表米神社の相撲桟敷【ひょうまいじんじゃのすもうざしき】

 

表米神社の相撲桟敷【ひょうまいじんじゃのすもうざしき】

表米神社の相撲桟敷

・朝来市和田山町竹田
・県指定文化財

●半円形に六段の珍しい石積段型桟敷
竹田城跡のふもとにある表米神社。格技を好んだと言われる表米宿弥命を祀り、境内には相撲桟敷が設けられています。
半円形に六段の石積段型桟敷は、全国でも非常に珍しく、県の文化財に指定されています。現代でいうところの野外観覧席で、江戸末期と明治期の座席割図が各1枚残っていることから、村の行事に利用されていました。角正面には舞台もあり、歌舞伎の見物などに使われたとも考えられます。

2013/05/29  

青谿書院【せいけいしょいん】

 

青谿書院【せいけいしょいん】

青谿書院

・養父市八鹿町宿南
・県指定文化財

●池田草庵が開いた漢学塾
幕末から明治の初めにかけて但馬聖人・池田草庵が開いた漢学塾で、明治の近代化を支えた多くの門弟が勉学に励みました。草庵はここで門人たちと寝起きをともにし、自ら模範をみせることで、知識と実行を兼ね備えた人間の育成に心を砕いたといいます。
建物は質実剛健という言葉にふさわしく、周囲にはのどかな田園風景が広がります。
便所の扉の内側には、門人たちが寝る間を惜しんで、夜の10時の消灯後にもロウソクを灯して勉強したススの跡が無数に残っています。
また、「青谿書院資料館」には、草庵の遺品、著書をはじめ、関係資料を数百点展示しています。教えを慕って入門した門人の数は、明治11年に亡くなるまで、全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を教育しました。
出身者には、日本金融界の基礎を築いた原六郎や日本近代眼科の父・河本金次郎、東大総長を2度つとめた浜尾新、琵琶湖疏水を開いた北垣国道などがいます。

2013/05/28  

甘棠亭【かんとうてい】

 

甘棠亭【かんとうてい】

甘棠亭
・養父市八鹿町伊佐
・県指定重要文化財

伊佐の黒松(九思の松)
・県指定重要文化財

●出石藩主を迎えた休憩所
江戸時代の最新技術が使われた伊佐の新田開発は、出石藩に願い出て行われた町人による水田開発です。延宝4年(1676)3月3日、時の出石藩主・小出英安公が自ら視察に赴くことになりました。この時、藩主を迎える休憩所として建てられたのが甘棠亭です。旧小出医院と小出家本宅の間にあります。一重入母屋造で茅葺、内部には上段の間と下段に分けられ、藩主を迎える格式を持ちます。
地誌「但馬考」を編集した出石藩の儒官・桜井舟山は当家に生まれ、その師である伊藤蘭嵎が「甘棠亭」と名付けました。
文化15年(1818)にも藩主・仙石政美公を始めとする147人を迎え、さらに文政7年(1827)にも政美公は甘棠亭に訪れました。藩主御座所の姿を今に伝える貴重な遺構として、兵庫県の重要文化財に指定されています。
甘棠亭が建てられた際、庭の一角に「九思の松」という黒松が植えられ、長らくシンボルとして県の文化財にも指定されていましたが、昭和52年に滅失。現在は石碑が建立されています。

2013/01/31  

米里薬師堂【めいりやくしどう】

 

米里薬師堂【めいりやくしどう】

米里薬師堂

・養父市八鹿町米里
・県登録有形文化財

●彫刻付きの蟇股で飾られた薬師堂
17世紀後半の建築とされており、市内最古の薬師堂で、薬師如来坐像等を祀っています。明治初期の廃仏棄釈で、地域住民が現在地に移築し、保護してきました。薬師堂は一辺が5.9mの正方形で木造平屋建ての瓦葺。土間に床板を張り、畳敷にする改修が行われていますが、壁面の一部には当初の窓や腰板が残っています。禅宗様建築で、建物の柱は先端を丸く削った粽(ちまき)という方法が採用されています。
薬師堂外面にある蟇股(かえるまた)の彫刻には天女、竹に虎、蓮、梅に鶯、象、松、菊水の彫刻があり、江戸時代前期の彫刻として貴重なものとされています。
平成23年8月16日に兵庫県登録有形文化財に登録されました。

2013/01/14  

二ノ宮神社【にのみやじんじゃ】

 

二ノ宮神社【にのみやじんじゃ】

二ノ宮神社

・養父市大屋町大杉
・本殿
県登録有形文化財

●ざんざこ踊り、豪華な彫刻が施された神社
毎年8月16日に奉納される「ざんざこ踊り」で有名な二ノ宮神社。本殿は文政11年(1828)に建てられました。屋根の正面に千鳥破風(ちどりはふ)と唐破風(からはふ)を付けており、屋根は入母屋造りとなっています。向拝にはガラスの玉眼が入った龍や白波の上を跳ねる兎、獅子の顔を彫った獅噛神など、豪華な彫刻が施されています。また縁側には、擬宝珠高欄(ぎほうじゅこうらん)といって青銅製の宝珠をのせた欄干が作られています。
脇障子の後ろ側には「丹州柏原町住人、彫物師、中井権次橘正貞」のほか「中井清次郎正用、久須真助正笑」と朱書きで彫られています。中井氏は江戸時代後期に北近畿で多くの社寺に彫刻を残した彫刻家で、二ノ宮神社は第六代と第九代の二人の中井権次が彫刻を残した貴重なものとされています。

