上小田の柳神社 |
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柳の根株を祀った神社 養父市八鹿町上小田区の柳神社の眼下には、但馬で1番大きい河川・円山川が流れています。樹木が付いた珍しいこの神社の名前は、この円山川にまつわる1つの伝説が由来となっています。
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上小田の柳神社 |
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柳の根株を祀った神社 養父市八鹿町上小田区の柳神社の眼下には、但馬で1番大きい河川・円山川が流れています。樹木が付いた珍しいこの神社の名前は、この円山川にまつわる1つの伝説が由来となっています。
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養父神社の狼像 |
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狼の力で守った白狼退治伝説「養父の明神さん」とよばれ、農業の神として地元の人に親しまれてきた養父市の「養父神社」。紅葉のシーズンや初詣に多くの人が訪れるこの神社に、珍しい石像があるのをご存じでしょうか。
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琴弾峠・袖ヶ池のお姫様伝説 |
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八木城の落城にまつわる悲話養父市八鹿町八木にある八木城跡は、国指定文化財でもある史跡です。その近くにある琴弾峠の山頂付近には、俳句の名所としても知られる池があります。袖ヶ池と呼ばれるこの小さな池には、とある姫の悲しい伝説が残っています。 その昔、八木城は、羽柴秀吉の大軍に攻められ落城しました。城主の八木豊信は切腹しましたが、豊信の娘の奈津江姫はなんとかこの戦いを逃れました。しかし、姫が琴弾峠から八木城を振り返ると、すでに城は真っ赤に燃えていました。力尽きた姫は池に身を投げ、自ら命を絶ってしまったそうです。数日後に姫が着ていた着物の袖が水面に浮かんできたことから、「袖ケ池」と呼ばれるようになったと伝わります。 一説によると琴弾峠という名は、その姫が琴を弾いたためだとも言われています。 また、麓の養父市大屋町宮垣区では、池に身を投げたのは三方城の姫とも伝えられていますが、いずれも命を落とす悲しい結末になっています。現在、池の周りには、姫の心を慰めるように美しい桜が植えられています。
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養父の太郎左衛門【やぶのたろうざえもん】
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羽柴秀吉の但馬平定で円山川の渡河を助けた太郎左衛門時は戦国時代。天下統一を進める織田信長の命を受けた羽柴秀吉は弟・秀長に命じて、但馬を平定し、天正8年(1580)、羽柴秀長は出石城主に任命されました。この時、羽柴秀長は功績のあった領内の農民に褒美を与えました。鮎をとる税金を免除し円山川の鮎を自由にとる免許状を6人に与えています。この頃から鮎取りが盛んだったようです。 その中でも、薮崎村の養父の太郎左衛門には、鮎取りの免許状ではなく、土地にかかる税金の一部を免除する諸公事免除の書状が与えられました。これは他の人たちと比べ、格段に高い恩賞になる。出石藩は明治維新まで約280年間も税金を免除しました。 養父の太郎左衛門はどんな手柄を立てたのでしょうか?当時、但馬の北部を攻めるにあたって、円山川を渡ることは大変重要なポイントでした。羽柴秀長は円山川を渡るために川舟を多数集め、また多くの兵たちを運んでくれる船頭も必要だったでしょう。中でも養父の太郎左衛門ほか8人は、増水した円山川で困っていた羽柴軍を、船で対岸まで運んだといいます。薮崎区では、太郎左衛門の功績を後世へ伝え、羽柴秀長の恩賞に感謝する「太閤祭」を毎年9月に太郎左衛門の供養塔の前で行っています。
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おりゅう柳【おりゅうやなぎ】
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切れない動かない、不思議な伝説が残る 地名「高柳」の由来となった大柳 養父市八鹿町・県立但馬全天候運動場の東側に、1本の柳の木が植えられています。その後ろにある大きな窪地。ここには窪地いっぱいに根をはった柳の大木があったと伝えられており、「おりゅう柳」伝説の場所となっています。その大柳は「高柳」の地名の元になったとされています。 |