2013/05/28  

法花寺万歳【ほっけいじまんざい】

 

法花寺万歳【ほっけいじまんざい】
法花寺万歳
法花寺万歳
・県指定文化財

■法花寺万歳保存会
(豊岡市法花寺)
TEL.0796-22-3778

■豊岡市教育委員会
TEL.0796-23-1111

●今の漫才の起源といわれる県下唯一の門付け万歳
「万歳」とは、正月に家々の座敷や門前で祝いを述べる、祝福芸で、千秋(せんず)万歳ともいいます。また、今日の漫才の起源ともいわれています。
豊岡市法花寺の万歳は、江戸時代後期に京都へ出奉公していた村民の1人が習い覚えて帰郷し、農閑期の出稼ぎとして門付けをしたのがはじまりと伝えられています。かつては、丹後・丹波地方にまで門付けにまわったこともあるようです。
第2次世界大戦中に一時中断していましたが、1949年(昭和24)に復活。県下で唯一、門付け芸を伝承している万歳として貴重で、2004年には県の無形民俗文化財に指定されました。

●軽妙で巧みな掛け合いが笑いを誘う
 演者は烏帽子(えぼし)に素襖(すおう)を着て扇子を持った「太夫(たゆう:主人公)」と、大黒頭巾に裁着袴(たっつけばかま)に鼓を持つ「才若(さいわか:助演者)」の2人。それに三味線弾きの伴奏と合いの手が加わります。太夫と才若二人の役者が、巧みな掛けあいをみせた後、くだけた余興を演じます。七五調の文句を述べ、踊りながら掛け合いをします。今の漫才でいうと、才若がボケで、太夫がツッコミです。本来は2時間もかかる芸ですが、現在は15分ほどに短縮して演じられています。

2013/05/28  

城崎町城崎温泉地区【きのさきちょうきのさきおんせんちく】

 

城崎町城崎温泉地区【きのさきちょうきのさきおんせんちく】
城崎温泉
城崎町城崎温泉地区

・豊岡市城崎町
・兵庫県景観条例

景観形成地区

城崎温泉

●関連情報
城崎温泉観光協会

●古くから文人に愛された歴史ある湯の町の美観
 1,400年もの歴史を持つ狭い谷間に開けた山陰の名湯。城崎の中心を流れる大谿川沿いに、古めいた石づくりの太鼓橋が数十メートルおきに掛かり、柳並木が続きます。春には約160本の桜が大谿川に咲き、散った桜の花びらが流れ、花筏となります。

その町並みは古くから「駅は玄関、道は廊下で宿は客室。土産物屋は売店で、外湯は大浴場」といわれてきました。
大谿川沿いには、木造2階~3階建ての古い旅館が立ち並び、小説家の志賀直哉が湯治をした三木屋などを始め、大正ロマンの風情を漂わす様々な旅館があります。
温泉街には、鴻の湯といわれる最古の湯を始め、7つの外湯が立ち並び、温泉客は情緒豊かな7湯巡りを楽しみます。
1963年(昭和38)には温泉街と、大師山山頂を結ぶ城崎ロープウェイが開通し、山頂から湯の町・城崎温泉を見渡せるようになりました。また、電線のない光景が広がる駅通りは、近年、電柱がすべて地中化され、さらなる景観づくりが進められています。

2013/05/28  

コウノトリ

 

コウノトリ

コウノトリ
国指定特別天然記念物
コウノトリは日本にすむ鳥の中ではもっとも大きな鳥で、翼の長さは58~67センチ。翼を開くと2メートルに達する。長い首と脚、太く長いくちばしをもった水辺の鳥で、学名キコニア・ボイキアナ(Ciconia boyciana)・英名ジャパニーズ・ストーク(Japanese Stork)。または、オリエンタルホワイト ストーク(Oriental white stork)

体の羽は白く、脚は赤い。目のまわりとのどは赤い皮膚が見え、翼は風切羽が黒く、体重は4~6キロある。日本以外ではソ連のウスリー地方・アムール地方、中国東北部に住んでいるが、どこも数が減っている。


