2011/06/22  

大生部兵主神社【おおいくべひょうずじんじゃ】

 

大生部兵主神社【おおいくべひょうずじんじゃ】

大生部兵主神社
・豊岡市但東町薬王寺
●県社として栄えた牛馬の神を祀る神社
薬王寺の大生部兵主神社は「天王さん」と呼ばれ、牛馬の神様を祀る神社として古くから人々に親しまれてきました。いつ頃できたものかはっきりしていませんが、かつては県社として栄えた由緒ある神社です。
用命天皇の時代(585~587)、勅命を受けて三上山(京都・大江山)に棲む鬼の討伐にやって来た皇子・麻呂子親王が、牛頭天王に祈願したという伝説が残っています。このことから、それ以前に創立されたものと推測されます。また国司文書には、天武13年(684)に社を別の地に移して祀ったとあり、その前後に現在の地に移されたのだと考えられています。
境内には樹齢400年と推定されるご神木の杉の木があります。この木には、地上1~3mの間に23カ所の呪いの釘跡があります。この辺りの山は、昔、大江山とを結ぶ修験の道があったといわれ、山に入り帰らぬ男への恨みを女が釘に込めて、この杉に打ち込んだのだといいます。後に宮司がこの凄惨なありさまを見るのが恐ろしく、ノミで釘を抜き、周囲を修復したそうです。木には今でもその跡が残っています。
現在は 交通安全、家内安全、縁結びの神様として崇められており、毎年5月3日に豊作を祈願する春の大祭が行われています。大祭では地元の中学生が巫女の衣装をまとって、神楽「浦安の舞」を奉納します。続いて「練り込み太鼓」が披露され、笛や太鼓の音が辺りに響き渡ります。この日は餅まきなども行われ、神社は地元の人たちで賑わいをみせます。

2011/06/22  

酒垂神社【さかだるじんじゃ】

 

酒垂神社【さかだるじんじゃ】

酒垂神社
・豊岡市法花寺
・本殿
国指定建造物
●お酒の神様、酒弥豆男命・酒弥豆女命を祀る

酒弥豆男命と酒弥豆女命という酒の神をまつる酒垂神社。本殿は2本の柱で一間をつくる一間社流造の構造で、国の重要文化財に指定されています。現在は保護のために上屋で覆われています。永享10年(1438)に斧始め、嘉吉元年(1441)に立柱、文安元年(1444)に遷宮、体裁を完備したのが、宝徳元年(1449)で、前後11年をかけて建てられた建物です。
おもしろいのは、中嶋神社と同じ大工の手によってつくられています。記録によると大伴久清という宮大工によって建てられており、細部にわたってすぐれた意匠がこらされています。
大伴久清という大工の苗字・大伴は、今も三江地区に分布している大伴姓と関係があるかも知れません。江戸時代に入って修理を担当した藤原勘右衛門は、明らかに下宮の人でした。その修理技術は優秀で、原型を損なうことなく修復しています。

2011/06/22  

四所神社【ししょじんじゃ】

 

四所神社【ししょじんじゃ
四所神社
四所神社
・豊岡市城崎町湯島
・本殿・拝殿
県登録有形文化財

だんじりまつり
だんじりまつり

●関連情報
城崎温泉ホームページ

●城崎温泉の中心に位置する守護神
祭神は湯山主大神(ゆやまぬしのおおかみ)などを祀っています。城崎温泉街の中央に位置し、708年(和銅元)、日生下権守(ひうけごんのかみ)が神託を受け、4柱(四所)の明神を奉祀したことから始まったと伝えられています。
古来より城崎温泉の氏神、温泉の守護神として信仰されてきました。かつて城崎の町はこの四所神社を境に、西が上部、東が下部とわかれていました。
毎年、四所神社の秋の祭礼「だんじり祭り」が外湯のひとつ「一の湯」の前で、盛大に行われます。だんじり(屋台)が激しくぶつかり合う三つ巴の争いは迫力があり、多くの見物人が訪れます。

2011/06/22  

気比の銅鐸【けいのどうたく】

 