2013/01/14  

東西寺【とうざいじ】

 

東西寺【とうざいじ】

東西寺
・朝来市生野町口銀谷

・本堂、東照宮

県登録有形文化財

●徳川歴代将軍を祀る寺院
朝来市生野町口銀谷の寺町通りにある8ヶ寺の1つです。浄土宗の寺院で、徳川家康の尊像と2代から14代までの徳川歴代将軍の位牌が祀られています。
生野銀山は江戸時代、幕府の直轄地であったので、元和2年(1616)、徳川家康の没後、当時の銀山奉行であった山川庄平衛が家康公の菩提を弔うため、お堂(東照寺、後の玉翁院)を建てたことが始まりとされています。歴代の奉行、代官はこれに習って、歴代将軍が亡くなるごとに位牌を祀ることにしました。生野銀山が幕府の直轄地であったことを物語るエピソードといえます。
玉翁院にあった位牌は昭和27年(1952)に東西寺に移りました。位牌は境内の東照宮に祀られており、本堂と合わせて、兵庫県の登録文化財になっています。

2013/01/14  

常光寺【じょうこうじ】

 

常光寺【じょうこうじ】

常光寺
・朝来市和田山町竹田

・本堂、鐘楼、山門

県登録有形文化財

●竹田城の初代城主・太田垣光景を祀る
天空の城として知られる竹田城の初代城主・太田垣光景の菩提寺。光景は但馬の守護大名山名宗全の四天王の1人で、土塁をもとにした竹田城を約13年の歳月を費やして築いたと伝えられています。しかし、織田信長の命による羽柴(豊臣)秀吉の但馬征伐により敗北。境内には石塔が光景の墓碑として残っています。
慶長15年(1610)に全町が焼失した後、現在地に移りました。本堂は入母屋造平屋建で、建立は寺伝により享保18年(1733)と伝わっています。山門は薬医門で、支輪を使用しており、近世の山門には珍しい意匠が凝らしてあります。
また、寺町通りの4ヶ寺には石橋が架かっていますが、その中でも最も古い宝永4年(1707)の文字が常光寺の橋に刻まれています。

2013/01/14  

大歳神社【おおとしじんじゃ】

 

大歳神社【おおとしじんじゃ】

大歳神社

・朝来市生野町口銀谷
・本殿、拝殿、玉垣、
壱の鳥居、弐の鳥居、
摂社当勝神社、
摂社戎神社
県登録有形文化財

●生野銀山町に鎮座する神社
朝来市生野町口銀谷の景観形成地区に鎮座する神社で、建立年代は棟札より明治25年(1892)とされ、大正12年に現在の場所に移築されました。本殿は一間社流造で、屋根はこけら葺です。拝殿は入母屋造平屋建で、建立は棟札より大正12年です。
摂社である当勝神社・戎神社も一間社流造で、幕末から明治期に建立されました。昭和15年建立の壱の鳥居は明神鳥居で、石造りの弐の鳥居は明治27年建立の稲荷鳥居です。
また、境内の周りを囲む石造りの玉垣も立派なもので、刻銘から大正12年の移築の際に建てられたものと考えられています。平成19年にこれら全てが兵庫県の有形文化財に登録されています。

2013/01/14  

斎神社【いつきじんじゃ】

 

斎神社【いつきじんじゃ】

楯縫神社本殿

斎神社

・養父市長野
・摂社楯縫神社本殿
県登録有形文化財

●お走り祭りの伝説で知られる神社
斎神社は長野区の101戸がお護りする神社で、養父神社の神輿が斎神社までの往復40キロを練り歩く「お走り祭り」で有名です。本殿は屋根が前方に長く伸びる一間社流造でしたが、平成21年8月の台風9号による豪雨災害で倒壊しました。このため本殿は解体修理されています。昭和10年に村社から郷社に昇格したことを記念して、昭和12年に彫刻の立派な本殿に新築されたものです。
拝殿には、市指定文化財「斎神社のお走り絵馬」がありました。明治32年に地元の絵師村上墨渓が、斎神社に到着した江戸時代のお走り祭りの祭礼行列を描いた奉納絵馬です。
摂社の楯縫神社は元々、斎神社の本殿であったものです。宝暦10年(1760)建立で、奇跡的に台風9号の土砂災害からまぬがれました。一間社流造で、地元長野村の大工など4名で建築しています。兵庫県の有形文化財に登録されています。

2013/01/14  

観音寺【かんのんじ】

 

観音寺【かんのんじ】

観音寺
・朝来市和田山町竹田

・本堂、観音堂、経蔵、
鐘楼、山門、庫裡

県登録有形文化財

●竹田城下町の歴史的景観を形づくる寺院
竹田城下町にある臨済宗の寺院で、本堂・観音堂・経堂・鐘楼・山門・庫裡が、兵庫県の有形文化財に登録されています。
本堂は六間取り(表3室、裏3室)の典型的な方丈形式で、建立は寺伝から宝暦14年(1764)です。観音堂、経堂、鐘楼は宝形造で、いずれも18世紀後半の建物とされています。
山門は四脚門で屋根は桟瓦葺、こちらも18世紀後半の建立とされ、いずれも竹田城下町の歴史的景観を形づくっています。
また、転輪経蔵は仏教の教えをまとめた一切教を納める八角柱の書架の中心に軸を入れて回転するように作られたものです。功徳を積むことのできない庶民でも、これを回すことによって同じ功徳を得られるとされています。但馬の中でも、転輪経蔵を持つ寺院は珍しく、文化財としてだけでなく、美術工芸品としても貴重なものです。