福王寺【ふくおうじ】
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福王寺 ・木造阿弥陀如来立像 県指定文化財 |
●平安時代と鎌倉時代の様式を合わせ持つ仏像 |
福王寺【ふくおうじ】
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福王寺 ・木造阿弥陀如来立像 県指定文化財 |
●平安時代と鎌倉時代の様式を合わせ持つ仏像 |
今滝寺【こんりゅうじ】
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今滝寺 ・鰐口(工芸品) |
●鎌倉時代中期の特徴を表す「金剛力士立像」 |
浅間寺【せんげんじ】
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浅間寺 ・木造薬師如来坐像 |
●戦国武将・八木氏の庇護を受けた古刹 |
鉱石の道【こうせきのみち】
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神子畑選鉱所
鉱石の道 ●関連情報 |
●明延~神子畑~生野鉱山を結ぶ輸送ルート 生野鉱山(朝来市生野町)、神子畑鉱山(朝来市)、明延鉱山(養父市大屋町)は、明治時代から昭和にかけて、国内のスズや銅の主力産地として日本の近代産業を支えました。これら3つの鉱山には、鉱石や人、物資を運ぶため、鉱石輸送の専用道路が整備されていました。明延で採掘された鉱石が、専用電車(一円電車)で神子畑選鉱所へ運ばれて選鉱・製錬され、専用道路で生野精錬所に輸送。 高純度のインゴットとなって、生野鉱山本部から銀の馬車道を通って姫路・飾磨港へと運ばれていきました。 現在、明延~神子畑~生野間の輸送ルートは「鉱石の道」と名付けられ、産業遺産をめぐる観光ルートとして整備されています。現在も残る「神子畑鋳鉄橋(日本最古の鋳鉄橋)」や「羽渕鋳鉄橋」は輸送路の整備のため建設されたもの。この山深い場所に近代的な鋳鉄製の橋が建設されたことは、明治政府の力の入れようを物語っています。 沿線ではその他にも、一円電車やムーセ旧居(外国人宿舎)など、往時を偲ぶ貴重な貴重な産業遺産群を見学するこができます。 |
宿南家住宅主屋【しゅくなみけじゅうたくおもや】
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宿南家住宅主屋 ・養父市八鹿町宿南 |
●養蚕農家の初期の形態を残す庄屋屋敷 1803年に建築された宿南家住宅主屋は木造2階建ての入母屋造で、現在も覆いのない茅葺き屋根が残る貴重な建物です。屋根裏を蚕室とした中3階建て(3層)構造になっていて、この地域独特の養蚕農家としての形式をとどめています。 但馬地域の中でも最も養蚕が盛んに行われていた養父市には、確認されているだけで824軒の養蚕農家が報告されていますが、宿南家住宅はその中でも最古のものとされています。養蚕農家の初期の形態を残す極めて稀少な建物として評価され、2008年に県の重要文化財に指定されました。 同地区には、「但馬聖人」と呼ばれ、明治・大正期を担う人材を多数育てた儒学者・池田草庵の私塾である「青谿書院」も立地しています。 ※同住宅は原則として非公開 |
八柱神社【やはしらじんじゃ】
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八柱神社 ・養父市八鹿町八鹿 |
●19世紀前期の組物、彫刻が残る 養父市八鹿町八鹿地区景観形成地区の重点文化財活用地区にある神社で、2007年(平成19)に県の文化財に登録されました。桁行一間、梁間一間の入母屋造で、屋根は柿葺。建立年代を示す資料は残っていませんが、建築様式から文化年間(19世紀前期)とみられています。 装飾性に富んだ建築で、獅子、木鼻の象、波と兎など、繊細で精巧な彫刻がみられます。また、屋根は複雑で丁寧なもので、入母屋造の本殿には、正面に千鳥破風を付け、さらに軒唐破風を重ねています。 当初の部材が状態の良いままで多く保存されており、地域の歴史や文化の特徴を示すものとして、貴重な建築物です。 |
八鹿駅舎と跨線橋【ようかえきしゃとこせんきょう】
