宇日の流紋岩【うひのりゅうもんがん】

 

宇日の流紋岩【うひのりゅうもんがん】

・県指定文化財
・豊岡市竹野町宇日

●断崖の流紋岩が流理構造
豊岡市北部の竹野海岸の平井の鼻から宇日海岸・田久日海岸にかけて見られる流紋岩の露頭で、海岸線に連続して見ることができます。
流紋岩の「流理」とは、シリカに富む細粒やガラス質の火成岩が規則正しく配列し稿状になっていることを指します。まるで渦巻きのような様は神秘的な光景を生み出しています。。

波食甌穴群【はしょくおうけつぐん】

 

波食甌穴群【はしょくおうけつぐん】

・県指定文化財
・豊岡市竹野町竹野

●波の浸食で形成された無数の丸い穴
海水浴場として知られる竹野浜の西にある、兵庫県最北端の猫崎半島。
その西海岸の岩盤には、無数の丸い穴「甌穴(ポットホール)」があります。
これは岩盤に生じた窪みに小石が絡まり、波の作用で小石がグルグルと回され削られてできたものです。普通は河床でみられる「甌穴」ですが海食によるものは珍しいとされています。
数千年の歳月をかけて、波が岩棚の石を回転させて掘り下げた結果できたこの甌穴群の奇観は、学術的価値の高いものとされています。

漣痕化石【れんこんかせき】

 

漣痕化石【れんこんかせき】

・県指定文化財
・香美町香住区下浜

●浸食作用で作られた規則的な微地形
水に接する砂質の堆積物の表面には、波の作用で作られた周期的なうねり模様が残ることがあります。
これを「漣痕(リップルマーク)」と呼びます。

約2,000万年前、香住区下浜付近一帯は「古浜坂湖」という淡水湖で、底の泥に刻まれた波の跡は、礫質の砂の層に覆われていました。
それが化石となって残り、海抜14mの地層中に波長50~60cmの波形が延長50m、東西方向に並んでいます。

鎧の袖【よろいのそで】

 

鎧の袖【よろいのそで】

・国指定天然記念物
・香美町香住区下浜

●斜度70度でそそり立つ断崖
幅200m、高さ70m、斜度70度でそそり立つ断崖。
約1,000万~300万年前の火山活動によって形成されたといわれています。

柱状節理の発達した流紋岩質デイサイトからなり、上部には板状の岩石の割れ目が発達しています。
その形状が鎧の“おどし”(袖)に似ていることから、この名前がついています。
美しく迫力ある大海食崖で、国の天然記念物に指定され、日本百景にも選定されています。
また、延長線上にある「鷹ノ巣島」と「蜂ノ巣島」は、鎧の袖の岩床が海食によって海中に分離してできたもので、この2島も柱状節理が発達し、美しい景観をみせています。

但馬御火浦【たじまみほのうら】

 

但馬御火浦【たじまみほのうら】

旭洞門


三尾大島

・新温泉町~香美町
・国指定名勝・天然記念物

●火山活動の様子や海食地形を観察
新温泉町浜坂湾東部の小浜谷から香美町香住区伊笹岬の間の海岸を指します。
この一帯は、昔ここで起きた火山活動の様子や海食地形を観察することができます。
西南西、東北東方向の直線的な海岸線は、海食崖や礫浜の奇岩怪石が続いています。

特に三尾地区では、貫入岩の流紋岩質デイサイトの美しい柱状節理からなる「三尾大島」が素晴らしい景観をみせてくれます。遊覧船からは三尾大島をはじめ、柱状節理・岩脈・洞門などが多くの地学現象が観察されます。

香住海岸【かすみかいがん】

 

