平家伝承ゆかりの地【へいけでんしょうゆかりのち】
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●但馬に伝わる平家の伝承をたどる ■香美町香住区余部(御崎) 但馬の中でも色濃く平家の伝承を伝える香美町の御崎地区。壇ノ浦の戦いに敗れた、平清盛の異母弟である門脇宰相教盛を大将とする7人がこの地にたどり着いたとされます。山中から立ち上る一条の炊煙をたよりに崖をよじ登り、そこで出会った高野聖に土着を勧められた一行が、この地に身を置いたというのが村の始まり。毎年1月28日には、地区内の平内神社で、平家再興を願う神事「百手の儀式」が行われます。門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の少年が、的に目がけて101本の矢を射ます。 平内神社の脇には平教盛(門脇宰相)の供養碑が佇んでいます。また、息子の嫁である小宰相の局と孫の道家の供養塔もあります。漂着した平家一行の家柄は、門脇家・伊賀家・矢引家と、今でも代々御崎地区に伝わっています。 また、春先に集落一面を黄色に染める蕪の花も、平家の伝承が残っています。この蕪は「平家蕪」と呼ばれ、なぜか御崎地区だけに咲き誇ります。伝承では食糧に窮した門脇宰相の一族が、神に祈願をしたところ、この蕪に恵まれるようになったと伝わります。地元では主に葉と茎の部分を漬物にして食します。日本海と黄色の花びらが相まって絶好の写真スポットであり、シーズンはカメラマンで賑わいます。■豊岡市気比・城崎温泉 遠浅の砂浜が続く豊岡市の気比の浜。夏は海水浴、冬は対岸に位置する津居山港で揚がる「松葉がに」を目当てにたくさんの観光客で賑わいます。この風光明媚な里は、平家の侍大将であった平盛嗣が源氏の追っ手から身を隠したと伝わる場所。『平家物語』では越中次郎兵衛の通称で知られ、豪勇を讃えられる名将です。平家の家臣として、源氏との幾多の戦いに参戦しました。 しかし、壇ノ浦の戦いで敗れた後、この気比の地に逃れてきたといいます。この地を治めていた宮代将監(気比)道弘の家に、馬飼の下男として住むこととなりました。その後、道弘の娘である絹巻姫と結婚。平穏な日々を暮らしていた盛嗣ですが、やがて源氏の追っ手に見つかり、鎌倉にいる源頼朝の元へ護送されることになりました。盛嗣は頼朝の前でも屈せず堂々と自説を述べ、気骨のある平家武者として最後を遂げたといいます。地元の白山神社には、盛嗣の死を嘆いた絹巻姫が建立したと伝わる供養塔が残っています。 また、名湯「城崎温泉」に中心にある弁天公園にも供養塔があり、盛嗣も戦いの傷を癒すため、湯治に訪れたのかもしれません。 ■豊岡市竹野町田久日 ■新温泉町三尾 ■養父市大屋町横行 ■朝来市生野町黒川 |