2011/06/22  

生野まちづくり工房 井筒屋【いづつや】

 

生野まちづくり工房 井筒屋【いづつや】

井筒屋

蔵史料館

●関連情報
生野町観光協会

●江戸時代の郷宿を再生した憩いの空間!
平成15年6月に開館した「生野まちづくり工房 井筒屋」は、江戸時代に生野銀山の有力な山師だった吉川家の郷宿を再生した史料館。郷宿とは公用で代官所に出頭する人々のための宿で、生野銀山には吉川家が営む井筒屋のほかに、6軒ありました。母屋は天保3年(1832)の建築で、屋敷内には当時の様子を伝える品々が並んでいます。朝来市指定文化財の神武必勝論(拓本)や天保14年に羽倉外記一行が訪れたときの宿札などの歴史的史料、朝来市生野町出身の洋画家・和田三造たちとの交流の品々。また、昔なつかしい生活用品なども展示されており、吉川家の暮らしの様子が分かります。

展示室の2階は、生野ひいき人倶楽部の交流の部屋となっています。落ち着いた雰囲気の中で、会報や生野の古い映像を見ることができます。そのほかにも、蔵ギャラリーや会議室、手作りクッキー・小物の販売もしており、見所いっぱい。時間が経つのを忘れる、思わず「ただいま」と言いたくなる「ホッ」とする場所です。

生野まちづくり工房 井筒屋
・079-679-4448
・兵庫県朝来市生野町口銀谷640

・午前9時~午後5時
・月曜休館(祝日の場合は翌日)

2011/06/22  

斉藤隆夫記念館 静思堂【せいしどう】

 

斉藤隆夫記念館 静思堂【せいしどう】

静思堂
●出石が生んだ偉大な政治家!
斎藤隆夫記念館「静思堂」は生地・豊岡市出石町中村に斎藤隆夫の威徳を偲ぶため建てられました。42歳で衆議院議員に初当選し、37年間にわたって政治家として活躍。「日本の国は立憲君主国であり、我々国民はこの道をすすむべきである。しかし、政治家の中には軍と陰で手を結んで政治上の野心をとげようとする者があることは見逃すことができない…」と、軍部台頭の時代に国会で粛軍演説を行ったことは有名です。軍国主義に屈しなかった「憲政の神様」として、尊敬されています。
「静思」とは大局から日本を見つめ、我を見つめることを忘れなかった斎藤隆夫の思想につながる「大観静思」からとられたといいます。建物のスタイルは非常にユニークで、兵庫県緑の建築賞に選ばれています。施設は研究会、講演会、茶会、コンサートまであらゆる文化活動に利用されています。

斉藤隆夫記念館 静思堂
・0796-52-5643
・兵庫県豊岡市出石町中村

2011/06/22  

城崎麦わら細工伝承館【きのさきむぎわらざいくでんしょうかん】

 

城崎麦わら細工伝承館【きのさきむぎわらざいくでんしょうかん】

麦わら細工

●関連情報
城崎温泉観光協会

●城崎特産「麦わら細工」を紹介
 平成16年秋にオープンしたばかりの「麦わら細工伝承館」。わが国でも城崎だけに継承されている「麦わら細工」の名品を展示しています。
「麦わら細工」は江戸中期から続く町の特産品。地張り、模様師、小すじの3部門に分かれ、色鮮やかな色彩美を織り交ぜた製品は芸術作品といえます。
デザインも細やかな手法を用いて描かれた花鳥山水図や、宝石箱、こけし人形など実に様々。温泉寺の登り口には、「麦わら細工」の元祖を讃える石碑も建てられています。
館内では、現在の職人さんの作品(約40点)、明治・大正・昭和初期などの昔の作品(約200点)を展示。白壁の土蔵をそのまま生かした建物はレトロな雰囲気を醸し出し、城崎温泉街によく溶けこんでいます。

麦わら細工伝承館
・0796-32-0515
・兵庫県豊岡市城崎町湯島376-1
・午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
・毎月最終水曜日、12/31・1/1は休館
・大人300円 中高生200円
(文芸館との共通チケットあり。大人500円、中高生350円)

2011/06/22  

猿尾滝【さるおだき】

 

猿尾滝【さるおだき】

猿尾滝

左右360度の
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●ソーメン流しにたとえられ愛された滝
落差60mの大瀑布「猿尾滝」は、「日本の滝100選」「県指定名勝」に選定されています。猿尾滝は上下2段の滝からなっており、下段の滝の景観が猿の尾に似ていることからこの名前がついたようです。
国道9号線からすこし入った県道から眺める滝は、自然林をバックに優美な印象。
滝の入り口駐車場から渓流沿いに進むと、すぐに落差21mの「下段の滝」が見えてきます。古くは村岡藩主の山名公が、妙見山・名草神社参道から美しい滝を眺めて楽しんだとか。
下段の滝から、ブナ・エゴノキ・ヤマフジ・クマシデ・ホウノキ・カエデなどが茂る道を登っていくと、落差39mの「上段の滝」があります。下段の滝とは異なり、波涛のような水しぶきをあげて落ちる瀑布は、迫力に満ちた荒々しい表情。上段の滝の黒い岩肌はゴツゴツと尖っており、この岩がいきおいよく飛沫をあげさせるのです。上段の滝の上部、滝口近くには石の不動尊がまつられています。
周辺にはモミジが多く、秋の燃えるような紅葉と白い瀑布のコントラストは実にみごとです。
なめらかな岩肌を滑り落ちるその景観は“ソーメン流し”にたとえられ、古くは村岡藩主・山名公が、妙見山・名草神社参道から眺める美しい滝として楽しんだとか。

