2011/11/21  

十戸のマス釣り【じゅうごのますつり】

 

十戸のマス釣り【じゅうごのますつり】

十戸のマス釣り
●伏流水で養殖されたニジマス!
国道482号に沿って流れる稲葉川に、十戸のニジマス釣り場があります。この土地の清水は、神鍋高原一帯に降った雨や雪解け水が、約2万年から3千年前の間に神鍋火山群の噴火によってできた溶岩の断層をくぐって湧き出る伏流水。その豊富な清水を利用して、ニジマスの養殖が行われており、一部が稲葉川に放流されて釣りを楽しむことができます。手軽に豪快な大物釣りができることから、多くの釣りファンで賑わいをみせています。
また、付近には冷泉をひいた旅館もあり、マスやアマゴの川魚料理が味わえます。毎年4月の第2日曜日に行われる「十戸温泉清水まつり」の時期には、多くの観光客が訪れます。

十戸国際虹マス川釣り場
・0796-44-0059
・兵庫県豊岡市日高町十戸228
・夜明け~日没
・年中無休
・入川料(1日券)…大人3,500円、カップル3,500円、女性2,000円、小学生以下1,000円

2011/11/21  

県立但馬ドーム【たじまどーむ】

 

県立但馬ドーム【たじまどーむ】

県立但馬ドーム


日本初の屋根壁一体式

左右360度の
画像を見る

↑上のアイコンをクリックすると左右360度の画像が見れる「Quick Time VR」がご覧になれます。


Quick Time VRを楽しむためには上のバナーより「Quick Time」をダウンロードしてください。

●関連情報
但馬ドーム

産業の県立施設

●自然と一体、開閉式多目的ドーム
神鍋高原の緑豊かな木立の中に巨大なドームが出現。東京ドームを超えるグラウンド面積を有し、メインとなる多目的グラウンドは、日本初の屋根壁一体式で、最大9700名が収容できます。南側はテフロンテントの開閉式ドームで全体の約4分の1が開放され、高さは頂部で59.8m、 グラウンドは土で、自然の光や風、時には雨も入れて整備されています。また、北側は金属板の山型屋根で、印象も異なり大きな山小屋のような雰囲気があります。 観覧ギャラリーからは、但馬地方の美しい山並みを眺めながらスポーツ観戦や音楽イベントを楽しむことができます。
ドーム内には4層のフロアーがあり、3階のスポーツミュージアム体験コーナーをはじめとした、色々な楽しみがいっぱいです。センター棟のレストランや、環境発見遊具、芝生グラウンド、ジョギングコースや広場があって、施設全体がスポーツミュージアムとなっています。 子どもからお年寄りまであらゆる人たちに利用していただけます。

県立但馬ドーム
・0796-45-1900
・兵庫県豊岡市日高町名色88-50
・開館(利用)時間は午前9時~午後9時
(視察、見学は午後5時まで)
・毎月第2水曜日(祝日にあたる時は翌日)、
及び施設点検のための臨時休館日

2011/11/21  

神鍋高原【かんなべこうげん】

 

神鍋高原【かんなべこうげん】

神鍋高原とパラグライダー


神鍋高原

キャンプ

→冬の神鍋高原
→初夏の神鍋高原

↑上のアイコンをクリックすると左右360度の画像が見れる「Quick Time VR」がご覧になれます。


Quick Time VRを楽しむためには上のバナーより「Quick Time」をダウンロードしてください。

●関連情報
神鍋観光協会
●オールシーズンのアウトドアレジャースポット
神鍋高原は、標高467mの神鍋山を中心として、周囲を1,000m級の山々に囲まれたなだらかな丘陵地域です。冬のスキーをはじめ、さまざまなスポーツやキャンプ、ハイキング、サイクリングなどが楽しめるほか、ゴルフ場や温泉リゾートまでそろった、オールシーズンのアウトドアレジャースポット。この豊かな高原の自然は「ひょうご風景100選」の第1位に選ばれています。