コウノトリの郷公園
・TEL0796-23-5666
コウノトリ文化館
コウノピア

・TEL0796-23-7750
・豊岡市祥雲寺
・午前9時~午後5時
・毎週月曜日休館 無料
 

●関連情報
コウノトリの郷公園
コウノトリ文化館
コウノトリ市民研究所

●生態
 コウノトリは木の上に巣をつくります。枝やワラ、草をしきつめた大きな巣です。エサは川、池、沼、水田、草原で魚やカエル、昆虫など生きた小動物。ドジョウやナマズなど、うろこが小さく、骨も比較的にやわらかい魚を好み、トノサマガエル、イナゴ、バッタ、コオロギもよく食べ、ネズミやスズメなども捕まえて食べることもあります。
卵を産むのは3月中旬から4月下旬ころにかけて、卵は1~2日おきに3~4個くらい産みます。卵の大きさは直径7.5cm、短経5.5cm、重さは130gほどで、ニワトリの大きさの2倍あり、色は白色。卵はオスとメスが交替で抱き、約35日ほどでヒナがふ化します。エサも交替で取りに行き、夫婦が協力して育てます。ふ化して2カ月もすると親と同じくらいに成長し、巣立ちします。5年で成鳥となります。コウノトリは一夫一婦制を守り、夫婦でヒナを育てる鳥です。
コウノトリは発声器が発達していないので声が出せません。その代わりにくちばしを開閉して「カタカタカタ」と大きな音をたてます。これをクラッターリングといい、愛情の表現や、外敵に対する警戒、威かくの意味があります。

●歴史
明治維新の頃までは、コウノトリは日本の各地に住んでいましたが、維新以後乱獲され、急に数が少なくなりました。明治25年、保護の勅令が出され、明治27年狩猟法が公布され、ようやく法によって保護されることとなりました。大正10年、豊岡市出石町桜尾にある鶴山のコウノトリが天然記念物に指定され、コウノトリ黄金時代にはいりました。
しかし、水田でエサをついばむコウノトリは大きな脚で苗を踏み荒らし、農家の人々にあまりよい印象を持たれていないこともありました。
太平洋戦争で国有林の鶴山の松が伐採され、食糧増産のためにと水田に来るコウノトリをおびやかしたために、四散してしまいました。
昭和26年、養父市八鹿町浅間にコウノトリの巣ごもりを見つけ、天然記念物の指定を鶴山より浅間へ変更しました。このころから、コウノトリは豊岡市周辺に移動をはじめ、昭和28年、天然記念物の指定を「棲息地」からコウノトリという「種」の指定に切り替え、全国的に保護されることになりました。
昭和30年、コウノトリ保護協賛会(のちに但馬コウノトリ保存会と改称)が発足し、保護事業を組織化して、官民一体となって進めることとなり、ドジョウの給餌やそっとしてやる運動などを展開してきました。
昭和31年、天然記念物を特別天然記念物に指定されました。ところが、この頃から繁殖するものはなく、昭和33年と昭和34年に豊岡市福田で1羽ずつヒナがかえったのを最後に、年々その数は少なくなる一方でした。
そこで、昭和40年、保護と増殖のため人工飼育に踏み切り、全国唯一の専門施設「コウノトリ保護増殖センター」が豊岡市に誕生しました。
しかし、昭和46年野外での生息は、豊岡市百合地の人工巣塔にいた最後の一羽が傷ついて死亡しました。
昭和60年7月ソ連ハバロフスク地方から兵庫県に6羽が贈られ、飼育場に入舎しました。センターができてから25年目の平成元年、待望のヒナが誕生しました。その後、次々とヒナが育っていきました。
平成11年「兵庫県立コウノトリの郷公園」がオープンし、世界で初めて、コウノトリを自然に帰す活動が始まりました。
平成17年9月には、コウノトリ野生復帰の第一歩として、9羽のコウノトリが試験放鳥。平成19年7月には、国内の自然界で46年ぶりとなる野生コウノトリのヒナが巣立ち、野生復帰計画は大きな一歩を踏み出しました。

開園10周年にあたる平成21年は、豊岡市但東町唐川区放鳥拠点からコウノトリ2羽が放鳥され、2009年11月1日現在、38羽のコウノトリが放鳥されています。コウノトリの郷公園やボランティアにより、放鳥個体の追跡調査が行われています。

こちらよりコウノトリの動画をご覧いただけます。

2013/01/14  

小江神社の大ケヤキ【おえじんじゃのおおけやき】

 

