瀞川稲荷大祭【とろかわいなりたいさい】
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●瀞川稲荷大祭 標高1,000m級の雄大な山々に囲まれた緑の森林、美しい湧き水、四季折々に それぞれの表情を見せる植物たち。そんな豊かな自然に恵まれた村岡町瀞川平にある瀞川稲荷神社。養蚕を祀る神として、地元の人々の信仰を集めてきました。 |
瀞川稲荷大祭【とろかわいなりたいさい】
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●瀞川稲荷大祭 標高1,000m級の雄大な山々に囲まれた緑の森林、美しい湧き水、四季折々に それぞれの表情を見せる植物たち。そんな豊かな自然に恵まれた村岡町瀞川平にある瀞川稲荷神社。養蚕を祀る神として、地元の人々の信仰を集めてきました。 |
麒麟獅子舞【きりんじしまい】
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●麒麟獅子舞 新温泉町(旧浜坂町) ・居組麒麟獅子舞/10月9日 大歳神社(新温泉町居組) ・諸寄麒麟獅子舞/7月14日.15日 為世永神社(新温泉町諸寄) ・浜坂麒麟獅子舞/7月19日~21日川下祭 10月8日 宇都野神社(新温泉町浜坂) ・栃谷田君麒麟獅子舞/10月13日 厳島神社.長田神社(新温泉町栃谷) ・七釜麒麟獅子舞/9月29日 山宮神社(新温泉町七釜) ・福富麒麟獅子舞/9月28日 三柱神社新温泉町福富) ・和田麒麟獅子舞/10月3日 八柱神社(新温泉町和田) ・三尾麒麟獅子舞/10月9日 八柱神社.三柱神社(新温泉町三尾) 浜坂宇都野神社.居組.三尾麒麟獅子舞は県の重要無形文化財 新温泉町(旧温泉町) ●麒麟獅子舞 ●浜坂宇都野神社の麒麟獅子舞 |
三番叟【さんばそう】
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●三番叟 香美町香住区 ・10月2日/沖野神社(訓谷) ・10月5日/八坂神社(一日市)・香住神社(香住) 吉野神社(森)・法庭・八幡神社(下浜) ・10月7日/大放神社(沖浦) 「とうとうたらり、たらりらたらり」と、ゆっくり低い声の地謡ではじまる三番叟。「天下太平」「長久円満、息災延命」などの祈りをこめ、秋祭りの日、香美町香住区内の6地区で氏神に奉納されます。1つの地区に集中して残っているのは、県下でも大変珍しいとされています。 三番叟は三番猿楽と呼ばれて古くからあり、香住町では室町時代に始まったと伝えられる伝統芸能で、別名「踏子(ふみこ)」とも呼ばれています。舞うのではなく、踏み鎮めの祈祷のなごりだと考えられています。 翁(おきな)、千歳(せんざい)、黒木将(くろきじょう)の三神にふんした子どもたちが、謡(うたい)や笛、太鼓、拍子木のリズムに合わせて力強く舞台を踏みます。 |
但馬の養蚕【たじまのようざん】
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●養蚕の歴史 但馬は古くから養蚕が盛んでした。元禄10年(1697)に桑の名産地としての但馬をつづった「農業全書」も発行され、特に江戸中期には、新しい理論や技術が導入され、養蚕業は飛躍的に発展しました。 ●養蚕の技術を高め、ひろめた人々 ●その後の養蚕 但馬地方はこうした先人たちの努力によって優良な繭の生産地となり、機械製糸が地場産業として栄えました。養蚕製糸業は大正・昭和の経済恐慌の時には、但馬の農家を助けた大切な副業であり、重要な輸出産業でした。しかし、昭和20年代半ばになると、ナイロンなどの新素材・技術が開発され昔の面影は失われていきました。 |
但馬杜氏【たじまとうじ】
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●但馬人気質が造りだす甘露の雫 但馬では、特に雪深い地方の人たちが冬季の働き場所を求め、出稼ぎとして、全国各地に酒造りに出かけました。杜氏とは酒造りの最高責任者のことです。酒造りは杜氏・蔵人(くらびと)のグループが、新米の刈り入れの終わる10月頃から翌年の春まで、約6~7カ月の間、家を離れ、酒造会社の蔵元に泊まり込んでおこなわれます。蔵によって人数は異なりますが、数人から20人程度の蔵人がチームをつくり、杜氏の指導のもとで酒造りの作業をおこないます。「一蔵一杜氏」といわれるように、杜氏の数だけ酒の種類があるといわれています。 但馬の人は、慎重で誠実、質素にも耐えて思いやりがあり、粘り強い精神力があります。長年の知識と技術の蓄積が今日の但馬杜氏を生みだしました。 ●記録に残る但馬杜氏 |
2011/06/22 先人たち
毛戸勝元【けとかつもと】
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●法学に身を捧げた一生 法学博士・毛戸勝元は、明治7年(1874)に香美町小代区神水の出身。京都帝国大学の法学部長として、日本の法学研究に身を捧げました。 経歴は明治31年(1898)に東京帝国大学法科を卒業。さらに大学院で商科を専攻し、研究を終えると、京都帝国大学助教授、ついで同大学教授に就任しました。 しかし、勝元の研究心はこれに飽きたらず、海外留学を決意。イギリス・ドイツ・フランス各国で、商法を学びました。 帰国後、明治39年(1906)には法学博士の学位を授けられ、後進の指導育成あたり、多くの逸材を輩出しました。勝元は自分の門を叩いてくる者は快く受け入れ、その指導は愛情と熱意をもったものだといわれています。 京都帝国大学を退官後は弁護士として活動し、そのかたわら大阪商工会議所特別議員、日本毛織、川西航空機、安田信託など数社の取締役、および朝日新聞社の顧問としても活躍しました。 |
