2014/08/11  

川崎尚之助ゆかりの地めぐり【かわさきしょうのすけゆかりのちめぐり】

 

川崎尚之助ゆかりの地めぐり
【かわさきしょうのすけゆかりのちめぐり】

願成寺
川崎尚之助供養碑


宗鏡寺


出石城跡


出石皿そば

●関連情報
2013年大河ドラマ
「八重の桜」公式サイト


●NHK大河ドラマ『八重の桜』
山本八重の最初の夫、豊岡市出石町出身「川崎尚之助」

生い立ち
 天保7年(1836)に出石の本町に住む川崎才兵衛の子として生まれました。19歳の頃、江戸の大木仲益(後の坪井為春)などの高名な塾で蘭学や舎密学を学び、その頃に会津藩士で八重の兄でもある山本覚馬と出会いました。尚之助が、若くして洋式銃や兵法書の翻訳などに通じていたことが、会津藩砲術指南の跡取りだった覚馬の目にとまったのでしょう。
こうした縁あって尚之助は、会津に招聘されるごとく、山本家の居候として八重の実家で暮らし始めます。藩校の日新館で蘭学を教授し、銃器・弾丸の製造指導にも知識を発揮したようです。そして慶応元年(1865)尚之助が29歳の時、八重(当時21歳)と結婚しました。
●尚之助ゆかりの地

願成寺(がんじょうじ)
 川崎家の菩提寺で、山名氏創建であると伝えられています。由緒ある山門は江戸時代のもので、市の文化財に指定されています。
明治10年代に記された墓石明細簿には、尚之助と同じ没年月日の戒名が確認できます。墓地の所有者は、川崎才兵衛の息子川崎渉一。同じ墓域に才兵衛の墓もありました。戸籍をたどってもほかに該当者がいないことなどから、歴史研究家あさくらゆうさんは「郷里を離れて死んだ尚之助を弔ったとみて、ほぼ間違いないだろう」としています。
現在、墓石は残っていませんが、2013年に地元有志によって山門前に供養碑が建てられています。

宗鏡寺(すきょうじ)
 中世の大名、山名氏の創建で、出石藩主の菩提寺。荒廃していたお寺を元和2年(1616)に沢庵和尚が再興したことから沢庵寺とも呼ばれています。敷地には山名、小出、仙石家、そして沢庵和尚の墓碑があり、県指定文化財の庭園(沢庵和尚作)も備えています。江戸時代に川崎家はこの寺院に灯篭を寄贈しています。

川崎尚之助生家跡
 川崎家は文政末期(1830以前)には、この地に居宅があったことが確認されています。明治9年(1876)の大火により一度は焼失していますが、川崎渉一によって再建され、明治25年(1892)までこの家に住んでいました。建物は当時のもので、現在は化粧品店になっています。

出石城跡
 出石藩仙石家の居城。実際に藩主もこの地に居住しており、幕末維新期には川崎家も登城していました。
現在は城郭を残すのみとなっており、春は桜、秋には紅葉のスポットとしてシーズンには観光客で賑わいます。


●散策モデルコース

●出石散策マップ

 

2013/10/29  

豊岡復興建築群【とよおかふっこうけんちくぐん

 

豊岡復興建築群【とよおかふっこうけんちくぐん
豊岡市役所
豊岡市役所本庁舎

トヨオカ自動車店
トヨオカ自動車店

豊岡復興建築群

・豊岡市
・近代化遺産

●北但大震災から復興したモダンストリート
旧豊岡市の中心である「大開通り」や「宵田通り」には、1925年(大正14)5月の北但大震災後に復興した建物が数多く残っています。「豊岡復興建築群」とは、震災後の昭和初期に建てられた鉄筋コンクリート造り の建物群のことをいい、但馬の近代遺産として注目されています。
震災後に起きた火災を教訓に防火帯を設けるべく、防火建築の促進を目的とした補助制度が創設され、大開通りを中心に48棟が建設されました。現在でも43件が当時のまま残っており、震災後の数年間にできた建物が、一部の地域にこれだけ集中しているのは、全国的にも珍しいといえます。
豊岡市役所本庁舎、南庁舎(元郵便局)、南庁舎別館(元銀行)などは著名な建築家が手がけており、随所に印象的な装飾が施されています。
大開通り東側にあるトヨオカ自動車店は、ひときわ目立つ斬新な建物で、屋根には2階建てでありながら、より大きくみえるように王冠のような壁が立ちあがっています。市役所から東側に少し離れた通りに面している三戸一の共同ビルは、一軒一軒の窓のデザインが違うモダンアートな建物。

このほかにもレリーフを掲げた建物、玄関両サイドに柱をそなえた和洋折衷の建物など、街を歩けばいくつも発見できます。

2013/05/29  

轟の太鼓踊【とどろきのたいこおどり】

 

轟の太鼓踊【とどろきのたいこおどり】
轟の太鼓踊
・県指定文化財
・豊岡市竹野町轟

 

●蓮華寺で行われる盆の施餓鬼供養の仏事
蓮華寺で行われる盆の施餓鬼供養の仏事として踊られる轟の「太鼓踊り」。
特徴はその素朴さにあるといわれています。
同じ系統に属する「ざんざか・ざんざこ踊り」は衣裳や踊りに工夫を凝らすのに対し、
「太鼓踊り」には派手さもなく、衣裳も白浴衣のみです。踊りの構成は「ザンザンザカザット」の囃子込み太鼓と唄の部分が交互に演じられます。
その成立や起源についてははっきりと分かっておらず、締太鼓に江戸時代後期の年号が記されていることから、少なくともこの頃から踊っていたことが分かっています。昭和34年頃を最後に一時途絶えましたが、平成4年、約30年ぶりに地元有志によって復活しました。