・香美町村岡観光協会 0796-94-0123

2011/06/22  

吉滝・久須部渓谷【よしたき・くすべけいこく】

 

吉滝・久須部渓谷【よしたき・くすべけいこく】

吉滝
●関連情報
香美町役場
●澄んだ空気と透き通った水が迎えてくれる
香美町小代区の中心を流れる矢田川、その源流近くに多くの滝があります。特に久須部渓谷には、要の滝や吉滝などがダイナミックな美しさを誇っています。吉滝は別名裏見の滝と呼ばれ、裏からの滝の流れを見ることができる珍しい滝です。
沢すじにはシオジ・サワクルミなどの木々が生え、水しぶきのかかる岩のすき間にはイワタバコやダイモンジソウなどの草花が咲いているのがみられます。透き通った流れにヤマメ・イワナ・カジカなどの川魚が泳ぎ、昔と変わらぬ清らかさです。
吉滝の近くにはキャンプ場やコテージ村の設備があり、夏にはたくさんの人々で賑わいます。また、久須部渓谷の滝のそばには「滝見亭」というイワナや山菜が食べられる食事処もあります。

吉滝キャンプ場・コテージ村
・吉滝キャンプ場管理組合 0796-97-2392
・美方町産業振興課 0796-97-3111
・兵庫県美方郡香美町小代区

・テントサイト 1日 大人300円 小人200円
・管理棟 半日1500円 1日3000円
・山村広場施設 半日2500円 1日5000円
・コテージ(定員5名)
1泊1棟17000円(14時~翌日10時)追加1名ごとに1000円加算
休憩1棟1000円(16時まで)1時間につき
休憩1棟1200円(16時~22時)1時間につき

2011/06/22  

ベニズワイガニ

 

ベニズワイガニ


ベニズワイガニ
●香住カニとしても売り出し中
但馬で「ベニガニ」と呼ばれるベニズワイガニも、クモガニ科で、大きさ、形ともズワイガニとよく似ていますが、ズワイガニに比べて甲殻の色の赤みが強く、ズワイガニは腹側が白いのに対して、ベニガニは腹側も赤いので見分けることができます。正確には、ベニガニの甲羅の一番幅が広い部分には1本のトゲがあり、これで区別することができます。
ベニガニが棲んでいるのはズワイガニよりさらに深い、水深800~2,000m近くの深海で、海域では日本海北部から山陰沖合までと、北海道から銚子沖合までの太平洋沿岸に分布しています。そのためベニガニ漁は「かご漁」でおこなわれます。サバなどのエサを入れた直径1.3mほどのカゴを100~400個連ねて海中に投下し、ベニガニをカゴに誘い込みます。漁期は9月上旬~6月下旬(9月1日~6月30日ごろ)、漁場は隠岐堆、大和堆周辺です。

2011/06/22  

金属バネ工業【きんぞくばねこうぎょう】

 

金属バネ工業【きんぞくばねこうぎょう】
バネ
用途も多様化する金属バネ
兵庫県の特産品に指定
●日本の高度経済成長とともに発展
但馬の地場産業の中では歴史が新しく、第二次世界大戦中に大阪市内のスプリング工場が朝来市和田山町に疎開し、工場を開設したのがはじまりです。

昭和25年の朝鮮戦乱特需以降、景気上昇の波に乗り、増大する需要に応じて、自動車、車輌、弱電産業への部品を供給し発展してきました。
昭和60年に、企業が和田山を中心にして、養父、朝来の各市にひろがって合計数18、従業員195名、生産額年間18億円余がありました。

製品は線バネ、薄板バネを中心に、つる巻バネ、重ねバネなど。出荷先、原料仕入先が、大阪、岡山、愛媛などと遠隔地にあるため、金属工業の立地には必ずしも有利ではなく、円高不況のなかで主要なユーザーである自動車、弱電機メーカーなどの海外進出と現地での部品調達方式が進行していく中で、技術力の向上、販路の拡大が重要な課題とされています。
中でも朝来市和田山町の金属バネ工業は、県の特産品に指定され、コンピュー夕用のわずか数ミリのものから、工業用の大きなスプリングまで毎日数十トン単位で生産し、東京・大阪などの工業地へと出荷しています。

2011/06/22  

但馬ちりめん【たじまちりめん】

 