2011/06/22 先人たち
丸山修三【まるやましゅうぞう】
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●生い立ち
丸山修三は明治37年(1904)、美方郡香美町村岡区野々上に父福井国太郎、母もとの四男四女の三男として生まれました。福井家は旧家で、父国太郎は文化人として俳句をよくしていました。彼の兄福井一雄氏は「明星」の同人でしたが、修三は「アララギ」に所属し活躍しました。 大正13年(1924)、京都府立医科大学在学中に、「アララギ」に入会し、土田耕平氏に師事しました。はやくから修三の資質の高さは異彩を放っていました。土田が病むと森山汀川につき、やがて土田の病状が進行した際、斉藤茂吉の診察にも立ち会いました。 大正15年(1926)、香美町村岡区原の丸山家の養子として迎えられました。丸山家もまた、代々続いた庄屋でした。昭和5年(1930)、大学卒業と共に丸山久子と結婚、大学助手を勤めることになりました。京都に住んでいた十余年の間に修三の短歌の方向が決まったとも言えます。京都花園の修三宅を土屋文明が幾度か訪れてもいます。 昭和8年(1933)、家を守ることと、地元からの医療充実への強い要望に応えて村岡町へ帰ってきて、自宅診療を開始しました。そして、2年後には香美町村岡区福岡に開業し、生涯を僻地医療に捧げることとなりました。 ●但馬と共に生きた歌人 さまざまに断りたりし挙句には 吹雪の中に往診に出づ 昭和49年(1974)12月、但馬の歌人たちが集い、丸山修三顕彰碑を香美町村岡区の兎和野高原に建てました。 つらなりて山遠く見ゆ夕映えは ただしばらくの間なれども と刻された歌碑は背後に瀞川・鉢伏・氷ノ山を背負い、前方に妙見山・蘇武岳の連峰を望む地に建っています。自然を愛し、但馬の山を愛した修三の魂の安らぎの地でもあります。 (絶筆) 裏山に鳩啼きゐる声を聞く 八十六歳まだ生きている 長男・丸山茂樹氏は父修三の文学的資質を受け継ぎ、さらに発展させ、あちこちの短歌会の指導に忙しい日々をおくっています。 |
2011/06/22 先人たち
長 熈【ちょうひろし】・長 耕作【ちょうこうさく】
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●生い立ち 美方郡香美町香住区一日市の資産家・長九郎右衛門久助の長男として、安政6年(1851)1月に生まれました。若い頃、草場塾で漢字を修め、明治維新の動乱期の中であらゆる書物を読みあさり、数学や経済などを独学で勉強しました。30歳になった明治21年(1888)4月に、美含郡(みぐみぐん)代表の県議会議員に当選しました。 その後、家を継いで農林業のかたわら、サバ・アジ・イワシなどの漁を手がけました。半農半漁の貧しい生活のため、冬になると出稼ぎをしなければならない漁師の生活を、なんとか良くしたいと思い、漁業の発展をめざして努力しました。そして、初代漁業組合長に選ばれました。 ●香住の漁業発展の基礎を築く 大正5、6年頃になると、柴山や津居山で発動機付漁船による沖手ぐり網漁が営まれ、帆船による漁法に比べて、漁獲成績に大きな差が出てきました。港をつくらなければ、香住の漁業はダメになってしまうと思い、香住漁港修築を第一の使命と考えました。 港湾修築の先頭に立っていた熈組合長が病に倒れ、大正10年(1921)8月29日、思いを残したままこの世を去りました。しかし、その志は息子の耕作へと受け継がれました。 耕作は、明治20年(1887)1月11日、熈の次男として生まれました。豊岡中学校、早稲田実業学校(のちの早稲田大学)を卒業しましたが、兄が若くして亡くなったので、父の死去によりその跡を継ぎました。父と同じように、大正11年(1922)には香住村漁業組合の第三代目組合長に就任。続いて、翌12年には37歳の若さで香住村の村長にもなりました。 そして、香住漁港修築を香住村最大の問題として取り上げ、役場と漁業組合が一体となって取り組みました。昭和3年(1927)、漁港修築のための測量が農林省から派遣された技師によって行われました。翌年には漁港修築の企画案が届きました。7月の吉日に竣工式が行われ、漁業関係者や多くの町民が喜び合いました。 昭和4年8月12日、突然病に倒れ、町のため漁業組合のために尽くした43歳の生涯を静かに閉じました。 昭和37年(1962)7月、香住町漁業協同組合によって、香住漁港修築をはじめ一連の漁業発展のために情熱と命と私財を捧げてきた、長熈・耕作父子の功績をたたえる顕彰碑の除幕式が行われ、たくさんの人々が参列しました。今もこの顕彰碑は漁業発展の守護神のように出入りする漁船をじっと見守っています。 |
2011/06/22 先人たち
前田周助【まえだしゅうすけ】
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●生い立ち
