2014/12/10  

ネッテイ相撲【ねっていずもう】

 

ネッテイ相撲【ねっていずもう】
ネッテイ相撲
・国選択文化財
・県指定文化財
・養父市奥米地

 

●現代の相撲の原型といわれる
養父市奥米地の水谷神社で行われる「ネッテイ相撲」は、平安時代から朝廷儀式として行われていたもので、四股を踏むことで悪霊を鎮めるとされる相撲神事です。 青色の裃姿の舞い手男性二人が、木太刀で一連の所作を行ったあと、相撲が奉納されます。上半身裸になり、「ヨイ、ヨイ、ヨイ」の掛け声で四股を踏み地を固め、手を振り下ろすことにより、天地が荒ぶれるのを鎮めます。その後、お互いの首をとって三度跳び上がり、元の位置に戻れるかどうかで豊凶を占います。当地では何度も繰り返すことを「練って、練って」といい、相撲の所作で行われる何回も足踏みを繰り返すことから「ネッテイ相撲」と言われるようになったとされています。
古くから伝わるこの「ねっていすもう」は、今の相撲の原型ともされ国選択無形民俗文化財、県指定文化財に指定され、地元の人たちが大切に守り続けています。

2014/08/16  

黒田官兵衛・豊臣秀吉ゆかりの地めぐり【くろだかんべい・とよとみひでよしゆかりのちめぐり】

 

黒田官兵衛・豊臣秀吉ゆかりの地めぐり
【くろだかんべい・とよとみひでよしゆかりのちめぐり】

史跡生野銀山
竹田城跡
(写真提供:吉田利栄)


八木城跡


出石城跡


出石皿そば


豊岡陣屋跡
(豊岡図書館)


カバンストリート
カバンステーション


御殿山公園
(村岡藩陣屋跡)


法雲寺・山名蔵


城山園地(芦屋城址)

●関連情報
2014年大河ドラマ

●NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』
豊臣秀吉の軍師として、天下取りを支えた戦国武将・黒田官兵衛。織田信長より中国攻めの総大将に任命された秀吉にとって、中国の雄・毛利氏と対峙する上で、但馬・播磨の諸将を抑えることは非常に重要なことでした。秀吉は2度但馬攻めを行い、その際には官兵衛も活躍したとされます。その後、但馬を治めた秀吉は、出石城に前野氏、豊岡城に宮部氏、竹田城に赤松氏、八木城に別所氏といった信任の厚い家臣を配置しました。現在もこれらの4城には城跡とともに城下町の風情が残っています。秀吉を助けた天才軍師「黒田官兵衛」
 天文15年(1546)、姫路城で黒田職隆の嫡男として生まれた黒田官兵衛。父・職隆は播磨国で力を持っていた御着城主・小寺政職の家老として仕え、官兵衛も16歳の時に政職の小性として出仕しました。若くして信任を得て、後に家督と家老職を継ぎ、姫路城代として小寺氏を支えました。
天正3年(1575)、織田方につくか、毛利方につくかで悩んだ政職に対して、織田につくよう説得。岐阜城で織田信長に会うと、中国攻めを進言しました。この際に秀吉と運命の出会いを果たし、鳥取城の兵糧攻めや備中高松城の水攻めなど、中国の雄・毛利勢との戦いで数々の功績を挙げました。
二人の運命を変えたのは、明智光秀による「本能寺の変」。主君・信長が討たれたことに泣き叫ぶ秀吉に対し、「御運が開けましたな」と言って、すぐに光秀を討って天下を取ることを進言したと言われています。
中国大返しを指揮し、山崎の戦いで見事、光秀を打ち破った秀吉と官兵衛。官兵衛はその後も側近として仕え、秀吉の天下統一に大きく貢献しました。

●官兵衛・秀吉ゆかりの地

竹田城跡・史跡生野銀山【朝来市】
 天空の城として有名な竹田城跡。大河ドラマ『軍師官兵衛』のオープニングタイトルバック、第一話にも登場し、ロケが行われました。竹田城下町には古民家を改装したカフェやレストランもあり、まち歩きに最適です。
天正5年(1577)の竹田城の戦いでは官兵衛も城攻めに加わったとされています。特に竹田城主が管轄してきた生野銀山は財源を確保する上で重要な場所で、この銀山確保を最初に進言したのは官兵衛であると言われています。史跡生野銀山は現在、観光坑道として一般公開されており、明治以降の近代的な坑道と江戸時代以前の手掘りの跡を同時に見学することができます。

