旧大岡寺庭園【きゅうおおおかじていえん】
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![]() 旧大岡寺庭園 ・豊岡市日高町大岡 ・国指定名勝 |
●戦国末期武家好みの作風
大岡山の山中、標高507mにある旧大岡寺に残る庭園。この枯山水庭園は、巨岩が林立し、特に滝部の石組は桃山初期の様式をよく保ち、朝倉氏諏訪館庭園(福井県)に見られるような作庭手法と感覚的に似たところが多く、戦国末期の作庭と考えられます。 |
旧大岡寺庭園【きゅうおおおかじていえん】
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![]() 旧大岡寺庭園 ・豊岡市日高町大岡 ・国指定名勝 |
●戦国末期武家好みの作風
大岡山の山中、標高507mにある旧大岡寺に残る庭園。この枯山水庭園は、巨岩が林立し、特に滝部の石組は桃山初期の様式をよく保ち、朝倉氏諏訪館庭園(福井県)に見られるような作庭手法と感覚的に似たところが多く、戦国末期の作庭と考えられます。 |
文常寺【もんじょうじ】
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![]() 文常寺 ・豊岡市鎌田 ・聖観音立像 国指定彫刻 ・聖観音立像 県指定彫刻 |
●表情も柔和、藤原から鎌倉時代へかけての聖観音立像 文常寺には、国指定重要文化財である聖観音立像が祀られています。左手に未敷蓮華、右手はたれて与願印という一般的な形の小仏像です。藤原時代から後期から鎌倉時代にかけてのものという感じがしますが、着衣の褶も浅く穏やかな彫りでもあるし、顔の表情も柔和で、目も耳も三道も平安時代の末期のものであると思われます。全体的に柔らかくかわいい感じのする仏像です。 また、県指定重要文化財となっている聖観音立像は文常寺の秘仏となっています。同じ厨子の中に二尊は安置されています。両腕まで一材で彫出した桧の一木造りで平安時代後期の作と思われますが、前立聖観音よりやや時代は古い。吹きさらしに近い堂内に長年立っていたものか損傷がひどくなっています。当初は彩色であったと思われますが、今は素木のように変わっています。 |
温泉寺【おんせんじ】
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![]() 温泉寺 ・豊岡市城崎町湯島 ・本堂 ・千手観音立像 ・釈迦十六善神像 ・石造宝篋印塔 ・四天王立像 ・木造金剛力士像
・観覧料/100円 ●関連情報 |
●城崎温泉を開いた道智上人創建、数々の文化財も収蔵 末代山温泉寺は高野山真言宗の別格本山で、豊岡市城崎町大師山中腹に位置しています。温泉寺縁起によれば、城崎温泉を開いた道智上人により創建されました。天平10年(738)、時の帝聖武天皇から末代山温泉寺の勅号を賜りました。 開山道智上人より中興清禅法印までの約600年間は不詳ですが、鎌倉時代元久2年(1205)、時の院主玄高法印が幕府の祈願僧として感状を賜っていることをみても、寺の隆盛の一端がうかがわれます。 |
蓮華寺【れんげじ】
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![]() 蓮華寺 ・賽の河原 |
●但馬高野と称された名刹 豊岡市竹野町轟にある高野山真言宗・蓮華寺は、寺伝によると慶雲4年(707)、行基の開創といわれています。本尊は十一面観音立像で、西国31番札所にもなっています。 お寺の名前は、八方を山に囲まれ、蓮の花に形が似ているところから名付けられました。かつては但馬高野と呼ばれ、但馬の信仰文化の中心としてその隆盛を極めたといいます。 また、8月14日のお盆の施餓鬼供養には、読経の後に県の無形文化財である「古代太鼓踊」が踊られます。この「古代太鼓踊」は但馬5地域に伝わる「ざんざか・ざんざこ踊り」と同じ系統ですが、ざんざか・ざんざこ踊りが神社に奉納されるのに対し、「古代太鼓踊」は蓮華寺の仏事として行われるという非常に珍しい特徴をもっています。 |
隆国寺【りゅうこくじ】
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・36面の襖絵 |
●関西花の寺第6番札所、通称「ボタン寺」 通称「ボタン寺」として親しまれている隆国寺には、4月下旬~5月上旬頃、約70種類1000株のボタンが華やかに咲き誇ります。天保年間、飢饉で苦しむ人々を寺の米蔵を開いて救ったことから、感謝した人々が「富貴の花」といわれるボタンを寺に植栽したということです。 関西花の寺第6番札所として、初夏にはたくさんの人が満開のボタンを見に訪れます。 隆国寺は山名の四天王と呼ばれた楽々前(ささのくま)城主・垣屋隆国の菩提寺として、天正15年(1587)阿瀬金山に建立され、 江戸期に入り現在の地に移りました。 現在は県指定文化財に指定されており、36面の襖絵を始め、様々な文化財が残っています。 本堂にある孔雀の図などの見事な襖絵は、円山派と対峙した岸連山一門が描いたものです。また、寛政4年(1792)に再建された山門は三丹(但馬、丹後、丹波)随一と称されています。楼上には釈尊、文殊、普賢の釈迦三尊と十六羅漢が祀られており、訪れる人の邪気を払うと共に、寺全体を守護しているそうです。 境内正面及び両側に配する石垣も町を代表する貴重な文化財です。創建当時に作られたもので、神鍋溶岩の蒸し石を巧みに組み合わせ、重厚な構えを呈しています。特に、山門を経て本堂を望む景観と見事な構成をなし、その石組みは優れた技術と感覚を示しています。苔むした石垣に鮮やかなボタンの花がいっそう映え、訪れる人を魅了しています。 |