美方郡香美町小代区に生まれた前田周助の幼年は、「牛飼い坊主」といわれたほどの牛好きでした。長じてますます牛を愛し、鑑識力に優れ、資財をなげうって、数々の良牛を買い求め続けました。 彼の評判を伝え聞いた兵庫県養父市吉井に住む大博労(だいばくろう)孫左衛門が、はるばる前田家をたずね、その牛を一目見て優秀なのに驚きました。孫左衛門の啓発と援助によって、当時但馬唯一の牛市場であった養父市場に進出しました。周助の取り扱う牛は値段が高いのにかかわらず、飛ぶように売れたので、周助の名とともに小代牛(おじろぎゅう)の名声はますます高くなりました。 ●人生をかけた但馬牛の改良 ※博労(ばくろう)とは |
但馬の地史【たじまのちし】
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●但馬の地史 今から約3億年前、アジア大陸の東端は海で、但馬の姿はありませんでした。それから1億年ほど後の造山運動(本州造山運動)で、但馬の陸化が進みました。養父市大屋町一帯に広がる「舞鶴帯」や、福岡県を西端として但馬までのびる「三郡帯」はこのころのもの、「夜久野層群」は少し後にできたといわれています。それから少し経って最初の火山活動が但馬で起こり、城崎・湯村などの温泉源がつくられました。 2500万年前、海底火山の溶岩が海水と反応して緑色に変化する、グリーンタフ変動が起こり、生野、明延などの鉱山ができました。このころ但馬には海が深く入り込んでおり、村岡には海底面の流跡が残っています。 1000万年前、2回目の大きな火山活動によって、日和山安山岩ができ、古村岡水道が陸化し、数百万年前の火山活動で、鎧の袖(香美町香住区)や宇日流紋岩(豊岡市竹野町)などができました。 兵庫県の最高峰・氷ノ山は約300万年前、玄武洞の玄武岩は約160万年前の噴火によるものです。中国地方を東西に走る山脈は、東端の氷ノ山周辺で急に南北の連なりになっており、変化に富んだ但馬海岸の地形とあわせて、かつて但馬が地殻変動の拠点のひとつであったことがうかがえます。 県下で一番新しい火山活動は、約1万年前の神鍋噴火です。また、約2万年前に、最後の氷期が終わって間氷期にはいったころ、現在の豊岡の平野部はまだ海でした。 このように、さまざまの変化を経て現在の但馬ができました。 |
逆算年数
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代
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紀
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地質・地史等
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地質現象・天然記念物・鉱山など
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1万年前
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新
世 代 |
第四紀
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・縄文遺跡 ・古豊岡湖 ・古神鍋湖沼群 ・段丘 ・神鍋火山群の活動 |
・別宮、兎塚、神鍋など ・中谷貝塚(豊岡市) ・古栗栖野湖・古太田湖等湖底平野 ・高位段丘/新屋・鍛冶屋(香美町小代区) ・栃本の溶岩瘤(豊岡市日高町) |
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200万年前
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・田倉山(宝山)火山の活動 ・玄武洞火山(来日火山)の活動 ・鉢伏火山の活動 ・氷ノ山火山の活動 |
・畑上(豊岡)(神崎砂丘:ソロバン玉石) ・柱状・板状節理(小倉・赤石) ・玄武洞、青龍洞、白虎洞、朱雀洞 ※三郡変成岩を貫いて噴火 |
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700万年前
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新
第三紀 |
照
来 層 群 |
・猿尾滝ヒン岩脈の貫入 ・宇日流紋岩(安山岩)噴出 ・春来累層・高山累層の形成 |
・猿尾滝(香美町村岡区) ・霧ヶ滝渓谷(新温泉町) ・猫崎(豊岡市竹野町)・岡見(香美町香住区)の傾斜不整合 ・鎧の袖(香美町香住区) ・宇日流紋岩の流理(豊岡市竹野町) ・但馬御火浦(浜坂・香美町香住区) ・吉滝(香美町小代区) ・昆虫化石(新温泉町) |
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2600万年前
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村
岡 累 層 |
・妙見山堆積層 ・瀞川山堆積層 ・湯舟川頁岩石 ・大野峠砂岩層 |
・地層の褶曲・断層(妙見林道) ・断層(瀞川山林道) (古照来湖、古村岡水道) |
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豊
岡 累 層 |
・大岡山堆積層 ・河江流紋岩 ・日和山安山岩 ・辻礫岩層 |
・波食甌穴群(豊岡市竹野町) ・はさかり岩(豊岡市竹野町切浜) ・漣痕化石(香美町香住区) ・海底面の流痕(香美町村岡区) ・百層崖(香美町香住区鎧) ・断層(豊岡市妙楽寺山) ・阿瀬渓谷(豊岡市日高町) |
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八