八木城跡【養父市】
 但馬の代表的な山城遺構で、今も石垣・曲輪などの城跡が残っています。山名四天王の1人・八木氏が代々城主を務め、秀吉による但馬攻めによって落城しました。その後は秀吉の家臣である別所氏が治めました。
また、旧城下町には元々旅館だった建物を改装した「八木城交流館」があり、八木城について地元の人と語り合えます。

出石城跡と城下町出石【豊岡市】
 但馬守護・山名氏の本拠であり、秀吉による但馬攻めによって山城であった有子山城は落城しました。その後、弟の秀長が城主になるなど、但馬を治める重要拠点とされました。江戸時代に入ると、小出氏が治め、不便である山城は廃され、ふもとに出石城が築かれました。現在は城郭を残すのみとなっており、春は桜、秋には紅葉のスポットとしてシーズンには観光客で賑わいます。
また、江戸時代、5万8千石の城下町として栄えた町は但馬の小京都と言われ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。町内には40以上のそば店があり、5枚の小皿に盛られた「出石皿そば」が名物となっています。

豊岡城址(神武山公園)と城下町【豊岡市】
 豊岡市街地の中央に位置する桜の名所、神武山公園。ここはかつての豊岡城の本丸跡であり、山頂からは市街地が一望できます。官兵衛とともに秀吉を支えた有力家臣・宮部継潤(善祥坊)が治め、この際に「豊岡」と改名されました。善政をしいたとされ、市内の御霊神社は継潤を祀っています。
武家屋敷があった京町には古民家が残り、大石内蔵助の妻・りくは、豊岡藩の家老・石束家の出身で、生家跡の脇に生誕碑が建立されています。近くの宵田通りは「カバンストリート」と呼ばれ、地場産品であるカバンを販売するお店があります。

村岡藩陣屋跡(御殿山公園)と城下町【香美町】
 七美五郷の中心地として栄えた香美町村岡区。江戸時代、村岡を治めた山名氏の初代・豊国は名門山名氏の末裔であり、晩年は秀吉の御伽衆(相談役)を務めました。陣屋跡である「御殿山公園」は緑のきれいな散策コースとして整備され、桜・紅葉のスポットです。周辺には城主の妻が生活した奥方部屋や歴代藩主の墓所が残っています。城下町にある「法雲寺」は山名氏の菩提寺であり、境内の史料館「山名蔵(有料)」には、山名氏ゆかりの武具や書画などを展示しています。

芦屋城址(城山園地)【新温泉町】
 官兵衛が活躍した鳥取城攻めの際に敵対した「塩治周防守」の居城であったのがこの「芦屋城」です。別名を「亀ヶ城」と呼び、日本海を眼前に断崖絶壁に囲まれた城は、天然の要害となっています。現在は城山園地として日本海が一望できる公園として整備されています。桜の名所としても名高い場所で、ここから見渡す景色は昼間はもちろんのこと、夕方は日本海に沈む夕日が格別。恋人の聖地にも選定されていて、デートスポットとなっています。


●散策モデルコース

●官兵衛・秀吉ゆかりの地マップ

 

2014/08/11  

平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】

 

平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】

百手の儀式(御崎)
平家蕪(御崎)
白山神社(気比)
弁天公園(城崎温泉)


田久日の供養塔
田久日地区


三尾大島(三尾)
八柱神社(三尾)


姫ケ淵(横行)
横行渓谷の入り口にある湧き水(横行)


黒川ダム(黒川)
屏風神社(黒川)