神鍋山はほとんどがスキー場となっており、関西の快適なスキー場として定着しています。神鍋高原には大岡山・アップかんなべ・名色・万場・奥神鍋の5つのゲレンデがあり、初心者から上級者まで幅広く楽しめるのが魅力。オフシーズンでもアップかんなべゲレンデではプラスノースキーやグラススキーが楽しめます。
高原一帯には宿泊施設も多く、テニスコート、グラウンド、体育館、キャンプ場などのスポーツ施設が多数点在しています。中でも東京ドームをより広いグラウンドを持つ、開閉式の多目的ドーム「兵庫県立但馬ドーム」は、野球、サッカーなどスポーツや、コンサートなどに利用され、レストラン、広場、野外グラウンド、ジョギングコースなどの施設も充実しています。
緑のゲレンデを眼下に飛ぶパラグライダーも盛んで、1日体験から上級者までに対応するパラグライダースクールもあります。また、気軽にプレイできるプチゴルフ場、パターゴルフ場などもあって、季節に関係なく、個人的なレジャー、合宿、レクリエーションなど、さまざまな計画で楽しむことができます。
直径250m、深さ50mの噴火口を持つ神鍋山は、春~秋、気軽なハイキングに最適。周辺の三川山、蘇武岳などへの登山も楽しめます。また、稲葉川源流には「一ツ滝」「二つ滝」など見どころがあり、その下流の十戸地区では放流されたニジマスの川釣りが楽しめます。
高原の中央部、道の駅・神鍋高原のすぐそばには、緑の樹々に囲まれた温泉施設「かんなべ湯の森ゆとろぎ」があります。広大な敷地の中は多彩なデザイン・種類の浴場が点在し、裸浴と水着浴のゾーンに分かれていて、いろいろな温度や景観を楽しみながらゆっくりと過ごすことができます。

高原一帯ではその冷涼な気候を生かしてキャベツやスイカなどの高原野菜作りが盛ん。「リンゴ園」ではその場で味わえるリンゴのもぎ取りができます。

・神鍋観光協会 0796-45-0800

2011/11/21  

豊岡杞柳細工ミュージアム 【とよおかしきりゅうざいくみゅーじあむ】

 

豊岡杞柳細工ミュージアム
【とよおかしきりゅうざいくみゅーじあむ】
杞柳細工ミュージアム
杞柳細工ミュージアム
 

●関連情報
玄武洞ミュージアム

●豊岡かばんの原点、杞柳細工の歴史と道具
  国の伝統的工芸品であり、豊岡かばんの基盤となった「杞柳細工」を集めた展示室が、2006年1月にオープンしました。玄武洞公園の向かいにある玄武洞ミュージアムの3階を利用した展示室で、杞柳細工1200年の歴史と変遷を一目で見ることができます。

江戸時代の家紋の入った陣傘や鎧びつ、明治時代「柳行李」に取っ手を付けて広く出回った行李鞄、大正時代に米国など海外との貿易で公表だったカゴ類を始め、戦後や現代の製品にわたるまで、写真や解説と共にほぼ年代順に展示されています。
このほか、昭和初期のものとみられる杞柳細工用のミシンや行李包丁などの道具類、フランスやハンガリーの柳で作ったカゴ類などもあります。

匠の確かな技と伝統が作りだした、機能的で美しい杞柳製品。技術者の高齢化などにより生産は減少していますが、柳飯行李などはいまなお愛好されています。また、近年では新たな感覚を採り入れたバッグの開発や、民芸品としての需要もあります。

豊岡杞柳細工ミュージアム(玄武洞ミュージアム)
・0796-23-3821
・兵庫県豊岡市赤石1362
・午前9時~午後5時
・無休
・大人600円、小人300円

2011/11/21  

出石町城下町地区【いずしちょうじょうかまちちく】

 

