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旧大岡寺庭園【きゅうおおおかじていえん】
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![]() 旧大岡寺庭園 ・豊岡市日高町大岡 ・国指定名勝 |
●戦国末期武家好みの作風
大岡山の山中、標高507mにある旧大岡寺に残る庭園。この枯山水庭園は、巨岩が林立し、特に滝部の石組は桃山初期の様式をよく保ち、朝倉氏諏訪館庭園(福井県)に見られるような作庭手法と感覚的に似たところが多く、戦国末期の作庭と考えられます。 |
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旧大岡寺庭園【きゅうおおおかじていえん】
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![]() 旧大岡寺庭園 ・豊岡市日高町大岡 ・国指定名勝 |
●戦国末期武家好みの作風
大岡山の山中、標高507mにある旧大岡寺に残る庭園。この枯山水庭園は、巨岩が林立し、特に滝部の石組は桃山初期の様式をよく保ち、朝倉氏諏訪館庭園(福井県)に見られるような作庭手法と感覚的に似たところが多く、戦国末期の作庭と考えられます。 |
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日光院【にっこういん】
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日光院 県指定古文書 ●関連情報 |
●妙見信仰の一大霊場として発展 養父市八鹿町石原にある日光院は、真言宗高野派に属して妙見山日光院といいます。寺伝では、六世紀に日光慶重という道士が草庵を結んで建立したのに始まると伝えています。本尊は弘法大師作とも言われる妙見大菩薩で、妙見信仰の一大霊場として発展しました。 日光院文書は県指定文化財で、巻子本六巻などに仕立てられた合計133通の古文書です。内容は応永十四年(1407年)から天正七年(1579年)までに書かれた室町時代の寄進状です。山名宗全をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの祈願所となりました。寺領は播磨、因幡にもおよび、中世にはその全盛が示されています。 |
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文常寺【もんじょうじ】
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![]() 文常寺 ・豊岡市鎌田 ・聖観音立像 国指定彫刻 ・聖観音立像 県指定彫刻 |
●表情も柔和、藤原から鎌倉時代へかけての聖観音立像 文常寺には、国指定重要文化財である聖観音立像が祀られています。左手に未敷蓮華、右手はたれて与願印という一般的な形の小仏像です。藤原時代から後期から鎌倉時代にかけてのものという感じがしますが、着衣の褶も浅く穏やかな彫りでもあるし、顔の表情も柔和で、目も耳も三道も平安時代の末期のものであると思われます。全体的に柔らかくかわいい感じのする仏像です。 また、県指定重要文化財となっている聖観音立像は文常寺の秘仏となっています。同じ厨子の中に二尊は安置されています。両腕まで一材で彫出した桧の一木造りで平安時代後期の作と思われますが、前立聖観音よりやや時代は古い。吹きさらしに近い堂内に長年立っていたものか損傷がひどくなっています。当初は彩色であったと思われますが、今は素木のように変わっています。 |
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金蔵寺【こんぞうじ】
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![]() 金蔵寺 ・朝来市生野町口銀谷 ・銅鐘 |
●池之間に変遷が刻まれた鎌倉時代の名鐘
社寺縁起には「京西本願寺派 興正寺末 金蔵寺」と記されています。親鸞聖人日本国内巡錫地として二十四ケ寺がありますが、金蔵寺は同聖人の親筆すなわち「柳の名号」があるため、巡錫地同様の所遇によるものであると言われています。山門の板札は「二十四輩」と書かれています。 |
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法雲寺【ほううんじ】
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![]() 法雲寺
●関連情報 |
●村岡山名氏の菩提寺 村岡山名氏の菩提寺。寺内の御霊屋には太祖・義範公以降の位牌が奉安されています。記録によると「法雲寺(ほううんじ)」という名は、 村岡山名氏三代・矩豊公が寛永19年(1642)に村岡に入部した際に、在郷の禅院を山名家の菩提寺と定め、命名したものです。以前は「報恩寺(ほうおんじ)」と呼ばれていました。 現在の村岡周辺は南北朝時代から七美(ひつみ)の庄と呼ばれており、庄内のほとんどは花園・妙心寺(臨済宗)第二世授翁宗弼(じゅおうそうひつ)の荘園でした。後醍醐天皇の側近で建武の中興の功労者だった宗弼が永和元年(1375)、80歳の時、七美庄に「報恩寺」(ほうおんじ)を建立しました。 その後、南北朝から室町へと時代が進むにつれ、荘園の形態も弱体化し、報恩寺の荘園を管理する役目は終わり、土地の為政者の祖先供養が重要な役割となりました。 元禄年間、 矩豊公が藩都を村岡の地に移し、鎌倉時代以来の宝牌を「法雲寺」に納め、名門山名宗家としての祭祀を尽くしました。寺の名前は二代・矩政公の法名「法雲」(ほううん)をあてはめたそうです。寺名の変更と同時に、法華経の信仰者だった矩豊公は宗派を臨済宗から日蓮宗に変更しました。 しかし、当時徳川将軍家は「天台宗」と「浄土宗」を信仰しており、矩豊公は御伽衆と言う将軍に近しい役職上から、その後「日蓮宗」から「天台宗」へと宗派を再び変更しました。以来二十代の住職によって現在まで引き継がれています。 境内の山名史料館には山名氏に関する武具・什器・文書などが展示されており、山名氏の栄光と共に歩んできた町の歴史を伺い知ることができます。 |
