東西寺【とうざいじ】
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東西寺 ・本堂、東照宮 県登録有形文化財 |
●徳川歴代将軍を祀る寺院 |
東西寺【とうざいじ】
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東西寺 ・本堂、東照宮 県登録有形文化財 |
●徳川歴代将軍を祀る寺院 |
常光寺【じょうこうじ】
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常光寺 ・本堂、鐘楼、山門 県登録有形文化財 |
●竹田城の初代城主・太田垣光景を祀る |
観音寺【かんのんじ】
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観音寺 ・本堂、観音堂、経蔵、 県登録有形文化財 |
●竹田城下町の歴史的景観を形づくる寺院 |
大同寺【だいどうじ】
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大同寺 ・開山堂(建造物) 県指定文化財 |
●江戸中期の唐様を基調とした仏堂遺構「開山堂」 |
日輪寺【にちりんじ】
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日輪寺 ・鰐口(工芸品) 県指定文化財 |
●応永年間に作られた貴重な文化財「鰐口」 |
法宝寺【ほっぽうじ】
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法宝寺 ・木造薬師如来坐像(彫刻) 県指定文化財 |
●珍しい手法で作られた「薬師如来坐像」 |
楽音寺【がくおんじ】
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楽音寺 ・経瓦(考古資料) 県指定文化財 |
●阿弥陀如来像が彫り込まれた珍しい「経瓦」 |
鷲原寺【わしはらじ】
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鷲原寺 ・石仏群 県指定文化財 |
●16体の石仏が佇む「岩屋観音」 |
大林寺【だいりんじ】
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大林寺 ・鰐口 |
●但馬最古の鰐口が残る、由緒ある古刹 今は廃寺となり観音堂を残すのみとなっている大林寺ですが、伝承からみると由緒ある古刹です。御本尊は千手観音で、かなり古い作と思われる不動明王も祀られています。 和銅3年(710)、藤原鎌足の次男である不比等が浄財を寄進し創建されたと伝えられています。創建当時は七堂伽藍僧房十二院もあり、寺領も2400石あったといいます。寺跡周辺の地名に、藤房・尾房・藤覚房・惣治房・桜本房・大房・松尾房等々と坊跡をかたるものが残っているのは、当時の名残りです。 さらに、 武蔵坊弁慶が大林寺の鐘を摂津摩耶山(現神戸)に運んだという伝説が残っており、的場という地名が残っていることとあわせて、一時は僧兵も在住していたと考えられています。 また、松尾坊跡から出土した鰐口は嘉慶2年(1388)につくられたもので、在名鰐口としては但馬最古のものであることからも、かつての隆盛が想像されます。 この鰐口は青銅製で、直径45cm、厚さ15cm、重さ19kg。撞座に優美な蓮華を表し、銘帯の上部に「但馬国」、右方に「大林寺 願主五郎左衛門尉幸信」(当地の豪族の名)、左方に「重慶2年戊辰正月十八日 大工橘守正」の刻文があります。貴重な工芸品として県の文化財に指定されています。 天正5年(1577)、豊臣秀吉の但馬攻略にともない、2400石といわれた寺領は没収され、さらに慶長5年(1600)、堂塔僧房全焼の被害に遭い、大林寺は急速に衰微していきました。寛文12年(1672)と弘化4年(1847)に修復し、万延元年(1860)に再建されたのが、現在残っている堂だといわれています。しかし明治6年(1873)、ついに廃寺となりました。但馬西国十九番の札所として「ちかひにや げにみどりの子の宝をも ひとしくたまふ しづの女までに」という巡礼歌が 残っています。 |
金蔵寺【こんぞうじ】
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金蔵寺 ・朝来市生野町口銀谷 ・銅鐘 |
●池之間に変遷が刻まれた鎌倉時代の名鐘
社寺縁起には「京西本願寺派 興正寺末 金蔵寺」と記されています。親鸞聖人日本国内巡錫地として二十四ケ寺がありますが、金蔵寺は同聖人の親筆すなわち「柳の名号」があるため、巡錫地同様の所遇によるものであると言われています。山門の板札は「二十四輩」と書かれています。 |