田信長より中国攻めの総大将に任命された秀吉にとって、中国の雄・毛利氏と対峙する上で、但馬・播磨の諸将を抑えることは非常に重要なことでした。秀吉は2度但馬攻めを行い、その際には官兵衛も活躍したとされます。その後、但馬を治めた秀吉は、出石城に前野氏、豊岡城に宮部氏、竹田城に赤松氏、八木城に別所氏といった信任の厚い家臣を配置しました。現在もこれらの4城には城跡とともに城下町の風情が残っています。秀吉を助けた天才軍師「黒田官兵衛」
 天文15年(1546)、姫路城で黒田職隆の嫡男として生まれた黒田官兵衛。父・職隆は播磨国で力を持っていた御着城主・小寺政職の家老として仕え、官兵衛も16歳の時に政職の小性として出仕しました。若くして信任を得て、後に家督と家老職を継ぎ、姫路城代として小寺氏を支えました。
天正3年(1575)、織田方につくか、毛利方につくかで悩んだ政職に対して、織田につくよう説得。岐阜城で織田信長に会うと、中国攻めを進言しました。この際に秀吉と運命の出会いを果たし、鳥取城の兵糧攻めや備中高松城の水攻めなど、中国の雄・毛利勢との戦いで数々の功績を挙げました。
二人の運命を変えたのは、明智光秀による「本能寺の変」。主君・信長が討たれたことに泣き叫ぶ秀吉に対し、「御運が開けましたな」と言って、すぐに光秀を討って天下を取ることを進言したと言われています。
中国大返しを指揮し、山崎の戦いで見事、光秀を打ち破った秀吉と官兵衛。官兵衛はその後も側近として仕え、秀吉の天下統一に大きく貢献しました。

●官兵衛・秀吉ゆかりの地

竹田城跡・史跡生野銀山【朝来市】
 天空の城として有名な竹田城跡。大河ドラマ『軍師官兵衛』のオープニングタイトルバック、第一話にも登場し、ロケが行われました。竹田城下町には古民家を改装したカフェやレストランもあり、まち歩きに最適です。
天正5年(1577)の竹田城の戦いでは官兵衛も城攻めに加わったとされています。特に竹田城主が管轄してきた生野銀山は財源を確保する上で重要な場所で、この銀山確保を最初に進言したのは官兵衛であると言われています。史跡生野銀山は現在、観光坑道として一般公開されており、明治以降の近代的な坑道と江戸時代以前の手掘りの跡を同時に見学することができます。

八木城跡【養父市】
 但馬の代表的な山城遺構で、今も石垣・曲輪などの城跡が残っています。山名四天王の1人・八木氏が代々城主を務め、秀吉による但馬攻めによって落城しました。その後は秀吉の家臣である別所氏が治めました。
また、旧城下町には元々旅館だった建物を改装した「八木城交流館」があり、八木城について地元の人と語り合えます。

出石城跡と城下町出石【豊岡市】
 但馬守護・山名氏の本拠であり、秀吉による但馬攻めによって山城であった有子山城は落城しました。その後、弟の秀長が城主になるなど、但馬を治める重要拠点とされました。江戸時代に入ると、小出氏が治め、不便である山城は廃され、ふもとに出石城が築かれました。現在は城郭を残すのみとなっており、春は桜、秋には紅葉のスポットとしてシーズンには観光客で賑わいます。
また、江戸時代、5万8千石の城下町として栄えた町は但馬の小京都と言われ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。町内には40以上のそば店があり、5枚の小皿に盛られた「出石皿そば」が名物となっています。

豊岡城址(神武山公園)と城下町【豊岡市】
 豊岡市街地の中央に位置する桜の名所、神武山公園。ここはかつての豊岡城の本丸跡であり、山頂からは市街地が一望できます。官兵衛とともに秀吉を支えた有力家臣・宮部継潤(善祥坊)が治め、この際に「豊岡」と改名されました。善政をしいたとされ、市内の御霊神社は継潤を祀っています。
武家屋敷があった京町には古民家が残り、大石内蔵助の妻・りくは、豊岡藩の家老・石束家の出身で、生家跡の脇に生誕碑が建立されています。近くの宵田通りは「カバンストリート」と呼ばれ、地場産品であるカバンを販売するお店があります。

