2012/12/26  

八幡神社【はちまんじんじゃ】

 

八幡神社【はちまんじんじゃ】

八幡神社

・豊岡市津居山
・石造九重塔
県指定文化財

●但馬最大級の石造九重塔が残る
八幡神社は津居山地区の氏神で、祭神は応神天皇を祀っています。山城跡に立地し、津居山湾から円山川河口部を見通すことができます。海東諸国記にある但馬州津山関(海関)が置かれていたと考えられています。境内にある「石造九重塔」は鎌倉中期の作で、高さ約6メートル。県の文化財に指定されています。
但馬最大級の石造遺物で、神社近くの浜地蔵とともに丹後由良から輸送途中、避難した舟が置いていったものと伝えられています。
また、漁業や航海の無事を祈り、また遭難した人たちを供養するために建てられたともいわれています。
境内には漂着した海亀親子の供養碑である亀塚(文化年間)があります。石碑には久美浜代官による津居山をもじった和歌が刻まれています。

2011/06/22  

久々比神社【くくひじんじゃ】

 

久々比神社【くくひじんじゃ】

久々比神社
・豊岡市下宮
・本殿
国指定建造物
●室町時代の雄々しい本殿

三間社流造の建物である本殿は国の重要文化財に指定されています。中嶋神社・酒垂神社の優しさと比較すると、やや雄々しさが目につきます。
その建て方は流造(ながれづくり)といって、屋根を側面から見ると後方は短く、前方の軒先が長く流れ下がっているのが特徴です。神を祀る部屋を間(ま)といい、奉祀する神の数によって間数がちがってきます。酒垂神社は一間、中嶋神社は二間、久々比神社は三間で、同じ流造といっても、その規模は異なります。
建造年代も、中嶋神社が正長元年(1428)、酒垂神社が文安元年(1444)と接近し、久々比神社もそのころのものと考えられています。
修理の時期も、中嶋神社は元禄十三年(1700)、酒垂神社は宝永六年(1709)、久々比神社は正徳元年(1711)と、わずか10年間に集中し、さらに酒垂神社と久々比神社は同じ棟梁によって修理がおこなわれています。

2011/06/22  

日出神社【ひのでじんじゃ】

 

日出神社【ひのでじんじゃ】

日出神社
・豊岡市但東町畑山

・本殿
国指定建造物

●たばさみ・蟇股の施しがある室町時代の本殿
創立年月日は不詳ですが、延喜式の制小社に列し、享保11年拝殿を建立し、寶永元年社殿を修復、明治3年社殿を現在地に移したと記録が残っています。本殿は室町時代の建築といわれており、国の重要文化財に指定されています。本殿は三間社流れ造りで、たばさみ・蟇股(かえるまた)などに特色があります。

また境内には、後醍醐天皇の第六皇子恒良親王が幽閉されたという旧跡もあります。

2011/06/22  

桑原神社【くわばらじんじゃ】

 

桑原神社【くわばらじんじゃ】

桑原神社
・豊岡市竹野町桑野本

・行道面
国指定彫刻

●鎌倉時代の祭礼舞楽に用いられた行道面を収蔵
豊岡市竹野町桑野本、桑原神社には古い9つの行道面があります。

建久2年(1191)8月15日に鷹野神社の祭礼舞楽に用いられた面と伝えられています。もと菩薩面10面、僧形面2面がありましたが、菩薩面3面は桑原神社に納められ、洪水のために流出してしまったと伝えられています。現在の菩薩面は、3つの様式に類型に分けることができます。第1の様式(1号面)は、繊細優美な純然たる藤原様式の面で、制作の年代も藤原末期と考えられています。第2の様式のもの(2号・3号面)は、頭髪に飾り金具をつけ、彫法は繊細。写実的で生気ある典型的な鎌倉初期の作品と考えられます。第3の様式のもの(4~7号面)は、頭髪に飾り金具をつけないで、顔の輪郭、眉、鼻、唇など表現は大まかですが、鎌倉時代の特色を示しています。

また、僧形面2面も喜びをユーモラスに生き生きと表現した鎌倉期の作品です。
他に宝冠の残欠け5片、木製の光背2枚、金銅製の光背透かし彫り断片3片、鉄製の鈴および鐃1器ずつがあり、これらもすべて神事に関係あったものと考えられ、鎌倉期の制作と考えられています。

2011/06/22  

中嶋神社【なかしまじんじゃ】

 

