2011/06/22  

泰雲寺のシダレザクラ【たいうんじのしだれざくら】

 

泰雲寺のシダレザクラ【たいうんじのしだれざくら】
泰雲寺のシダレザクラ
・県指定天然記念物
・新温泉町(旧温泉町)竹田
●西日本最大級を誇るその優雅な姿
泰雲寺の鐘つき堂の屋根をおおうように枝を張っているシダレザクラ。その広さは約20平方メートルにもおよびます。樹高15m、幹周り5.25mで、樹齢300年といわれています。
地上3.5mのところで、南北方向に幹が分かれていますが、長年にわたって枝に降り積もる雪を支え、重みに耐え続けたためか、頑丈な幹となっています。
泰雲寺は京都の臨済宗天竜寺に属する禅寺で、このサクラは天竜寺から移植されたものだそうです。
地元の人たちは、昔からこのサクラの花が満開の頃に、麻の種子を蒔くのによい時期と心得ていたことから“おまき桜”と呼んでいました。30年程前には、この木に咲く花の色は今よりもっと色が濃く、鮮やかなピンク色だったそうです。他所のシダレザクラは、一般的に満開時は白くなるので、この花の色は人々を魅了し、高く評価されました。昭和41年(1966)には県の天然記念物に指定されています。
最盛期を過ぎたこのサクラは、枝をあまり上方には伸ばさず、横へ横へと広げていきます。サクラを保護する為に、お寺では根の周りに柵を設けたり、堆肥を施したり、落葉も自然のままでおかれるように力を尽くしています。
今や旧温泉町の風物詩となっている泰雲寺のシダレザクラ。 地元の人はもちろん、湯村温泉に訪れる観光客にも、その優雅な姿は愛でられています。

2011/06/22  

ギフチョウ

 

ギフチョウ

ギフチョウ
 

●関連情報
ギフチョウ研究会

●春の訪れとともにあでやかに舞う、春の女神
明るい黄色と黒の縞に、赤とブルーのすそ模様をひるがえし、花から花へ舞い飛ぶようすは実にあでやか。ようやく訪れた春、ソメイヨシノの開花とともに現れるギフチョウは、誰が名づけたのか、「春の女神」の名にふさわしい美しいチョウです。
日本特産のチョウで、本州のみに生息しています。アゲハチョウの仲間ですが、やや小型。兵庫県下にも生息地は多くありますが、各地とも環境の悪化や乱獲もあって個体数の減少が目立ち、絶滅したところもあります。
但馬では、扇ノ山、妙見山、三川山などの山地から、豊岡市内の妙楽寺、愛宕山、大師山などの低山地まで、広くあちこちで見られますが、これも徐々に減少の傾向をたどっています。

●落ち葉の下で10ヶ月も眠って、春を待ちます
ギフチョウの幼虫は「カンアオイ」という植物の葉を食べて成長します。このカンアオイは、クリやコナラなど落葉樹の林の日陰に生育する植物で、もともと繁殖力が弱いうえに、落葉樹の林が杉やヒノキの植林に変わったり、ゴルフ場、宅地などの開発によって環境が変化すると、簡単に減ってしまうのです。そうしてカンアオイが減っていくことが、ギフチョウの減少した大きな原因と考えられています。
ギフチョウの成虫は山の尾根すじや山頂で見かけることが多いのですが、これはほとんどオス。メスは山すそや林道などの日だまりで、レンゲやツツジの蜜を吸っているのを見かけます。
4月下旬、カンアオイの葉の裏をめくると、直径1mmほどの真珠色の美しい卵が5~10個、かたまって産み付けられているのが見つけられます。卵はしだいに黒ずんで、産卵から2週間ほどでふ化します。真っ黒でビロードのようなツヤをもつ幼虫は、約1ヶ月間に脱皮を4回くりかえしてサナギになります。サナギはこのあと、夏~冬まで10ヶ月もの間、落ち葉の下で眠り、翌春を待って飛び立つのです。

2011/06/22  

モリアオガエル

 