香住海岸【かすみかいがん】

・鷹ノ巣島


・めがね洞門

・香美町香住区境~下浜
・国指定名勝

●山陰海岸における最も湾入に富んだ隆起海岸
山陰海岸における最も湾入に富んだ隆起海岸で、入り組んだ海岸美や洞門、奇岩が点在しています。
香美町香住区の境~下浜に至る海岸線を指し、複雑に屈曲した海岸線に、無数の洞窟や断崖、奇岩が連なり見事な造形美をつくり出しています。
エリア内には国指定天然記念物の鎧の袖や鷹ノ巣島、但馬松島、めがね洞門などの景勝地があります。特に遊覧船からはさまざまな地質が見られます。
また、海岸の岩場には多くの動物の足跡化石や流痕など貴重な地質遺産が多数残されています。昭和13年(1938)5月には国の名勝に指定されました。

切浜の「はさかり岩」【きりはまのはさかりいわ】

 

切浜の「はさかり岩」【きりはまのはさかりいわ】

・県指定文化財
・豊岡市竹野町切浜

●2本の礫岩の間に挟まった球状の礫岩
はさかりとは但馬の方言で「挟まる」という意味で、
海中から突き出た2本のロウソクのような岩の間に、直径3~4メートルの球状の岩が挟まれて奇観を形成しています。洞門の天井部が崩れ落ちる途中でひっかかって止まったものと考えられています。
道路脇にはロードパークがあり、また、ジオカヌーに乗って海から見ると、陸側とは違った景観を見ることができます。

玄武洞【げんぶどう】

 

玄武洞【げんぶどう】
・国指定天然記念物
・豊岡市赤石
●亀甲に似た六角形の石柱が群立
自然がつくり出した芸術ともいうべき、見事な柱状摂理で知られる玄武洞。亀甲に似た六角形の石柱が群立しています。
160万年前の噴火によって流れ出たマグマが冷え固まって形成されました。中でも代表的な「玄武洞」は、マグマ冷却時の熱対流の動きを最もよく表す柱状節理です。
地元では「灘岩」と呼び、石垣などに多く使われています。昭和6年(1931)には、玄武洞及び青龍洞が国の天然記念物、昭和38年(1963)には周辺地域一帯が山陰海岸国立公園に指定されました。世界の地質公園である山陰海岸ジオパークの見所のひとつでもあります。
1929年に京都帝国大学の松山基範博士が地磁気の逆転説を世界で初めて発表した場所であり、国際的にも貴重な場所として知られています。
公園内には「玄武洞」「青龍洞」「白虎洞」「南朱雀洞」「北朱雀洞」の5つの洞があります。

2013/05/28  

玉水神社のムクノキ林【たまみじんじゃのむくのきりん】

 

玉水神社のムクノキ林【たまみじんじゃのむくのきりん】

・県指定天然記念物
・養父市玉見

●巨木が生い茂る社そう林
菅原道真を祀る玉水神社は、かつて洪水により流された時、同地であ最も樹木の茂った現在地を選び、移築されたと伝わります。樹齢300年以上のムクノキ、イチョウ、ケヤキなどの社そう林が県の天然記念物に指定されています。
樹高30メートルを超える巨木が並び立ち、荘厳な印象を与えています。特に樹高約40メートル、幹周り約5.5メートルのムクノキは、但馬地域で稀にみる巨木です。

2013/05/28  

コウノトリ

 

コウノトリ

コウノトリ
国指定特別天然記念物
コウノトリは日本にすむ鳥の中ではもっとも大きな鳥で、翼の長さは58~67センチ。翼を開くと2メートルに達する。長い首と脚、太く長いくちばしをもった水辺の鳥で、学名キコニア・ボイキアナ(Ciconia boyciana)・英名ジャパニーズ・ストーク(Japanese Stork)。または、オリエンタルホワイト ストーク(Oriental white stork)

体の羽は白く、脚は赤い。目のまわりとのどは赤い皮膚が見え、翼は風切羽が黒く、体重は4~6キロある。日本以外ではソ連のウスリー地方・アムール地方、中国東北部に住んでいるが、どこも数が減っている。