中嶋神社【なかしまじんじゃ】

中嶋神社
・豊岡市三宅
・本殿
国指定建造物
●お菓子の神様、田道間守命をまつる
菓祖、田道間守命(たじまもりのみこと)がまつられている中嶋神社。田道間守は天日槍の子孫、三宅連(みやけのむらじ)らの祖先で、垂仁天皇の命を受けて、はるかな地に、命を長らえることのできる実、その時節でなくてもいつでもある香り高い果物(橘)を探し求める旅に出ました。荒海を渡りようやく命がけで橘の実を手に入れることができ、日本へ帰ってきましたが、天皇は崩御の後で、悲しみ嘆いた田道間守は、天皇の陵(墓)に、橘を捧げたまま息絶えてしまいました。
忠節を尽くした田道間守の墓は、垂仁天皇陵の堀の中に浮かぶ小さな島にひっそりと祀られています。また、田道間守が持ち帰った時じくの香の木の実は、わが国のお菓子のはじまりとされ、田道間守の故郷、中嶋神社に祀られています。

本殿は国指定重要文化財で、建造年代は1428年、屋根を側面から見ると後方は短く、前方の軒先が流れ下っている二間流造(ながれづくり)で、室町時代の典型的な神社建築を伝えています。

2011/06/22  

大生部兵主神社【おおいくべひょうずじんじゃ】

 

大生部兵主神社【おおいくべひょうずじんじゃ】

大生部兵主神社
・豊岡市但東町薬王寺
●県社として栄えた牛馬の神を祀る神社
薬王寺の大生部兵主神社は「天王さん」と呼ばれ、牛馬の神様を祀る神社として古くから人々に親しまれてきました。いつ頃できたものかはっきりしていませんが、かつては県社として栄えた由緒ある神社です。
用命天皇の時代(585~587)、勅命を受けて三上山(京都・大江山)に棲む鬼の討伐にやって来た皇子・麻呂子親王が、牛頭天王に祈願したという伝説が残っています。このことから、それ以前に創立されたものと推測されます。また国司文書には、天武13年(684)に社を別の地に移して祀ったとあり、その前後に現在の地に移されたのだと考えられています。
境内には樹齢400年と推定されるご神木の杉の木があります。この木には、地上1~3mの間に23カ所の呪いの釘跡があります。この辺りの山は、昔、大江山とを結ぶ修験の道があったといわれ、山に入り帰らぬ男への恨みを女が釘に込めて、この杉に打ち込んだのだといいます。後に宮司がこの凄惨なありさまを見るのが恐ろしく、ノミで釘を抜き、周囲を修復したそうです。木には今でもその跡が残っています。
現在は 交通安全、家内安全、縁結びの神様として崇められており、毎年5月3日に豊作を祈願する春の大祭が行われています。大祭では地元の中学生が巫女の衣装をまとって、神楽「浦安の舞」を奉納します。続いて「練り込み太鼓」が披露され、笛や太鼓の音が辺りに響き渡ります。この日は餅まきなども行われ、神社は地元の人たちで賑わいをみせます。

2011/06/22  

酒垂神社【さかだるじんじゃ】

 

酒垂神社【さかだるじんじゃ】

酒垂神社
・豊岡市法花寺
・本殿
国指定建造物
●お酒の神様、酒弥豆男命・酒弥豆女命を祀る

酒弥豆男命と酒弥豆女命という酒の神をまつる酒垂神社。本殿は2本の柱で一間をつくる一間社流造の構造で、国の重要文化財に指定されています。現在は保護のために上屋で覆われています。永享10年(1438)に斧始め、嘉吉元年(1441)に立柱、文安元年(1444)に遷宮、体裁を完備したのが、宝徳元年(1449)で、前後11年をかけて建てられた建物です。
おもしろいのは、中嶋神社と同じ大工の手によってつくられています。記録によると大伴久清という宮大工によって建てられており、細部にわたってすぐれた意匠がこらされています。
大伴久清という大工の苗字・大伴は、今も三江地区に分布している大伴姓と関係があるかも知れません。江戸時代に入って修理を担当した藤原勘右衛門は、明らかに下宮の人でした。その修理技術は優秀で、原型を損なうことなく修復しています。

2011/06/22  

四所神社【ししょじんじゃ】

 

四所神社【ししょじんじゃ
四所神社
四所神社
・豊岡市城崎町湯島
・本殿・拝殿
県登録有形文化財

だんじりまつり
だんじりまつり

●関連情報
城崎温泉ホームページ

●城崎温泉の中心に位置する守護神
祭神は湯山主大神(ゆやまぬしのおおかみ)などを祀っています。城崎温泉街の中央に位置し、708年(和銅元)、日生下権守(ひうけごんのかみ)が神託を受け、4柱(四所)の明神を奉祀したことから始まったと伝えられています。
古来より城崎温泉の氏神、温泉の守護神として信仰されてきました。かつて城崎の町はこの四所神社を境に、西が上部、東が下部とわかれていました。
毎年、四所神社の秋の祭礼「だんじり祭り」が外湯のひとつ「一の湯」の前で、盛大に行われます。だんじり(屋台)が激しくぶつかり合う三つ巴の争いは迫力があり、多くの見物人が訪れます。