表米神社の相撲桟敷【ひょうまいじんじゃのすもうざしき】

 

表米神社の相撲桟敷【ひょうまいじんじゃのすもうざしき】

表米神社の相撲桟敷

・朝来市和田山町竹田
・県指定文化財

●半円形に六段の珍しい石積段型桟敷
竹田城跡のふもとにある表米神社。格技を好んだと言われる表米宿弥命を祀り、境内には相撲桟敷が設けられています。
半円形に六段の石積段型桟敷は、全国でも非常に珍しく、県の文化財に指定されています。現代でいうところの野外観覧席で、江戸末期と明治期の座席割図が各1枚残っていることから、村の行事に利用されていました。角正面には舞台もあり、歌舞伎の見物などに使われたとも考えられます。

2013/05/29  

青谿書院【せいけいしょいん】

 

青谿書院【せいけいしょいん】

青谿書院

・養父市八鹿町宿南
・県指定文化財

●池田草庵が開いた漢学塾
幕末から明治の初めにかけて但馬聖人・池田草庵が開いた漢学塾で、明治の近代化を支えた多くの門弟が勉学に励みました。草庵はここで門人たちと寝起きをともにし、自ら模範をみせることで、知識と実行を兼ね備えた人間の育成に心を砕いたといいます。
建物は質実剛健という言葉にふさわしく、周囲にはのどかな田園風景が広がります。
便所の扉の内側には、門人たちが寝る間を惜しんで、夜の10時の消灯後にもロウソクを灯して勉強したススの跡が無数に残っています。
また、「青谿書院資料館」には、草庵の遺品、著書をはじめ、関係資料を数百点展示しています。教えを慕って入門した門人の数は、明治11年に亡くなるまで、全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を教育しました。
出身者には、日本金融界の基礎を築いた原六郎や日本近代眼科の父・河本金次郎、東大総長を2度つとめた浜尾新、琵琶湖疏水を開いた北垣国道などがいます。

宇日の流紋岩【うひのりゅうもんがん】

 

宇日の流紋岩【うひのりゅうもんがん】

・県指定文化財
・豊岡市竹野町宇日

●断崖の流紋岩が流理構造
豊岡市北部の竹野海岸の平井の鼻から宇日海岸・田久日海岸にかけて見られる流紋岩の露頭で、海岸線に連続して見ることができます。
流紋岩の「流理」とは、シリカに富む細粒やガラス質の火成岩が規則正しく配列し稿状になっていることを指します。まるで渦巻きのような様は神秘的な光景を生み出しています。。

波食甌穴群【はしょくおうけつぐん】

 

波食甌穴群【はしょくおうけつぐん】

・県指定文化財
・豊岡市竹野町竹野

●波の浸食で形成された無数の丸い穴
海水浴場として知られる竹野浜の西にある、兵庫県最北端の猫崎半島。
その西海岸の岩盤には、無数の丸い穴「甌穴(ポットホール)」があります。
これは岩盤に生じた窪みに小石が絡まり、波の作用で小石がグルグルと回され削られてできたものです。普通は河床でみられる「甌穴」ですが海食によるものは珍しいとされています。
数千年の歳月をかけて、波が岩棚の石を回転させて掘り下げた結果できたこの甌穴群の奇観は、学術的価値の高いものとされています。

漣痕化石【れんこんかせき】

 

漣痕化石【れんこんかせき】

・県指定文化財
・香美町香住区下浜

●浸食作用で作られた規則的な微地形
水に接する砂質の堆積物の表面には、波の作用で作られた周期的なうねり模様が残ることがあります。
これを「漣痕(リップルマーク)」と呼びます。

約2,000万年前、香住区下浜付近一帯は「古浜坂湖」という淡水湖で、底の泥に刻まれた波の跡は、礫質の砂の層に覆われていました。
それが化石となって残り、海抜14mの地層中に波長50~60cmの波形が延長50m、東西方向に並んでいます。

鎧の袖【よろいのそで】

 

鎧の袖【よろいのそで】

・国指定天然記念物
・香美町香住区下浜

●斜度70度でそそり立つ断崖
幅200m、高さ70m、斜度70度でそそり立つ断崖。
約1,000万~300万年前の火山活動によって形成されたといわれています。

柱状節理の発達した流紋岩質デイサイトからなり、上部には板状の岩石の割れ目が発達しています。
その形状が鎧の“おどし”(袖)に似ていることから、この名前がついています。
美しく迫力ある大海食崖で、国の天然記念物に指定され、日本百景にも選定されています。
また、延長線上にある「鷹ノ巣島」と「蜂ノ巣島」は、鎧の袖の岩床が海食によって海中に分離してできたもので、この2島も柱状節理が発達し、美しい景観をみせています。

但馬御火浦【たじまみほのうら】

 

但馬御火浦【たじまみほのうら】

旭洞門


三尾大島

・新温泉町~香美町
・国指定名勝・天然記念物

●火山活動の様子や海食地形を観察
新温泉町浜坂湾東部の小浜谷から香美町香住区伊笹岬の間の海岸を指します。
この一帯は、昔ここで起きた火山活動の様子や海食地形を観察することができます。
西南西、東北東方向の直線的な海岸線は、海食崖や礫浜の奇岩怪石が続いています。

特に三尾地区では、貫入岩の流紋岩質デイサイトの美しい柱状節理からなる「三尾大島」が素晴らしい景観をみせてくれます。遊覧船からは三尾大島をはじめ、柱状節理・岩脈・洞門などが多くの地学現象が観察されます。