但馬ちりめん【たじまちりめん】

但馬ちりめん
●優れた技術を活かして高級品の生産へ
豊岡市但東町、出石町を生産地とする但馬ちりめんは、豊岡市但東町に隣接する丹後の峰山から、1894~1817(文化)年間に移入されたのがはじまりとされています。丹後地方との通婚によって、手織り技術が容易に伝習され、この地域の湿潤な気候風土も合い、農業の副業的存在として産地化されました。
幕藩期から明治期の手機時代から、大正6年(1917)には自動織機を導入。成長を続け、昭和12年には1,344台の織機台数を数えました。これが、戦前戦後のピークで、以後、戦時下280台まで減少しました。
戦後、昭和27年、県の振興助成を得て次第に復興し、昭和35年代前半は、年平均100工場が家内工業として増加発展をしました。
しかし、昭和48年の石油危機による不況乗り切り対策として、織機の打ちこわし等を実施して生産の抑制を行い、現在、量よりも質を重視し、高級品の生産や新しい洋装部門への進出などにも取り組んでいます。
豊岡市但東町では新たな試みとして、近年、「絹ゆかた」が売り出され、注目を集めています。値段が高い、動きにくい、着付けができない、作法が面倒、などの理由で敬遠される着物を、若者にも気軽に着てもらえるようにとつくられました。絹80%、綿20%を折り合わせた生地で、絹の美しさ、高級感、着心地のよさをそのままに、一般のゆかたのように素肌に1枚だけで着られ、手入れも簡単。時代に合ったちりめんのニーズをさぐりながら、そのよさを伝え、新鮮な魅力をもつ商品開発を積極的にすすめています。

2011/06/22  

出石焼【いずしやき】

 

出石焼【いずしやき】
作業

出石焼

出石焼
(豊岡市出石町)

・国の伝統工芸品

●関連情報
NPO法人出石町観光協会

じばさんTAJIMA

●透きとおるような白磁、出石焼の変遷

出石焼の歴史は、江戸時代半ば、天明4年(1784)に、陶器を焼いたのがはじまりとされています。その後、優良な石磁の鉱脈が発見され、染め付け磁器を製作するようになりました。

天保年間に最盛期を迎え、明治初期に衰退しましたが、明治9年(1876)、桜井勉らが旧士族の失職を救済するため、有田の陶匠・柴田善平を招いて盈進社を設立し、同社からパリや東京の博覧会に出品して一躍出石白磁の名声を高めました。

明治32年(1899)から指導に当たった友田九渓は出石焼きの品質改良に業績を残し、セントルイス万国博覧会で金賞を獲得しました。昭和に入って出石に県立窯業試験場が設立され、出石焼の品質はますます向上しました。

さらに、戦後、出石焼の作品が日展の特選に選ばれるなど作家活動が盛んになり、昭和56年(1981)には、国の伝統工芸品に指定されました。

2011/06/22  

但馬杜氏【たじまとうじ】

 

但馬杜氏【たじまとうじ】
升酒

長年の知識と技術
但馬杜氏が造り出す
甘露の雫。
麹づくり
麹づくり
香りや風味の成分となる麹をつくる作業。酒つくりの中で最も神経を使う重要な仕事とされています。

●関連情報
新温泉町役場

●但馬人気質が造りだす甘露の雫
但馬では、特に雪深い地方の人たちが冬季の働き場所を求め、出稼ぎとして、全国各地に酒造りに出かけました。杜氏とは酒造りの最高責任者のことです。酒造りは杜氏・蔵人(くらびと)のグループが、新米の刈り入れの終わる10月頃から翌年の春まで、約6~7カ月の間、家を離れ、酒造会社の蔵元に泊まり込んでおこなわれます。蔵によって人数は異なりますが、数人から20人程度の蔵人がチームをつくり、杜氏の指導のもとで酒造りの作業をおこないます。「一蔵一杜氏」といわれるように、杜氏の数だけ酒の種類があるといわれています。
但馬の人は、慎重で誠実、質素にも耐えて思いやりがあり、粘り強い精神力があります。長年の知識と技術の蓄積が今日の但馬杜氏を生みだしました。

●記録に残る但馬杜氏
記録に残るものでは、天保8年(1837年)大阪でおこった大塩平八郎の乱に関連して、大和郡山にいた小代庄城山(香美町小代区)出身の杜氏、藤村某が登場します。藤村はこの地方の代表格で、城主の信頼も厚かったといいます。この時代から、すでに数多くの但馬の杜氏が地方に出かけていたことがわかります。
平成4年の記録では、全国の杜氏は1,754人、但馬の杜氏は全体の1割を占め、近畿を中心に中国・四国・北陸などで活躍していました。しかし、その数も20年前と比べると4分の1、5分の1に減少し、高齢化も進んでいます。また、冬季の出稼ぎシステムも時代にそぐわなくなってきています。最近、酒造りも機械化されてきましたが、手づくりの味の魅力は依然として重宝されています。