進美寺【しんめいじ】
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・進美寺鰐口 ・進美寺文書 県指定重要文化財 |
●源平合戦を慰める但馬300基の五輪宝塔造立供養 豊岡市日高町赤崎にある進美寺山は富士山型の秀麗な姿で、この山自体が信仰の対象として崇められてきました。その中腹にあるのが天台宗の進美寺で、鎌倉時代はじめの建久8年(1197)10月4日から「五輪宝塔三百基造立供養」が行われました。 願主は但馬国守護・源(安達)親長で、五輪宝塔造立祈願文には「鎌倉殿(将軍源頼朝)の仰せにより全国8万4000基の五輪宝塔を造立するにあたり、但馬国の300基を進美寺で開眼供養を行う。それは源平内乱で数十万に及ぶ戦没者を慰め怨を転じて親となそうとする趣意からである」とあり、法句経の経文を引用し怨親平等の思想を説いた名文です。 |
円通寺【えんつうじ】
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![]() 円通寺 ・豊岡市竹野町 ・絹本淡彩月庵宗光像 |
●名僧月庵和尚が創建、別名あじさい寺
別名あじさい寺と呼ばれ、臨済宗南禅寺派、中本山で、最高の儀式の執行権、宗義統制権や寺号、本尊、院号などの授与権を含む教学上の特権、その他宗政上の特権を有した大本山に次ぐ格式のある寺院です。元中6年(1389)時の但馬守護、山名時義・時熈(ときひろ)父子が、高僧月庵和尚をして円通寺を創建しました。 しかし、その直後、同年5月4日に山名時義は没してしまいました。時義の墓所が今も円通寺にあります。 寛永21年(1644)9月には、沢庵和尚が寺を訪れ、多くの詩を残しています。また後年、大石蔵之助の妻大石りくなど多くの著名人が来寺しています。享保5年(1720)に焼失など幾多の変遷はありましたが、現在なお600年の伝統は守り続けられています。 |
極楽寺【ごくらくじ】
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![]() 極楽寺 ・山門 ・予約すれば法話、座禅が可能 |
●沢庵禅師が再興した禅寺 室町時代初期の応永年間(1394~1428)、出石・宗鏡寺の創始者、金山明昶(めいちょう)禅師が開きましたが、その後荒廃し、江戸時代に沢庵禅師によって再興されました。 「来ん春を深雪の底にひきよせて、冬ひとしおの出湯なりけり」温泉好きだった沢庵は、城崎で詠んだ歌を多く残しています。湯治に訪れる度に宿として使っていた極楽寺を臨済宗の寺として再興したのです。 その後、慶安5年(1652)、豊岡藩主杉原伯耆守(ほうきのかみ)の帰依を受け、領地などを寄進されて今日の寺容が築かれました。本堂は明治45年(1912)に焼失し、現在の本堂は大正10年(1921)に復元されたものです。 元禄年間(1688~1703)に建てられた山門は現存しており、豊岡市城崎町の文化財に指定されています。 境内には白砂で「心」の文字が描かれた「清閑庭」があります。白と黒のコントラストをもつ枯山水の石庭で、裏山から湧出する清泉「独鈷水」が庭内をうるおしています。 また、熱病封じの「青面金剛大童子」や一芸を成就させる「弁財天」、童男童女の守護仏「一星地蔵尊」なども祀られており、今日も多くの人の信仰を集めています。 |
久々比神社【くくひじんじゃ】
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![]() 久々比神社 ・豊岡市下宮 ・本殿 国指定建造物 |
●室町時代の雄々しい本殿
三間社流造の建物である本殿は国の重要文化財に指定されています。中嶋神社・酒垂神社の優しさと比較すると、やや雄々しさが目につきます。 |
日出神社【ひのでじんじゃ】
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![]() 日出神社 ・豊岡市但東町畑山 ・本殿 |
●たばさみ・蟇股の施しがある室町時代の本殿 創立年月日は不詳ですが、延喜式の制小社に列し、享保11年拝殿を建立し、寶永元年社殿を修復、明治3年社殿を現在地に移したと記録が残っています。本殿は室町時代の建築といわれており、国の重要文化財に指定されています。本殿は三間社流れ造りで、たばさみ・蟇股(かえるまた)などに特色があります。 また境内には、後醍醐天皇の第六皇子恒良親王が幽閉されたという旧跡もあります。 |