気比の銅鐸【けいのどうたく】
気比銅鐸4個
・豊岡市気比
・国指定考古遺物

・東京国立博物館所蔵

●関連情報
とよおか発掘情報

●貝殻などの上に置かれていた縦横四区画をもつ銅鐸

大正元年(1912年)9月、当時、小学校を改築するために必要な石材をもとめて、気比村字溝谷(鷲崎)の石切場で銅鐸4個が発見されました。
路傍にたっていた巨岩の背面にある小岩窟の中に、河原石や貝殻類をしきならべて、その上に置かれてたといわれています。いずれも流水文の小型銅鐸で、その内の第3号鐸は縦横四区画をもつ特色ある文様構成をしています。当時、日本海側では初めての発見で古代史学者が注目しました。その内の2個は大阪府下でつくられたことがわかってきています。陸路約200kmを隔てた間での交易がおこなわれていたことが推測されます。
銅鐸は弥生時代における最も謎の多い遺物で、気比の銅鐸は質の良さ、保存状況の良好さ、出土状況が比較的はっきりしています。大正元年11月に、宮内省から東京帝室博物館へ着出の指令が出され、現東京国立博物館の蔵品となっています。

2011/06/22  

中谷貝塚【なかのたにかいづか】

 

中谷貝塚【なかのたにかいづか】
中谷貝塚
中谷貝塚
・豊岡市中谷
・県指定遺跡
●縄文時代の人々の重要なタンパク源・貝類の殻の層
人類の歴史が始まったころに干陸化し、平地になったといわれる豊岡盆地。大正2年(1913)に発見された中谷貝塚からは、縄文時代の人々の重要なタンパク源であった貝類の殻を中心に、生活用具である土器、石器が出土しています。昭和61年(1986)に行われた調査によって、東西12.5mにわたる貝層が確認されました。この貝層は、縄文時代中期から後期までの間に、断続的に形成されたもので、ヤマトシジミを主体として、ハマグリ、マガイなどが見られます。自然死した貝類が堆積した層も確認されており、その多くが付近で採取されたものであることもわかっています。
中谷貝塚は、採取地と貝塚がセットで見つかった希少なケースとして注目されています。

2011/06/22  

妙楽寺出土仏具一括【みょうらくじしゅつどぶつぐいっかつ】

 

妙楽寺出土仏具一括【みょうらくじしゅつどぶつぐいっかつ】
錫杖
▲錫杖

・豊岡市妙楽寺
・県指定文化財(考古資料)

●関連情報
とよおか発掘情報

●中世仏教寺院としての「妙楽寺」を解き明かす
昭和37年(1962)、豊岡盆地側から県立但馬文教府へ至る道路の造成工事中に、鎌倉時代から室町時代のものと思われる密教関係の仏具が多数発見されました。出土品は散逸することなく一括で県立但馬文教府で保管、平成12年(2000年)に豊岡市出土文化財管理センターへ移管されました。特に、総高48.2cm、重量2,756kgの大型の錫杖頭は、全国屈指の大きさを誇り、錫杖頭に尊仏を配する例は全国的にも珍しいとされています。仏教考古学、美術工芸史及び地域史上もきわめて価値が高い資料です。

近年の整理作業で確認された「大門坊」「施入本堂」と線刻された資料からは、これまで不明であった、中世仏教寺院としての「妙楽寺」をうかがい知ることができるのでは?と、今後の調査研究に期待が高まっています。

2011/06/22  

但馬五社【たじまごしゃ】

 

但馬五社【たじまごしゃ】
但馬を南北にわたる絹巻神社・出石神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社、この5つの神社を総称して「但馬五社」といいます。各神社間は約12km、お正月にはこの五社をめぐると大変御利益があるとされ、露店も並び、多くの参拝者で賑わいます。