村岡藩陣屋跡(御殿山公園)と城下町【香美町】
 七美五郷の中心地として栄えた香美町村岡区。江戸時代、村岡を治めた山名氏の初代・豊国は名門山名氏の末裔であり、晩年は秀吉の御伽衆(相談役)を務めました。陣屋跡である「御殿山公園」は緑のきれいな散策コースとして整備され、桜・紅葉のスポットです。周辺には城主の妻が生活した奥方部屋や歴代藩主の墓所が残っています。城下町にある「法雲寺」は山名氏の菩提寺であり、境内の史料館「山名蔵(有料)」には、山名氏ゆかりの武具や書画などを展示しています。

芦屋城址(城山園地)【新温泉町】
 官兵衛が活躍した鳥取城攻めの際に敵対した「塩治周防守」の居城であったのがこの「芦屋城」です。別名を「亀ヶ城」と呼び、日本海を眼前に断崖絶壁に囲まれた城は、天然の要害となっています。現在は城山園地として日本海が一望できる公園として整備されています。桜の名所としても名高い場所で、ここから見渡す景色は昼間はもちろんのこと、夕方は日本海に沈む夕日が格別。恋人の聖地にも選定されていて、デートスポットとなっています。


●散策モデルコース

●官兵衛・秀吉ゆかりの地マップ

 

2014/08/11  

平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】

 

平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】

百手の儀式(御崎)
平家蕪(御崎)
白山神社(気比)
弁天公園(城崎温泉)


田久日の供養塔
田久日地区


三尾大島(三尾)
八柱神社(三尾)


姫ケ淵(横行)
横行渓谷の入り口にある湧き水(横行)


黒川ダム(黒川)
屏風神社(黒川)

●関連情報
香美町平家の落人伝説


●但馬に伝わる平家の伝承をたどる

香美町香住区余部(御崎)
 但馬の中でも色濃く平家の伝承を伝える香美町の御崎地区。壇ノ浦の戦いに敗れた、平清盛の異母弟である門脇宰相教盛を大将とする7人がこの地にたどり着いたとされます。山中から立ち上る一条の炊煙をたよりに崖をよじ登り、そこで出会った高野聖に土着を勧められた一行が、この地に身を置いたというのが村の始まり。毎年1月28日には、地区内の平内神社で、平家再興を願う神事「百手の儀式」が行われます。門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の少年が、的に目がけて101本の矢を射ます。
平内神社の脇には平教盛(門脇宰相)の供養碑が佇んでいます。また、息子の嫁である小宰相の局と孫の道家の供養塔もあります。漂着した平家一行の家柄は、門脇家・伊賀家・矢引家と、今でも代々御崎地区に伝わっています。
また、春先に集落一面を黄色に染める蕪の花も、平家の伝承が残っています。この蕪は「平家蕪」と呼ばれ、なぜか御崎地区だけに咲き誇ります。伝承では食糧に窮した門脇宰相の一族が、神に祈願をしたところ、この蕪に恵まれるようになったと伝わります。地元では主に葉と茎の部分を漬物にして食します。日本海と黄色の花びらが相まって絶好の写真スポットであり、シーズンはカメラマンで賑わいます。豊岡市気比・城崎温泉
 遠浅の砂浜が続く豊岡市の気比の浜。夏は海水浴、冬は対岸に位置する津居山港で揚がる「松葉がに」を目当てにたくさんの観光客で賑わいます。この風光明媚な里は、平家の侍大将であった平盛嗣が源氏の追っ手から身を隠したと伝わる場所。『平家物語』では越中次郎兵衛の通称で知られ、豪勇を讃えられる名将です。平家の家臣として、源氏との幾多の戦いに参戦しました。
しかし、壇ノ浦の戦いで敗れた後、この気比の地に逃れてきたといいます。この地を治めていた宮代将監(気比)道弘の家に、馬飼の下男として住むこととなりました。その後、道弘の娘である絹巻姫と結婚。平穏な日々を暮らしていた盛嗣ですが、やがて源氏の追っ手に見つかり、鎌倉にいる源頼朝の元へ護送されることになりました。盛嗣は頼朝の前でも屈せず堂々と自説を述べ、気骨のある平家武者として最後を遂げたといいます。地元の白山神社には、盛嗣の死を嘆いた絹巻姫が建立したと伝わる供養塔が残っています。
また、名湯「城崎温泉」に中心にある弁天公園にも供養塔があり、盛嗣も戦いの傷を癒すため、湯治に訪れたのかもしれません。