出石町城下町地区【いずしちょうじょうかまちちく】

出石城跡
家老屋敷


辰鼓楼

出石町城下町地区
・豊岡市出石町
・兵庫県景観条例

景観形成地区

左右360度の
画像を見る

↑上のアイコンをクリックすると左右360度の画像が見れる「Quick Time VR」がご覧になれます。


Quick Time VRを楽しむためには上のバナーより「Quick Time」をダウンロードしてください。

●関連情報
NPO法人但馬國出石観光協会

●白亜と土の壁、千本格子の町並み、5万8千石の城下町
出石は古事記、日本書紀にも登場する歴史の古い町で、室町時代には応仁の乱を起こしたことでも知られる山名氏によって治められていましたが、戦国時代になって衰退、青木氏、前野氏、小出氏、松平氏、仙石氏へと幕末まで城主が変わりました。現在の有子山山麓に出石城を築城したのは小出吉英で、1604年に築城、その後、廃藩置県で取り壊しとなり、1968年本丸跡に現在の隅櫓が復元されました。5万8千石の城下町として栄えた出石を象徴し、甍の続く町並みが見おろすことができます。さらに、登城門、登城橋も再建され、春は桜、秋は紅葉の名所として賑わいます。
その他、城下町出石の歴史を紹介する豊岡市出石町立史料館は、贅沢な数寄屋風の建物。母家、離れ、土蔵と明治時代に生糸を商った豪商の旧邸に、馬具、領地目録など近世出石藩ゆかりの資料を中心に展示しています。
また、白亜の土壁と長屋門の家老屋敷は、大名行列諸道具などを展示しています。江戸時代の3大お家騒動のひとつ、仙石騒動の中心人物、家老・仙石左京の屋敷跡ともいわれ、明治9年の大火の中で残った旧藩時代の建物です。外観は平屋に見えますが、不意の襲撃にそなえた隠し二階などがあります。
現在も、碁盤の目のような町並みに、白亜と土の壁、千本格子を施した昔ながらの町屋が残されています。

出石町立史料館
・0796-52-6556
・兵庫県豊岡市出石町宵田
・午前9時30分~午後5時(入館午後4時30分まで)
・年末年始休み
・大人200円 学生120円

2011/11/21  

棚田オーナー【たなだおーなー】

 

棚田オーナー【たなだおーなー】
●関連情報

株式会社おおや振興公社
●米作りを体験、秋には新米が届くオーナー制度

おおや農村公園棚田オーナー【養父市大屋町】
1997年にオープンしたオーナー制の棚田。家族やグループが年3回の農作業に汗を流します。5月中旬~下旬に田植え、6月中旬~7月下旬頃に草取り、9月上旬~中旬頃に稲刈りをします。化学肥料や農薬を使わない、昔ながらの米作りを地元の人の指導を受けながら体験します。蛇紋岩地帯でつくる米は昔から美味しいと評判です。園内施設の割引制度などもあります。

株式会社おおや振興公社
TEL.079-669-1822

だんだん田んぼの会【香美町村岡区大笹】
香美町村岡区大笹は、冬はスキー客らで賑わう旅館街。2002年、旅館店主らが中心となり、地元の棚田でオーナー制度をスタートしました。毎年、京阪神からの家族連れやグループの参加があり、参加者は年3回、農業体験をします。秋には玄米30キロが自宅に届き、ハチ北温泉「湯治の湯」やスキー場リフト券の割引などの特典もあります。

ハチ北高原自然協会
TEL.0796-96-0732

2011/11/21  

但馬牛【たじまうし】

 

但馬牛【たじまうし】
放牧
庭先

但馬牛を飼う但馬の人々は、牛を家族の一員として一つ屋根の下で共に寝起きして、雪深いきびしい風土に生き、温和で姿美しい但馬牛を大切に育ててきました。

■但馬牛博物館
・新温泉町丹土1033
・TEL.0796-92-1005
・午前9時~午後5時
・木曜定休
(休日と重なった
場合は次の平日)
・入館料/無料

●関連情報
新温泉町役場
但馬牛博物館

●但馬牛とは
農耕用の機械が導入されるまで、農家は農業の働き手のひとつとして、各家庭に1頭は牛を飼育していました。家族の住む母家に同居させ、我が子同様に愛情を注ぎ、大事に育てたと言います。起伏に富んだガタガタ道は、牛の足腰を丈夫にし、但馬特有の夏の湿気と冬の寒気がよい毛並みをつくりました。子牛は競り市で売られ、農家の大事な収入源でした。優良牛の育成を目指して、よい特性を備えている牛を選び、何世代もの近親繁殖を繰り返す間に、その優れた特質が固定され、血統(蔓牛)をつくってきました。現在も兵庫県外の優良牛との繁殖はせず、純血を守っています。