絹巻神社
・豊岡市気比
●絹巻神社(きぬまきじんじゃ)
亜熱帯の鎮守の森に海の神様を祀る

天衣織女(あめのいおりめ)命・海部直命を祀り、全国でも珍しいおしりをあげた狛犬があります。以前は前方にありましたが、港大橋架設のため現在の位置に移動しました。
周囲は暖地性原生林で面積1万2千平方メートル余りに、シイ、クスノキ、サカキ、ダブ、ヤマザクラ、ツバキなど温帯、亜熱帯の樹木が生い茂り、県の天然記念物に指定されています。

 



小田井神社
・豊岡市小田井
●小田井神社(おだいじんじゃ)
国作大己貴命を祀る

延喜式神名帳(905)に記されいる式内神社で、国作大己貴(くにつくりおおなむち)命を祭神に祀っています。弘安年中(1278~87)の但馬大田文には、小田井社々領31町3反あまり神供田25町1反あまりとあり、当時は神仏習合で社家(四社)、社僧(4ヶ寺・金剛、妙楽、正法、三坂)が祭事をとり行っていたとされています。
しかし、天正3年(1575)、戦で森に火を放たれ焼失、ご神霊はみこしで一日市に火難を避けられたと伝えられています。同じ天正年中、羽柴秀吉が中国征伐に陣営を置き、多くの神領・神供田を没収、社家社僧は離散してしまいました。貞享年間中(1684~87)に社殿を再興し、鳥居を建て、元文年中(1736~1740)に神殿を改造しました。
昭和になってから、円山川河川工事で移転や境内の改築が行われ、現在に至っています。

 



出石神社
・豊岡市出石町宮内
●出石神社(いずしじんじゃ)
但馬開発の祖神、天日槍命を祀る

但馬一の宮といわれ、祭神は但馬開発の祖神、天日槍(あめのひぼこ)命と八種の宝が祀られています。天日槍は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。出石神社由来記には天日槍が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されています。
「祭具の鉾・首部」を所蔵し、天日槍命は太陽光の化身とも、祭具としての鉾の擬人化ともいわれています。また、龍が鉾に巻きついている姿は歌舞伎の柱まき(柱に手と足をかけみえをきること)の原型ではという説もあります。

出石神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えていますが、諸書によると奈良朝時代すでに山陰地方の有数の大社であったことがうかがわれます。

境内の門の脇に鳥居の一部が置いてありますが、これは出石川改修の際、川から出土したもので、平安時代のものだといいます。出土した付近は今でも「鳥居」という地名で、かつては一の鳥居、二の鳥居があったとされ、二の鳥居の一部ではないかといわれています。
現在の社殿は大正3年に再建され、本殿は三間社流れ造りで南に面しています。拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に身舎の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建物です。

 



養父神社
・養父市養父市場
●養父神社(やぶじんじゃ)
農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂命など五柱を祀る

延喜式の式内大社で、天平9年(737)但馬税正帳にも出石神、粟鹿神と共に名を連ねる古い宮です。鎌倉時代には多くの社田を持ち、三重の塔、堂、坊をもった神宮寺のあったことも知られています。現在の社務所は江戸時代の別当寺、普賢寺です。
祭神は農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂(うがのみたま)命をはじめ大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆尼命の五柱を祀っています。春の大祭、八十八夜祭など年間多くの祭りがあり、春の桜、秋の紅葉など信仰、名所としてにぎわいます。また、但馬の3大祭りに数えられる「お走りまつり」が伝えられ、4月15日から16日にかけて、御輿が町内を横断し、約18km離れた斎神社へお参りを行います。特に15日の大屋川渡りは圧巻です。

 



粟鹿神社
・朝来市山東町粟鹿
●粟鹿神社(あわがじんじゃ)
約600年前に国家平癒を祈願、勅使門を建立

但馬国一の宮、延喜式に定める明神大社で、阿米弥佐利命が主祀神で、その他、諸々の神々が祀られています。創建は古く崇神天皇の頃と伝えられています。神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられたとされています。 当地方における数少ない遺構の一つとして貴重です。 本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれ、 頭貫には唐草模様が見られます。
また、御本殿裏の御塚には、日子坐王命が葬られ御陵として崇められています。境内の末社も由緒があり、1,540坪に及ぶ神域の社叢林は深厳な景観を形成し、町指定天然記念物です。

