2012/12/26  

大同寺【だいどうじ】

 

大同寺【だいどうじ】

大同寺
・朝来市山東町早田

・開山堂(建造物)
・絹本墨画白衣観音像
(絵画)

県指定文化財

●江戸中期の唐様を基調とした仏堂遺構「開山堂」
応安5年(1372)に開創したと伝わり、月庵禅師を中興の祖とする古刹です。往時は天台宗でしたが、南北朝期に臨済宗に改宗し、代々但馬守護・山名氏の庇護を受け、禅寺として栄えました。
県指定文化財として有名な開山堂は、県下でも類例の少ない江戸中期の唐様を基調とした仏堂遺構です。堂内に奉祭されている月庵禅師の坐像をはじめ、墨画白衣観音像など数多くの文化財が所蔵されています。
大同寺山公園の西国霊場めぐり、毎春には観桜と「観音まつり」が催され、ミツバツツジの群生も心をなごませてくれます。モリアオガエルの生息地としても有名です。

2012/12/21  

旧吉川家住宅【きゅうきっかわけじゅうたく】

 

旧吉川家住宅【きゅうきっかわけじゅうたく】

旧吉川家住宅
・朝来市生野町口銀谷
・主屋
・西塀
・土蔵
・内蔵
・米蔵
・離れ
国登録有形文化財(建造物)

井筒屋内部

●生野の山師が代々住まいとし、代官所の公事宿だった旧宅

江戸時代から明治時代にかけて建築された木造2階一部平屋建の古民家です。1832年に造られ幕末の趣を残す主屋、生野独特の赤みがかた釉薬瓦、明治中期に造られ当時の様式がよく分かる離れ、明治前期に造られた土蔵、1843年に造られた内蔵、明治5年に造られた米蔵、江戸末期に造られた西塀などが、国の登録有形文化財と兵庫県指定の景観形成重要建造物等になっています。
江戸時代は「井筒屋」の号で代々山師(代官所から採掘権を与えられた鉱山経営者)を務めていた吉川家の邸宅で、郷宿(公用で生野代官所を訪れた村役人の宿泊所)でもありました。井筒屋はただ宿を世話するだけでなく代官所への訴えごとの介助もしており、村役人たちから「旦那さん」と敬意を払われていたそうです。
現在は「生野まちづくり工房井筒屋」という名前で、吉川家から寄贈された資料の展示のほかギャラリーなども設けられ、口銀谷地区のビジターセンターなどとして活用されています。

2011/11/20  

日輪寺【にちりんじ】

 

日輪寺【にちりんじ】

日輪寺
・朝来市桑市

・鰐口(工芸品)

県指定文化財

●応永年間に作られた貴重な文化財「鰐口」
天平年間(729~749年)、奈良時代の四聖の一人とされている「行基」により創建されたと伝わっています。本尊は如意輪観音。行基の作といわれる像高80cmの立像は、秘仏となっています。
堂前にある応永年間(1394~1428年)に作られたとされる「鰐口」は、仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種であり、貴重な文化財です。
境内の近くには、元禄年間(1688~1704年)僧清雅の創建という末寺無心庵の跡があります。一堂が建ち、その中に立像で豪華な木彫の地蔵菩薩立像が安置されています。

2011/11/20  

法宝寺【ほっぽうじ】

 

法宝寺【ほっぽうじ】

法宝寺
・朝来市和田山町岡田

・木造薬師如来坐像(彫刻)
・石造宝篋印塔(建造物)

県指定文化財

●珍しい手法で作られた「薬師如来坐像」
天平21年(749)、行基によって創建されたといわれる法宝寺は、真言宗高野山派に属する古刹です。平安時代に制作された本尊の「薬師如来坐像」は、33年ごとに開帳される秘仏。寄木造で膝は通常1材で作られますが2材からなり、大変珍しい手法のものとされています。
南北朝時代に造立された「石造宝篋印塔」は花崗岩で作られています。笠石の下部を請花とし、基礎の反花と対応させています。
法宝寺には羽柴秀吉による但馬攻めの際、戦乱から免れるための制札が残っています。

2011/11/20  

楽音寺【がくおんじ】

 

楽音寺【がくおんじ】

楽音寺
・朝来市山東町楽音寺

・経瓦(考古資料)
・絹本著色涅槃図(絵画)
・絹本著色両界曼荼羅図
(絵画)

県指定文化財

●阿弥陀如来像が彫り込まれた珍しい「経瓦」
大同年間(806~810)に創建と伝わる古刹。兵庫県指定の重要文化財である「経瓦」「仏涅槃図」「両界曼陀羅」は広く有名です。
中でも平安時代後半によく行われた経瓦は、粘土板に仏教の経典を線刻して焼きあげたものが一般とされていますが、この瓦経は仏像の胸部に1字ずつ経典が書きこんであります。12世紀頃の楽音寺経塚から出土したもので、縦が17.8cm、横が17.5cmあります。
また、楽音寺は薬師如来、子安地蔵、福寿弁財天は多くの信仰をあつめ、寺山一帯の 「四国八十八カ所霊場」と共に、今なお参詣者の絶えることがありません。境内には享保一揆の義民松岡新右衛門や、生野義挙の志士小山六郎の供養碑、その歴史を伝えてくれます。
境内にはウツギヒメハナバチの巨大集団営巣地があり、県の天然記念物に指定されています。

2011/11/20  

鷲原寺【わしはらじ】

 