●関連情報
香美町平家の落人伝説


●但馬に伝わる平家の伝承をたどる

香美町香住区余部(御崎)
 但馬の中でも色濃く平家の伝承を伝える香美町の御崎地区。壇ノ浦の戦いに敗れた、平清盛の異母弟である門脇宰相教盛を大将とする7人がこの地にたどり着いたとされます。山中から立ち上る一条の炊煙をたよりに崖をよじ登り、そこで出会った高野聖に土着を勧められた一行が、この地に身を置いたというのが村の始まり。毎年1月28日には、地区内の平内神社で、平家再興を願う神事「百手の儀式」が行われます。門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の少年が、的に目がけて101本の矢を射ます。
平内神社の脇には平教盛(門脇宰相)の供養碑が佇んでいます。また、息子の嫁である小宰相の局と孫の道家の供養塔もあります。漂着した平家一行の家柄は、門脇家・伊賀家・矢引家と、今でも代々御崎地区に伝わっています。
また、春先に集落一面を黄色に染める蕪の花も、平家の伝承が残っています。この蕪は「平家蕪」と呼ばれ、なぜか御崎地区だけに咲き誇ります。伝承では食糧に窮した門脇宰相の一族が、神に祈願をしたところ、この蕪に恵まれるようになったと伝わります。地元では主に葉と茎の部分を漬物にして食します。日本海と黄色の花びらが相まって絶好の写真スポットであり、シーズンはカメラマンで賑わいます。豊岡市気比・城崎温泉
 遠浅の砂浜が続く豊岡市の気比の浜。夏は海水浴、冬は対岸に位置する津居山港で揚がる「松葉がに」を目当てにたくさんの観光客で賑わいます。この風光明媚な里は、平家の侍大将であった平盛嗣が源氏の追っ手から身を隠したと伝わる場所。『平家物語』では越中次郎兵衛の通称で知られ、豪勇を讃えられる名将です。平家の家臣として、源氏との幾多の戦いに参戦しました。
しかし、壇ノ浦の戦いで敗れた後、この気比の地に逃れてきたといいます。この地を治めていた宮代将監(気比)道弘の家に、馬飼の下男として住むこととなりました。その後、道弘の娘である絹巻姫と結婚。平穏な日々を暮らしていた盛嗣ですが、やがて源氏の追っ手に見つかり、鎌倉にいる源頼朝の元へ護送されることになりました。盛嗣は頼朝の前でも屈せず堂々と自説を述べ、気骨のある平家武者として最後を遂げたといいます。地元の白山神社には、盛嗣の死を嘆いた絹巻姫が建立したと伝わる供養塔が残っています。
また、名湯「城崎温泉」に中心にある弁天公園にも供養塔があり、盛嗣も戦いの傷を癒すため、湯治に訪れたのかもしれません。

豊岡市竹野町田久日
 豊岡市竹野町田久日はかつて陸の孤島と呼ばれ、昭和40年に但馬海岸道路が開通するまで、船で移動するか、海岸沿いの険しい山道をつたわないと訪れることができない場所でした。平家伝承が残る海辺の村として、隣村の宇日地区ともに知られています。
平家の侍大将である「藤原景清(悪七兵衛)」と、「平盛嗣(越中次郎兵衛)」が但馬で最初に落ち延びた場所といい伝えられています。『平家物語』ではともに、豪勇として描かれている二人。地区内の高台にある公民館の脇には、その功績を讃える供養塔(碑)が残されています。村はずれには「舟隠し岩」や、武具や兵器を隠したといわれる石窟場所もあります。
また、大正の始めまで、同じ平家の里である香美町御崎地区とは、大晦日にのろしを上げあって互いの無事を確かめ合っていたともいいます。

新温泉町三尾
 眼前には三尾大島が優雅に浮かぶ新温泉町三尾地区。香美町の御崎地区と林道で結ばれ、平家の隠れ里ともいわれています。集落のシンボルである「三尾大島」は、周囲が約800メートルもある小島。頂上付近には厳島神社が祀られていることから、先祖は平家と関係があったのではないかと推測されています。そのことを示すかのように、氏神である八柱神社の例祭には、平家の旗印でもある赤いのぼり旗を掲げます。
「御火浦」というどことなくロマンチックな地名。名前の由来は、その昔、神功皇后が朝鮮半島へ出兵した際の出来事が始まりといわれています。三尾の日和山で漁師が焚いたかがり火が見えて、難を逃れた皇后は、そのお礼として「御火浦」という名を授けたとされます。その後度々、大火に見舞われたため、元の「三尾浦」に戻ったと伝わります。