●但馬牛を創った男「前田周助」
現在の但馬牛の歴史を語る上で、なくてはならない人がいます。香美町小代区に生まれた前田周助(1797~1872)です。牛の取引と小代牛の宣伝のために、わざわざ大阪の市場まで牛を連れて出かけたという逸話が残る人物。彼の人生はまさに但馬牛とともに生きたと言えます。周助は「蔓(つる)牛」の開発に一生をかけました。「蔓」とは、他地域との交流を避けた「閉鎖育種」の方法で生み出された、発育・資質・繁殖性の優秀な牛の血統のことを言い、その系統牛を「蔓牛」と呼びます。但馬牛の優れた特質は、長年に渡り、他との交配をさけ、改良に改良を重ねて受け継がれた優良な血統から生み出されました。

「蔓牛」を創り出すことで、安定的に優秀な子牛が生産することができます。周助は系統牛になりそうな牛がいると聞けば、東へ西へと駆け回りました。そのためには私財を投げ打って、牛を買い求める毎日。そしてついに100年に一度の雌牛を手に入れました。飼料の選定から一切の手入れ、特に繁殖には多年の研究と経験の全てを注ぎました。こうして周助の生み出した牛は「周助蔓」と言われ、現在の但馬牛の代表的な蔓のひとつ「あつた蔓」の素となりました。

●伝説の但馬牛「田尻号」
昭和14年に香美町小代区に生まれた伝説の雄牛「田尻号」。全国和牛登録協会の資料によると、全国の黒毛和種繁殖雌牛の99.9%が、「田尻号」の血統に繋がることが分かりました。名だたる高級黒毛和牛の母牛の大部分が、この「田尻号」をルーツに持っています。明治に入り西洋文化の影響で肉食が盛んになると、日本の小型の牛を改良するため、体格のよい外国の牛と交配させることが進められました。但馬でも例外ではなく、外国牛との交配が行われましたが、肉質の低下を招き、優良な血統牛を失いかねない危機におちいります。

第二次世界大戦後、但馬牛の純牛種を守ろうと、新しい血統作りが始まりました。ここで注目されたのが「周助蔓」。険しい山々と深い谷あいにあり、隣村との行き来が困難な小代には、外国牛との交配を免れた但馬牛が奇跡的に生き残っていました。中でも田尻松蔵が丹精込めて育て上げた「田尻号」は、生まれて半年で美方郡の種オス牛候補として認められた名牛。特に遺伝力の強さは他の雄牛の中でも群を抜いていたと言います。

但馬の山間部では家の玄関の横に牛小屋があり、昔から家族同様に牛が育てられてきました。松蔵も「田尻号」を我が子のように可愛がり、毎日運動と手入れを欠かさなかったそうです。そのおかげでほとんど病気をすることもなく、昭和29年まで種牛として活躍しました。昭和30年には長年の功績を讃えられ、黄綬褒賞を受賞しています。


●但馬牛の特徴

1.資質が抜群によい
毛味、色味、骨味が良く皮は薄く、弾力ゆとりがあり、
品位に富み体のしまりが良い。
2.遺伝力が強い
全国の和牛改良に広く活用されている。
3.肉質、肉の歩留りがよい
肉の味がよく、骨が細く皮下脂肪が少ない。
4.長命連産で粗飼料の利用性が良い
長命連産。山野草を好み、古来より
「但馬牛は、山でつくり、草で飼う」といわれています。

2011/11/21  

杞柳細工【きりゅうざいく】

 

杞柳細工【きりゅうざいく】
杞柳製品

柳行李

作業

杞柳細工(豊岡市)

・国指定伝統的工芸品

●関連情報
じばさんTAJIMA

 