小江神社の大ケヤキ【おえじんじゃのおおけやき】

・県指定天然記念物
・豊岡市江野

●セキリョウさんと親しまれる大ケヤキ
昭和43年に県の指定を受けた天然記念物で、小江神社の境内の中でもひと際目立つ巨木です。樹高約30メートル、幹周り約4.4メートルあります。
大ケヤキの下に水が湧き出る場所があり、かつては地区の共同用水場として利用されていました。上水道ができるまでは貴重な水源として大事に守られてきました。地元の人はこのケヤキを「セキリョウさん」と呼び、お参りすると、咳が止まるといういい伝えがあります。

2013/01/14  

一宮神社のケヤキの森【いちみやじんじゃのけやきのもり】

 

一宮神社のケヤキの森【いちみやじんじゃのけやきのもり】

・県指定天然記念物
・豊岡市但東町久畑

●荘厳なケヤキの森が広がる
かつての京街道、久畑の関所近くにある一宮神社には、ケヤキの社そう林が広がっています。境内には樹高約35メートル、幹周り約7メートルの巨木をはじめ、幹周り3メートル以上のケヤキが群生しています。樹齢数百年を超える巨樹の森は、荘厳な雰囲気を創り出しています。
他にもエノキ、ムクノキ、イチョウ、スギなどが自生しており、これほど多くの巨木がまとまって自生している場所は珍しく、群生林として大変貴重なものです。

2012/12/26  

但馬検定【たじまけんてい】

 

但馬検定【たじまけんてい】
但馬検定テキストブック ザ・たじま
但馬検定テキストブック
●関連情報
但馬検定
●知ってるようで知らなかった但馬、再発見
 兵庫県の面積の4分の1を占める広大な但馬は、氷ノ山、円山川、山陰海岸など自然環境豊かな地域です。コウノトリの野生復帰の取り組みも進められています。また、多くの文化財や歴史遺産に加え、温泉、食べ物などの魅力的な観光資源にも恵まれています。年間1,000万人の観光客が訪れている但馬を、改めて見つめてみると様々な発見があります。
但馬検定は、このような但馬の自然・歴史・文化・観光・産業などに関して、但馬通・但馬ファンを増やし、但馬を語り発信できる人材を育成することを目的として実施されます。
第1回目の試験は2007年3月に実施。但馬検定テキストブックは、但馬内の市庁舎、一部書店などで販売しています。但馬通を目指して、あなたもチャレンジしてみませんか。検定の合格者には、認定書および特製の認定バッジが贈呈されます。

(公益財団法人)但馬ふるさとづくり協会
・0796-24-2247
・兵庫県豊岡市山王町11-28

2012/12/26  

但馬七福弁天めぐり【たじましちふくべんてんめぐり】

 

但馬七福弁天めぐり【たじましちふくべんてんめぐり】

・蓮華寺(豊岡市竹野町轟)
・大乗寺(香美町香住区森)


・長楽寺(香美町村岡区川会)


・楽音寺(朝来市山東町楽音寺)
●七福弁天めぐる心の旅
 但馬各所を巡る「但馬七福弁天めぐり」。弁天さまは、七福神のうちでただ一人の女性の神で、物を生み育てる水の神です。
兵庫県の淡路島をはじめ、竹生島・江ノ島・宮島などの弁天さまが、いずれも島や湖の中州に祀られていることからもその理由がうかがえます。
水の流れる音は音楽に結びつくことから、芸能の神様としても信仰されています。
また、商売繁盛・進学就職の神さまとしても有名。厄災を取り除き、富・財宝と智恵を授ける福の神として、古来より人々の信仰を集めてきました。
但馬の日本海から内陸部へ向かう七福の寺での住職との語らいは、心が洗われる巡礼の旅。近年、ご利益を求めて、心の旅を楽しむ人々が増えています。

但馬七福弁天めぐり
・蓮華寺(開運)豊岡市竹野町轟
・大乗寺(馬鳴)香美町香住区森
・長楽寺(七美)香美町村岡区川会
・日光院(招福)養父市八鹿町石原
・長福寺(大福)養父市畑
・楽音寺(福寿)朝来市山東町楽音寺
・延応寺(宝積)朝来市生野町口銀谷