養父市大屋町横行
 養父市大屋町栗ノ下から氷ノ山に登るコースにある横行渓谷はヤマメの泳ぐ美しい谷です。10~11月頃の秋には、ブナ原生林の紅葉が美しく、周辺の山々が紅や黄色に色づきます。この美しい渓谷には、ある平家一門の姫の悲しい物語が伝承されています。
由緒ある平家の姫とその家臣一行は、播磨の国から峠を越えて渓谷沿いを逃れている道中、この横行渓谷に辿り着きました。岩盤の丘に「平家ケ城」を築き、源氏の追っ手から身を隠します。平家ケ城から約1キロほど下った場所に、「見手ケ城」があります。ここに見張りをおき、旗を立てていました。その旗が倒れると敵の源氏が攻めてきた合図。しかし、台風のために旗が倒れ、城にいたお姫様は、敵に攻められたと思い、城の下を流れる渓谷に身を投げたといいます。この場所は「姫ケ淵」と呼ばれ、お姫様の悲話を今に伝えています。
生き残った6人の家臣は平家の家名を後世に伝えるため、横行地区に住んだといわれ、集落では、その場所を「六軒屋敷」と呼んでいます。

朝来市生野町黒川
 瀬戸内海に注ぐ市川の源流、朝来市生野町黒川。国道429号沿いを流れる源流部は「黒川渓谷」と呼ばれ、秋は紅葉の名所です。大きく屈曲した川筋は奇岩が多く、独特の渓谷美をみせます。
黒川には平家の落人伝承が伝わる地名が残っています。市道・長野線沿いにある「ホソビラの平家塚」は、かつて平家の武者が住みついたが、流行病により没落したと伝わります。塚のそばにある榎の根元からは、錆びた刀が大量に出土しました。他にも直谷渓谷の奥には「平家墓」「平家の屋敷跡」といわれる場所もあり、屋敷跡に黄金の鶏を埋めたという伝承も残っています。
平家塚から国道を東へ進むと、屏風のようにそり立つ巨岩が見えます。その昔、この地に疫病が流行しましたが、ここから上流だけは被害がなかったといいます。以来、御神体として祀られています。ここからさらに奥に進めば、黒川の本村に到着。高さ98メートルの黒川ダムや美人湯で知られる黒川温泉があります。

2013/05/29  

青谿書院【せいけいしょいん】

 

青谿書院【せいけいしょいん】

青谿書院

・養父市八鹿町宿南
・県指定文化財

●池田草庵が開いた漢学塾
幕末から明治の初めにかけて但馬聖人・池田草庵が開いた漢学塾で、明治の近代化を支えた多くの門弟が勉学に励みました。草庵はここで門人たちと寝起きをともにし、自ら模範をみせることで、知識と実行を兼ね備えた人間の育成に心を砕いたといいます。
建物は質実剛健という言葉にふさわしく、周囲にはのどかな田園風景が広がります。
便所の扉の内側には、門人たちが寝る間を惜しんで、夜の10時の消灯後にもロウソクを灯して勉強したススの跡が無数に残っています。
また、「青谿書院資料館」には、草庵の遺品、著書をはじめ、関係資料を数百点展示しています。教えを慕って入門した門人の数は、明治11年に亡くなるまで、全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を教育しました。
出身者には、日本金融界の基礎を築いた原六郎や日本近代眼科の父・河本金次郎、東大総長を2度つとめた浜尾新、琵琶湖疏水を開いた北垣国道などがいます。

2013/05/29  

おおやアート村BIGLABO【おおやあーとむらびっぐらぼ】

 

おおやアート村BIGLABO【おおやあーとむらびっぐらぼ】

校舎を再利用した外観


体育館ではアート展も開催


ワークショップ

●関連情報
おおやアート村BIGLABO
●「おおやアート村構想」活動拠点施設
兵庫県養父市大屋町のアート(芸術)を媒体としたまちおこし「おおやアート村構想」の一環として設立された活動拠点施設です。
廃校となった高校の校舎・体育館を利用して、多彩なアーティストによる芸術活動の他、ワークショップや企画展・イベントなどを実施しています。