モリアオガエル

モリアオガエル

モリアオガエルの卵
 

●関連情報
日本のカエル

●梅雨になると産卵場に集結、メスをめぐって争奪戦
5~6月ごろ、木の枝に、白い泡状の卵を産みつけることで有名なカエルで、背中には緑色の地に紅褐色の斑紋があります。
地域によっては天然記念物として保護されており、但馬の各地にも広く分布していますが、そのわりに目にすることが少ないのは、普段、山地の木の上で生活することが多いから。産卵期以外はあまり人目につかないようです。
モリアオガエルは産卵のため、梅雨の時期になると、近くの林から池や水たまりの上に張り出した木を目指して集まってきます。そうして周囲が暗くなったころ、産卵場となる木の枝に登ります。木の枝に陣取ったオスは「クックックッ」と鳴いてメスを誘い、メスが近づくと、メスの背中に乗って、産卵に適した枝先まで移動します。このとき、ほかのオスたちもメスを奪おうと飛びついてきます。産卵場所に着くと、背中に乗ったオスは、メスの腹部を絞るようにしてゼリー状の粘液と卵を出させ、後足で粘液をかきまわして泡状にするのです。こうして枝に産み付けられた卵は1~2週間でふ化し、オタマジャクシは、枝の下にある池や水たまりに落ちて、夏ごろには小さなカエルに変態していきます。

2011/06/22  

オオサンショウウオ

 

オオサンショウウオ

オオサンショウウオ

・国指定特別天然記念物
(場所は不特定)

●世界最大の両生類、世界でたった3種の貴重な生物
「生きた化石」といわれるオオサンショウウオは世界最大の両生類で、カエルやイモリの仲間です。その発生は2億年前にも遡りますが、ヨーロッパでは氷河期を経てほとんどが滅び、現在地球上では、日本、中国、アメリカで、わずか3種しか残っていないという貴重な生物です。アメリカのものは「ヘルベンダー」(地獄に向かう人)と呼ばれ、大きくて70cmほど、中国のものは「ワーワーユイ」と呼ばれ、150cmほどになるそうです。

●但馬では身近にみられる特別天然記念物
オオサンショウウオは、山間の清流のくぼみ(穴)などを好んで棲み、小魚・サワガニ・カエル・水中昆虫などをエサにしています。夜行性で、昼間は岩の下や川岸の巣穴にひそんでいて、暗くなると川の中に出てきます。大きさは一般に40~120cmで、160cmに達するものもあり、体の色は黒褐色で黒い斑紋があります。皮膚に多くのイボがあって、これを刺激すると山椒(さんしょう)のような香りの乳白色の液を出すところから、サンショウウオの名がついたようです。
アンコ、ハンギ、ハンザキとも呼ばれ、半分に裂いても死なないほど強い生命力をもつとか、食いついたら雷が鳴るまで放さないなどとも伝えられ、不老長寿の食べ物として用いられたこともあったとか。
産卵は9月ごろにおこなわれ、40~50日でふ化。ふ化した幼生は、4~5年で25cm前後になり、このころエラがなくなって変態が完了します。寿命ははっきりしませんが、60年以上も生きた例が報告されています。

兵庫県では但馬・丹波などのほとんどの河川の上流部に生息していることがわかりました。但馬では円山川、大屋川、八木川、出石川、竹野川など、どこにでもいる身近な生き物といえるでしょう。オオサンショウウオが棲むには、エサとなる生き物が豊富で生態系が保たれ、川岸に住みかとなるくぼみや奥行きのある産卵巣などが必要です。平成2年から6年間かけて行われた養父市建屋川の治水工事では、オオサンショウウオの生息と治水を両立させるため、全国でも初めてのさまざまな取り組みがおこなわれました。

2011/06/22  

正福寺【しょうふくじ】

 