●伝統的工芸品、豊岡杞柳細工の変遷

杞柳細工は、但馬の地で生まれ、但馬の風土に育まれて今日に至った伝統ある地場産業です。起源は西暦27年、日本に帰化し但馬の国を開いたといわれる、新羅国の王子・天日槍命(あめのひぼこのみこと)が伝えたという説が語り継がれています。円山川の荒れ地に自生する「コリヤナギ」で籠を編むことから始まり、江戸時代、京極伊勢守高盛が産業奨励に、柳の栽培、保護、柳の加工、柳編みの技術育成をすすめてきました。
江戸時代には、大名の参勤交代や富山の薬売り、お伊勢参りなどの際に大名から一般の人々にまで「旅行具」として利用されました。明治14年(1881)、手に提げて歩く「こうりかばん」が生まれ、42年(1909)、欧州の手法を取り入れたバスケット籠を創作しました。大正6年(1917)には、ウルシを塗り、錠前を取り付けた新型鞄が登場。特に柳バスケットは大正バスケットとして大流行しました。昭和3年(1928)には、ファイバー鞄が登場。戦時は軍用行李(こうり)と飯行李の生産、戦後は買物籠を主体に復興し、新たにラッカー塗装によるカラフルな製品が生まれました。

現在「鞄のまち豊岡」の名声のもととなった豊岡の杞柳細工ですが、最近の生活様式の変化にともない、新素材の開発、ハイテク技術による、合成樹脂・合成繊維などの鞄製品が、豊岡の地場産業として成長しています。

2011/11/21  

和池の大カツラ【わちのおおかつら】

 

和池の大カツラ【わちのおおかつら】

和池の大カツラ
・県指定天然記念物
・香美町村岡区和池
 

●関連情報
但馬高原植物園

●渓流をまたぐ圧巻の姿、根元から湧き出る水は1日5000t
県の天然記念物に指定されている「和池(わち)の大カツラ」は渓流にまたがって根を張った巨木で、樹高約38m、幹まわり約16m、樹齢は1000年を越えるといわれています。主幹は支幹の太さ3m内外の樹叢10数本に囲まれ、樹冠幅は東西に各10m、南側16m、北側10m。「但馬高原植物園─瀞川平─」の園内、うっそうとした原生林の森に立つ老齢の巨木は神秘的な雰囲気を漂わせています。
「カツラの木は一里四方の水を集める」といわれるように、標高約700mの高地にあって、その根元からは1日に約5000tもの清水がこんこんと湧き出ています。水温は年間を通して約10度と非常に冷たく、極めて純度の高い軟水で、色度、濁度、臭気、味など、どれをとっても優れた名水として知られています。コーヒーやお茶、料理などに適し、肌にもやさしい水です。また、古くから下流の田畑をうるおし、人々の暮らしを支えてきた命の水でもあります。この湧き水は高坂川の源流で、100mほど下流にはバイカモの群生地が、200m下流には和池の大池を中心とした湿地帯が広がっており、一帯は「但馬高原植物園─瀞川平─」として整備されています。

2011/11/21  

イヌワシ

 

イヌワシ

イヌワシ・国指定天然記念物
(場所は不特定)

大空を飛翔する姿はまさに風の王者
 

●関連情報
日本イヌワシ研究会

●風にのり、大空を悠々と飛翔する風の王者
両翼を広げると、畳よりひとまわりも大きいイヌワシは、山岳地帯の険しい断崖や高木の上に小枝を積んで、大きな巣をつくります。
スズメやトビのように里で見かける鳥ではなく、但馬では、氷ノ山山系に棲んでいます。主食はノウサギ、ヤマドリなど。空高く飛び、獲物を見つけると翼をすぼめて猛烈な勢いで下降し、すばやく捕らえます。
風格のあるその姿と大きさ、鳥の中でも最強の部類に属し、食物連鎖の頂点に位置しており、豊かな自然条件のもとでしか生きていけません。●絶滅の危機にひんする孤独な王者
イヌワシは、但馬以外にも全国に生息していますが、絶滅の危機にひんしています。兵庫県下のイヌワシも例外ではなく、スギ、ヒノキなど針葉樹の拡大で、主食のノウサギなどが減り、慢性的なエサ不足で体力が弱ったせいか、毎年連続でヒナを育てることができなくなってしまいました。
また、イヌワシは決まった狩り場をもっていますが、人間や車を極端に嫌います。最近、林道が増えて、そこに人間や車が入ってきて、エサの捕獲に影響が生じています。第二のコウノトリにしないためにも、保護活動や環境の保全に地道に取り組み続け、大空に悠々とイヌワシが舞う但馬を誇りにしたいと思います。