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温泉寺【おんせんじ】
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![]() 温泉寺 ・豊岡市城崎町湯島 ・本堂 ・千手観音立像 ・釈迦十六善神像 ・石造宝篋印塔 ・四天王立像 ・木造金剛力士像
・観覧料/100円 ●関連情報 |
●城崎温泉を開いた道智上人創建、数々の文化財も収蔵 末代山温泉寺は高野山真言宗の別格本山で、豊岡市城崎町大師山中腹に位置しています。温泉寺縁起によれば、城崎温泉を開いた道智上人により創建されました。天平10年(738)、時の帝聖武天皇から末代山温泉寺の勅号を賜りました。 開山道智上人より中興清禅法印までの約600年間は不詳ですが、鎌倉時代元久2年(1205)、時の院主玄高法印が幕府の祈願僧として感状を賜っていることをみても、寺の隆盛の一端がうかがわれます。 |
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蓮華寺【れんげじ】
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![]() 蓮華寺 ・賽の河原 |
●但馬高野と称された名刹 豊岡市竹野町轟にある高野山真言宗・蓮華寺は、寺伝によると慶雲4年(707)、行基の開創といわれています。本尊は十一面観音立像で、西国31番札所にもなっています。 お寺の名前は、八方を山に囲まれ、蓮の花に形が似ているところから名付けられました。かつては但馬高野と呼ばれ、但馬の信仰文化の中心としてその隆盛を極めたといいます。 また、8月14日のお盆の施餓鬼供養には、読経の後に県の無形文化財である「古代太鼓踊」が踊られます。この「古代太鼓踊」は但馬5地域に伝わる「ざんざか・ざんざこ踊り」と同じ系統ですが、ざんざか・ざんざこ踊りが神社に奉納されるのに対し、「古代太鼓踊」は蓮華寺の仏事として行われるという非常に珍しい特徴をもっています。 |
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楞厳寺【りょうごんじ】
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楞厳寺 ・新温泉町(旧浜坂町)田井 ・絹本著色 南溟禅師像1幅 ・絹本著色 夢窓国師像1幅 ・絹本著色 仏国国師像1幅 ・絹本著色 山名時熈像1幅
・夢窓国師書状1幅1通 ・楞厳寺文書4巻4幅 ・服部庄重案1巻 ・妙法蓮華経 伝順徳院女消息経8巻 ・仏説阿弥陀経観無量寿2巻 |
●南北時代から但馬に現存する貴重な古文書を所蔵
田井の松尾谷にあり、但馬に現存する貴重な古文書を所蔵。南北朝時代では夢窓国師書状・香住朝綱寄進状、室町時代では山名常熈寄進状・山名持豊安堵状があります。 戦国時代に焼失し、文政4年(1821)にも再度焼失していますが、貴重な古文書が大切に保管されています。 |
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隆国寺【りゅうこくじ】
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・36面の襖絵 |
●関西花の寺第6番札所、通称「ボタン寺」 通称「ボタン寺」として親しまれている隆国寺には、4月下旬~5月上旬頃、約70種類1000株のボタンが華やかに咲き誇ります。天保年間、飢饉で苦しむ人々を寺の米蔵を開いて救ったことから、感謝した人々が「富貴の花」といわれるボタンを寺に植栽したということです。 関西花の寺第6番札所として、初夏にはたくさんの人が満開のボタンを見に訪れます。 隆国寺は山名の四天王と呼ばれた楽々前(ささのくま)城主・垣屋隆国の菩提寺として、天正15年(1587)阿瀬金山に建立され、 江戸期に入り現在の地に移りました。 現在は県指定文化財に指定されており、36面の襖絵を始め、様々な文化財が残っています。 本堂にある孔雀の図などの見事な襖絵は、円山派と対峙した岸連山一門が描いたものです。また、寛政4年(1792)に再建された山門は三丹(但馬、丹後、丹波)随一と称されています。楼上には釈尊、文殊、普賢の釈迦三尊と十六羅漢が祀られており、訪れる人の邪気を払うと共に、寺全体を守護しているそうです。 境内正面及び両側に配する石垣も町を代表する貴重な文化財です。創建当時に作られたもので、神鍋溶岩の蒸し石を巧みに組み合わせ、重厚な構えを呈しています。特に、山門を経て本堂を望む景観と見事な構成をなし、その石組みは優れた技術と感覚を示しています。苔むした石垣に鮮やかなボタンの花がいっそう映え、訪れる人を魅了しています。 |
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進美寺【しんめいじ】
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・進美寺鰐口 ・進美寺文書 県指定重要文化財 |
●源平合戦を慰める但馬300基の五輪宝塔造立供養 豊岡市日高町赤崎にある進美寺山は富士山型の秀麗な姿で、この山自体が信仰の対象として崇められてきました。その中腹にあるのが天台宗の進美寺で、鎌倉時代はじめの建久8年(1197)10月4日から「五輪宝塔三百基造立供養」が行われました。 願主は但馬国守護・源(安達)親長で、五輪宝塔造立祈願文には「鎌倉殿(将軍源頼朝)の仰せにより全国8万4000基の五輪宝塔を造立するにあたり、但馬国の300基を進美寺で開眼供養を行う。それは源平内乱で数十万に及ぶ戦没者を慰め怨を転じて親となそうとする趣意からである」とあり、法句経の経文を引用し怨親平等の思想を説いた名文です。 |