正福寺【しょうふくじ】

正福寺

・新温泉町(旧温泉町)湯
・不動明王立像
県指定文化財


・ショウフクジザクラ
県指定天然記念物
●湯村温泉の開祖・慈覚大師創建の名刹
 旧温泉町の荒湯を見下ろせる場所にあり、境内には夢千代像が佇んでいます。ここに咲く珍しい桜を見に、毎年多くの人が訪れます。この桜は、キンキマメザクラとヤマザクラの自然交配種で メシベが2~4本もあるという珍種。正福寺で発見され、「正福寺桜」と命名されました。4月上旬~中旬に咲き、花弁は50枚以上のものもあって、樹齢に関係しているといわれています。
嘉祥元年(848)、慈覚大師が湯村温泉開発の際に創建したと伝えられる名刹で、本堂には平安後期の作と考えられる不動明王立像が本尊として安置されています。
県の文化財に指定されているこの像は21年毎に開帳される秘仏で(2004年開帳)、普段は見ることが出来ません。高さ134.5cm、桂の木の一本造りで、面貌は引き締まり、明王としては怒りの表情が少ないものです。衣文の皺の表現に特色のある翻波式手法が用いられ、全体的に作風は素朴。この地方で造られた物と考えられています。
山門脇には、慶安の変(由井正雪の乱)の首謀者の一人、熊谷直義が建てた両親の供養碑があります。熊谷直義は、幕府転覆計画・慶安の変の発覚直後、この地に潜んで天寿を終えました。その遺品が寺内に保存されています。
湯村温泉と共に歴史を刻んできた由緒ある正福寺。賑わう温泉街を見守りながら、今も静かに時を刻んでいます。

但馬の地形概観【たじまのちけいがいかん】

 

但馬の地形概観【たじまのちけいがいかん】
近畿の北西部にある但馬は、中国山地の東端にあたります。兵庫県の最高峰・氷ノ山からは南東に山並みが続き、これらの山々に端を発する川が日本海にそそいでおり、山すそが海に落ち込んだ海岸部は断崖絶壁が多く変化に富んでいます。

宇宙から見た但馬地方

●山地
但馬の山地は、中国山地の東側にあたる中央高地から北へのびて日本海に達しており、その形成過程によって3つの型に分類されます。
1つは、約2000万年前に形成された厚い地層・北但層群が河川の浸食で削り取られ、深い谷によって分断された山地で、谷は深く刻み込まれていますが、尾根の部分はなだらかです。但馬山地の中央部を南北に走り、円山川、矢田川の分水界をなしている妙見山(1,142m)、蘇武岳(1,074m)、三川山(888m)などの連山がこれです。
2つめは、北但層群を突き破る噴火によって、その上にさらに溶岩流がおおいかぶさって、いっそう高度を増したもの。県下最高峰の氷ノ山(1,510m)、瀞川山(1,039m)、扇ノ山(1,310m)などで、兵庫の屋根といわれています。神鍋山(477m)もこれで、溶岩流にともなう溶岩崖、溶岩コブなど典型的な火山地形をとどめています。

3つめは、北但層群におおわれていたところが、その後の隆起・浸食作用で削り取られて基盤岩が露出し、さらに河川によって深い谷が刻まれたもので、高竜寺岳(697m)などがあります。

また、但馬山地の中でも、火成活動を受けなかった地域(おもに八木川以南の古生層)は、長い年月の間に風化が進み、山頂まで植林がなされて美林をつくりだしています。

●平地
但馬の平地は、円山川沿いに豊岡盆地があるほかは、日本海へそそぐ竹野川、佐津川、矢田川、岸田川の河口近くに沖積平野(ちゅうせきへいや)があるくらいです。豊岡盆地は豊岡市を占める沖積平野で、円山川と出石川の合流点付近で一番広く、幅4kmぐらい。玄武洞以北では円山川の両岸に山がせまり、平地はほとんど見られません。

円山川以外の河川は短小なので、新しい山地が削り取られてできた狭い谷底平野だけが形成されています。

●河川
但馬のおもな河川としては、東から、朝来市生野町円山に端を発する円山川、三川山を源とする竹野川・佐津川、氷ノ山から流れ出る矢田川、扇ノ山を源とする岸田川などがあります。

●海岸
日本海に面する但馬海岸は西端の浜坂町居組から、東端の豊岡市津居山まで直線距離で40数km。この地域一帯の海岸は、1963年、山陰海岸国立公園の指定を受け、景観の美しい海岸として知られています。スケールの大きい沈降海岸で、海に落ち込んだ山々の屋根の部分が岬・鼻の突出部となり、谷の部分に海水が入り込んで湾となり、漁港や浜になっており、小刻みに急に入り込む典型的なリアス式海岸です。