2011/06/22  

但馬五社【たじまごしゃ】

 

但馬五社【たじまごしゃ】
但馬を南北にわたる絹巻神社・出石神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社、この5つの神社を総称して「但馬五社」といいます。各神社間は約12km、お正月にはこの五社をめぐると大変御利益があるとされ、露店も並び、多くの参拝者で賑わいます。


絹巻神社
・豊岡市気比
●絹巻神社(きぬまきじんじゃ)
亜熱帯の鎮守の森に海の神様を祀る

天衣織女(あめのいおりめ)命・海部直命を祀り、全国でも珍しいおしりをあげた狛犬があります。以前は前方にありましたが、港大橋架設のため現在の位置に移動しました。
周囲は暖地性原生林で面積1万2千平方メートル余りに、シイ、クスノキ、サカキ、ダブ、ヤマザクラ、ツバキなど温帯、亜熱帯の樹木が生い茂り、県の天然記念物に指定されています。

 



小田井神社
・豊岡市小田井
●小田井神社(おだいじんじゃ)
国作大己貴命を祀る

延喜式神名帳(905)に記されいる式内神社で、国作大己貴(くにつくりおおなむち)命を祭神に祀っています。弘安年中(1278~87)の但馬大田文には、小田井社々領31町3反あまり神供田25町1反あまりとあり、当時は神仏習合で社家(四社)、社僧(4ヶ寺・金剛、妙楽、正法、三坂)が祭事をとり行っていたとされています。
しかし、天正3年(1575)、戦で森に火を放たれ焼失、ご神霊はみこしで一日市に火難を避けられたと伝えられています。同じ天正年中、羽柴秀吉が中国征伐に陣営を置き、多くの神領・神供田を没収、社家社僧は離散してしまいました。貞享年間中(1684~87)に社殿を再興し、鳥居を建て、元文年中(1736~1740)に神殿を改造しました。
昭和になってから、円山川河川工事で移転や境内の改築が行われ、現在に至っています。

 



出石神社
・豊岡市出石町宮内
●出石神社(いずしじんじゃ)
但馬開発の祖神、天日槍命を祀る

但馬一の宮といわれ、祭神は但馬開発の祖神、天日槍(あめのひぼこ)命と八種の宝が祀られています。天日槍は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。出石神社由来記には天日槍が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されています。
「祭具の鉾・首部」を所蔵し、天日槍命は太陽光の化身とも、祭具としての鉾の擬人化ともいわれています。また、龍が鉾に巻きついている姿は歌舞伎の柱まき(柱に手と足をかけみえをきること)の原型ではという説もあります。

出石神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えていますが、諸書によると奈良朝時代すでに山陰地方の有数の大社であったことがうかがわれます。

境内の門の脇に鳥居の一部が置いてありますが、これは出石川改修の際、川から出土したもので、平安時代のものだといいます。出土した付近は今でも「鳥居」という地名で、かつては一の鳥居、二の鳥居があったとされ、二の鳥居の一部ではないかといわれています。
現在の社殿は大正3年に再建され、本殿は三間社流れ造りで南に面しています。拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に身舎の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建物です。

 



養父神社
・養父市養父市場
●養父神社(やぶじんじゃ)
農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂命など五柱を祀る

延喜式の式内大社で、天平9年(737)但馬税正帳にも出石神、粟鹿神と共に名を連ねる古い宮です。鎌倉時代には多くの社田を持ち、三重の塔、堂、坊をもった神宮寺のあったことも知られています。現在の社務所は江戸時代の別当寺、普賢寺です。
祭神は農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂(うがのみたま)命をはじめ大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆尼命の五柱を祀っています。春の大祭、八十八夜祭など年間多くの祭りがあり、春の桜、秋の紅葉など信仰、名所としてにぎわいます。また、但馬の3大祭りに数えられる「お走りまつり」が伝えられ、4月15日から16日にかけて、御輿が町内を横断し、約18km離れた斎神社へお参りを行います。特に15日の大屋川渡りは圧巻です。

 



粟鹿神社
・朝来市山東町粟鹿
●粟鹿神社(あわがじんじゃ)
約600年前に国家平癒を祈願、勅使門を建立

但馬国一の宮、延喜式に定める明神大社で、阿米弥佐利命が主祀神で、その他、諸々の神々が祀られています。創建は古く崇神天皇の頃と伝えられています。神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられたとされています。 当地方における数少ない遺構の一つとして貴重です。 本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれ、 頭貫には唐草模様が見られます。
また、御本殿裏の御塚には、日子坐王命が葬られ御陵として崇められています。境内の末社も由緒があり、1,540坪に及ぶ神域の社叢林は深厳な景観を形成し、町指定天然記念物です。