鹿 累 層 |
・来日岳火山性堆積層 ・椿色火山岩 ・火山性角礫岩 |
・鍾乳日本、亀山洞門(新温泉町居組)
(古浜坂湖) |
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高
柳 累 層 |
・高柳砂岩、礫岩層 | ・古高柳湖(淡水湖?) | |||
6500万年前
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古
第三紀 |
(古第三紀の地層は但馬では見られません) | ・グリーンタフ変動による鉱山 生野・明延鉱山 (金、銀、銅、錫など) |
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1億6500万年前
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中
生 代 |
白亜紀
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・花崗岩貫入 ・矢田川層群の形成 |
・城崎・湯村・七釜・ハチ北の温泉 (花崗岩の裂け目から湧出) ・山中鉱山 |
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1億9000万年前
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ジュラ
紀 |
・カンラン石・蛇紋岩(超苦鉄質岩)の上昇 | ・天滝、不動滝(養父市大屋町) ・硬玉(養父市大屋町加保) ・頑火輝石(養父市関宮) ・大屋鉱山、夏梅鉱山、聖長鉱山 |
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2億2500万年前
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三畳紀
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・御祓山層群 ・夜久野層群 |
・御祓山不整合 (トリアス・古生層) |
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2億8000万年前
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新
古 生 代 |
二畳紀
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・夜久野古生層 ・三郡変成岩 ・南谷層群 |
・秩父古生層の主体 (石炭紀~二畳紀) |
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3億4500万年前
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石炭紀
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※但馬の地史はこのあたりから、わかってきました | |||
3億9500万年前
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デボン
紀 |
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4億3000万年前
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旧
古 生 代 |
シル
リア紀 |
日本最古の地層と化石 | ・岐阜県福地 ・福井県上伊勢 ・岩手県大船戸村 ・高知県越知町 など |
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5億年前
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オルド
ビス紀 |
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5億7000万年前
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カンブ
リア紀 |
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8億5000万年前
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先
カ ン ブ リ ア紀 |
原生代
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・飛騨・隠岐変成岩 (日本で古い岩石、約11~16億年前?) ・地球上最古の岩石(堆積岩)アフリカで発見(約26~38年前、地球の形成) |
・岐阜県上麻生・片麻岩礫 (20~25億年前、日本最古の岩石?) |
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45億年前
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始生代
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