2011/06/22  

但馬の河川【たじまのかせん】

 

但馬の河川【たじまのかせん】

円山川と豊岡盆地
●関連情報
豊岡河川国道事務所
●但馬最大の川・円山川
日本海にそそぐ但馬のおもな河川は東から、円山川、竹野川、佐津川、矢田川、岸田川とあります。
但馬最大の河川・円山川は、播州との分水界にあたる生野町円山を源流として、豊岡市津居山で日本海にそそいでいます。
但馬の1市12町を流域にもち、但馬山地の山々を水源とした大屋川・八木川・稲葉川・出石川などの多くの支流を合流しながら、豊かな水量でゆったりと流れています。豊岡市域に入ると、標高数メートルの非常にゆるやかな流れとなります。河口近くの楽々浦(ささうら)は氷河期の谷が埋め残された潟湖で、湖岸の樹木はサギの絶好のねぐらとなっています。
かつては蛇行して流れ、洪水のたびに氾濫を繰り返したため、大正11年から15年をかけて大改修されて、現在の流路になりました。市内のところどころには、かつての流路が三日月湖として残っており、円山川の荒々しい一面をうかがわせています。

竹野川、佐津川の源流はともに三川山で、流路も短く流れも早い川です。
矢田川の源流は氷ノ山で、香美町村岡区北部付近で硬い地層を深く削って峡谷を作っています。香住町小原付近から上流では、河岸段丘が見られ、段丘上に集落があります。香美町香住区森の大乗寺付近からは沖積平野が広がり、香美町香住区矢田で日本海にそそいでいます。
岸田川の源流は扇ノ山で、照来川・春来川・久斗川などを合流して日本海にそそいでおり、新温泉町千原付近から両側に段丘があります。竹野川、円山川に段丘があまり見られず、矢田川、岸田川沿いに顕著に見られるのは、但馬西北部が隆起したためだと考えられます。
円山川以外の但馬の川は、瀬戸内側の川に比べて短く、川幅が狭く、流れが早いの特徴です。昔は、上流の花崗岩(かこうがん)地域で、流れを利用して砂から砂鉄を取る「かんな流し」が行われ、「たたら」による製鉄が行われていました。今も清流を利用してヤマメやニジマスの養殖が行われていたり、矢田川、岸田川にはそれぞれ急流を利用した小規模の発電所があります。

但馬の地質【たじまのちしつ】

 

但馬の地質【たじまのちしつ】

但馬海岸
(津居山から竹野海岸)

玄武洞(豊岡市)
●但馬の地史
今から約3億年前、アジア大陸の東端は海で、但馬の姿はありませんでした。それから1億年ほど後の造山運動(本州造山運動)で、但馬の陸化が進みました。養父市大屋町一帯に広がる「舞鶴帯」や、福岡県を西端として但馬までのびる「三郡帯」はこのころのもの、「夜久野層群」は少し後にできたといわれています。それから少し経って最初の火山活動が但馬で起こり、花崗岩体の貫入によって、城崎、湯村などの温泉源がつくられました。
2500万年前、海底火山の溶岩が海水と反応して緑色に変化する、グリーンタフ変動が起こり、生野、明延などの鉱山ができました。このころ但馬には海が深く入り込んでおり、村岡には海底面の流跡が残っています。
1000万年前、2回目の大きな火山活動によって、日和山安山岩ができ、古村岡水道が陸化し、数百万年前の火山活動で、鎧の袖(香美町香住区)や宇日流紋岩(豊岡市竹野町)などができました。兵庫県の最高峰・氷ノ山は約300年前、玄武洞の玄武岩は約160万年前の噴火によるものです。
中国地方を東西に走る山脈は、東端の氷ノ山周辺で急に南北の連なりになっており、変化に富んだ但馬海岸の地形とあわせて、かつて但馬が地殻変動の拠点のひとつであったことがうかがえます。
県下で一番新しい火山活動は、約1万年前の神鍋噴火です。また、約2万年前に、最後の氷期が終わって間氷期にはいったころ、現在の豊岡の平野部は海でした。このような、さまざまの変化を経て現在の但馬ができたのです。