コウノトリの郷公園
・TEL0796-23-5666
コウノトリ文化館
コウノピア

・TEL0796-23-7750
・豊岡市祥雲寺
・午前9時~午後5時
・毎週月曜日休館 無料
 

●関連情報
コウノトリの郷公園
コウノトリ文化館
コウノトリ市民研究所

●生態
 コウノトリは木の上に巣をつくります。枝やワラ、草をしきつめた大きな巣です。エサは川、池、沼、水田、草原で魚やカエル、昆虫など生きた小動物。ドジョウやナマズなど、うろこが小さく、骨も比較的にやわらかい魚を好み、トノサマガエル、イナゴ、バッタ、コオロギもよく食べ、ネズミやスズメなども捕まえて食べることもあります。
卵を産むのは3月中旬から4月下旬ころにかけて、卵は1~2日おきに3~4個くらい産みます。卵の大きさは直径7.5cm、短経5.5cm、重さは130gほどで、ニワトリの大きさの2倍あり、色は白色。卵はオスとメスが交替で抱き、約35日ほどでヒナがふ化します。エサも交替で取りに行き、夫婦が協力して育てます。ふ化して2カ月もすると親と同じくらいに成長し、巣立ちします。5年で成鳥となります。コウノトリは一夫一婦制を守り、夫婦でヒナを育てる鳥です。
コウノトリは発声器が発達していないので声が出せません。その代わりにくちばしを開閉して「カタカタカタ」と大きな音をたてます。これをクラッターリングといい、愛情の表現や、外敵に対する警戒、威かくの意味があります。

●歴史
明治維新の頃までは、コウノトリは日本の各地に住んでいましたが、維新以後乱獲され、急に数が少なくなりました。明治25年、保護の勅令が出され、明治27年狩猟法が公布され、ようやく法によって保護されることとなりました。大正10年、豊岡市出石町桜尾にある鶴山のコウノトリが天然記念物に指定され、コウノトリ黄金時代にはいりました。
しかし、水田でエサをついばむコウノトリは大きな脚で苗を踏み荒らし、農家の人々にあまりよい印象を持たれていないこともありました。
太平洋戦争で国有林の鶴山の松が伐採され、食糧増産のためにと水田に来るコウノトリをおびやかしたために、四散してしまいました。
昭和26年、養父市八鹿町浅間にコウノトリの巣ごもりを見つけ、天然記念物の指定を鶴山より浅間へ変更しました。このころから、コウノトリは豊岡市周辺に移動をはじめ、昭和28年、天然記念物の指定を「棲息地」からコウノトリという「種」の指定に切り替え、全国的に保護されることになりました。
昭和30年、コウノトリ保護協賛会(のちに但馬コウノトリ保存会と改称)が発足し、保護事業を組織化して、官民一体となって進めることとなり、ドジョウの給餌やそっとしてやる運動などを展開してきました。
昭和31年、天然記念物を特別天然記念物に指定されました。ところが、この頃から繁殖するものはなく、昭和33年と昭和34年に豊岡市福田で1羽ずつヒナがかえったのを最後に、年々その数は少なくなる一方でした。
そこで、昭和40年、保護と増殖のため人工飼育に踏み切り、全国唯一の専門施設「コウノトリ保護増殖センター」が豊岡市に誕生しました。
しかし、昭和46年野外での生息は、豊岡市百合地の人工巣塔にいた最後の一羽が傷ついて死亡しました。
昭和60年7月ソ連ハバロフスク地方から兵庫県に6羽が贈られ、飼育場に入舎しました。センターができてから25年目の平成元年、待望のヒナが誕生しました。その後、次々とヒナが育っていきました。
平成11年「兵庫県立コウノトリの郷公園」がオープンし、世界で初めて、コウノトリを自然に帰す活動が始まりました。
平成17年9月には、コウノトリ野生復帰の第一歩として、9羽のコウノトリが試験放鳥。平成19年7月には、国内の自然界で46年ぶりとなる野生コウノトリのヒナが巣立ち、野生復帰計画は大きな一歩を踏み出しました。

開園10周年にあたる平成21年は、豊岡市但東町唐川区放鳥拠点からコウノトリ2羽が放鳥され、2009年11月1日現在、38羽のコウノトリが放鳥されています。コウノトリの郷公園やボランティアにより、放鳥個体の追跡調査が行われています。

こちらよりコウノトリの動画をご覧いただけます。