2012/12/26  

ハチゴロウの戸島湿地の整備【はちごろうのとしましっちのせいび】

 

ハチゴロウの戸島湿地の整備【はちごろうのとしましっちのせいび】


管理棟

ハチゴロウの戸島湿地
・豊岡市城崎町戸島

●生態系の宝庫!ハチゴロウの戸島湿地
平成21年4月にオープンした「ハチゴロウの戸島湿地」は、 円山川下流域にあり、 ここは日本海や楽々浦湾からの汽水、上流からの淡水、山際からの湧水などが混在し、 希少な生き物や植物にあふれる場所です。
この施設は、「嫁殺しの田んぼ」と呼ばれるほど作業が困難だった湿田(ジル田)を、コウノトリの生息拠点として、地域の生物多様性の核として、あるいは環境教育の拠点として整備されました。公の施設の「湿地」として環境を管理しています。
名称になっている「ハチゴロウ」とは、圃場整備工事中の湿田に舞い降りてきた野生のコウノトリの名前です。ハチゴロウがこの湿田に頻繁に飛来するようになった出来事がきっかけで、市がその地をコウノトリが舞い降りることのできる環境として保全・整備することを決めました。
湿地内の人工巣塔ではオープン前からコウノトリのペアが栄巣しており、オープンから2ヶ月余りでヒナの巣立ちも確認されました。

2012/12/26  

赤木家住宅【あかぎけじゅうたく】

 

赤木家住宅【あかぎけじゅうたく】
赤木家住宅

赤木家住宅
石垣

赤木家住宅

赤木家住宅
・豊岡市引野
・国登録有形文化財


●水害対策の備えが残る大庄屋屋敷

2005年、豊岡市で初めて国登録有形文化財に登録された赤木家住宅は、明治、大正時代の自作大農経営地主の住宅様式を残す貴重な文化遺産です。代々大庄屋であった赤木家ですが、家風である「質実剛健」を守り、派手さはありませんが、威風堂々とした存在感に圧倒される建物です。主屋が1870年(明治3)の建築で、書院造の離れや蔵、門などは明治中、末期に建てられ、ほぼ原形のまま残っています。
赤木家住宅の特徴は、水害に対する備え。すぐ近くを流れる円山川が氾濫すると、地域の防災センターとしての役割を担ってきました。東西40m、南北65m、約900坪の広大な敷地に整然と積み上げられた石垣はほぼ玄武岩で構成され、周囲よりも約2mもかさ上げしてあり、一度も浸水したことがないといいます。
さらに、円山川に面する西側には、濁流の勢いを弱めるための水防竹林を造成。竹は切りだして、水防用の資材としても利用されました。
また、蔵の軒下に吊されている小舟は、当時の様子を象徴するもの。縄をゆるめれば、いつでも出船できるようになっていて、洪水時には「パトロール船」として活躍しました。
同家は、円山川の河川改修に尽力するなど、「砂防の神様」と呼ばれた赤木正雄氏の生家でもあり、こうした水防への備えが正雄氏の人生にも多大な影響を与えたともいえます。

※同住宅は原則として非公開

2012/12/26  

東楽寺【とうらくじ】

 

東楽寺【とうらくじ】

東楽寺
・豊岡市清冷寺
・四天王立像
国指定彫刻
●藤原中期、一木彫刻の四天王立像をまつる

弘法大師開祖の寺、東楽寺には国指定重要文化財に指定された四天王立像が祀られています。四天王は、仏を守るための4体の武神で、持国天、増長天、広目天、多聞天のすべてが揃っています。寺伝では、延長年間(923~929)寺の再興の時に造立されたものといわれています。桧材の一木彫刻で藤原中期のすぐれた作風をそなえており、いずれも尊厳に満ちた表情、姿が特徴です。また、体躯に重量感があり、堂々としていますが、動きに乏しく、着用している甲冑も比較的簡素です。四天王像は、古くはいかつい甲冑に身を固めたものが多いのですが、東楽寺の四天王はやや優しさが増しています。
遠く高知県妙国寺に残されている梵鐘の銘に、「但馬国気多郡東楽寺…正安元年(1299)…」とあるところから、おそくとも鎌倉時代には東楽寺という名の寺があったことは確実です。
また、他にも聖観音立像、絹本著色涅槃像図が市指定文化財になっています。