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八鹿駅舎 ・養父市八鹿町八鹿 ・近代化遺産
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●国内で2番目に古い鋳物の柱脚が残る駅
八鹿駅舎は1908年(明治41)に建設され、1934年(昭和9)の改築で現在のようなモダンな姿になりました。玄関横には、八つの星をイメージした星形の窓が取りつけられています。 |
日光院【にっこういん】
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日光院 県指定古文書 ●関連情報 |
●妙見信仰の一大霊場として発展 養父市八鹿町石原にある日光院は、真言宗高野派に属して妙見山日光院といいます。寺伝では、六世紀に日光慶重という道士が草庵を結んで建立したのに始まると伝えています。本尊は弘法大師作とも言われる妙見大菩薩で、妙見信仰の一大霊場として発展しました。 日光院文書は県指定文化財で、巻子本六巻などに仕立てられた合計133通の古文書です。内容は応永十四年(1407年)から天正七年(1579年)までに書かれた室町時代の寄進状です。山名宗全をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの祈願所となりました。寺領は播磨、因幡にもおよび、中世にはその全盛が示されています。 |
三柱神社【みはしらじんじゃ】
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三柱神社 ・養父市八鹿町八鹿 |
●棟札から建立年代と彫刻師が判明 養父市八鹿町八鹿地区景観形成地区の重点文化財活用地区にある神社で、2007年(平成19)に県の文化財に登録されました。 神社建築を代表する一間社流造で、屋根は柿葺。大工や寄進者などを記した棟札により、建立年代は1782年(天明2)とわかりました。さらに、彫刻師・中井権次をはじめ木挽きなどの名も判明し、貴重な資料となっています。 丹波地方で著名な中井氏は、第4代中井忠貞が大工から彫刻師に家業を転換して栄え、江戸時代後期に北近畿で多くの社寺に豪華な彫刻を残しました。第6代中井正貞からは中井権次を襲名しています。 |
名草神社【なぐさじんじゃ】
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名草神社 ・養父市八鹿町石原
●関連情報 |
●標高760mと日本一高いところにある三重塔 標高1,139mの高さを誇る妙見山の8合目に但馬妙見名草神社はあります。妙見さんは澄みきった聖なる空間に鎮座し、稲の豊作を但馬の内外から多くの農民が列をなして参拝した但馬を代表する神社です。 境内の標高760mのところには三重塔があります。三重塔は出雲大社の境内に出雲国の守護大名である尼子経久が願主となって大永七年(1527年)に建立したものです。妙見社が出雲大社本殿の用材として妙見杉を提供した縁によって、出雲大社から三重塔を譲り受けました。寛文五年(1665年)1月に解体が始められて、船で日本海を渡り、名草神社の境内には5月に上がりました。雪に備えた突貫工事によって9月に竣工しました。 明治37年に国宝に指定されましたが、昭和25年の現在の文化財保護法によって国指定重要文化財となりました。また、昭和62年には解体修理工事が完成し、丹塗りの鮮やかな姿を見せています。 屋根は薄い杉板を何枚も重ね合わせたこけら葺きの屋根です。高さは23.9mもあり、三層目の軒下には四隅に四匹の猿の彫刻が置かれています。「見ざる、聞かざる、言わざる」という三猿は有名ですが、あと一匹は「思わざる」だと言われています。 宝暦四年(1754年)建築の本殿は県指定文化財で標高800mの場所に鎮座しています。正面は9間で、側面が5間あります。屋根は入母屋造という形で、こけら葺きです。正面には千鳥破風があり、その前には唐破風をつけた豪華な造りで、こうした正面から見た姿は日光東照宮の姿に例えられています。 拝殿も県指定文化財で、元禄二年(1690年)の建築です。本殿の前に庭を隔てて相対しており、正面は石垣からせり出すように建てられています。正面が5間で側面が2間あり、中央1間を通路とした形で、割拝殿と言います。名草神社で最も古い建物です。 |