「BIGLABO」とは、まちづくりの大きなじっけん室という意味で、木彫、絵画、書道などのワークショップをはじめ、地元の自然や文化を活かしたイベントを催しています。
校舎は創作棟・アトリエ棟・展示場として、アートな空間に生まれ変わっています。

おおやアート村 BIGLABO
・079-669-2449
・養父市大屋町加保7
・展示場:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
・創作棟:午前9時~午後10時
・水曜(祝祭日の場合は翌日)、年末年始休館

2013/05/29  

但馬七花寺めぐり【たじまななかじめぐり】

 

但馬七花寺めぐり【たじまななかじめぐり】

高照寺


法雲寺


正福寺


遍照寺


蓮華寺


妙楽寺


隆国寺

●関連情報
但馬七花寺霊場


●素朴な人情と自然豊かな「心のふるさと」
「花」と「仏」に癒される小さな旅
 人情深く自然豊かな兵庫県北部・但馬の国。そこに千古の歴史を秘めて、ひっそりとたたずむ七ケ寺の花霊場があります。
「但馬七花寺霊場」は地域に活気と賑わいを取り戻そうと、平成24年4月29日に開創。人々の心を優しく柔軟にする花々は菩薩そのもので、生きた仏様のようです。各寺院では季節ごとに花々を楽しむことができ、荘厳な雰囲気は心を穏やかにしてくれます。
またこの霊場は、花に導かれて七花寺御本尊と縁を結び、抜苦与楽・開運招福と心願成就の祈願をすることもできます。各寺院のご本尊の宝印をすべて受けると、「満願札」を授かれます。

高照寺(木蓮と白萩の寺)
本尊は大日如来、ご祈願利益は健康・安心。ミツマタ、木蓮、土佐ミズキ、花桃、ショウブ、アジサイ、白萩、ヒガンバナ、紅葉などが主な花。
・079-662-2865
・養父市八鹿町高柳1156
・入山料300円

法雲寺(酔芙蓉と藩公菩提の寺)
本尊は釈迦牟尼如来、ご祈願利益は家運隆昌・家内安全。椿、牡丹、ツツジ、アジサイ、菖蒲、酔芙蓉、萩、ドウダンツツジ、紅葉などが主な花。
・0796-98-1151
・香美町村岡区村岡2365
・拝観料300円

正福寺(正福寺桜の寺)
本尊は不動明王、ご祈願利益は病魔降伏。境内の桜はガク片が10枚、めしべが最大6枚もあり珍しい。梅、正福寺桜、石楠花、牡丹、つつじ、あじさい、金木犀などが主な花。
・0796-92-0133
・新温泉町湯174
・祈願200円

遍照寺(桔梗の寺)
本尊は十一面観世音菩薩、ご祈願利益は除災円満・運気向上。桜、平戸つつじ、ささゆり、ききょう、ツワブキ、紅葉などが主な花。
・0796-36-3041
・香美町香住区小原616
・入山志納

蓮華寺(木月襖絵と紅葉の寺)
本尊は聖観世音菩薩、ご祈願利益は商売繁盛・学業成就。紅梅、椿、スイセン、シャクナゲ、木蓮、ツツジ、アジサイ、百日紅、蓮、紅葉などが主な花。
・0796-47-1350
・豊岡市竹野町轟366
・入山志納

妙楽寺(つつじと紅葉の寺)
本尊は薬師如来・秘鍵大師、ご祈願利益は厄除開運・交通安全。桜、さつき、しゃくなげ、桔梗、蓮、紅葉、椿などが主な花。
・0796-22-2259
・豊岡市妙楽寺86-1
・入山志納

隆国寺(牡丹の寺)
本尊は聖観世音菩薩、ご祈願利益は幸運福寿・金運隆昌。牡丹寺で有名(4月下旬~5月上旬)。紅梅、椿、桜、つつじ、さるすべり、桔梗、萩、紅葉などが主な花。
・0796-44-0005
・豊岡市日高町荒川22
・入山料200円

2013/05/29  

道の駅【みちのえき】

 