鷲原寺【わしはらじ】

鷲原寺
・朝来市岩津

・石仏群
石像阿弥陀如来坐像
(彫刻)
・絹本著色仏画十二天像
(絵画)

県指定文化財

●16体の石仏が佇む「岩屋観音」
創立年代は不明ですが、法道仙人が開基したと伝わります。鷲原寺から1kmほど参道を登った先にある奥の院「岩屋観音」には、石仏群が安置されていて、県の文化財に指定されています。岩屋観音は崖にはり付くような形で建てられており、中は岩肌がむき出しになっています。
観音山の崖の中腹にあり、鎌倉時代に石工心阿が刻んだ十一面観音菩薩など16体の石仏が佇んでいます。花崗岩から丸彫りされ、天井には大日如来像が浮き彫りになっています。この石仏は節分と4月の春の大祭、及び毎月18日の午前中だけ開帳されます。
同じく県の文化財に指定されている「絹本著色仏画十二天像」は、密教で信仰される守護神で、細部まで丁寧に描かれ力感があります。 図には応仁の乱で知られる山名持豊(宗全)の書と花押が記されています。
また、2月の節分には幸福を祈願して、1周30mもある数珠を回す「数珠繰り」が行われています。

2011/11/20  

綾部家住宅【あやべけじゅうたく】

 

綾部家住宅【あやべけじゅうたく】

綾部家住宅
・朝来市生野町口銀谷

国登録有形文化財(建造物)

 


●黒い漆喰で覆われた趣のある木造平屋建て住宅

綾部家住宅は、加藤静太郎の育った加藤家の住宅として知られています。加藤静太郎は、ドゥー・セヴォズという鉱山技師ときよという娘の間に生まれ、ルイ・セヴォズと名付けられました。このことからドゥー・セヴォズは鉱山技師として解雇処分になり帰国させられ、ルイ・セヴォズは鉱山幹部の加藤正矩に、長男・静太郎として引き取られました。
綾部家住宅は、「銀の馬車道」と呼ばれる当時の高速道路と言える馬車専用道路の整備前後に建築されたと言われています。綾部家住宅の外観は、切妻造りの平入のツシ二階建ての建造物で、下屋根をつけ桟瓦葺造りになっています。綾部家住宅の内部は北に土間が、南に部屋が四室あります。二階部分が低く壁の上塗りに黒い漆喰が使われており、それらの外観は非常に趣のあるものになっています。

2011/06/28  

松本家住宅母屋【まつもとけじゅうたくおもや】

 

松本家住宅母屋【まつもとけじゅうたくおもや】

松本家住宅母屋
・朝来市生野町口銀谷
国登録有形文化財(建造物)


旧松本醤油店の軒蛇腹

●町屋の変遷を物語る店舗兼用住宅
2階の塗籠めた壁から重厚な印象を受ける松本家住宅母屋は、明治初期に建てられ店舗兼用住宅として利用されていました。大正期には増築したので、時代に伴う生野の町屋変遷も楽しめます。元々醤油の製造販売を営んできたこの商家は、平成16年(2004)国の有形文化財に登録されました。

2011/06/22  

日下旅館【くさかりょかん】

 

日下旅館【くさかりょかん】

日下旅館
・朝来市生野町口銀谷
・日下旅館
国登録有形文化財(建造物)


日下旅館の「日」の字を
書き入れた鬼瓦


●当時は珍しかった3階建ての旅館

平成16年(2004年)に国登録有形文化財に登録された日下旅館は、JR生野駅前に建つ旅館建築です。1910年に当時にして1500円を投じた木造2階建として建築され、次に裏の座敷が造られ、1921年に3階が増築されました。3階が完成した当時、南は姫路から北は城崎にかけて3階建の建物は2軒しかなく、多くの賓客を招いて大祝宴を開いたそうです。2階・3階には数寄屋風の座敷を配置し、鉱山町ならではのカラミ石を使った地下室も設けられていました。そのころは暖房も鍋料理などの燃料も全て炭火だったため、外壁や部屋の壁などのいたる所に、さまざまな意匠の空気孔が開けられています。

丸に日と文字が入れられた鬼瓦に、家人の思い入れが読みとれます。

2011/06/22  

今井家住宅【いまいけじゅうたく】

 

今井家住宅【いまいけじゅうたく】

今井家住宅
・朝来市生野町口銀谷
・主屋
国登録有形文化財(建造物)
・西塀
国登録有形文化財(建造物)


今井家住宅玄関まわり


●かつての生野の大山師別邸と伝わる

江戸末期に建築された一部2階建の古民家で、平成17年(2005年)に主屋と西塀が国の登録有形文化財となりました。大山師と呼ばれる、山師(江戸時代に代官所から採掘権を与えられた鉱山経営者)のうち特に規模の大きかった大山師『丹波屋』の別邸だったとも伝わっています。
主屋は西面して建ち、街路側の南を入母屋造、北を切妻造とする南北棟の一部2階建ての外観で、西面に下屋を設けています。屋根は桟瓦葺、外壁は漆喰塗ですが、南面は押縁下見板張としています。部屋割りは南を土間とし、北に田の字型で4室を構えています。主屋が、L字型に前庭を囲んだ西塀とともに通りに面した角地の景観を見事に整えています。
町内に残る江戸期の地役人の家屋にも似ていますがそれほど格式的ではなく、町屋の趣とも異なった、独特な雅な風情と粋な品格を備える建築物です。