●但馬の地質
養父市大屋町一帯に広がる「舞鶴帯」は古生代の地層で、西は山崎断層にのび、東は舞鶴に至っています。約1億年前、中生代白亜紀の地層としては、朝来市生野町や矢田川流域、豊岡市の「山陰型花崗岩帯」があります。比較的新しい新生代の地層は、北但馬一円に広がり、新温泉町と鳥取県境の山々にも含まれています。

明延鉱山
養父市大屋市場から明延への道路沿いの川原では、約2億年前の本州造山帯の一部である、但馬で一番古い火成岩が見られます。すでに閉山した明延鉱山は、金・銀・銅などを産出する、約2500万年前のグリーンタフ変動でできた浅所高温型鉱床で、近くには超塩基性変成岩の三郡帯の地質である、大屋鉱山、夏梅鉱山(いずれもニッケル)などもあります。
立雲峡・生野鉱山
立雲峡で知られる朝来山一帯は、約1億年前の老齢期の花崗岩が風化され、その中の堅く、風雪に強い閃緑岩の部分が山の中腹に集積していて、ロックガーデンの奇観を呈しています。
生野鉱山は、約2500万年の火山噴砕岩に熱水鉱脈が貫入して形成されました。また1億年前の、但馬最初の火山活動による火砕岩からなる鉱床に栃原山(明礬石:みょうばんせき)があり、これは流紋岩や凝灰岩が熱水作用で変化したものです。
但馬海岸
但馬海岸のほとんどを占める岩石は、約2500万年~数百万年前のもの。古い順でいうと、新温泉町浜坂の東に約7000万年前の流紋岩・凝灰岩があり、同じ頃の花崗岩が、田井ノ浜(新温泉町・旧浜坂町)、切浜(豊岡市竹野町)、安木(香美町香住区)などにあります。百層崖(ひゃくそうがい:香美町香住区)や、はさかり岩(豊岡市竹野町)などは、約2000万年前の火山活動による古香住湖の火山噴出物の堆積層で、浜坂西海岸の粗粒玄武岩質溶岩も同じころのものです。
1000~300万年前の噴火では、古香住湖の堆積層を覆うようにあふれた流紋岩・凝灰岩は、鎧の袖(香美町香住区)、但馬御火浦(たじまみほのうら:新温泉町・旧浜坂町、香美町香住区)などに見られる節理をつくりました。
氷ノ山・鉢伏高原
三郡帯の変成岩からなる品川関宮鉱山(クロム)、尾崎鉱山(クロム)、安井鉱山(アンチモン)は、新第三紀のものといわれています。妙見山や瀞川平は1000万年前にできたといわれ、褶曲(しゅうきょく)や断層面が林道でも見られます。海生動物の化石がみつかる妙見山は、海底で堆積した地層です。氷ノ山は、すぐ北の扇ノ山とともに、300万年前の鉢伏山の噴火でできました。扇ノ山の北、温泉町海上では昆虫や植物の化石が多数みつかります。
神鍋高原
神鍋山は1~2万年前の火山。玄武岩質であることから粘性の小さい溶岩を噴出したと思われ、その溶岩の一部は、JR江原駅近くの円山川河岸でもみられます。神鍋周辺には、品川美方、清滝、江原の鉱山があり、蝋石(ろうせき)を産出します。
玄武洞
玄武洞は、玄武岩質マグマが冷え固まるときに収縮してできた節理で、約160万年前の来日岳(豊岡市城崎町)の噴火によってできた岩石からなります。玄武岩の中には、鉄の酸化によってできた赤や黒の石が混じっており、地元で「灘石」と呼ばれ、石垣などに用いられました。7000万年前の凝灰岩は、豊岡市城崎町の今津石や楽々浦石として、土木建築に用いられています。
間氷期にはいると、現在の豊岡平野は海となり、その後、円山川・出石川流域に沖積層が堆積しました。