2011/06/22  

だんじり祭り【だんじりまつり】

 

だんじり祭り【だんじりまつり】
だんじり祭り
だんじり祭り
(豊岡市城崎町)
・豊岡市城崎町湯島

10月14~15日

 

だんじり祭り
・豊岡市城崎町/湯島/10月14~15日

古くから続く四所(ししょ)神社の祭で、多くのしきたりがあります。四所神社を中心に上部・中部・下部に分け、だんじり経験の年功による階級的な役割が決められ、職名や服装も独特なものがあります。特にだんじり組織の階級は家柄、社会的地位、学歴などに関係なく、純粋にだんじりを動かす組織人としても強い絆となっていています。

温泉源泉の守護、五穀豊穣、町内安全の祈祷をして廻り、神輿(みこし)の巡行に上部の「神輿太鼓」がお供をする形で加わり、これに下部の「大だんじり」が仲間に入りたがりますが、上部の神輿太鼓が排除するというもので、湯島地区内のいわれのある各所で、上部の神輿太鼓と下部の大だんじりがセリを繰り広げます。クライマックスは、一の湯前の三つ巴の争い。大だんじりはいかなる場合にも、神輿に突っかけることが許されていません。

見物の人たちは互いにすきをねらう対策を楽しみながら、だんじりの動きを見守ります。最後は神輿が四所神社に無事に戻され、祭りは終わります。

2011/06/22  

中嶋神社菓子祭り【なかしまじんじゃかしまつり】

 

中嶋神社菓子祭り【なかしまじんじゃかしまつり】
菓子祭り
中嶋神社菓子祭り
(豊岡市)
・豊岡市中嶋神社
4月第3日曜日
 

中島神社菓子祭り
・豊岡市/中嶋神社/4月第3日曜日

中嶋神社の祭神・田道間守命(たじまもりのみこと)は、「菓祖」(菓子の神様)として全国の菓子業者からの崇敬を集めています。
その昔、田道間守命は垂仁天皇の命をうけ、常世の国から不老長寿の妙薬「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」を持ち帰りました。「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」は橘(ミカンを指す)の木を表し、橘は菓子の最上品として珍重されていました。そこで、その橘を彼方の地より持ち帰った田道間守命は「菓祖」(菓子の神様)とされるようになったと伝えられています。本殿は二間社流れ造りという大変珍しい様式で旧国宝の国の重要文化財。
毎年4月の第3日曜日に開催される「菓子祭り」は、菓子業者を筆頭にたくさんの人で賑わいます。祭り当日はいろいろなお菓子が当たるくじ引きを行っており、菓子券を買ってくじを引くと、1等、2等…などのお菓子が当たります。
ほかにも、たい焼き・アイスクリーム・おもちゃ屋などの屋台も並び、子どもたちにとって楽しい一日となります。

2011/06/22  

柳まつり【やなぎまつり】

 

柳まつり【やなぎまつり】
柳まつり
柳まつり(豊岡市)
・豊岡市中心街
8月1・2日
 

柳まつり
・豊岡市/中心街/8月1・2日

毎年8月1・2日の二日間に渡って行われる豊岡柳まつりは、特産業「杞柳・かばん産業」の守護神として祀られる柳の宮のまつり。但馬の中核都市を担うだけあり祭りの規模は大きく、約6万人の人出で賑わいます。初日は柳の宮の例大祭から始まり、幼児約400人が御輿を引く稚児行例、「アーラ ヤッチャ ヤッチャ」のリズムに合わせ、子ども連、大人連約60連3000人の「豊岡おどり」でまつりは最高潮を迎えます。また、連ごとの趣向を凝らした造り物も見どころです。
翌日の花火大会は、近畿有数規模を誇り、尺玉や7号玉の早打や芸術玉の連発、スターマインが人気を集め、クレーンで吊り上げた600メートルのナイヤガラ大瀑布がまつりのフィナーレを飾ります。
このほかに、特産品のかばんが安値で買える「かばんノミの市」など楽しいイベントが盛りだくさん。