兎塚の由来 |
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3羽の古兎伝説豊かな自然溢れる香美町村岡区。南端にあたる兎塚地域には地名にまつわる兎伝説が残っています。
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兎塚の由来 |
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3羽の古兎伝説豊かな自然溢れる香美町村岡区。南端にあたる兎塚地域には地名にまつわる兎伝説が残っています。
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味取の俵石【みどりのたわらいし】
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俵石を運んだ保食命(うけもちのみこと)と姫の伝説鮎釣りで有名な矢田川の流れる香美町村岡区味取地区。集落を見下ろすように「味取の俵石」は鎮座しています。全体の幅約70メートル、高さ約20メートルと巨大で、近づいて見るとその迫力に自然の神秘を感じることができます。 岩肌は縦の重なりが美しく、柱のようにまっすぐで、断面は六角形となっています。この岩石は十数万年前に付近で大噴火が起きた際に、溶岩が冷え固まってできた玄武岩です。縦割りの柱状節理と平らに割れる板状節理が俵を積み上げたように見えるため「俵石」の名がつきました。ひとつひとつの岩が大きく、まさに「米俵」のよう。まっすぐに伸びている姿は、子どもたちが健やかに育つ過程を表すようであり、とても縁起のよい場所とされています。 そしてここには、俵石にまつわる伝説が残っています。その昔、食物の神である保食命とその姫が力をあわせて俵石を運んでいました。大量に運んだところで姫が「もういくら運んだでしょうか」と保食命にたずねます。保食命はそろばんを使い計算し始めましたが、近くの川の流れる音が大きいため、何度計算し直しても正確な数が分かりませんでした。「川水ども静かにせよ」と叫ぶと川音はピタッと止みましたが、それでも正確な数は分かりません。姫は、正確な数も数えられないような不甲斐ない男に連れ添っていてはいけないと、保食命を置いて去っていってしまったそうです。この時に二人が運んでいた石が俵を積み重ねたように見える「俵石」となり、保食命が川音を止めた川を音無川と呼ぶようになったと伝えられています。
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泡原の長者【あわらのちょうじゃ】
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欲張りな長者をいましめる昔話昔々、香住谷の泡原に、三郎太という男が住んでいました。三郎太は大変欲ばりで人使いが荒く、鬼のように恐れられていたそうです。この三郎太の娘であるあやめが18歳になった春、とある家に使いをやり、「七郎どのを娘の婿にいただきたい」と申し入れました。この家は栄えた家でしたが、昔の勢いはなく、三郎太からお金も借りていました。三郎太が「貸した金も返さんでいい。ただ、体と扇子いっぱいの土だけでええ」と言うので、安心して七郎を婿にやりました。 ところが、七郎は昼も夜も休みなく働かされるようになります。とうとう七郎は実家に帰ってしまいました。次の日、仲人がやってきて、「帰ってこんでええから、扇子いっぱいの土をくれ」と言います。母親が「土は渡した」と言うと、「扇子いっぱいの土というのは、泡原の家で扇子を開いて、その中に入る土地全部のことだ」と言いました。泡原の家は山の上にあったので、扇子の中に入る土地といえば、この家の全ての土地となります。 三郎太は初めからこの家の土地を手に入れるために仕組んでいたのでした。結局、七郎の家は田畑も家も全て取られてしまいました。ひどい仕打ち娘のあやめは、「夫に謝りたい」と家を飛び出しますが、追っ手に捕まりそうになり、池に身を投げてしまいました。そして、それを知った七郎も同じ池に身を投げました。 さすがの三郎太も自分のしてきたことを後悔して土地を寄付し、巡礼の旅へと出かけて二度と帰ってきませんでした。やがて不思議なことに、池にはあやめの花が1本に二つずつ咲くようになったそうです。
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和田の竜【わだのりゅう】
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古くから残る竜の伝承と伝統行事 人との繋がりを編む菖蒲綱づくり 自然豊かな香美町村岡区和田。春来峠の登り口に位置するこの地区には竜にまつわる伝承が残っています。 |