道の駅【みちのえき】
道の駅 神鍋高原

道の駅 神鍋高原道の駅 ようか但馬蔵
道の駅 ようか但馬蔵

道の駅 但馬楽座
道の駅 但馬楽座

道の駅 やぶ
道の駅 やぶ

道の駅 あさご
道の駅 あさご

道の駅 フレッシュあさご
道の駅 フレッシュあさご

道の駅 但馬のまほろば
道の駅 但馬のまほろば

道の駅 あゆの里 矢田川
道の駅 あゆの里 矢田川

道の駅 村岡ファームガーデン
道の駅
村岡ファームガーデン

道の駅 ハチ北
道の駅 ハチ北

道の駅 あまるべ
道の駅 あまるべ

道の駅山陰海岸ジオパーク浜坂の郷
道の駅
山陰海岸ジオパーク
浜坂の郷

●特産品が目白押し!個性豊かな道の駅

神鍋高原
兵庫北部を東西に走る国道482号の拠点駅。関西屈指のスキー場として有名な神鍋高原に位置し、展望ロビーからは四季の風景が楽しめます。静かな森を抜ける空中大廊下は、隣接する温泉施設へ。昔ながらの栃もちをはじめ、地元の素材を生かした手作り食品が人気です。
2009年12月にはリニューアルオープン。レストランがお食事処「かんなべ」として生まれ変わり、とよおかっこ卵を使った卵かけご飯など地元の食材を使ったメニューが多数並びます。毎週日曜日に開催される手作りランチバイキングも人気です。他にも、「農産物直売所ふれあいふぁーむ」や但馬産限定の「おみやげコーナー」など、地元にこだわった道の駅として新しくなりました。

●付近の観光
神鍋高原スキー場神鍋高原阿瀬渓谷植村直己冒険館・0796-45-1331
・豊岡市日高町栗栖野59-13
・午前9時~午後7時(10~4月は午後6時まで)
その他開館時間は施設による
・無休

ようか但馬蔵
スキー客でにぎわう養父市の国道9号沿いにある道の駅。蔵をイメージした外観で、お食事処、野菜直売所、土産処の他、無料の足湯コーナーも併設しています。お食事処では、特産の八鹿豚、蛇紋岩米などを使った多彩なメニューが用意されています。

●付近の観光
山田風太郎記念館天滝・横行渓谷明延鉱山探検坑道あゆ公園・おおや農村公園木彫展示館上垣守国養蚕記念館蔵垣かいこの里交流施設>

・079-662-3200
・養父市八鹿町高柳241-1
・午前9時~午後7時
・無休

但馬楽座
国道9号と国道312号の分岐点、但馬の交通の要所に位置し、天然温泉、大型宴会場、宿泊施設を備えた他にはない盛りだくさんの道の駅です。自慢の温泉は独特の滑らかな湯質で保湿効果が抜群!その他、本格レストラン、売店、海産物センターなども完備しています。

●付近の観光
ハチ高原スキー場・氷ノ山国際スキー場・氷ノ山山麓スキー場・ハイパーボウル東鉢スキー場・葛畑スキー場・若杉高原大屋スキー場ほたるの里県立但馬長寿の郷竹田城跡
・079-664-1000
・養父市上野299
・午前11時~午後9時(レストラン)、
午前8時~午後10時(温泉)、
・無休

やぶ
県道104号(県道物部養父線)沿いに位置する道の駅。養父のシンボル・錦鯉がゆったり泳ぐ観賞池など、錦鯉の里らしい心なごむ工夫が取り入れられています。地元但馬牛のすじ肉を2日かけて煮込み、やわらかく仕上げた「但馬牛すじうどん」が人気。

●付近の観光
ほたるの里県立但馬長寿の郷竹田城跡

・079-665-0774
・養父市養父市場1294-77
・午前10時~午後5時(レストラン)、
午前10時~午後6時(フードコート)、
午前10時~午後6時30分(物産館)、
・12/31~1/1休館

あさご
全国から視察が訪れる超有名施設。但馬の南の玄関口に位置し、情報センター・木工クラフト・物産館・食事処などが集まっています。また、村おこしセンター前の朝市には、地元でつくられた新鮮野菜が並びます。

●付近の観光
多々良木ダム・あさご芸術の森神子畑鋳鉄橋竹田城跡

・079-678-0800
・朝来市多々良木213-1
・午前8時~午後6時(物産)、
午前9時30分~午後4時(レストラン)
・1/1休

フレッシュあさご
兵庫県のほぼ中央に位置し、但馬と阪神間を結ぶ玄関口。全国でも珍しい有料道路(播但連絡道路)にある道の駅です。館内はユニバーサルデザインで幅広い人に利用しやすくなっています。売店では、日本三大ねぎとして有名な特産「岩津ねぎ」の商品が人気!