2011/06/22  

但馬の山【たじまのやま】

 

但馬の山【たじまのやま】

氷ノ山の頂を望む

神鍋高原より東床尾山を望む
スキー場の広がる但馬山地は、県下一の高さを誇り「兵庫の屋根」といわれる氷ノ山(1,510m)をはじめ、鉢伏山(1,221m)、扇ノ山(1,310m)など、1,000mを越える山々が連なっています。中国山地の東端に位置する但馬山地は、第三紀末の火山活動によって、なだらかな古い山並みの上に突き出すようにできた山々で、氷ノ山では、山頂部の荒々しい岩肌と、斜面に沿って流れた溶岩によってできたゆるやかな斜面が対照的です。
山頂平坦部の周辺の谷は急崖となって、いたるところに滝や渓谷ができ、浸食が進み、荒々しい岩肌を見せる急斜面が多い、壮年期的な山地です。山頂周辺の厚い溶岩台地の末端部には、霧ヶ滝、瀞川滝、不動滝、天滝など、多くの美しい渓谷ができ、ハイキングコースとなっています。ゲレンデの多くは標高600~800mの高原ですが、鉢伏高原では1,221mの山頂までリフトで登れ、南に氷ノ山の樹氷や白銀の尾根を望む山頂からの眺望がすばらしく、別世界のようです。
但馬山地には、神鍋山や宝山(夜久野高原)など、第四紀にできた新しい火山もあります。お椀を伏せたようなスコリア丘は、形も崩れず、すり鉢のような火口を広げています。しかし、森林伐採の波に浸食されて、ブナ、トチ、ナラなどの原生林が次々に伐採され、山頂部や渓谷の一部に残るだけとなっています。

かつて山には多くの木地師が住み、住居を転々と移しながら、豊かな原料に支えられて「ろくろ」を回していましたが、今はその跡もありません。
冬の白銀の山々も、ザゼンソウやミズバショウなど高山性の草花が咲き乱れる春を迎え、夏は深山幽谷のうっそうとした森となり、秋には紅葉に彩られて、四季それぞれに美しく、氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されています。
標高1,000mの畑ヶ平高原では、火山灰層などから旧石器時代の石器が、また、標高600mの鉢伏高原や兎和野高原では縄文遺跡が発見されました。

但馬の代表的な山を紹介しました

2011/06/22  

楞厳寺【りょうごんじ】

 

楞厳寺【りょうごんじ】
楞厳寺
・新温泉町(旧浜坂町)田井

・絹本著色 南溟禅師像1幅

・絹本著色 夢窓国師像1幅

・絹本著色 仏国国師像1幅

・絹本著色 山名時熈像1幅
以上県指定絵画

・夢窓国師書状1幅1通

・楞厳寺文書4巻4幅

・服部庄重案1巻
以上県指定古文書

・妙法蓮華経

伝順徳院女消息経8巻

・仏説阿弥陀経観無量寿2巻
以上県指定典籍

●南北時代から但馬に現存する貴重な古文書を所蔵

田井の松尾谷にあり、但馬に現存する貴重な古文書を所蔵。南北朝時代では夢窓国師書状・香住朝綱寄進状、室町時代では山名常熈寄進状・山名持豊安堵状があります。
臨済宗天龍寺派に属し、本尊は釈迦牟尼仏で、創立は延文5年(1306)に、南溟禅師が建立した名刹で、禅師の入滅後、但馬守護山名時熙が足利幕府の命により、多くの荘園を寄進して寺院の興隆に力を尽くしました。当時は本殿を完備し、塔中末寺三十余ヶ寺に及ぶ盛況を呈し、所蔵されている数多くの古文書の示すように三代足利義満、八代足利義政など、代々足利将軍の熱心な保護を受け、応仁の乱以降は、但馬守護山名氏の保護のもとに隆盛を続けました。しかし、天正8年(1580)に山名祐豊が秀吉に滅ぼされてからは、次第に衰退してしまいました。

戦国時代に焼失し、文政4年(1821)にも再度焼失していますが、貴重な古文書が大切に保管されています。