豊岡市竹野町田久日
 豊岡市竹野町田久日はかつて陸の孤島と呼ばれ、昭和40年に但馬海岸道路が開通するまで、船で移動するか、海岸沿いの険しい山道をつたわないと訪れることができない場所でした。平家伝承が残る海辺の村として、隣村の宇日地区ともに知られています。
平家の侍大将である「藤原景清(悪七兵衛)」と、「平盛嗣(越中次郎兵衛)」が但馬で最初に落ち延びた場所といい伝えられています。『平家物語』ではともに、豪勇として描かれている二人。地区内の高台にある公民館の脇には、その功績を讃える供養塔(碑)が残されています。村はずれには「舟隠し岩」や、武具や兵器を隠したといわれる石窟場所もあります。
また、大正の始めまで、同じ平家の里である香美町御崎地区とは、大晦日にのろしを上げあって互いの無事を確かめ合っていたともいいます。

新温泉町三尾
 眼前には三尾大島が優雅に浮かぶ新温泉町三尾地区。香美町の御崎地区と林道で結ばれ、平家の隠れ里ともいわれています。集落のシンボルである「三尾大島」は、周囲が約800メートルもある小島。頂上付近には厳島神社が祀られていることから、先祖は平家と関係があったのではないかと推測されています。そのことを示すかのように、氏神である八柱神社の例祭には、平家の旗印でもある赤いのぼり旗を掲げます。
「御火浦」というどことなくロマンチックな地名。名前の由来は、その昔、神功皇后が朝鮮半島へ出兵した際の出来事が始まりといわれています。三尾の日和山で漁師が焚いたかがり火が見えて、難を逃れた皇后は、そのお礼として「御火浦」という名を授けたとされます。その後度々、大火に見舞われたため、元の「三尾浦」に戻ったと伝わります。

養父市大屋町横行
 養父市大屋町栗ノ下から氷ノ山に登るコースにある横行渓谷はヤマメの泳ぐ美しい谷です。10~11月頃の秋には、ブナ原生林の紅葉が美しく、周辺の山々が紅や黄色に色づきます。この美しい渓谷には、ある平家一門の姫の悲しい物語が伝承されています。
由緒ある平家の姫とその家臣一行は、播磨の国から峠を越えて渓谷沿いを逃れている道中、この横行渓谷に辿り着きました。岩盤の丘に「平家ケ城」を築き、源氏の追っ手から身を隠します。平家ケ城から約1キロほど下った場所に、「見手ケ城」があります。ここに見張りをおき、旗を立てていました。その旗が倒れると敵の源氏が攻めてきた合図。しかし、台風のために旗が倒れ、城にいたお姫様は、敵に攻められたと思い、城の下を流れる渓谷に身を投げたといいます。この場所は「姫ケ淵」と呼ばれ、お姫様の悲話を今に伝えています。
生き残った6人の家臣は平家の家名を後世に伝えるため、横行地区に住んだといわれ、集落では、その場所を「六軒屋敷」と呼んでいます。

朝来市生野町黒川
 瀬戸内海に注ぐ市川の源流、朝来市生野町黒川。国道429号沿いを流れる源流部は「黒川渓谷」と呼ばれ、秋は紅葉の名所です。大きく屈曲した川筋は奇岩が多く、独特の渓谷美をみせます。
黒川には平家の落人伝承が伝わる地名が残っています。市道・長野線沿いにある「ホソビラの平家塚」は、かつて平家の武者が住みついたが、流行病により没落したと伝わります。塚のそばにある榎の根元からは、錆びた刀が大量に出土しました。他にも直谷渓谷の奥には「平家墓」「平家の屋敷跡」といわれる場所もあり、屋敷跡に黄金の鶏を埋めたという伝承も残っています。
平家塚から国道を東へ進むと、屏風のようにそり立つ巨岩が見えます。その昔、この地に疫病が流行しましたが、ここから上流だけは被害がなかったといいます。以来、御神体として祀られています。ここからさらに奥に進めば、黒川の本村に到着。高さ98メートルの黒川ダムや美人湯で知られる黒川温泉があります。