●付近の観光
多々良木ダム・あさご芸術の森神子畑鋳鉄橋生野銀山魚ヶ滝・黒川渓谷生野まちづくり工房 井筒屋生野書院

・079-670-4120
・朝来市岩津96
・午前8時40分~午後8時、レストラン午前9時~
・無休

但馬のまほろば
播但連絡道路・和田山ICから1.5キロ、但馬の出入り口に位置します。食事・物産コーナー、情報休憩施設、交流広場を完備し、建設工事に伴う遺跡調査で発掘された貴重な出土品などを展示する「埋蔵文化財センター」も備えるユニークな道の駅です。

●付近の観光
多々良木ダム・あさご芸術の森神子畑鋳鉄橋生野銀山魚ヶ滝・黒川渓谷生野まちづくり工房 井筒屋生野書院

・079-676-5121
・朝来市山東町大月
・午前8時30分~午後8時(施設による)
・無休
※埋蔵文化財センターは午前9時00分~午後5時、月曜定休(祝日の場合は翌日)

あゆの里 矢田川
国道9号から日本海へ延びる、県道4号沿いにある道の駅。囲炉裏のある田舎風の建物で裏手には清流・矢田川が流れています。夏場はアユ釣りに訪れる釣り人で賑わいます。お食事処ではアユや川がにの釜飯が人気。

●付近の観光
安木・佐津・柴山・今子浦・臼が浦島・香住・三田浜海水浴場ハチ・ハチ北高原スキー場余部橋りょうジオパークと海の文化館御崎灯台かすみ・矢田川温泉

・0796-95-1369
・香美町村岡区長瀬933-1
・午前9時~午後6時
・火曜休館

村岡ファームガーデン
名牛「但馬牛」の原産地として知られる香美町にある道の駅。地元だけのオリジナル商品にこだわり、土産コーナーには但馬牛関連の商品だけで数十点!地元産の美方大納言小豆を使ったきんつばやアイスクリームが人気です。

●付近の観光
ハチ・ハチ北高原スキー場但馬高原植物園~瀞川平~木の殿堂長楽寺・但馬大仏柤大池公園

・0796-98-1129
・美方郡香美町村岡区大糠32-1
・午前9時~午後7時
・無休

ハチ北
スキーのメッカ、香美町「ハチ北高原」の入り口に位置する道の駅。駐車場には日本初の無散水融雪装置や、大型の屋根などを備え、スキー客のチェーン着脱場としても安心の施設です。大雪の際には食堂の深夜・早朝営業も行われます。

●付近の観光
ハチ・ハチ北高原スキー場但馬高原植物園~瀞川平~木の殿堂長楽寺・但馬大仏柤大池公園

・0796-96-1600
・美方郡香美町村岡区福岡608-1
・午前9時~午後6時
・火曜定休

あまるべ
余部橋りょうの下に位置し、頭上40mをゆっくりと列車が走る観光スポットでもあります。お食事処の他、日本海でとれた新鮮な魚介類や農産物、余部鉄橋グッズを販売しています。館内には余部橋りょうの模型や旧鉄橋の一部等が展示され、橋りょうの歴史を学習できます。

●付近の観光
余部橋りょう御崎灯台ジオパークと海の文化館かすみ・矢田川温泉

・0796-20-3617
・美方郡香美町香住区余部1723-4
・午前9時~午後6時
・火曜定休

山陰海岸ジオパーク 浜坂の郷
山陰海岸ジオパークの拠点施設としてオープンした道の駅。豊かな森と荒々しい岩石と穏やかな砂浜、山陰海岸特有の風土がもたらす大自然の恵み。山陰海岸ジオパークがもたらす食をテーマに、日本有数の水揚げを誇る「松葉ガニ」、名和牛「但馬牛」、名物「春来そば」など、新温泉町の「ジオグルメ」が楽しめます。

●付近の観光
新温泉町山陰海岸ジオパーク館先人記念館「以命亭」湯村温泉上山高原エコミュージアム

・0796-80-9010
・美方郡新温泉町栃谷57
・午前9時~午後19時(※季節により変更あり)
※店舗により営業時間及び定休日が異なります

2013/05/28  

蔵垣かいこの里交流施設【くらがきかいこのさとこうりゅうしせつ】

 

蔵垣かいこの里交流施設【くらがきかいこのさとこうりゅうしせつ】

道路脇にある蚕の看板
 

●関連情報
養父市役所

●地域おこしの拠点、次世代へ伝え継ぐ蚕の里
 江戸時代に但馬養蚕業の基礎を築いた上垣守国を輩出した大屋町蔵垣地区では、地域住民が養蚕と桑で地域の活性化に取り組んでいます。明治時代の最盛期には年4回の養蚕が行われていましたが、化学繊維の普及などにより昭和後半頃には低迷。同地区でもすでに十数年前に養蚕業は廃れていました。しかし、地域の活性化を目指す地区住民らの活動により養蚕が復活。その伝承や特産品の開発などが進められてきました。
この活動拠点として2004年に誕生したのが「かいこの里交流施設」です。上垣守国養蚕記念館に隣接し、桑の葉茶や桑の実ジャムなどの特産品、繭や桑の葉・実を利用した人形などを販売しています。また、地域の食材を使ったうどんなど懐かしい味を楽しむこともできます。
囲炉裏を囲んでのんびりとするなど、訪れた人と地域住民の交流の場であるとともに、繭からの糸を引きや織物体験など、次代を担う子どもたちへの伝習の場でもあります。

蔵垣かいこの里交流施設
・079-669-1580
・兵庫県養父市大屋町蔵垣246-2

・午前10時~午後4時
・毎週月曜日、年末年始(12/28~1/3)
・大型バス駐車場有

2013/05/28  

玉水神社のムクノキ林【たまみじんじゃのむくのきりん】

 

玉水神社のムクノキ林【たまみじんじゃのむくのきりん】

・県指定天然記念物
・養父市玉見

●巨木が生い茂る社そう林
菅原道真を祀る玉水神社は、かつて洪水により流された時、同地であ最も樹木の茂った現在地を選び、移築されたと伝わります。樹齢300年以上のムクノキ、イチョウ、ケヤキなどの社そう林が県の天然記念物に指定されています。
樹高30メートルを超える巨木が並び立ち、荘厳な印象を与えています。特に樹高約40メートル、幹周り約5.5メートルのムクノキは、但馬地域で稀にみる巨木です。

2013/05/28  

甘棠亭【かんとうてい】

 

甘棠亭【かんとうてい】

甘棠亭
・養父市八鹿町伊佐
・県指定重要文化財

伊佐の黒松(九思の松)
・県指定重要文化財

●出石藩主を迎えた休憩所
江戸時代の最新技術が使われた伊佐の新田開発は、出石藩に願い出て行われた町人による水田開発です。延宝4年(1676)3月3日、時の出石藩主・小出英安公が自ら視察に赴くことになりました。この時、藩主を迎える休憩所として建てられたのが甘棠亭です。旧小出医院と小出家本宅の間にあります。一重入母屋造で茅葺、内部には上段の間と下段に分けられ、藩主を迎える格式を持ちます。
地誌「但馬考」を編集した出石藩の儒官・桜井舟山は当家に生まれ、その師である伊藤蘭嵎が「甘棠亭」と名付けました。
文化15年(1818)にも藩主・仙石政美公を始めとする147人を迎え、さらに文政7年(1827)にも政美公は甘棠亭に訪れました。藩主御座所の姿を今に伝える貴重な遺構として、兵庫県の重要文化財に指定されています。
甘棠亭が建てられた際、庭の一角に「九思の松」という黒松が植えられ、長らくシンボルとして県の文化財にも指定されていましたが、昭和52年に滅失。現在は石碑が建立されています。